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本格始動にはもうちょっとかかる

 こうして料理を心行くまで存分に堪能した俺たちは店を出た。


「美味かった。いや、本当に驚きだ。卵、凄かった。」


 表現が乏し過ぎるが、それだけ頭の中が空っぽになるくらいに卵は美味かった。なのでこれ以上の言葉は要らない。

 まだまだ昼までは時間がある。それまではこの余韻をずっと楽しんでいようと思って宿に戻ろうかと思ったその時に声を掛けられた。


「すみません、エンドウ様でございますね?私マンスリ様の使いで御座います。伝言を与っております。お聞きいただいてもよろしいですか?」


 どうやらマンスリがその気になってくれたようである。俺はこの使いの言葉に一つ頷く。


「では。時間はいつでもいい。店に来てくれ。例の件、了承する。との事です。」


 俺がその伝言の事をしっかりと受け止めた事を見ると、その使いは一礼して去って行った。


「じゃあこれに早速行ってこようかと思うんだけど、付いて来る?」


 俺のこの問いに答えたのは一人だけだった。ラディだ。


「俺が行こうか。エンドウが非常識な事をしたらそれとなく注意してやるよ。」


 この世界の常識と言う面で、俺は皆からの信用が皆無である。しょうがない、こればっかりはしょうがない。

 俺はそもそもこの世界の人物では無いのだからしょうがない。

 それでもこういった商売ごとの「常識」は解っているつもりではある。でもここは以前の世界とは丸っきり違うのだから、そこは違う部分もまた有ると言う事だ。商売の基礎は変わらないとしても。


