秋の恐怖体験 呪われたゲーム
「ゲームを拾った」
「拾ったって、そんなそこら辺に落ちてるもんじゃないでしょうに……」
シュガーフェストに来るなり、開口一番に京はそう言った。
明也は酷く訝しんだ視線を向けるが、他の3人は興味津々のようである。
「どんなの拾ったの?」
「ワタシの家だとやらせてもらえないからどんなのか気になるのな」
「ゆうくんと遊んだら盛り上がれますぅ?」
「うん、気になるだろう。なにせ私も目に止まった瞬間から気になってしょうがなかったからな」
自信へ視線が集まったのを確認した京はポケットをまさぐり、プラスチック製のCDケースのようなものを取り出した。
捨てられていたためか土埃などで酷く傷んでおり、正直中身が無事だとは明也には思えない。
かろうじてゲームタイトルが『呪われた銀嶺館』であるのと、夜の背景に大きな灰色の洋館が描かれたイラストであるのは分かる。裏面は真っ黒で特に何も書かれていない。
「ホラーゲームっぽいですね」
「ああ、今の季節にぴったりだな」
「今秋なんですが、先輩」
「うーん、怖いゲームなんだー……」
パッケージを見て、佐藤が困ったような声で唸る。明也が見ると、表情も乗り気でなくなっているのが伺える。
「店長、怖いの駄目なんですか?」
「いえ、別にダメという訳ではないですね……ただ夜にトイレ行く時にビクビクしたり頭まで布団を被ったりするだけなので」
「怖いの駄目なんですね」
「いえいえ決してそんなことは……」
特に認めはしないが、佐藤はホラー系が苦手らしい。マリスドベルやら魔装少女やらを受け止められるなら何でも受け入れられそうだと思っていたので以外である。やはり根はいたって普通の女の子なのだろう。
「怖いのな? これ」
「うぅーん、本当に恐ろしい目に遭った事があるならそうでもないと思いますよぉ。ゲームで刺されても自分は痛くないですしぃ」
「その話には深く触れないでおくけど、結構昔のゲームみたいだしそんなに怖くはないんじゃないかな」
明也は改めて呪われた銀嶺館のパッケージを見てみるが、やはり相当昔のゲームの予感がする。
パッケージの形状からしてカセット式ではないものの、それとあまり変わらない時期にリリースされたハードのものである可能性が高い。
それほど前に作られたのであれば、仮に当時の最先端技術で作られたグラフィックであっても数十年経った現在ではかなりチープに見えてしまうものだ。
「……じゃあ、ちょっとだけやってみてもいいですけど」
「よし」
怖くないと言われたからなのか、佐藤は若干やる気を取り戻したらしく、そう言った。
それを受けて京も早速ケースを開き、中のディスクを取り出した。ディスクの表面にはタイトルなどは書かれておらず、代わりにびっしりと人の眼球が描かれていた。……前言撤回した方がいいかも、と明也は思う。
人差し指にディスクをはめた京は、しばらくそれを親指でくるくると回しながら、少し間を置いて口を開く。
「…………それで、遊ぶためのゲーム機はどこにあるんだ?」
言われて、全員がそれぞれ顔を見合わせる。誰も心当たりが無いといった様子だ。それを見て京はやれやれ、と首を振る。
「ふっ、肝心のゲーム機がないのではどうしようもないな。仕方ない、私が今度買ってこよ……」
言葉の途中で、京はふらっと揺れて、床に手を突いた。突然の事に明也たちも驚いたが、京自身も目を丸くしていた。
「ど、どうしたんですか先輩!?」
「う、ん……? いや、急に眠気が」
「寝てないのな? 駄目だよキョー、ちゃんと寝ないと体に悪」
今度は笑いながら喋っていたライミィがいきなり倒れた。同時に寝息が聞こえてくるので、眠ってしまったようだ。
「そんな事言ってるライちゃんも寝ちゃって。やっぱりまだ子供って事ですねすやすや」
「それは寝言なんですか店長!?」
気付けば京も佐藤もその場にくずおれ、目を閉じて眠ってしまっている。
