ハロウィンだし、ドーナツを配って回ろう
今日は10月31日、ハロウィン。まあシュガーフェストで働く自分には関係のない行事である。いつもと同じように仕事をして、何事もなく過ぎていくだけの日。
と、明也は店の扉を開けるまでは思っていた。
「来ましたね暁くん! 今日は町に出ますよ!」
「は、はい……?」
開口一番にそう言った佐藤に促されるまま着替えさせられ、ほか3人の従業員と共に明也は店の前に待たされていた。
そして最後に佐藤が店の奥から荷車を引きながら現れて、そこにたくさんの小さな包みを満載すると明也達を引き連れて進み始めた。
「トリックオアトリートー! お菓子を貰ってくれなきゃイタズラしちゃいますよー!」
「どっちにしろイタズラなのでは……?」
魔装を着せられた明也は小さく呟いた。
店を出る前に佐藤が説明してくれた事によると、本日は特別な行事の日なので通常営業は取りやめてお店の宣伝をするのに専念するという話だった。
そんなわけでハロウィンにあやかり、仮装として魔装を纏ったシュガーフェストの全員で町を練り歩き道行く人にドーナツを配り歩くのだという。
それだけならば宣伝としては申し分ないだろうが……肝心のドーナツがイタズラを選んだ方がマシな気がしてならないのが明也には気になった。
「これ、なんかの法律とかに引っ掛からないかな」
「何を心配する必要があるんだ明也。ただ美味しいドーナツを配っているだけじゃないか」
「そうなんですけどその美味しいドーナツとやらがさっきから包みの中で動き回ってるように見えてならないんですが」
「メイヤ知らんのな? 食べ物の新鮮さを伝えたい時に「まるでまだ生きてるみたい」って言うんよ」
「言うけど……ドーナツには使わないと思う。生き物じゃないし」
本当にこれを配りまわるのだろうか。多分ネズミの死骸を渡していく方がまだ好印象なんじゃないかと明也は思う。
「不安だ……」
「心配しすぎですよ暁くん。そんなに不安がらなくても、新しいものってみんな好きですからきっと喜んでもらえます!」
「これは新しすぎて忌避感の方が強くなりそうですが……いや、それよりも前に似たような事をして失敗したって話、してませんでしたっけ!?」
ドーナツを配って店の宣伝、というのは以前佐藤が京と共にやった事があると明也は聞いていた。まあ、結果は言うまでもないだろう。
どう考えてもこのままではその時の二の舞にしかならないと思うのだが、何か対策はしているのだろうか。
「大丈夫です! あれからしばらく間は空いてるので、みんな忘れてるはずです!」
「無策じゃないですか!! 何も大丈夫じゃないですよ!!」
「そう叫ぶな明也。心配せずとも、ちゃんと手は打ってある」
「あ、そうなんですか? すいません、つい大声で」
「気にするな。……戸ヶ崎、あれを出してくれ」
「はぁい」
対策はしっかりと用意しているらしく、京は戸ヶ崎に合図して1枚の紙を明也に渡させた。
紙の中央には手書きの文字で「明日、お届けにまいります」と書かれている。右下の方に、店名と住所が小さく載っていた。
「…………なんです? これ」
「事前に私達が来ると報せておけば不気味がられる心配も必要なくなると思ってな、戸ヶ崎に作ってもらったんだ。名案だろう?」
「1枚1枚書いていくのは大変だったけど楽しかったですよぉ」
「ああこれコピー元とかじゃなくて全部手書きなんだ……」
「一生懸命さが伝わってきますでしょぉ?」
「伝わるのは恐怖とか危機感だけじゃないかな……」
下手という訳ではないのだが、あまり字を書き慣れていないかのような歪さを感じさせる字体は見る物に恐怖を与えるような気がする。初見で、誰が書いたのかもわからないとなればなおさらだろう。
書き手が戸ヶ崎だと分かればそこまで怖がられる事もないだろうが……いや、どうだろう。余計に恐れられるのではないだろうか。明也は正確な判断ができなくなりつつあった。
「まあ、それは置いておくとして。誰とも会いませんね。今日はハロウィンなのに」
考えるのをやめ、明也は話題を切り替えた。
荷車を引く佐藤と一緒に茅原町を歩いていく明也達だったが、誰とも出会わない。車や、野外で働く人の姿もだ。
あまり人口の多くない町ではあるが、一応全国的なイベントの日だというのにこれは少し異常なのではないだろうか。そんな明也の疑問に、京が答える。
「仕方あるまい。茅原町ではハロウィンというイベントに参加しようとする者は少ないからな。何だったらイベントの存在そのものを知る者の方が少数派かもしれん」
