謎の嘘吐き博士
「おはようございまーす」
シュガーフェストのドアを潜った明也は寝起き特有のいまいち回らない滑舌で挨拶をした。
季節は冬に近付き、めっきり肌寒くなり始めた。いい加減暖房器具を出す家庭も増え始め、町ではそれでポカをやらかした者が出て来たのか時折ボヤ騒ぎが起こり始めた頃だ。
朝に弱いわけではない明也だが、それでも布団から出るのが億劫になり始め、自然と起床時間も遅くなりがちになる。まあ、しかし今日は珍しくスッと起きられたのでいつもより若干早く店についてしまったのだが。
冷たい外の気温とは打って変わって、シュガーフェスト店内はほのかに暖房をきかせているので冷え切った明也の頬を徐々に温めてくれる。
店の中には既に電気が点いているが佐藤やそれ以外の面子も含めて誰もいない。また調理場で新商品の開発でもしているのだろうか。
明也は一度更衣室に入って制服に着替えてから調理場へ挨拶をしに来た。
「店長ー、おはようござ……」
「む」
調理場には1人しかいなかった。
しかし、それは明也のよく知る4人の内の誰でもなかった。
赤い髪と褐色の肌が特徴的な白衣の女。以前明也が夢の中で出会った事のある相手だ。彼女は皿の上に山と積まれたドーナツを頬張っている最中だった。
「……えっと、博士? でいいんですよね。お久しぶりです」
「んむ」
博士と聞かれ、彼女は頷いた。
そう、博士だ。明也達がマリスドベルと戦う際に用いる魔装とDブレードは彼女が作り出したものであり、最近まで明也はその姿すら知らなかった存在でもある。
そして博士の姿を知った際に命を救われており、まだその礼を出来ていなかったのでなんとか会おうとしたのだが、シュガーフェストの2階に住んでいるはずの彼女は明也が尋ねても扉を開けるどころか返事すらしてくれなかったのである。
元々部屋にこもりがちであると佐藤も話していたので簡単には会えないのだろうな、と納得しかけていたのにまさかこんななんでもないタイミングで出会う事になろうとは。
「この前は助けてもらってありがとうございます。あなたがいなかったらきっと死んでました」
「んむ」
「店長は、まだ来てないんですかね」
「んむ」
「……」
「……」
……返事はしてくるのだが、ずっとドーナツを食べていて何を言っているのかよくわからない。
別に明也が飲み込み終わるのを待っていないというわけではなく、普通に次から次へとドーナツに手を伸ばしていくのだ。
「あの、博士さん。食べるのちょっと待ってもらってもいいですか」
「んむ」
「なんで頷きながらまたドーナツに手ぇ出してんですか!! 別に食べててもいいですけど喋りながらお願いしてもいいですか!?」
「食べながら話したら行儀が悪いだろう」
「そこは普通に喋るんですね! いえ正論ですけども!」
マイペースなのかただからかわれているだけなのか、いずれにせよ翻弄される明也を見て博士は口角が少し上がった。
「それで、その後も身体の機能に異常はないかな」
「え? まあ……はい、大丈夫だと思いますけど」
反応を楽しみ終わったのか、手にしていたドーナツを皿に戻して博士は明也へと顔を向けた。
外国人っぽい顔立ちなのは明也にもわかるが、どこの国の人なのかまでは分からない。髪色も派手だし、一体どこから来た人なのだろう。
「それで、博士は何してたんです?」
「何というほどの事ではないが、ドーナツを作って食べていただけだよ。ここの店長からは好きなだけドーナツを食べてもいいと言われているからね」
「そうなんですか。まあお店に置いてるのは食べるのに勇気がいりそうですけど。……ところで、生焼けじゃないですか? それ」
明也は机に置かれた食べかけのドーナツを指差した。
内側の生地が半分ほどまだ液状であり、ドロッとした生地がドーナツから流れ出てきている。
「フフフ、砂糖の量が少なすぎたのも相まって非常にまずいよ」
「なんでそんな誇らしげな顔で言えるんですか」
「恋と料理は忍耐だ、とよく言うからね」
「初めて聞いた気がするんですけど」
格言の意味はよく分からなかったが、この博士という人物が失敗料理を我慢して食べているのは分かった。
なので明也は助けてもらった事へのお礼も兼ねてちゃんとしたドーナツを作ってあげる事にした。
「とにかくそんなの食べてたらお腹壊しちゃいますし、俺がドーナツ作りますよ」
「それは嬉しいね。なら出来上がるまでに私が作った方は平らげておかなくては」
「いや、そっちは捨てましょうよ……。絶対後で気分悪くなりますよ」