そして明也自身にも原因不明の眠気が襲いつつあるのを自覚し、すぐに自分も眠りに落ちるのがわかってしまう。
今はまだ戸ヶ崎がその場に立っているが、このままでは彼女も明也らと同じように原因不明の睡魔に襲われる事だろう。最後の力を振り絞り、明也は戸ヶ崎に向けて叫ぶ。
「戸ヶ崎、さん……! 戸ヶ崎さん!! 逃げて!!」
「私って立ったまま寝るの得意なんですよねぇイン・ザ・夢の中」
「こっちも寝言が器用すぎる……!!」
既に眠りに落ちた後だったと知り明也は脱力する。
そして力が抜けたのと同時に意識を失い、眠ってしまった。
シュガーフェスト従業員の5人は、店の中で安らかに寝息を立て始める。
「ね、寝ちゃってた!?」
意識の戻り始めた明也は、目を開けると飛び起きて叫んだ。
気付けば、とっくに夜になってしまったらしく、周囲は非常に暗い。電気も点いておらず、目を凝らさなければ一歩先もろくに見渡せない状況だ。
「みんなもう帰った、わけじゃなさそうだなあ……」
暗闇に包まれた周囲を見て気付いたが、明也が今いるここはシュガーフェストの店内ではないと気が付いた。
肌にまとわりつくような不快な冷気、それと歩いた時にきしむ床の感じは、店とは違う木製のものである。間違いなくどこか別の建物である。
という事は眠っている間にこの場所へ連れてこられたのだろう。明也以外の4人は先に眠ってしまったようなので、それ以外の誰か、となるのだが、思い当たる人物はいない。
いや、そこでもう1人シュガーフェストには居たのを思い出す。
「博士、って人がここに連れて来た、のかな」
自分だけしかいない状況への不安を紛らわすように言葉を発しながら明也は考える。
魔装少女として戦う事になって半年近くが経とうとしているが未だに顔すら見ていない博士なる人物。魔装やDブレードの開発をも手掛けたその人がここに明也を運んだのだろうか。
だとしてもこんな嫌な雰囲気の漂う場所に置いていく意味がわからない。手の込んだドッキリとかだろうか。それにしても手が込み過ぎている気がするが。
「……とにかく、店長たちを探した方がいい、よな」
考えてばかりいても埒が明かない。明也はまず自分のいる場所がどんな所なのか確認してから佐藤たちを探す事にした。
前方に歩いて数歩で壁に当たった。今度は反転して後ろへ進み、同じように壁。どうやら、今明也がいるのは廊下のような細長い通路らしい。
どちら側に進んでいくかを考え、明也はとりあえず左側へ真っすぐ進んでみる。
暗闇の中を壁伝いにゆっくりとすり歩いていく明也は時々ドアノブらしきものに触れるが、捻っても扉は開かなかった。
しばらく歩き続けて突き当りまでやって来た明也は手探りで前方にもドアがあるのを確認する。
しかし、残念なことにそのドアも開きはしなかった。鍵はかかっていないようなのだが、押しても引いてもびくともしない。
「行き止まりかぁ……」
強く溜息を吐く。ここに来るまでそれなりに歩いたので、引き返さなくてはならないのが酷く憂鬱な気分である。どこかに穴が開いていたり、何かにつまずいて転倒したりしないようにしながら慎重に進むのをまた繰り返さなくてはならないのだから。
本当にこれが博士とやらの仕組んだドッキリなら、せめて明かりを用意するか一本道にしておいてもらいたかった所だ。
「これ、肝試しみたいな企画なのかなぁ。だとしたらせめて夏にやってほしかったな……、なんで秋の中旬にこんな」
誰もいない空間で愚痴をこぼしながら明也が来た道を戻ろうとした時。思わず言葉を失う。
振り返ると、廊下のずっと奥に光が灯っているのが見えた。
たった今明かりを求めていたばかりの明也だが、それに喜び駆け出していく事はできなかった。
なぜなら、その輝きは遠目から見ている状態でもわかるほどに、不気味さのあるものだったからである。
青白いその輝きはゆっくりとした明滅を繰り返し、不規則な振り子のように左右に揺れながら少しずつ大きくなっていっているのだ。