「つまり我々は茅原町の住人から見れば何でもない日に変な格好して変なドーナツを配る変人集団としてしか映ってないのでは? やっぱりこれ何の勝算もないじゃないですか店長!! なんでやろうと思ったんですか!!?」
「え? でも、目立ちますよ?」
「絶対悪目立ちの類いですってこれ!!」
「しかしですね暁くん。何事もやってみなくちゃわからないんですよ」
「これに関してはやる前から分かり切っていると思います……!!」
明也がドーナツ配りを中止させようとするも、謎の自信に満ちている佐藤は取りやめる気はなさそうだ。
まあ大量にドーナツを準備してきているわけだし、まるで配らないままに止めるのも嫌なのだろう。……それに、佐藤が言うように実際誰かに渡してみないと本当に不評かどうかは判断できないだろう。
いやいや。そこまで考えて明也は首を横に振る。生き物のように蠢くお菓子を渡されても不評以外はありえないだろう。
一瞬でももしかしたら、と思ってしまった自身を明也は悔いる。だいぶ悪い方向で佐藤達に感化され始めてしまっているのかもしれない。
「それでは、まずはこのお家からいってみましょう!」
「ああ、第1犠牲者……」
色々と明也が考えている内に、佐藤は1軒の民家の前で止まった。
ためらう事無く玄関前に設置されているインターホンを押し、それからほどなくしてドアが開かれる。
「はいはい、どちらさまで」
「トリックオアトリートー! お菓子をもらってくれないとイタズラしちゃいますよー!」
佐藤の顔を見た瞬間、家主はヒッと小さく声を上げ、勢いよくドアを閉じてしまった。直後にガチャガチャと音がして、鍵も閉められる。
「貰ってもらえませんでした……」
「もう忘れられてるって言ってましたけど明らかに顔覚えられてるじゃないですか……。ともかくあの様子じゃ取りつく島もなさそうですし、諦めるしかないですね」
「いえ、お菓子を貰ってくれなかったのでイタズラはちゃんとしていきます……」
「追撃を……!? ま、まあいいや。それでイタズラって何していくんですか?」
「これを玄関に置いていきます」
そう言って佐藤は人差し指と親指で丸いものを荷車の隅から取り出した。全体は白っぽく、その1か所に黒い丸があるそれは、
「眼球!? だっ、誰のですかっ!?」
「もー本物なわけないじゃないですか。戸ヶ崎さんの作ったドーナツの失敗作ですよー」
「あ、そうなんですか? ……どっちにしろドーナツは配るんですね」
よく見てみると、確かに血管などが付いていないし、本物の人の目玉ではないと分かる。明也は安心した。
それはそれとして、ドーナツ作りに失敗してどうしたら人の目玉に似たものが生まれる事になるのだろうか。
「ちなみに戸ヶ崎さん、成功してたらどんなドーナツになったの?」
「けっこうイケてる感じになってましたよぉ。明也先輩はすじこってわかりますかぁ?」
「うん……ごめんそれだけで大体分かったらもう言わなくていいよ」
玄関前に眼球を置き、佐藤は次の家を目指してまた荷車を引き始める。
これ、広まるとしても悪評だけなんじゃないかな、と明也は思った。
「ふう……ここもダメですねー」
かれこれ最初の家から5軒ほど回ってみたが、住民はいずれも玄関から顔すら覗かせなかった。
やはり、事前に告知したのが裏目に出ているのかもしれない。佐藤にはかわいそうだが、この調子だとドーナツを受け取ってくれる家は無さそうだ。
残念そうにため息を吐く佐藤を見て、明也はもう諦めさせた方がいいのではないかと思う。
「店長、やっぱり無理じゃないですかね」
「そうですね……。ここは潔く諦めましょう」
先刻の自信が立ち消えたかのように、明也の言葉をすんなりと佐藤は受け入れた。あまりにもあっさりすぎて、言葉をかけた明也の方が驚いてしまう。
「えっ、いいんですか!?」
「はい。ダメそうなら早くからこうするつもりでしたので」
意外なまでの引き際の良さを見せた佐藤は、荷車を引いて来た道を引き返し始める。明也もその後を追いかけた。
「さあ、行きましょー!」
「成果なしで帰るのに元気ですね、店長」
「トーゼンですよ! これから学校へ行くんですからね!」
「……? え、学校?」
そんな、今はシュガーフェストへ帰っているのでは。そう思っていた脳内に突然謎の単語を叩きつけられ、明也は困惑する。
理解が及んでいない様子の明也を見て、佐藤は得意げに口を開いた。
「じつはここからちょっと戻った所に高校があるんですよ。なので下校時刻まで待って学校帰りの生徒さんにドーナツを渡していくんです! ふふん、完璧な作戦でしょう!」