「ああ、助かるよ。で、他の皆は?」


「俺は宿に戻ってベッドで横になっておく。ちょいと食べ過ぎた。」

「海でも眺めてのんびりしようかしら?」

「私は教会に。お見舞いに行こうかと。」


 三人はそれぞれ過ごし方を決めていたみたいだ。コレに俺から何も言う事は無い。

 ただし、ミッツだけには言っておかねばならない事があったが、それは今のタイミングじゃない。なので後回しだ。その後回しも大分遅くなるだろうが。


 こうして分かれる。俺とラディはマンスリ商店へと向けて歩き始めた。


「おい、エンドウ、そう言えばお前はどこら辺まで「手を出す」つもりだ?」


「え?何が?う~ん?とりあえずは一通り軌道に乗る所までは世話をするつもりだけど?」


 コレに溜息をつかれた。それが何かと思ったらラディに注意をされる。


「あんまりお前の力は人様に広げられるモノでは無いだろう?今も極少数にしかお前は自分の力を教えていない。なら、ここでそんな風に大っぴらにしていいモノか?」


 どうやら心配してくれているようだ。確かにこの俺の存在はこの世界の「非常識」みたいなところが有るので、早々に世の中に広まってしまうと大きな騒動が起こりかねない。

 起こすなら少しづつ、ちょっとずつにしないと大問題がそこら中に出るだろう。

 いや、そもそもそう言った事をやらかす様な真似をしない方が良いのだろうが。それでは俺が詰まらないではないか、と思ってしまう。

 抑圧されればされるほどに人はそのエネルギーを溜める。溜まったそれが爆発するときには、徐々に少しづつ「ガス抜き」をして爆発した時よりも被害が甚大になるモノだ。

 なのでここら辺は許して欲しい所だ。何せ俺にはこの世界が「初めて」なのだから、ちょっとくらい楽しませて欲しいと言う所だ。

 雁字搦めで閉じ込められようモノならきっと俺は大爆発して世の中を混乱の坩堝にしてしまいかねない。


「それを考えたら今の皆とこうして居られているのは幸運な事なんだろうなあ。」


 適度に世の中を教えて貰い、しかし型に嵌らない自由も得ている。実にコレは俺一人ではできない事だった。

 しっかりと四人が俺の手綱を引いてくれているというのは俺も楽だ。やらかし過ぎる、と言った事へのブレーキになるからだ。


 ラディは俺の「幸運だ」といった言葉に「どうした?気持ち悪いぞ?」と言ってちょっと引いていたが、その中身の事を説明したら大きな溜息をつかれた。

 この溜息にはどうやら「心労」と言ったモノが起きている事を察してくれと、もうちょっと抑えてくれ、と言う事らしい。苦い表情で小さな説教を食らってしまった。

 それでもラディは「まあ、楽しませて貰っているがな」と苦笑いをする。


 こうして歩いていれば店へと到着する。その入口には既にマンスリが立っていた。


「これほどに直ぐにやってくるとは。では、話し合いと行こうか。」


 どうやらいつ俺がやって来ても良いように店の前でずっと待つつもりだったらしい。いや、それ他の店員か秘書にでもやらせればいいのでは?と思わないでもないが、おそらくはソレだけマンスリはこの卵の件について本腰を入れているのだろう。気合の入り方がちょっと変じゃないかとも思ったが。


 それでもまあ話がこうしてスムーズに進むのならそれで良いのだろう。マンスリの「話し方」も別段いつも通りで良いと俺は思っているので、畏まった話し方をされなかった事で気が楽だ。

 考えてみれば俺は今「営業」みたいなもので、そして相手は社長みたいなモノだ。

 プレゼンしたその案が通らなければ話は無かった事に。それでもまあ会社所属でも無ければ個人経営な店を持っている訳じゃ無い俺は、卵の件が流れても損失は無いのであるが。

 この件がしっかりとマンスリの納得した物としてスタートし、成功する事になれば彼は莫大な利益を得る事になるだろう。

 今まで誰もが挑戦してきた事案、そしてそれらが尽くに失敗に終わって「もう無理」と諦めていた。

 それがもし実現できたならば、その名は歴史にも残るのではないだろうか?


「まあ大袈裟か、そんなのはいきなり。俺はこの件で惜しみなく協力していくだけでいい。」


 先日に入った部屋へと案内される。そこで俺はマンスリにこれから大まかな流れを先ずは説明していくつもりである。


「卵の件、受けるつもりでいる。だが、それにはまず条件が有る。・・・エンドウ、と言ったな。お前さんに最初から最後まで計画の指揮を任せる、という条件だ。それを呑んでくれ。」


「はい?」


 俺はいきなり出されたこの条件に説明をしようとしていた気持ちがすっ飛んだ。いやいや、違うでしょう?と。


「私がその計画の補助として後ろ盾になる。エンドウは商会を立ち上げろと言っている。」


「スイマセン、イッテイルイミガワカリマセン・・・」


「私は貸し借りは好きでは無い。この、救命胴衣。このまま受け取るつもりは無い。なのでそのかわりにお前さんに商会を立ち上げさせてやる。しかも私が全面的に支える。卵に関してはもう疑う余地は無い。この間のアノあまりにも簡単に一つ卵を採って来て見せた所を見て、お前さんのやりたい事は絶対に成功すると勘が働いた。私はこの勘を今まで外した事は無い。」


 コレにラディが驚きの顔を一瞬見せてすぐに元に戻す。ラディが驚くだけの事がマンスリの話にあると言う事だ。

 でもコレに俺は盛大に溜息しかつけない。はァ~、っとかなり長く息を吐いて。


「お断りします。この話は無かった事でいいですね。あ、別に救命胴衣の方はそのままで結構です。帰ろう、ラディ。」


「ちょっと待て!馬鹿な!何故この話をお前の方から断る!?私が後ろに付けば成功は決まったも同然だぞ!卵の利益はそれこそ計り知れない!なのに何故ソレを蹴る!?」


 そもそも俺の事を知らないから仕方が無いと言えば、仕方が無いのだが。

 こんな話の方向に行ってしまうとは俺だって思っていなかった。

 断る理由と言ったら「面倒でしかない」からだ。将来儲けられる金の問題では無いし、そもそも商会を立ち上げたくて持ち掛けた話でも無い。

 そこら辺がマンスリは解っていない。自分の価値観でモノを計るのは商売をする人たちの当たり前であるのだが、例外が居る事を忘れちゃいけない。

 自らの物差しで測れない存在が居る事は忘れちゃいけないのは商売人も同じなはずだ。


「信じられん!どれだけの金が動くのか、お前は解らんのか?救命胴衣の事もそうだ!利を!利を得なくともよいだと?商売人を馬鹿にでもしているのか?自分の得るはずの利を!金を!相手に何の条件も付けずにあっさりと与える?有り得ん!信じられん!」


 マンスリは俺を「自分の考える型」に嵌めたかったのだろう。だけどそれが通じなくて焦り始めている。


「冗談では無いぞ?どうしてこの条件を蹴る!?理由を言え。・・・オイ、言う気すら無いのか?」


 俺は前にマンスリに一度言った覚えがあるのだが。それすら忘れたのだろうか?