いや、最後だけは違う。大きくなっているのではなくて、近付いているのだ。明也の方へ。そして彼我の距離が少し狭まる度に、体の奥底から拒否反応を起こしているかのような寒気がぞくりと背中を襲う。
もしこれがドッキリであるならばあの光の元にいるのは博士、もしくは今ここにいない佐藤たち4名であるのは間違いないが、なんだか明也はそうではない気がしていた。
「……逃げよう!」
そう判断し、明也は来た道を戻りながらその途中にあったドアを1つ1つ開けようと試みていく。
今になってようやく思い出してきたが、明也たちが眠る直前に京が持ってきたあのゲームソフト。もしかしたらあれが今ここに自分がいる原因なのではないか、と明也は思う。
全員揃ってほぼ同時に眠りに落ちるなど偶然がすぎるし、タイトル通り本当に呪われたゲームであったのかもしれない。とすると、明也が今いるこの場所の名前は、銀嶺館だろうか。
これが実は明也の見ている夢なのか、はたまた現実であり銀嶺館へと転送されてしまったのかはわからないが、どちらにしてもあの光はきっと『呪われた銀嶺館』というゲーム内における敵、霊的な何かだと見て間違いない。
あれに捕まればよくない事になるのは間違いない。もしかしたら、死んでしまう可能性だって否定はできないだろう。そう思いしらみつぶしにドアノブを回していくが、どこも開いてはくれない。
逃げられずともせめてどこかに隠れたいのだが、この一直線の廊下には身を隠せるものもなく、明也はどんどん焦りを覚え始める。
「開いて、開いてくれッ!!」
呼吸が荒くなり、ドアノブを掴む手からも尋常ではない量の汗が出る。祈りながらノブを捻るも、やはり開かない。
戻っていく関係上、明也は自分から青い光の方へと近付くことになる。光自体も接近してくるので、焦りも倍増していくのだ。
光が明也の横顔全体を照らすほどの距離まで迫った時、全身が凍てつくかのような凄まじい寒気を感じた。明也はドアを開けるのを諦めてまた反転し、猛ダッシュする。
戻った所でもうどの扉も開きはしないと見切りを付け、一縷の望みをかけて突き当りのドアまで戻ってきた。何の根拠も無いが、ここなら開くかもしれない。
必死の形相でノブを掴むが、押しても引いても動かない。まるで両側から何かが押さえつけているかのような感覚だ。
「ぐううぅぅッ!」
見てはいないがあの光が明也に迫りつつあるのが分かる。首筋がぞくぞくするような冷気が少しずつ強くなっていく。
もう引き返す道は選べない。この扉を開くために明也は力ずくで押し開けようとする。
恥ずかしい格好とはいえ今ばかりは魔装が恋しくなった。身体能力を多少でも上げてくれるあれさえ着ていたら木製の扉1枚ぶち破るのは簡単だっただろうに。
青白く照らされる明也の周囲。もう、ほんのわずかな距離まで光が迫りつつあるのだろう。
「開け――!!!」
数歩下がり、勢いをつけて明也は扉に蹴りを入れる。これで駄目だったら後はもう後ろの光の正体にあまり自信のない肉弾戦を挑むしかない。
火事場の力というやつなのか、その1撃で扉は見事に蹴破られた。開いた事への安堵よりも先に、明也は素早く中へ入り扉を閉めた。
それから間髪置かずに青白い光が扉の前へやって来たのが隙間から漏れ出る光でわかるが、それ以上先には進めないのか元々明也を発見してすらいなかったのか、扉を開けて入ってこようとはしなかった。
正体不明の光が少しずつ離れていくのを確認して、ようやく明也は安全が戻ってきたと理解して大きく息を吐き出す。
「た、助かった、のかな」
捕まってはいないため本当にあれが危険な存在かは確認ができないが、見ているだけで尋常ではない恐怖を感じたのは確かである。
できるだけあれから離れるべく明也は再び暗闇の支配するこの部屋を手探りで確かめていく。直後、
「……その声、もしかして暁くんですか?」
暗闇の中から、聞き覚えのある声がした。突然の声にも驚いたが、その声色が普段からは想像できないほどにか細かったのにはそれ以上に驚く。