「そこまでヤワじゃないから心配しなくていいよ、私はこう見えて頑丈だからね。それに捨てるのも勿体ないだろう?」
「ま、まあそうですけど。後でお腹痛いとか言い出さないでくださいね」
明也がドーナツを作り始めたのを見て、博士も食べかけのドーナツを食べるのを再開した。ステーキだったらブルーレアぐらいの焼き加減のドーナツを平然と食べていく様は見ているだけでも気分が悪くなってきそうなので、できるだけ明也は視界に入れないようにした。
店に出せるものは作らせてもらえない明也だが、まっとうなドーナツならそこそこ作れるようになってきたのでこれよりはマシなものを完成させたい所だ。
特に何事もなくドーナツを揚げる所まで行き、しっかり火が通るまでの間黙って待つのも暇なので、明也は博士に前から疑問だった事を聞いてみる。
「気になってた事があるんですけど、博士ってあの魔装とかDブレードをどうやって作ったんですか?」
「……そうだね、愛の力かな」
駄目だった。あからさまにはぐらかされてしまう。まああれだけの力を持つ物であるし色々と秘密にしておきたい事はあるのだろうが、流石に取りつく島もなさそうだ。
「……じゃあ、マリスドベルってどこから生まれたのかとかは? 対抗する装備を作れたって事はあれが何なのかとかって少しくらいは知ってますよね?」
「少しならね。直接聞いた訳ではないからここからは憶測だけれど、あれは多分根のようなものだと思うね」
「根、ですか?」
明也の問いに彼女は頷いた。明也達が戦うマリスドベルは、根。
それはつまり、どこかにその根が繋がる先がある、という事でいいのだろうか。
だとしたらそれは非常に重要な話のような気がするのだが、なんでそれを佐藤も京も教えてくれなかったのだろう。
これは博士の話をもっと聞いておく必要があるかもしれないと明也は思い、彼女の返答を待つ。
「うん。だから私はそれを君達に削ってもらって、また彼に会えるように手伝って貰えたらな、と思っているんだ」
にっこりと微笑みながら博士はそう言った。なんだか明也は自分がなにかの核心に迫りつつあるのを感じる。
「彼って、誰ですか?」
「改めて口にすると照れるんだけれど、私の初恋相手だよ」
小さく笑って返す博士だが、明也にはそれを笑って返すべきかは分からなかった。
つまり、マリスドベルという根の先に繋がっているのが博士の初恋相手という事になるのだろうか。それに会うために魔装少女として明也を含む5人は戦わされていると。
ずいぶんと簡単に応えてくれる博士だが、この話を佐藤は知っていて話さなかったのか。それとも聞いていなかったのだろうか。
……考えてみたが、聞いていなかったのかもしれない。あの佐藤なら特に理由も聞かずに「それって魔法少女みたいなやつですか!? いいですね、やります!」とか言っていてもおかしくない。
彼女の代わりに明也はもっと詳しく話を聞く事にした。
「……それで、その人に会ったらどうするつもりです?」
「どう、か。そこまでは考えていなかったね。なにせ今の話は全部憶測だからね」
「そうで……え? 今なんて言いました?」
真剣な表情で聞いていた明也だったが、博士の一言で一気に呆けた顔になる。
「憶測だよ。早い話が嘘、という所だね。私もそう前置きをしたつもりだったのだが、分かりにくかったかもしれないね」
「えぇ……じゃ、じゃあ彼とか、初恋相手だとかの所は」
「そうだったらロマンチックだなあと思ってね。実際マリスドベルが何なのかは私もよくわからないんだ」
「えええええええぇぇぇ…………」
明也はその場に崩れ落ちた。真面目な顔してた自分が馬鹿らしくなってくる。そりゃあこんな話佐藤も京もしないに決まっている。だって今この場で作り出されたホラ話なのだから。
「おっと、そろそろ油から上げてやらないとドーナツが焦げてしまうんじゃないかい」
「ぐっ、この……しょうもない嘘で俺を騙したくせに……」
「ははは。君のようなからかい甲斐のあるリアクションをしてくれる者はなかなかいないからね。ついやってしまうんだよ」
油からドーナツを掬い上げながら、この人の話はもう信用しないで聞く事にしようと明也は心に決めた。
「うん、なかなかだね。流石にドーナツ屋さんで働くだけの事はあるよ」
「まあ、その……見よう見真似なんですけど」
自前の失敗作を片付け、明也の作ったドーナツを口にした博士はその味に感心して頷いていた。
シュガーフェストの他の従業員からは「普通」と称されるものをそこまで喜んでもらえているなら明也も嬉しいが、多分お世辞だろう。もしくは、自身が作ったものがアレなせいでハードルがだいぶ低いだけかもしれない。