「それなら受け取ってもらいやすそうですね。……通報されなければという言葉が付きますけど」
小腹の空いた学生も少なくはないだろうし、まあ警戒心むき出しの大人よりかは楽に受け取ってもらえるだろう。
もっとも、怪しすぎる格好のせいで教師たちに見つかって即刻通報される未来しか明也には見えていないが。
しかし引く気など欠片もなかった佐藤はお構いなしだ。京たちと共にズンズン進んでいき、あっという間に高校の前まで来てしまった。
「俺もついて来ちゃったけど……これで警察とか警備の人に捕まったら流石にもうお説教とかじゃ済まないんだろうなぁ」
「ネガティブですねぇ、先輩。そんな心配しなくってもぉ、私達って正義の魔装少女なんですよぉ?」
「一応そうだと思うけど、それがどうしたの?」
「いざという時はバッサリやっちゃえばいいんですよぉ」
「完全に悪の発言だねぇ!」
正義とやらはどこへ行ったのか。真顔でそう言った彼女を見て、最も学校に近付けていけないのはこの戸ヶ崎という後輩なのではないかと明也は思う。
やる時は本当にやる人間であるのが明也には既に分かっているので、何事も起きずに終わる事を祈るばかりである。
「さて、そろそろでしょうか」
時間は経ち、日が落ちて来た頃に佐藤がそう言った。下校を知らせるチャイムが鳴り、あと数分もすれば学生達が出てくるだろう。
目立たないように隠れて過ごしていたのでまだ通報はされていないが、彼ら彼女らの前に姿を出せばいつそうされてもおかしくはない。
だが捕まらない確証があるのか、それとも実は明也が知らないだけで許可は取れているのか、佐藤ら4人は自信に満ちた顔で校門前へと進んでいく。
どこからその余裕が来るのか不明だが、不安をおくびにも出さない彼女達を見ていると、なんとなく明也も大丈夫な気がしてくる。
少し遅れてから意を決した明也が佐藤の元へ行くのと同じくらいのタイミングで、1人目の犠牲者、もとい下校者が姿を見せた。
女子生徒だ。果たして受け取ってもらえるのだろうか。
「トリックオアトリート! です!」
「えっ? ……ええっと、ごめんなさい、私今お菓子とか持ってなくて」
「お菓子を貰ってくれないとイタズラしちゃいますよ!」
「わ、私が貰う側なんですか……??」
いきなり現れた佐藤にさほど驚いた様子も見せず、困惑はしつつも女生徒は話に乗ってくれている。
これはもしかしたらいけるかもしれない。明也は期待を込めて小さくガッツポーズをした。
「美味しいドーナツですよー」
「ま、まあ貰えるなら貰っておこうかな……」
「ありがとうございますー! はい、じゃあこれどうぞ」
「ヒッ……ヒィィ動いてるーーーー!??」
手にドーナツの小包みを乗せられた女生徒は、それがモゾモゾと動き続けるのを見るや小包みを投げ捨てて走って逃げて行ってしまった。
コンクリートの地面に叩きつけられたドーナツはようやく動きを止め、包みの内側から青と緑の2色の液体がじわじわと染み出してきた。
「ああっ、受け取ってもらえそうだったのにー……」
「あれはむしろ正しい選択だったんじゃないんですかね」
染み出た液体が包みを溶かしながらプラスチックの溶ける臭いを放っているのを見て明也は静かに呟いた。はたしてこれは本当に食べても問題のないものだったのだろうか。
「まあ1人目であの調子なら根気よくやれば誰かは受け取ってもらえるだろうな」
「このまま粘ってみるのな!」
「ですねぇ」
「なんでみんなそんなに前向きなの……?」
各々謎のやる気を見せる彼女らを見て、呆れるよりも先にすごいなぁ、と明也は思った。まあ惜しいと言えば惜しい反応だったが、肝心のドーナツがあれではどうしようもなくはないだろうかとも思う。
話を聞いてくれるだけまだ可能性があるという事なのかもしれない。次の生徒が出てくるのを待ちながら、明也はそう結論付けた。
「君達、何やってるのかな?」
そんなタイミングで、優しい声が明也達の背後からかかる。男性の声だ。
急に知らない人間の声がして、ビクリと明也が振り向くと、そこにはにこやかな笑みを浮かべた壮年の警官が立っていた。
「あっ、いや、べべべ別に俺達はそんな、怪しくはない、ですよ?」
「そっかそっか、結構特徴的なカッコだったもんでね、声をかけさせてもらったんだけど」
「あらどうもお巡りさん! これ、私のお店で作ってるドーナツなんですけど、おひとついかがですか?」
「いやぁ今は仕事の途中だからね、遠慮させてもらおうかな」
