必要な物を取りに
そうして翌日、清々しい朝である。今日は俺の身分証を取りに行く。
ソレがあれば堕落、怠慢で動かずにいる村などに権力と言う威光でケツを蹴っ飛ばして働かせられるかもしれない。後で再び様子を見に言ってみるのも良いだろう。
さっさと見切りをつけてしまうのは簡単な事だ。だけどもそこは再び話をしてみて少しでもそこの住民たちにヤル気を出させようと一度くらいは発破を掛ける事はやっておきたい。
「それでも動かなかったり、ふざけた事を言う様であればもう切り捨てるけどな。」
俺は三度も仏の顔ができる人間じゃないので見限るのは早い。相手がこちらの話に全く聞く耳を持っていなかったりしたら、その様な説得はこちらの方が一方的に疲れるだけだ。そんなのはそう何度も繰り返したくはない。
と言う事で朝食をササッと素早く済ませてワープゲートで移動である。
本日はコロシネンは書類仕事に復帰していて俺が来た事にどうやら気づいていない。
コロシネンは集中して仕事をしている者の独特の空気を纏っていたので俺はソレを邪魔しない様に極力気配を消して待つ事にする。
「・・・エンドウ様、いらっしゃっていたのであれば一声かけて頂いたらすぐにでも仕事を止めましたが?」
それでもどうやら気づかれてしまった。コロシネンは申し訳無さそうにそう言ってくるが。
「何でも俺優先にしないで良いぞ?今日の用事なんて昨日頼んだ物を受け取るだけだしな。急いでもいないからこっちは気にせずに書類仕事を片づけちゃえよ。」
「ああ、ご依頼の物ですね?息子が受けたと言う。」
「そうそう。それがあれば侯爵の名のもとにやりたい放題できる、ってね。・・・おい、冗談なんだから何か突っ込めよ・・・」
コロシネンが俺の言葉に「御心のままに」とか言ったので「ソレは止めろ」とこちらから突っ込みを逆入れしている。
「息子は今、別部署への書類の確認をしに行っているので少々お待ちを。もう後十日もすれば布告の準備は大方終えますので。それが済めば少しづつこの首都からエンドウ様の御指示の通りに。」
「ああ、そこらへんは全部丸投げで済まないな。俺には政治は無理だろうから。やっぱそう言うのはできる奴に頼むのが一番だよ。」
「光栄至極に存じます。この身が粉と変わっても、この命尽きようとも、エンドウ様のお役にたちまする。」
「いや、そこは自分の身を労われよ・・・覚悟が異常過ぎるだろ・・・どんな経緯が脳内で起こればそこまでガチガチに行き詰まるんだよ・・・」
そんなコロシネンの覚悟の深さに慄きつつも俺は待つ。そうして5分程したらデリトルがやって来た。
「来ていましたか。ならばコレを。くれぐれも無くさない様に注意してください。紛失したらすぐに連絡を。悪用されない様に即座に停止命令を出しますので。」
俺がそう言って渡された物を見ると1mm程の厚さの縦横8cm程の正方形のカードだった。
薄っすらと青い金属に刻印が両面ともに複雑に入っており、どうやらこれは識別の為なのだと言うのが察せられた。
「おう、ありがとさん。それじゃあ行ってくる。これを見せれば大抵の奴が権力に屈してくれるって事で良いんだよな?」
「・・・くれぐれも我が侯爵家の名を貶める事が無い様に願います。」
硬い表情でそう注意されてしまった。デリトルは未だに俺の事を信用も信頼もしてくれていない。
まあそれはソレでしょうがないと思って俺はそのカードをインベントリに突っ込んだ。これで紛失は無いだろう。
インベントリに入れる所をデリトルにがっつりと見られているが、コレは別にどうでも良いだろう。当人は驚きでギョッと目を見開いていたが俺はソレを気にしない。スルーである。
俺はそのままワープゲートを出して昨日のあの路地裏の酒場の前にさっさと移動した。
そうしてその店に入ろうとしたらドアに鍵が締まっている。
「・・・うん?開店前?時間が早かったかな?・・・おい、居るじゃねーか。居留守はヨロシク無いぞ?」