「そう謙遜しなくてもいいさ。例え模倣であってもそれは君の才能の一つだろう? 何かの再現ができるのは悪い事ではないと思うよ」
「はぁ、そうですか」
褒められてはいるのだろうが、明也はいまいち信用できなかった。こちらが乗っかろうとした瞬間にまた手のひらを返されるような気がしてならないのだ。
そんな明也の心の内を読んだのか、博士はやれやれといった感じで息を吐いた。
「そんな無関心にしないでおくれよ。このドーナツのお礼にしばらく嘘は言わないからさ」
「本当ですか……?」
「本当だとも。ここからは真実で答えようじゃないか。それでも私の話は信用ならないかな?」
「まあたった今まで長々と嘘の話を語ってましたからね」
嘘を吐かないと言われても、その言葉自体が嘘のような気がしてならない。ポーカーフェイスというやつなのか、表情をほとんど動かさない博士の顔からはなんとなく感情を読み取ったりもできそうにないが。
この物から正しく情報を聞き出したいなら人の心が読めるような能力でも持っていないと無理なんだろうな、と明也は思う。
「……じゃあ、嘘でも本当でもいいような事を聞かせてもらいます」
しばらく悩んだ末に、明也は回答がどっちでもいいような話を聞く。佐藤が来るまではあまりやる事もないし、暇つぶしのようなものだ。
それを受けて、博士はにんまりと口元を歪めた。明らかに騙してやろうという顔をしている。
「うん、いいよ。何について聞きたいのかな」
「前に俺達が呪われたゲームの世界に飛ばされた時、どうやって助けに来てくれたんですか?」
数週間ほど前、明也達シュガーフェストの従業員は呪われた館に飛ばされて殺される寸前の所まで追い詰められていた。
そこを今明也の目の前にいる博士が救ってくれたのだが、その方法がよくわからず気になっている。
どうせ嘘か本当かもわからないならもう終わった事の裏話でも聞いておいた方がマシだろう。
そんな明也の問いに、博士は少し得意げな顔をして答えた。
「夢に関してはそれなりに詳しくてね。大分自由が効くんだよ。あれがもしも夢とは関係のない純粋な別世界とかだったら私はどうしようもなかったし、君達は運が良かったよ」
「んー……」
助けられてよかった、という言葉には実感がこもっていたが、それ以外は果たして本当に真実だろうか。
確認しようもないのは分かっているが、明也は思わず眉根を寄せて考えてしまう。その様子を見て、博士は実に楽しそうな顔をしている。
「っていうか、ずいぶんとぼかした説明ですね」
「ふふふ。でも嘘は言っていないだろう? 詳しく聞きたいならば答えてもいいけれど」
博士は明也を挑発するように笑った。面倒な人だなあ、と思いながらももっと別の方向性で面倒な人がシュガーフェストには結構いるのでそこまで気にしてはいないが。
「……じゃあ、もっと詳しく」
「仕方がないなあ。実を言うとだね、私は」
「あれ、暁くん? もう来てたんですか?」
と、そんなタイミングで佐藤の声が聞こえた。調理場の外から響く声に驚き、明也はそちらの方を向く。
既に着替えを終えて制服に着替えた佐藤が姿を見せたのもそれと同時だった。
「あっ店長、おはようございます」
「おはよー暁くん。何か話し声みたいなのが聞こえてましたけど、誰かいたんですか?」
「ええ、偶然博士と会いまして、ちょっと話してました」
「え、どこにいたんです?」
「? ここにいますけど」
佐藤の言葉に首を傾げ、振り向いた明也が見た先に博士はいなくなっていた。ドーナツの皿も、幻のように消えている。
「あれ……? さっきまでいたのに」
「あらー、そうなんですか。博士って私の事を結構避けるんですよねー、なんででしょう? 新しいドーナツを作った時は優先的に味見して貰ったりしてるんですけど……もっとたくさん食べたいと思ってるんでしょうか」
「いや……いや、そうですね。それが原因だと思います」
「やっぱりですか? じゃあもっといっぱいドーナツを持って行かないとですね!」
どれとまでは言わないが、明也は佐藤の言葉を肯定する。結果的に博士がより辛い目に遭う事が決まってしまったが、まあいいだろう。
話を中断してしまいはしたが、そちらも明也はさほど気にしていない。多分また嘘を言うかもしれないし、当初の目的である礼を言う事は達成できたからだ。
店長も店に着いたのだし、明也は切り替えてシュガーフェストの開店準備を始めるのだった。
結局その後明也が仕事を終えて家に帰るまでの間に博士が姿を見せる事はなく、2階の扉も固く閉ざされたままであった。