「店長、ですか?」
「ああやっぱり。暁くんですね、今そっちに行きます」
明也が聞き返すと声色が少し明るくなった。同じ場所にいるとはいえ相変わらず真っ暗な部屋では人を探すのも苦労するが、佐藤は声を頼りに明也の元までやってきた。
胸の辺りを佐藤の手が触れ、そのままぎゅうっと掴まれた。
「ああっ、良かった、ようやく知ってる人に会えました……!!」
「ちょ、店長?」
掴まれたかと思えば、そのまま感極まった様子の佐藤に抱きしめられる。体が密着し、佐藤の熱が服越しに伝わってくる。恥ずかしいが、それ以上に明也は嬉しい。
そのまま無言で動かない佐藤に明也は非常にドキドキしていると、彼女の体が震えているのがわかる。定期的に、しゃっくりのような音も聞こえてきた。
「……店長、こんなに震えて。やっぱりこわかっ」
「うおおおえええええええ」
声と共に明也の首元から背中にかけてを何かが伝っていく。
どうやら吐いたらしい。
「えっ、え、あの、え? ちょっと……? え?」
「げぼっ、ご、ごめんなさい、暁くん、安心したら、つい」
「…………いえ、その、大丈夫、です。それだけ怖かったんですもんね、仕方ないですよ」
少し遅れて、背中にかかった吐しゃ物が服に染み込んで背中に直接温かい湿り気が伝わってくる。胃液の酸っぱい臭いと甘いものを食べていたのか砂糖の臭いとか混じり合った何とも言えない臭いが立ち込めてくるが、明也はそこまで嫌な気分ではなかった。
悪気があっての行為ではないのだし、何より明也が佐藤に惚れているのだから当然ではある。その上涙声で謝られては怒る理由が存在しない。
「それにしても、結構意外ですね。目が覚めたらどことも知れない謎の館にいるなんて奇妙な状況、店長は好きそうだと思ってたんですけど」
「普通に怖いですね」
「……まあそりゃそうですよね」
明也的にはシュガーフェストに並んでいるドーナツ群も大概だと思うのだが、まあそこは佐藤なりの基準があるのだろう。
「それはそれとして、店長何か明かりになるようなものって持ってません? こんなに暗いと他のみんなを探すのにも苦労しそうですし」
「えっと、ちょっと待ってくださいね」
質問に対し、佐藤はしばらくごそごそと何かを探る音をさせていた。少しして、何かを取り出したようだ。
「ごめんなさい、今持ってるのはこの発光するドーナツの『ほたる』くらいしか……」
「……うーんこれだと手元がギリギリ見えるくらいですかね」
蛍光色の淡い光を放つドーナツを見て、明也は唸った。正直、なんで光ってるの、とかそれは一体どこに持ってたの、とか突っ込みたいところはあったが今はまあいいだろう。
光源としては微妙だが、いざという時には非常食にできるだろう。まったく食べたくないが。
「でも無いよりはいい、かな。これで先へ進みましょう」
淡く発光するドーナツを受け取った明也はそれを掲げながら部屋の中を見て回る。非常にシュールな光景だが、気にしない。
「それにしても、ここって一体どこなんでしょうね」
「俺もさっき考えてましたけど……多分、銀嶺館ですね。直前の状況から考えて間違いないと思います」
佐藤の言葉に答えながら、明也はこれがいよいよドッキリなどではないというのに確信を持ち始めた。本気の怯えが見える彼女の声をとても演技だとは思えない。
気安くあの光の方へ近付かなくて本当に良かった、明也はそう思う。
正直な話呪われたゲームを拾ったらその舞台となっているらしき館に飛ばされる、というのもなんとも信じがたいのだが、マリスドベルと戦う魔装少女が言った所で説得力もないだろう。
ともかく部屋を隅々まで調べ、自分が入ってきたのとは別のドアを見つけて明也は佐藤に報告する。
「店長、こっちに進んでみましょう」
「ああああ待って明也くん、離れないで……」
気弱な声を上げながら佐藤は明也の元まで来ると、明也の空いている方の手を握り、さらに抱き着いた。腕に佐藤の胸が当たり、というか挟まれた。