魔力ソナーでサッと店内を探ったら居た。オリスとボグが。それとは別で店内には十五名の武装した集団が居る。
ドアノブがガチャリと音を立てた事で俺が来た事を察知した様子。どうにも中に居る全員がその手に武器を取っていた。
「おーい、約束通りにまた訪ねて来たのにこの対応は無いんじゃ無いかー?一応この後ちゃんとノックはするから、そっちの意思で鍵を開けて欲しいんだがな?」
俺のこの声は別に大きなモノでは無い。だけどもしっかりと店の奥のオリスとボグに届いているはずだ。
何せ俺の魔法はどんな事でもできてしまう。店内に居る者たちの全員の耳にもしっかりと今の言葉が届いているだろう。
そうしてから俺はゆっくりと間を開けてからドアをノックした。コンコンコン。短く三回。
これには店内がざわついている。魔力ソナーで調べなくてもその様子が外にまで漏れて来ている。
「おい、コレは開けた方が良く無いか?」
「馬鹿言うなよ・・・オリスさんに絶対に開けるなって言われただろ?」
「なぁ?今の、全員の耳に入ってたんだよな?こんな事できる相手なんて、ヤバ過ぎやしないか?」
「相手の要求を素直に呑んだ方が良さそうだけど・・・俺は後でオリスさんにボコられるのは勘弁だぞ?」
「つか、店内に入ってきたら即座に襲い掛かって殺せ、って。どんだけ危険な相手なのかソレを考えたらコエーんだが?」
「いやいやいや、ここの扉は頑丈だし?壊されて中に侵入を許すとかあり得ないっしょ?」
「昨日に店に居た奴は全員、今ここに居ないんだが?怖気づいて今日は来て無いみたいだぞ?」
「え?それって増々ヤバくない?俺たちそいつらよりも腕っぷしヨエーじゃん?あ、逃げたくなってきた。」
聞こえてくるのはそんな弱音。だけど誰も鍵を開けてくれないので俺は勝手にドアのカギを魔法で開錠。
そのまま何事も無かったかの様にドアを開けて店内に入る。
「残念だなー。せっかく昨日はオリスに「分かって貰った」のにこの対応。無理すれば被害だけが増えるって解ってやってるのか、それとももっと他の理由かな?」
開くはずが無い、そんな風に思っていたのだろう店内の武装集団はそんな事を言いながら店内に入って来る俺を見て漏れ無く誰もが「は?」と言った顔になっていた。
「・・・え、鍵・・・掛かってたよな?」
そんな疑問をポロッと口にした、ナイフを手に持つ青年と言える様な若者。それに俺は自然と答える。
「ああ、鍵?開けたけど?だって誰も君たちが開けようとしてくれなかったからな。勝手に入らせて貰った。俺はオリスと会う約束してるしな。あ、そう言えば待ち合わせは別にここで、とは約束してはいなかったか。いや、でもまた来る、ってちゃんと言っておいたし?けどまあ、鍵かけてこれだけの兵隊集めて立て籠もろうとしたんだから相当に俺はオリスに嫌われたんだな。と言うか、警戒された、って言い直した方が良いか。どんだけ俺をラメカって奴に会わせたく無いんだろうな?」
そんな事を俺が言うと向こうの一人が口を開いた。
「お、お前が誰だか知らないが、ここにはオリスさんは居ないぞ。さっさと出て行くんだな。」
「え?居るのは分かっててこうして入って来たんだけど?君たちを無視して奥に行かないのは別に気まぐれでしかないんだけど?」
「え?」
「うん?」
オリスからの命令で「侵入者には即座に攻撃」と言われているのにどうにも襲ってこないのは多分俺が何者なのかがサッパリ分からない恐れから来るのだろう。
ここで妙な間ができた。向こうの奴らはきっと今の俺の言葉の意味を呑み込めていないからできた間だろう。
そして俺の方は向こうのリアクション待ちと言った感じの甘い対応の為の間である。
十五名の武装した者たちはそのどいつもがまだ若さが見られた。修羅場の数が足りて無い、と言った方が良いか。
どうにも覚悟と言った感じの雰囲気が全く無いのだ。昨日に店に入った時に居た者たちと比べたら雲泥の差である。