 多分それはマンスリにとっては理由にもならない理由として覚えてもいないのだろう。

 上から目線、マンスリはまだまだ俺たちをそうして見下している様に聞こえてしまう。

 自分以外の視点、そして価値観すらも取り入れられる器、そして柔軟性、そう言ったモノを持っていてこそ「大商人」と言えるんじゃないだろうか?

 きっとマンスリは「ワンマン」でここまで店を大きくしてきたのでは無だろうか。だから自分に絶対の自信がある。だからそれに沿わない者に、考えに困惑をしてしまう。


 一定の敬意も俺はマンスリに持っている。このサンサンでこれだけの大きな商売を手掛けているのだ。

 確かに今までの苦労と成功があったからこその大商店である。そこに何も俺は否定も非難も無い。寧ろ尊敬する。

 だけど、マンスリはきっと俺の事を見落としているに違いない。ラディがあの時に一瞬だけ驚いたのだから、それは恐らくは相当にマンスリが凄い事を申し出てきたのだろうとは察しはつく。

 けれどもそれは的外れだという事をすぐに分かってくれたのだ、ラディは。だから直ぐに表情を元に戻した。


「またいつでも考えが変わったら声を掛けてください。まだ暫くはこのサンサンに居るつもりなので。ではコレで。」


 俺はソレだけを言い、部屋を出る。通路をスタスタと歩いて何事も無く店を出た。

 で、そこで大通りへとそのまま歩いて出た所でラディに質問された。


「おい、エンドウ。本当に蹴っちまって良かったのか?」


 その質問は短く、そして単純なものだ。けれどもその質問に俺はしっかりと答える。


「金はそこまで必要じゃない。商会なんてのも立ち上げる気なんてこれっぽっちも無いね。ラディはちゃんと俺の事分かってくれてたみたいじゃないか。」


 俺はラディがすぐに冷静さを取り戻している所を目にしているのでそう伝える。ありがたい、と言った気持ちを込めて。けれど。


「あ~あ、お前らしいな。確か、卵が世の中で気軽に皆が食えるようになったら良いな?だったか?」


 そう、最初はコレである。だからマンスリの力を借りたいと思ったのだ。

 そして借りることはできたが、余計な重たい物までオマケで付いて来た。

 だから断った。単純に俺の「望んだ方向」から大きく外れたからだ。面倒事まで付いて来て「そんなモノまで背負えるか!」である。

 卵をこのサンサンに先ず広めるにしたって俺が前面に出て指揮を取れ、だなどと言うのであれば「そんな事やってられるか!」である。


 仕方が無い事ではあるのかもしれないが、マンスリがこうして断られた一因として、俺の事を「知らなかった」からだろうか。

 自分の考えで今まで商売をやって来ての今のマンスリであるので、こちらの価値観を探る前にそれらを無視して彼なりのこちらへの好待遇を、余計な物を付けてきたと言った点もある。

 普通であればコレに頷かない者などいないのだろうな、と思える。でも俺は違う。


 自由だ。俺はソレを欲して冒険者をこうしてやっている。

 金も充分稼いだ。今以上のお金は求めていない。むしろ、多く有り過ぎると管理ができなさそうだと思えた。

 そして自分で店を持つなんて気も無ければ、それらを経営だなんてヤル気は一切起きない。


 卵の件が全て軌道に乗って片が付いたら、俺以外の誰かに丸ごとあげてしまう、と言った事もできただろうが、それをしたらその時点でまた何か問題が起きただろう。

 そもそもこの卵の話がサンサンだけでなく、他の街、国にまで話が広まれば?時間は掛るだろうがソレは絶対に起こる現実だ。

 そうなれば恐らくだが介入してこようとしてくる者たちが現れるはずだ。利権を狙って集まってくる蠅どもが。

 そんなモノに一々俺が対応するなんて心底嫌だし面倒でしかない。

 最初からこの街の大商店、マンスリにそこら辺を全部を背負わせるために話を持ち掛けたのに、その相手が持ち掛けてきた話がこれでは断るしかない。

 作りたての商会なんかからよりも老舗大手のからの方が、甘い汁を吸いたいと近寄ってきた者たちには難しい話であるはずだ。


(クスイの方はまだ魔力薬の件で問題は起きていないみたいだけど、その内きっとそう言った奴らが近寄ってくる。対処は師匠に任せればいいか)