「おおおおッ!??」
今まで明也の感じたことが無い感触を押し付けられ、よくわからない声が出る。
恐怖でなりふり構っていられない佐藤の方は気付いていないのか気にしていないのかわからないが、比較的冷静に状況を受け入れられていた明也はモロに意識してしまう。
「て、てんちょう、もう少し、離れ、た、方が」
「ぜったい離ればなれになりたくないので……ごめんなさい暁くん、しばらくはこのまま進んでください」
「わ、かりました」
恐怖とはまた別の感情でガチガチに緊張する明也だが、今の佐藤が故意にこんなことをしているのではないのも分かるので、できるだけ腕を包む熱量の事は考えないようにしてドアを開いた。
「……ううぅ、これが夢なら博士に任せられるのに」
泣き言をこぼす佐藤の言葉に、明也は気になる部分が見つかった。
夢だったら任せられるとはどういう事だろう。博士というのが実は夢を専門とした研究者だったりするのだろうか。それならそれでどうやってDブレードを作ったのかが不明ではあるが。
考えるより聞いた方が早そうなので、聞く事にした。
「夢だったら、どうなるんです? 起こしてくれるとか?」
「そんな感じです……」
「そうでしたか……」
若干期待していたので明也はがっかりした。悪夢から醒められる装置とか呪いを祓う道具だとかのたぐいを作ってあるのではないかと思ったが、そういう話ではなかったようだ。
外部からの助けも期待できそうにない以上、真面目に館からの脱出を試みるより他ないだろう。明也は開いた扉の先をしっかりと見た。
相変わらずの闇が広がっている。数歩先の景色すら確認できない。僅かとはいえ光源を持っているので先程よりかはマシだが。
「……暁くん、何か、変な臭いしません?」
「まあ、さっき思いっきり背中にかかりましたからね」
「それじゃなくて。もっと他のです」
「他の?」
佐藤の言葉に首を傾げながらも明也は周囲の臭いをよく嗅いでみる。
吐しゃ物の臭いが鼻腔いっぱいに押し寄せてくるが、確かにそれとは少し違う何かの悪臭が僅かに混じっていた。
なんだかわからないが、この部屋の先から漂っているのは間違いないだろう。
「なんだろう、この臭い。とにかく進んでみますか」
部屋の中に入り、また壁伝いに進もうとした明也は手をついた位置にデコボコがあるのに気付いた。
よく触ってみるとスイッチのような形状なのがわかる。もしかしたらこの部屋の電気を点けられるかもしれない。
「お、ここは電気点くのかな。店長、ようやく明るくなるかもしれませんよ!」
「ほ、ほんとですか……?」
佐藤の疑問に応えるべく、明也はスイッチを切り替えた。カチッと音を立て、同時に部屋の中を電球の明かりが照らし出す。
だいぶ古い電球なのかかなり暗い光ではあったが、久しぶりに視界が戻った明也はそのまばゆさにしばらく目を瞑っていた。
「……!!」
佐藤の方が先に目が慣れたのか、息を飲むような小さな悲鳴を上げた。なにかを恐れるような声だ。
「店長? どうしたんですか?」
「あ、あれ……」
ほどなくして明也も光に慣れ、ゆっくりと目を開けた。
それから佐藤の指差す方向を見て、何を見たのか確認する。
一目見て、先程感じた悪臭の正体がそれである事を理解した。
「う。これは」
明かりの灯った部屋は長方形の部屋だった。明也の入ってきたドア以外に出入口はなく、広さの割に何の家具も置かれていない質素な部屋。
そしてその最奥、明也と佐藤の対になる位置に臭いの元となるものはあった。
死体だ。それも1つや2つではなく無数に。うず高く積まれた死体の山はどれもが腐敗しており、グズグズになった肉が溶けて混じり合い一つの肉塊のようになっていた。
顔の判別はつかないが、少なくとも元は人間であったのだろう。助けを求めるかのように四方八方へ腕が伸びている。
元々この館にあったのか、この館に飛ばされた犠牲者たちの成れの果てなのかは不明だが、見ていて気分のいいものではない。明也は顔を背けた。
