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「私は霞組の陽菜」
忍び装束の女、陽菜が名乗った。
霞組の名を聞いた重家は、やや落ち着きを取り戻す。
「おお。道順の手の者か! これはいったい何事だ!!」
重家が語気を荒げる。
混乱の後にまず現れたのは、持ち前の癇癪であった。
周りの暗さから考えても、まだ夜が明けていないのは確か。
余程の事態でなければ主君の安眠を妨げて良いわけがない。
陽菜は重家の問いには答えない。
闇の中、重家の方を向いているのは分かるが、その表情までは見えない。
「ええい、答えよ!! その首、はねられたいか!?」
重家の怒号。
先ほどまで動揺を見せていたとはいえ、筋肉質で体格も良い重家がすごむと、なかなかの迫力であった。
「二年前」
陽菜は淡々と話を始めた。
「あなたがある村の娘を手込めにし殺害した一件。覚えていますか?」
「ぬっ」
重家の顔色が変わった。
忘れようもない事件であったからだ。
霞組に命じて自らの悪行を揉み消さずば父、景家の勘気に触れ、坂巻家を継ぐにも支障が出たやもしれぬ一大事。
しかし、何とか上手く隠蔽するのに成功した。
「それがどうした!? 今、お前がわしを起こしたことと何の関係があるというのだ!!」
「どう思っている?」
陽菜の主従をわきまえない口の利き方に重家の額の血管が、ぴくぴくと脈打った。
「どうもこうも。身の程も知らず、わしに楯突こうとしたど阿呆どもに天誅を加えてやったまで!!」
「天誅?」
陽菜の声が沈んだ。
「自らを天と同じと?」
「ええい!! うるさいぞ、この忍び風情めが!! わけの分からぬことをべらべらとほざきおって!! もう我慢ならん!! 手討ちにしてくれる!!」
重家が右手の刀を振り上げ、陽菜に向けて一気に振り下ろす。
「?」
重家は当然感じるはずの手応えが無いのに戸惑った。
座っていた陽菜の姿が消失している。
「ぎゃははははっ!!」
突如、重家の頭上からおぞましくもけたたましい笑い声が響いた。