 まだまだ魔力薬の方は大丈夫そうだと思うのだが、それも時間の問題かもしれない。


 そして俺はもう既に卵を食べた後なので結構もうそこで満足してしまっていると言った部分も。


 で、今はこうして歩いてはいるが、向かっているのは教会だ。

 ミッツに話があるので向かっている。話すのは大分後で良いかと思ったのだが、ミッツの心情を慮って早めに説明をしてあげようと向かっている。

 で、何の話かと言えば、神父様の話だ。


「じゃあ俺は散歩に行ってくるぜ。」


 途中でラディが俺と分かれる。その言葉に俺は。


「また美味い店があったら紹介してくれよ。あ、魚介系の美味しい所が良いな。」


 コレにラディに「にやり」と言った笑顔を向けられ、別れた。


 そのまま俺は少々速足で教会へ。もしかしたらミッツが慌てている可能性を危惧したからだ。早まったら面倒だなぁ、なんて思いつつ。

 で、教会に着いて中に入ってみると、そこにはミッツが呆然と立っていた。


「え、エンドウ様?神父様が、いないんです。何処にも・・・」


 その顔色の悪さに少々罪悪感を覚えた俺だが、すぐに「大丈夫だ」と答えておく。


「今どこに居るかは知らないけれど、神父様は大丈夫だよ。元気にやってる。」


 この言葉に何を言っているのか分からないのだろう。確かにミッツに何も教えなかったからこの様な事になっているのだが。

 コレはミッツにもあんまり教えておきたく無かったので話さなかったのだ。


 そう、師匠がやった例のアレ。「若返り」を神父様に施した。そして今は。


「旅に出たよ。ここに居続けるとソレはそれで怪しまれたりするからね。本人が自らの死亡の手続きをしている事に苦笑いしていたよ。」


 コレに増々ミッツが「訳が分からないよ」と言った表情を俺へと向けてくる。

 まあどのような事を俺が神父様に施したのかを説明しないでこんな事を言えば確かに混乱する。

 なので俺は落ち着かせるためにミッツに椅子に座る様に促す。


「まず、コレは誰にも言ってはいけない。教えるのは良いけど、絶対に口外しては駄目だ。」


 こうして俺は何を神父様にしたのか、そして何故神父様がこの街から出て行ったのかを説明した。


 つむじ風の皆にしたように魔力を上げさせ、そしてその上がった魔力で「若返り」をさせた事。

 まあ流石に検証がまだだったのでデメリットも教えておいてある。

 見た目だけが若返って「寿命」までは伸ばせていないかもしれない、と言う事を。

 それでも若い身体になって調子は元に戻ったのか「軽い」と自分の変化をちゃんと神父様は感じ取っていたみたいなので大丈夫っぽいが。

 そうして無事に成功して神父様がこの街にそんな状態でいる事が「不味い」と理解した事。

 その上でこの街を出る決心をして雨の降ったあの日にこの街を出た、と言う事も。


 この若返りの何が「不味い」のかは直ぐにでもミッツは悟ってくれたらしい。

 その顔色は青い。でも、それ以上に尊敬と非難を混じらせた視線を俺へと向けてくる。


「エンドウ様・・・そう言った事は早く教えて貰いたかったです。確かに私に無用な重圧を背負わせないようにとのご配慮はありがたいのですが、それでも、私はエンドウ様を信じています。」


 金も権力も名誉もこの世の何もかもを手に入れた時の権力者は、次に何を得たいと願うのか?