「折角電気は付きましたけど……ここにはいられそうもないですね。行き止まりですし」
「そうです、ね。なんだか動いているようにも見えますし、早く出ましょう」
「いやいや、さすがに動いたりは……」
そう言って死体の山を見る。気のせいか、さっき見た時とは違う位置にあるように見えた。
「……」
佐藤の言葉も気になり、先程は目を逸らしてしまった明也だが、今度はじっくり見てみる。
上下左右様々な方向に伸びていた腕の内、床付近に面するものへ目を向けると、確かに腕が動いていた。何本もの腕が一斉に動き、這うようにして2人の元へと接近してきている。
「早く出ましょう店長!」
「はい!!」
動きは非常に緩慢だが、捕まればどうなってしまうか考えただけでおぞましい。明也と佐藤は即座に部屋から出ようとする。
が、振り返ったのと同時にドアが勢いよく閉まり、何度ドアノブを捻って開けようとしてもまるで動いてくれない。さっき明也が味わったのと同じだ。何をしようと開いてくれないのが感覚で分かる。
「ダメだ……! 完全に閉まってる!!」
「わ、私たち……ここで死んじゃうんですか……!?」
明也の腕にしがみついたままの佐藤が絶望したような声で叫ぶ。
元来た道は閉ざされ、逃げる事はできない。何か、別の道を探すしか助かる方法はないようだ。
「このままここにいても何もできそうにない……店長、まずはアイツを迂回して奥に行きましょう!」
這い寄る肉塊は既に部屋の中ほどまでにじり寄ってきている。もう少し待てば明也が今いる場所までやってくることだろう。
扉が開かない以上はそれは死を待つだけの行為だ。明也は佐藤と共に肉塊を避けてすれ違おうとする。そして、死体の積まれていた壁の所にドアがあるのをちらりと見た。それで自分の判断が正しかったのだと分かり、明也はおもわずしたり顔になる。
しかし、そこから先に行く事はできなかった。肉塊の後方部分が突如裂けて左右に別れ、部屋の両方の壁まで広がってしまったのだ。
「そ、そんな……!?」
押し寄せる肉壁となったそれを見て、明也は後ずさった。一瞬見えた希望が断たれ、一瞬頭が真っ白になる。
後方の扉は閉ざされ、前方には肉の壁。腐敗しているとはいえ明也にも佐藤にも壁に穴を開けるのは難しいだろう。それに一歩間違えば壁から生えている無数の腕に掴まれ、壁の一部にされてしまうかもしれない。
もう先に進むのは諦めるしかないと見切りを付け、明也は引き返した。こうなっては佐藤のいた部屋に入った時と同じようにドアを蹴破るしかない。
「このっ、開け、開けっ!!」
渾身の力で幾度も蹴りと体当たりを繰り返すが、びくともしない。あの時とは違い、今はまるで巨大な岩にぶつかっているような感覚で、これでは開けられないのだろうな、と明也の心の中に諦観が生まれてくる。
「ううう……私たち、こんなわけのわからない所で死んじゃうんでしょうか」
すぐそばまで迫りつつある肉壁を見て、震える声で佐藤はそう言った。
悲観的な事を言う彼女に明也は声を張り上げて返す。
「諦めないでくださいよ店長!! ここで俺たちが死んだらマリスドベル退治は、シュガーフェストはどうするつもりですか!?」
「……確かに、シュガーフェストがお客さんでいっぱいになる光景を見もしないで死ぬのは、嫌です」
「そうです、それだって生きて帰ればすぐに……いやその内……いずれは……? ……ま、まあ後で考えましょう!」
「……やっぱり、ここが私たちの死に場所なんでしょうね」
「ち、違うんです店長ただ嘘はよくないと思っただけでそんなつもりで言ったわけでは!!!」
話しながらドアをこじ開けようと色々試すが、まるで意味がない。何をしようと今は開かないのだろう。
諦めが付いたのは、振り返り肉の壁が眼前まで迫ってきた頃であった。もうどこにも逃げ場はない。壁に生える腕が2人を仲間に加えようと蠢きながら伸ばされる。
明也と佐藤は背中をピッタリとドアに押し付け、最後まで逃れようとするがそれも無意味な抵抗だ。