表情だけでなく口調も声色も穏やかではあるが、どこか棘のようなものがあるのを明也は感じ、怯えていた。まあ見るからに怪しいし、可能ならしょっ引くつもりでいるのは間違いないだろう。
佐藤はそんなものお構いなしでドーナツを渡そうとするがさらりと断られてしまう。
「……で、改めて聞くけど、何をしていたのかな」
「見ての通り、町の人々に無償でドーナツを配って回っているのだが」
「うーん見ての通りって言われてもねぇ。そんな服着てやる必要はあるのかい?」
「おっちゃん知らんのな? 今日はハロウィンなんよ? コスプレする方が正しいんよ」
「ははぁ、そういやそんな日だったっけ。ならまぁ、納得もいくかねぇ」
なぜそんな強気で返答ができるのかと聞きたくなるのを抑え、何を言えばいいのかわからない明也はハラハラしながら黙って見守っていた。
最終的に警官の方もだいぶ理解を示してくれるような雰囲気を出しており、そこでようやくホッとして明也は息を吐く。
「じゃあ服装はいいとして。……そこに落ちてる物は何かな」
「え? ……はッ!?」
警官が指さした先を見て、明也は目を見開いた。
そこにあるのは怪しげな煙と共に異臭を放つ、佐藤が言うにはドーナツである物の包みが落ちている。
アレを作った張本人である佐藤と、従業員である明也達4人はこれをドーナツと認識できるが(本当は明也は認めたくないが)、何も知らない者が見れば何らかの危険物に見えてもおかしくはないだろう。
「何って、ごらんの通りですよ。ドーナツです」
「下手なウソだねぇ、ドーナツが煙なんか出すわけないでしょ?」
「? 出るのもありますよ?」
「……そのハッタリ、まだ続ける気なのかい?」
何もおかしい事は言っていない、むしろお前の方が何を言っているのかというような口調と態度の佐藤に、挑発されていると受け取ったのか警官の声色から優しさが失せていく。
まあ佐藤の店で働く明也からしてみればそれが挑発でもなんでもなく本当に思った事を口にしているだけだとわかる。シュガーフェストにおいて煙とか液体とか胞子だとかを吹くドーナツは、珍しくない。
そんな佐藤にとっての当然など察せるはずもなく、警官の声は怒りの混じったものに変わる。
「最近茅原町で増えてる不審火、これもあんたらの仕業だな?」
「えー違いますよー。でたらめはよしてください」
「そこの包みが動かぬ証拠だろ!! あんたら、少し一緒に来てもらおうか」
一喝と共に警官が佐藤らの元へと歩み寄ってくる。不審火とやらの心当たりは本当にないのでそちらは冤罪だとすぐにわかるかもしれないが、多分なにかしらの余罪が見つかる事にはなると思うので明也としては捕まりたくはない。
そう思っていると、戸ヶ崎が明也に耳打ちしてくる。
「先輩、あの人の気を引いてもらっていいですかぁ」
「お、俺が囮に……?」
戸ヶ崎の言葉からそう言われていると明也は思った。最悪の場合は逮捕される危険な役である。だが自分ならば捕まっても失うものは少ないし、親の顔も名前もおぼろげで住んでいる場所もわからないので迷惑をかける相手もほとんどいない。適任なのかもしれないとすら思う。
「そうじゃなくて先輩が目立つことをしている隙に後ろからDブレードの柄で思いっきり殴ろうと思ってただけなんですけどぉ」
「……全員撤収ーーーー!!!」
「なッ……待てお前ら!!」
ろくな作戦を立てていないのが判明した戸ヶ崎を脇に抱えて、明也は叫びながら警官に背を向けて走った。
同時に他の3人もそれぞれ別の方向へと別れながら逃げて行って、警官は誰も捕まえる事はできなかった。
魔装で身体能力が強化されていたのも幸いだった。荷車を引きながらの逃走だった佐藤すら相当の速度が出ていたのだ。こういった事を見越しての仮装だったのかもしれないと明也は思う。
「……結局、ドーナツは1つも貰ってもらえなかったね」
「ですねぇ。あと、そろそろ離してくれないと怒りますよぉ?」
「あ、ごめん、放っとくと警官相手でも殺しそうな気がして」
「そこまではしませんよぉ」
その後、5人は全員欠ける事なくシュガーフェストに戻ってきた。
顔までは覚えられていなかったのか、しばらく経ってもあの警官が押しかけてくるような事も無く、明也は安堵する。
まあ、結局1つも配れずに終わったドーナツの「処理」を手伝わされて胃の調子がおかしくなり、別の方向でしばらく安心できない日々が続くのだが。
こうして、シュガーフェストはハロウィンの日を何の宣伝もできずに終えるのだった。




