夏条さんの妹さん
本日のシュガーフェストには珍しく客が来ていた。
いや、正確に言うと来そうな客がいる、という状況だ。
店の中にいる明也は、ドアの前に立っている学生服姿のかなり大柄な男性を見て、中に入る瞬間を待っていた。
シュガーフェストのドアはガラス張りであり、店内にいる明也は彼が何度もドアを開けて店に入ろうとして、それでも何かが気を咎めるのか手を引っ込める、という動作を何度も繰り返しているのが見えた。
名前も知らない学生だが、その行動に明也は非常に親近感を覚えていた。きっと初めて明也がこの店に来た時も、佐藤からはあんな風に見えていたのだろう。
そんな勇気を出せずにいる彼を見ていると、明也は助け船を出してやりたい気持ちが湧いてくる。ドアの方へ行き、こちら側から開けてあげる。
「いらっし」
「っ!!!」
最後まで言い切る前に、学生服の男は小さく悲鳴を上げて一目散に逃げだして行ってしまった。
「あ、あれー……?」
あっという間に見えなくなってしまった背中を目で追うが、戻ってくる気配もない。
歓迎するつもりが、逆に驚かせてしまったのだろうか。
「ん、明也? どうした、何をしている?」
「あー、今お客さんが来た、いや来そうだったんですけどね」
ドアから離れ、調理場から顔を覗かせた京に今起きていた事を説明する。
客が逃げてしまったのを聞いて、京はフッと笑った。
「なんだ、かわいいものじゃないか。大方自分が入るには気の引ける店だとでも思ったのだろうな」
「言われてみると、そんな気がしますね。ここって結構清潔感っていうか、なんかおしゃれな感じしますし」
改まって、明也は店の中を見回す。派手という訳ではないが、清掃の行き届いた質素な店内は天井から床まで輝いて見える。
まあ掃除くらいしかやることがないから気合が入っての結果かもしれないが、それはともかく男子学生1人ではやはり物怖じしてしまうのかもしれない。
「また来ることがあれば優しくしてやれ。そしてさりげなくその日のオススメドーナツなんかを教えてやるといい。……ちなみに今日のオススメはこれ、名付けて『赤子』だ」
「あはは案外すぐ戻ってきたりとかしないもんですかねー……おや?」
ちらりと正気を失いそうななにかを京が出したのを見て、明也は180度回転して窓から店の外を見た。
その時、先程の男性と同じようにドアの向こうで誰かが立っているのに明也は気付く。
「む、どうした? 本当に来たのか?」
「そういうわけじゃないですけど、別のお客さんが」
「どこだ?」
「え? どこって、すぐそこに」
いるじゃないですか、と一瞬京の方を向いた明也が視線を元に戻した先には、たった今までいたはずの少女はいなくなってしまっていた。
「あれ、帰っちゃったのかな」
「私には見えなかったが……本当にいたのか?」
「いましたって絶対。どことなく先輩に似てる感じの子だったんですけど」
半信半疑といった様子で明也の話を聞いていた京だったが、自分に似ている子だったのを聞くと少し表情が変わった。
「私に? もう少し詳しく聞こうか」
「え、詳しくと言われても……。少ししか見てなかったからなんとも」
それでも詳細を聞こうとしてくるので、何か他の特徴はなかったかを思い出そうとしてみる。
「……あ、そういえば店の中を見てたような気がした、かな? ドーナツを探してたわけではないような感じでしたが」
明也が覚えている限りでは、変わった事と言えばそれくらいであった。一瞬でいなくなっていた辺り、探していたのは人とかだろうか。
それを聞いた京は口元に手を当ててしばらく何事か考えていた。それから小さく頷くと、明也に向かって口を開く。
「そっちは、どうも心当たりがありそうだ」
「先輩の知り合いですか?」
「や、まあ知り合いと言えばそうなのだが……多分、妹だな」
「先輩の妹さん……ああそういえば前に話してましたね」
しばらく前に京が妹を見かけたような話をしていたのを思い出す。確か、名前は涼だったか。
妹というなら京と似た雰囲気を明也が感じたのも納得である。