壁から伸びる腐敗した腕の1つが佐藤の鼻先を撫で、それで怖気が限界に達したのか気絶してしまった。
だが、それは幸せな事なのかもしれない。これから腐った死体の山に押し潰されていくのを自覚しながら死ぬよりは、意識のない間に事が終わってくれた方が苦しまずに済むのだから。
「……!!」
もう助からないと覚悟を決め、強く明也は目を閉じた。今更何の意味も成さないが、佐藤を守るように抱き、防ぐ姿勢を取る。
自分は助からなくてもいい、せめて店長だけは。そう思い明也がした最後の悪足掻きではあるのだが。
「……あれ」
10秒、20秒と時間が過ぎていくが、どれだけ経っても明也は押し潰されていない。
それどころか気付けばずっと漂っていた強烈な腐敗臭も消え失せている。もしかしてドアの手前で引き返した言ったのか、と思い明也は目を開けて振り向く。
「随分と、悪い夢を見ていたようだね」
「だ、誰!?」
死体が壁になっていたはずの場所にはきれいさっぱり何も無くなっていた。何も、というのはあの肉壁の事だけでなく、部屋もだ。明也の目の前にあったはずのドアさえ消えて、周囲には真っ白い空間が広がっている。
そして、明也の目の前には見知らぬ女が立っていた。赤く長い髪を後ろで縛り、研究者のような白衣を身に纏っている褐色の女だ。
「その子から話は聞いていると思うが、魔装とDブレードを作った者だよ」
「じゃあ、博士、さん?」
「そうなるかな。好きに呼んでくれて構わないよ」
以前話題に上がった事のある、シュガーフェストの2階にある部屋で引き篭もっているという博士。こんな場所で出会う事になるとは思わなかったので明也は戸惑う。
というか聞かされていた情報から想像できる姿と実際の姿が違い過ぎて驚いている。明也の目の前にいる彼女は博士というには非常に若く見え、引き篭もりの割には体形がすらっとしている。
「それはそれとして、なんでここに博士さんが?」
「簡単な話だよ。君達が悪い夢に入り込んでしまっているのが見えたから、起こしに来ただけだとも」
「夢……? ってことは、あんまりビビらなくてよかったのかあ……」
「いやいや、夢とは言ったが危険な場所ではあるからね、捕まっていれば命の保証はできなかったよ」
「ふ、不用意に近付かなくて良かった……!!!」
衝撃の事実を聞かされ、明也は恐怖と安堵を同時に感じた。必死に逃げるのを選んでいて本当に良かったと思う。
そして助かったというので流しそうになってしまっていたが、ここが夢の中なら佐藤がいるのはどうしてだろう、と疑問に思い始めた。そしてこの博士とやらもどうやって明也の夢の中にいるのだろうか。
「で、あなたと店長はどうやって俺の夢の中に入ってきたんですか?」
「ん? ここは君の夢の中ではないよ。悪夢のような場所であるのは間違いないけれどね」
「えっ、じゃあ、俺が店長の夢の中に?」
「夢ではないんだよ。分かりやすく言えば、別の世界のようなもの、かな。ふふっ、少し嘘をついてしまっていたかもしれないね」
明也の疑問に楽しそうな微笑と共に博士は返した。
「あの場にいた君達5人は夢を通じてこの場所へと引きずり込まれてしまったのだろう。私に解呪はできないので、目が覚めたらあのディスクは早急に処分するのをお勧めするよ」
「5人、って事は……まさか京先輩とライミィと戸ヶ崎さんもここに?!」
「ああ。彼女達も無事だから、安心してくれていい」
「そうですか……良かった」
京たち3人もこの館のどこかにいたらしい。姿を見ることもなかったが、無事と聞いて明也は安心した。そして忠告通りに呪われた銀嶺館のディスクを粉砕すると決意する。
それと同時に、突如明也の視界が歪み、博士の姿がぼやけてよく見えなくなる。
「!? これは!?」
「大丈夫、じきに目が覚めるというだけだよ。……起きたら、またマリスドベルの事をよろしく頼むよ」
博士の声も遠くなっていく。だんだんと体が温かくなっていくのが分かり、もうすぐ目覚めるのだろうというのが理解できた。