 ソレは大抵歴史が教えてくれる。そう、不老不死だ。だからこの「若返り」と言った事は信用に値する人たちにしか教えられない。

 いや、そう言った人たちには「しょうがなく」知って貰う、と言った所か。本当はこんな危険な事は知って欲しくは無い。


 俺がこの世界に来て若返っているのも不思議ではあったが、それでもこの世界の人類が「若返る」という点においては広めてはいけない事案だ。

 この事が知られれば、その方法を求める者がこぞって集まってくる事だろう。それこそ延々と。権力者、金持ち、あるいは遠大な計画を実行しようとしている者、研究者、etc。


 善良な領主などがこの若返りを受けて平和な統治を今後も続ける、などと言うのなら、まあ、まだマシだ。

 けれどもその逆は?悪徳領主が領民を虐げて搾取し続け、苦しめ続ける政治を長引かせる事は?

 あってはならないだろう。だからこの「若返り」は信じられる相手で無ければ教える事も、ましてや施す事もできやしない案件だ。


「と、言う訳で、神父様は新しい第二の人生を歩むために長年生きてきたこのサンサンを出た。もう長い年月、教会に縛られ続けたんだ。もう自由になってもいいだろ?その自由で何をするのか決めるのも、神父様の自由って事だ。」


 ミッツは胸の前で手を組み、そして祈るかのように瞑目する。


「そう、ですね。ならば私もこの先の神父様の、いえ、もう神父様では無いんですよね。祈ります、無事を。」


 じっとそのままの体勢で十秒ほどミッツは祈り続けた。そうしてそれが終わったのか、パッと目を開いて俺に頼みごとをしてくる。


「そう言えばマルマルに戻って患者さんたちの経過を確認したいのですが、その、アレをして貰えないでしょうか?」


 アレをして貰いたいというのはワープゲートの事である。俺はこの後の予定を入れてはいなかったのでこれを了承した。


「じゃあ俺も一緒に行くよ。香草焼きの店の方がどうなってるか気になるし。」


 こうして教会で誰にも見られていない事を入念に調べてから、誰も使っていない部屋へと入り、ワープゲートでマルマルへと移動した。

 もちろんクスイの家の庭である。ここは人の目も無くマルマルに来る時には凄く便利である。

 しかし俺はクスイに挨拶をして行かないで庭を後にした。


「あの?よろしかったのですか?えーっと、お店の方の状況とかは・・・」


「ああ、直接行って見ればいいだけさ。そうだな、先に教会に行って見るか。とは言ってもミッツが来る事は患者さん?たちに知らせないで行く訳だからどうなるか分からないよな。」


 今までミッツは治療行為をちゃんと「お知らせ」をして患者が集めていたはずだ。しかし今日のは突然の事であり、行っても誰も居ないと言った事にもなりかねない。

 それでも教会へと治療を求めて脚を運んでくる人がいるかも知れないと言った点はある。


「教会に着いたらそれらのお知らせを周囲にして見るつもりです。いきなりではあるので緊急を要する方を中心にしようかと思っているので。」


 今日はどうやらそれに時間を費やすつもりのようだ。そうして教会に到着した時には大勢の人が集まっていた。


「おおおお!ミッツ嬢ちゃん!今日は運が良い!助けてやってくれ!大怪我した奴がいるんだ!」


 どうやら先程運び込まれたらしく、入り口の前に横になっている少年が一人。

 その傷は酷い。今息が有るのが奇跡だろうと言った具合だ。右肩から左横腹までザックリと斬られていた。

 意識は無く、そしてこのまま放っておいたら死ぬ。かなりの深手であり、恐らくは「普通」だったら助けられないだろう傷だ。

 流れた血も相当多いだろう。一刻も早く治療が必要だ。

 で、ミッツは直ぐに怪我人の側に突撃した。集まっていた人だかりなど無理矢理押しのけている。ナチュラルに身体能力強化が発動していた。押しのけられた人はもの凄い力でも込められたように抵抗できずに背を仰け反らせられている。