「でもその妹さんは何しに来たんでしょうね。先輩に会いに来た、とかだったんでしょうか」
「さて、どうだろうな。どちらかと言うなら探していたのは恋人じゃないかな」
「恋人? なんでです?」
明也が聞き返すと、京は少し複雑そうな顔をした。なにかを認めたくない、といった感じだろうか。
「前に妹を見かけたという話はしたと思うが……その、その時の涼の顔がな……。恋する乙女の顔をしていてな」
「は、はあ……」
よくわからなかったので、明也は曖昧な返事をした。そんなもの、顔を見ただけでわかったりするのだろうか。
そう思っていると、京が明也の手を掴んで引っ張っていく。
「え、あの、先輩?」
「……駄目だ、気になる。悪いが明也、一緒に涼を探してもらおうか」
「ええええ!? お、お店は……」
「咲たちがいればなんとかなるだろう! それより今は私の妹だ!」
「……で、どうして先輩は魔装を着てきてるんです?」
そのまま町に繰り出すのかと思っていた明也だったが、その前に一旦更衣室に向かった京と共に服を着替えていた。
単に店の外に出るならシュガーフェストの制服は着ていない方がいいから、という事かと思い明也は私服に戻ったのだが、なぜか京は魔装を纏っていた。Dブレードもしっかり持ってきている。
「これはただ、涼に相応しくないと思ったら私が斬り捨てようと思っているだけだから、気にするな」
「そんな堂々と一般人に手を出す宣言します!? いや、それはともかくDブレードって普通の人には効かないはずだったような」
「そうだが、まあ柄とかで殴れば普通に痛いしな」
「斬り捨てとは一体……」
そんな明らかに間違ったやる気に満ち溢れる京に連れられ、明也はシュガーフェストを出て住宅街へと進んでいた。
進行方向とは反対側には学校があり、涼とその直前にやって来た男の子が学生服であったのを考えれば、学校帰りの生徒だというのはすぐにわかった。
その考えは実際当たっており、頻繁に家路に着こうとしている学校の生徒を何人か追い抜きながら2人は涼を探している。
……追い抜く度に京の格好にものすごい視線が集まっているのだが、気にしていないのだろうか。自分の事ではないのに、同行しているだけの明也はちょっぴり恥ずかしくなってきた。
「見えたぞ明也。あの後ろ姿、間違いなく涼だ」
「後ろから見ただけで妹かどうか確信持てるんすか……」
電柱の影に隠れ何かを覗き込んでいる少女の背中を見て妹だと理解する京に明也はちょっと引いた。いや、自分が知らないだけで案外姉妹とはそういうものだったりするのかもしれないが。
そして彼女の視線の先には先程シュガーフェストに入ろうとしていた男子学生もいた。
状況を見るに、恋する乙女という京の予想はかなり正解に近いのかもしれない。
「……えっと、これ以上は俺達が立ち入るのもどうかと思いますし、帰りません?」
「いや、果たして本当に涼が惚れるだけの価値ある男かわからんから、ちょっと話をしてくる」
「いやいやいやいやいや!! 恋愛なんて関係ない人が首突っ込んじゃダメですって!」
「何を言う! 私は姉だぞ!」
「だから関係ないんですって!! ただでさえそんな恰好してるんですからやめてくださいよ先輩!!」
羽交い絞めにしてなんとか押しとどめようとするが、魔装の力で身体能力が少し上がっている京を止める事は明也にはできず、意に介さずに引きずられながら進まれてしまう。
このままでは名も知らぬ男子学生の前にやたらとボディラインがくっきり浮かび上がったラバースーツを身に纏った女が現れて、以前明也にしたような目を向けてきたりしてしまうかもしれない。間違いなくトラウマものだろう。……それと、このまま進むと先に妹に京自身の痴態を晒す事にもなると思うのだが、そっちもいいのだろうか。
ともかくどうにかして明也は京を止めたい。何か気を引けるものはないか、と振り返ってみると、あるものが一瞬目に入った。
「せ、先輩! 先輩!」
「何だ明也、私は今止まるつもりなど」