それから間もなくして、明也の意識は落ちた。
「ハッ……!」
意識を取り戻した明也は顔を上げ、すぐに周囲を見回した。
そして、そこが自分のよく知るシュガーフェストの店内であるのを確認し、正午付近の太陽光が窓ガラス越しに明也を照らしているのに気付き、安心から大きく息を吐いた。
「も、戻ってきてるぅぅ……!」
明也の近くではまだ佐藤も京たちも眠っているが、みな目が覚めつつあるのか小さく呻きながらもぞもぞ動き出している。きっとすぐに起きてくるだろう。
それよりも、戻ってきたらまずあのゲームを破壊しようと思っていたのを思い出す。直前の状況から京の手元にあるはずだが、
「……あれ、持ってない」
京の手にディスクは無く、近くに転がってもいない。それどころか、ディスクの収められていたパッケージも同じく見当たらない。
他の4人が目を覚ますまでの間店内をくまなく探すが、発見できない。どこかへ消えてしまったようだ。
「マジか……」
誰かが持ち去ってしまったのか、自分の意思でどこかへ消えたのか。いずれにせよシュガーフェストのどこにもあのゲームが無いと分かり、明也は怯える。
あんな恐ろしい世界に誰かが囚われてしまうのかと思うと、考えただけでゾッとする。絶体絶命の状況だった明也は特にそうだ。
できる事はないかもしれないが、明也はただ次にあのゲームを手にした人が無事であるのを祈るばかりだ。
「んん、ここは」
「あれぇ、さっきまで私ぃ」
「なんか怖いとこにいた気がするけど、夢だったのな?」
「先輩たち、目が覚めましたか!」
明也以外の4人もこのタイミングで起き始め、改めて明也は彼女らの無事を喜ぶ。
状況をよく理解できていない京たちだが、佐藤は明也の顔を見るや接近して手を握ってくる。
「暁くん! よかった……私たち帰ってこられたんですね」
「ええ。一時はどうなる事かと思いましたが、とにかくみんな無事で安心しましたよ!」
博士の助けがなければ間違いなく死んでいたので、明也と佐藤は特にシュガーフェストに戻れたことを喜ぶ。
喜びを分かち合い、それから佐藤は今までの歓喜は一旦表情から消え、ちょっと恥ずかしそうにしながら明也へ耳打ちした。
「……えっと、あそこであった事はひみつ、という事でお願いしますね」
「は……はい……」
その言葉に明也はドキッとする。そして、あの銀嶺館で起きた佐藤との色々を思い出し、さらにドキドキしてしまう。
「うわ、なんか臭いんよ」
「ど、どういう意味だよライミィ! 俺が何考えてても俺の自由だよね!?」
「あ? それはよく知らないけど、ヘンな臭いするのな。酸っぱいような甘いような」
「これはゲロの臭いですよライミィさぁん。よく知ってるので間違いないですよぉ」
「戸ヶ崎さん、なんでゲロの事をよく知ってるの……?」
ライミィの言葉に、心当たりのある明也はもしやと思い、1歩下がってさりげなく自分の背中を触れてみた。
なにかざらっとしたものが服についており、その付近の衣服がシャツごと肌に張り付いているのが感じられた。
間違いない。佐藤が銀嶺館で戻した時のものだろう。夢の中の出来事だと思っていたのに、ひょっとするとあれはやはり現実だったのだろうか。
「……ううむ、かなり強烈だな。店の表で酔っ払いがぶち撒けでもしたのか?」
「にしたって臭いのな! こんな酷いにおい初めて嗅いだんよ! な、サトー?」
「……そう……ですね……」
話を振られ、できる限り知らないフリをしようとしながら佐藤が応えた。彼女も臭いの原因はすでにわかっているのだろう。
たった今秘密にすると約束したばかりなのもあるし、これ以上佐藤が傷付かないよう明也はこっそりその場を離れて調理場で服を洗う事にした。
……そういえば、明也が目を覚ました時には博士の姿は見えなかったが、やはり2階にいるのだろうか。
直接助けてくれたお礼を言いたいし、今度会ってみた方がいいのかもしれない。