 で、そんなミッツがしかも即座に怪我人の治療をし始めて傷をみるみる内に塞いでしまうのだから、もう言い逃れはできないだろう。

 集まっている人たちは最初この光景を見て言葉を失う。しかし時間が経てば誰が口に出したか「聖女様だ」と言った言葉がすぐにこの場を埋め尽くした。

 ミッツからしたらもうコレくらいの傷は治せるだけの力を有している事に何も疑問は無い。何せ魔力はかなりの量を持ち、魔法の特性を知り、そして人体の構造を知った。

 治せないはずが無い。だけどもこの世界の常識しか知らない一般人はこれを「奇跡」だと見なす。

 奇跡を起こしたミッツ、それは「聖女である」というもの凄く短絡的な事を頭に浮かばせる事になる。

 それもそうだ。この集まった人々は只の野次馬、ミッツがどの様にしてこれだけの事ができるようになったのかを知らないのだ。

 彼らは自分たちの目にした光景、そして信じたい事だけしか信じない。ここでミッツが得た知識の説明をしたところで、それを理解する者はここに居合わせている人たちの数の一%にも満たないだろう。

 そしてそういった人々らは「聖女様」というパワーワードが頭の中に焼き付いて取れなくなるのだ。


 聖女コールが大きくなる。でもそれが最高潮に達する前に静かな、そして良く響く声がソレを全て黙らせた。


「うるさい。・・・さあ、早くこの少年をベッドへ。血を失い過ぎています。まだ油断はできません。エンドウ様、一緒に来て診断をして頂けませんか?」


 そのミッツの「うるさい」という一言はこの場に居る誰の耳にも漏れなく届いた。そして静かな威圧がそこに込められている事を理解し、ここに居る全員が一斉に黙ったのだ。


 俺は少年を抱えて教会内へと入る。するとミッツも後ろへとその後に続く。

 しんと静まり返っている集団に一瞥もしない。俺はミッツの案内で個室へと連れられ、そこにあったベッドへと少年を寝かせる。


「傷の方は私が塞ぎましたが、一応はエンドウ様にも見て頂いてよろしいですか?」


 あくまでもミッツがやったのは応急処置だと言いたいのだろう。

 俺も別に確認するだけなら簡単なのでこの少年の身体へと魔力を流してその全身を診察する。

 違和感は何処にも無く、あの深く付けられた傷はきっちりと回復している。


「大丈夫みたいだ。けれども血を流し過ぎた衝撃で意識が戻らない状態になっているんだろうな。いつ意識を取り戻すか分からないぞ?◯ーエスワン飲ませないといかんなぁ。」


 俺はちょっと口が滑ってしまう。経口補水液の事を口走る。この世界に点滴と言った物が有ればいいのだが、しかして存在するとは思えない。

 そしてコレにミッツは何も言ってはこなかった。代わりに何を用意すればいいかを俺に聞いてくる。


「その飲ませないといけないと言ったモノはどのように作る物なのですか?材料をすぐに用意します。」


 俺が口にした「名称」よりも、それの「中身」の方が重要だとミッツは直ぐに思考を切り替えたようだ。

 俺が飲ませると言ったのだからソレを用意する。単純に今のこの少年の状況からしてソレを「飲ませるべき物」として受け止めたらしい。

 とは言え、俺も経口補水液にどんな成分が入っていればいいとか言うのは細かい所は分からない。


「塩、糖分、えー?果糖ブドウ糖液糖?水に溶かすんだっけ?」


 取り合えずミッツに塩、それと果物を。あと一抱えくらいの大きさの瓶に水満タンをと説明した。

 したらコレに即座にミッツが動き始めた。市場に買い出しに行ったのだ。

 当然ミッツは教会前にまだたむろしている集団に見つかるので「おおおおお!」と言った盛大な声が上がる。この部屋にもその声が聞えてきていた。

 でもそれだけの声がまたピタッと止んでしまうのだから恐ろしい。多分やった事は聖女コールを黙らせた時と同じだろう。


 そうして待つ事、十分。ミッツが戻って来た。戻って来た時には声は今度は聞こえてこなかった。

 そこは気にしないでもいいだろう。問題はミッツが買ってきたその量だ。

 塩は一抱えもある袋パンパン。そして果物は様々な種類の物がこれまた山積み。

 俺はミッツへと量の事までは言及しなかった。結果がこれだ。というよりも量の件からしてみれば話をする前にミッツは出て行ってしまったというのが正しいのだが。


 これに俺は「どうするかなぁ?」と一瞬だけ呆れてしまったのだが、すぐに意識を切り替えた。

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