「マリスドベル、マリスドベルがいました!」
「っ!?」
その名を聞いて、流石の京も足を止めた。
人の心に潜む悪意から生まれる怪人、マリスドベル。それを消滅させるのが魔装少女の仕事である。こればかりは京も止まらざるを得ないだろう。
渋々という感じではあるが、京は振り返り、明也もそこでようやく離れた。
「ぐう……放置しては涼が危険な目に遭うかもしれんし、仕方ないか。どこにいる、明也」
「すぐそこの、電柱の影です」
自分たちの右斜め前にある電柱を指差して明也は答える。ほんのわずかな瞬間だったが、振り返った時に怪人の姿が見えたのだ。
いなければいないで同じような事を言って京を止めようと思っていたので丁度良かったが、果たしてこれは誰の生んだマリスドベルなのだろうか。
物陰に隠れこちらの様子を伺おうとするような姿は、今まで後を追ってきた涼の行動と酷似しているが。
「ふん、陰に潜んでコソコソと。まるでストーカーではないか。誰のマリスドベルかは知らんがもっと私の妹のように堂々と行動したらどうだ」
「先輩……だいぶ目ぇ曇ってません?」
ちらと振り返り、明也は夏条涼がマリスドベルと同じような体制をとりながら男子学生の後を追いかけるのを見て、誰が生んだマリスドベルなのかに確信を持った。
つまり京が評したように、妹である涼はかなりストーカー気質があるのだろう。そう考えると店に入ろうとしていた彼がやけにビクついていたのもそれが原因だったりするのかもしれない。
「……!!」
近付いてくる京にマリスドベルはビクリと震え、弾丸のような素早さで逃げ出していった。
「ぬぅ、追うぞ明也!」
「ま、待って先輩……」
怪人の後を追い、京もまた物凄い速度で爆走していく。到底生身の人間が付いていける速度ではないので、明也はあっという間に置いて行かれてしまう。
まあ追い付けたとしても魔装を身に纏っていない明也では足手まといにしかなれないだろうし、京に任せてしまっても問題ないだろう。
ひとまず名も知らない男子学生を守る事が出来て、明也は安心した。
もう京は見えなくなってしまったので、諦めてシュガーフェストへ戻って待つことにした。
「ひ、酷いじゃないか明也、何も言わずに帰るなど……」
「だって絶対追い付けませんもん……」
明也が店に戻ってからしばらく、陽が落ち始めた頃に京は戻ってきた。追いかけっこはしばらく続いたのか、かなり汗だくだった。
「それで、マリスドベルの方は倒せたんですか?」
「……それは当然だ、抜かりないさ。……ただ、涼は見失ってしまったがな」
敵を倒せた喜びよりそっちの方が残念なのか、京は酷く落ち込んだ様子だった。
そこに調理場から佐藤がやって来てコップに汲んだ水を彼女に手渡す。
「お疲れさま京ちゃん。暁くんから聞いたんだけど、また妹さんと会ったんだってね?」
「ん。ああ。しっかりとは見られなかったが、健やかに育っているようで何よりだったよ」
「健やかかなあ……」
一息で空にしたグラスを返す京に明也は疑問を呟いた。自分の見立てではあのマリスドベルはどう考えても京の妹のものであるのだが。
物陰に潜みながらひっそりと明也と京を追いかける姿はまさにストーカーのようだと思ったが、京はそう見えないようだ。
「健やかだろう。想い人に自身の恋慕を告げられずただその姿を見守る事しかできない所など非常に可愛らしいじゃないか」
「そうですか。……ちなみに俺達の後を尾けてきたマリスドベルについてはどう思いました?」
「実に姑息だ。私達を襲うでもなくただ見ているだけで、奴が追われる番になってもただ逃げ回るだけで反撃もしてこなかった。何がしたいのかも理解できなかったな」
「……そうですか」
行動としてはどちらも同じようなものだったのだがこうも感想が違うとは。親バカならぬ姉バカとでも言った所だろうか。
まあマリスドベルを倒した以上は夏条涼も少なからずストーカー気質が抑えられてまともにはなっていると思うが、果たして彼女の恋は叶うのだろうか。
それについてはまた別のお話である。