「命令を守らなくて良いのか?俺の事を殺せって言われてるんじゃないのか?来ないならソレはソレで別に良いけど。ヤル気が無いのなら大人しく固まって待ってて貰うかね。」
俺はここで全員に魔力固めを施した。ただし足だけを固定である。こいつらはこちらを囲う様に展開していて俺との距離が結構離れている。
なのでその真ん中を俺が素通りしても全く手の届か無い距離だ。武器を振っても掠らせる事も出来ない。
腕をフリーにさせてやっているので投擲なら俺に攻撃が届くだろうが、既に俺は店の奥の通路に入っているのでそれも届かせる事は困難だろう。
何せ足が入り口の方を向いて固まっているのでその逆の奥の通路の方に狙いを定めようとすれば体を相当に捻るしか無く、その体勢では物を投げると言ったアクションは難しい。
こうして俺はそのまますんなりと奥の部屋に辿り着く。そして中へと入った。
「さて、オリス、約束だ。頭領に会わせて貰えるか?案内頼むよ。」
「・・・そんな約束をした覚えは無い。お前の様な危険なヤツを連れて行くなど有り得ない。」
俺はデリトルから受け取った身分証を見せながら言ったのだが、オリスはどうやら俺を案内する気はゼロである様子。
「お、お、オリスさん・・・逆にこんな奴だからこそ会わせた方がよ、良く無いっスカ?」
ここでオリスとは逆の意見を述べたのはボグだった。これにオリスがボグを強く睨む。睨むが何も言わない。
「ちょっと聞きたいんだけど。俺はこうして侯爵の後ろ盾を貰ったそれを証明するブツもちゃんと持って来たんだぞ?それをしっかりと確かめもしないどころか、昨日に言った言葉すら守る気は無いのか?で、オリスとボグはどうして意見が分かれた?そこらへんがちょっと気になるな。教えてくれよ。」
オリスは椅子に浅く腰を掛けていていつでも即座に動ける体勢を取っていた。
ボグの方は壁際に立っていて俺の方をチラチラと見て来つつもオリスの動向に注目している。
「お前の目的は一体なんだ?それを嘘では無いと証明する事の出来る証拠や証人は?正体も目的も不明な怪しい輩をそう簡単に案内できるはずが無い。」
オリスの理由は真っ当で、そして堅い。こうした人物の意思をひっくり返すのは相当に骨が折れるものだ。
「お、オリスさん、そんな事を言って、こいつが俺たちをこ、殺そうとしてきたら抗え無いじゃ無いっすか・・・俺はまだ死にたく無いっスよ・・・」
ボグはどうやら単純に俺の要求を吞まないと殺されるのでは?と言った恐怖からであるらしい。自分の命が大事、という典型的なヘタレの発言である。
どうやらこの部屋まで入って来た俺が相当な実力を持つのだと察した様だ。
「あー、メンド。俺は話し合いをしに来たんだよ。ここを支配してると言っても過言じゃ無いのがそのラメカって奴なんだろ?今後の話をするなら一番上とやるのがこの先手っ取り早いからな。お前らみたいな下っ端通して話をしてたら遠回り過ぎて手間ばっかり掛かるだけで進展が遅いんだよ。そう言うのは勘弁したいからこうしてちゃんと侯爵家から後ろ盾貰って来たんだぞ?この証明証を見ろよ。ちゃんと本物だぞ?・・・いや、本物だよな?」
間抜けな話、今さら俺は思いついてしまった。これ本当に本物か?と。
まさかデリトルが俺の事を罠に嵌めてこの国で犯罪者として排除しようとする為にワザと偽物を俺に渡してやしないか?と。
俺のこのセリフに反応したのはオリスでは無くボグの方だった。「え?」と思わずと言った感じで驚きの表情を晒した。
そもそも俺はこれが本物だと言うのが判別できないのだ。頼んでおいて、それが出来たと言って渡されたから「本物」だと思って受け取った。
しかしここでデリトルの俺への態度が少々の問題、懸念である。あいつは納得していない様子なのだ。俺がこの国に対して偉そうに指針を出しているのが。
そしてデリトルは父親の態度も気に入ら無い様である。どうやら俺の言葉を全肯定するのがいけない様だ。
これらの事を鑑みて出て来る結論が「デリトルが俺を騙しているかもしれない」という可能性、微レ存。
「なあ?オリス、ちょっとコレ確認してくんない?渡されたから本物だと思って受け取ったんだけど。見せかけた偽物、とか無いよな?」
俺とオリスの昨日のやり取りをデリトルが知っている訳が無いとは思う。
知ら無くてもデリトルが俺に対して「偽物でギャフン」攻撃を仕掛けて来ていたとして、もしここでそれに気づかなかったら俺はそれにまんまと嵌まる所で。
本物だったならソレはソレ杞憂だったと言う事で済ませる事が出来るが、もし偽物だったら洒落にならないのである。
なのでそこら辺がここに居る中で一番分かりそうなのがオリスであった。なので鑑定をお願いしたのだが。
「してやる義理は無い。立ち去れ。」
「え、それ酷くない?その塩辛い対応は流石にどうかと思うんだけど。」
思い切りガンを飛ばされて断られてしまった。
「いや、そこは確認してくれよ。ここで頑なに俺と関わろうとしない態度を取るとか、昨日の言った言葉は嘘だったのか?」
「お前が侯爵の後ろ盾を貰って来た?はっ!そんな事が有り得るハズが無い。どう見てもここらでは見ない怪しい服装だ。その様な者が侯爵と繋がりを持つなどと、信じられる点が無い。」
本物か偽物かでは無く、俺の事自体が信用ならないと否定して来たオリスは「どうせそれも偽物だ」と言外に言ってきた。
「ほら、こうして話が下っ端だと先に進まなくなる。頭の固い奴は駄目だよホント。柔軟性を持てとは言わないけどさ。機転は利かせて欲しいよなぁ。これならボグの方と交渉した方が良いか?」
「・・・え?あ、お、俺はし、知らない!ラメカ様の居場所は・・・」
「いやいや、これが本物か偽物か分かる奴の所を知っていたら案内してくれるだけで良いんだ。それはできるか?」
「そ、それは、できると思うけど・・・」
「おい!ボグ!」
「ひっ!?」
ここでオリスが勝手な事を口走ろうとしたボグを叱る。どうやら徹底的に俺との交渉はしないつもりの様だった。
「出ていけ。」
短い拒絶の言葉。もう俺の話は聞いてくれる気は無い様だ。
「分かった。勝手にやる。もうお前たちには頼まない。自分で見つけるさ。じゃあな。」
こうして俺はここを出て行った。ワープゲートを出して二人の目の前で。
固めた十五名たちはその内に時間経過で動ける様になる。そこまで大量に魔力を込めてはいない。
自力で反抗できる奴が居ればある程度はそれよりも早く解除が可能だろう。
「あーあ、何だよ。苦労せずに会えるかなって思ったのに。でも良いか。魔力ソナーを広げておいてッと。」
俺はワープゲートで移動をした後にこの町の全域に魔力ソナーを広げて維持した。
目の前にあった家の屋根に上ってそこで日向ぼっこをしながら待つ。オリスの動きを観察する為だ。ついでにボグも。
案内してくれないなら探るしかない。オリスがこの後に立ち寄る建物がラメカとやらが居る可能性のある建物だろう。
俺は一度会った者や俺に対して敵意や殺意がある者は判別できるのだが、そうで無い、まだ一度もあった事も無い者は探れない。
その者の特徴が分かっていればソレを元にして魔力ソナーで探して候補は幾らでも探せるだろうが、そこから本人を見つけ出すのは少々労力が掛かる。
「まあオリスはラメカって奴がどんな見た目なのかを説明してくれる訳が無いだろうしな。」
他人の頭の中を覗く事が魔法でできる俺はソレをやればどんな事でも一発で解決だろう。
だけどもコレは頻繁に使うと俺の性格がドンドンと歪んで行く気がして余り使う気にはなれなかった。
なので今回は使用しない。急いでいる訳でもない人探しだ。チャンスも情報も皆無な状況でも無い。ゆっくりとやっていけば良いと判断している。
まあ結局のところオリスのあの態度からして自分の組織のボスの事を売る様な真似は一切しないだろう。
ならば俺が勝手にオリスの動向を追跡させて貰うだけである。今日では無くてもその内に俺と言う存在を警戒してその事を報告する為にラメカの元に向かうはずだ。
町の連中に「不審なヤツの要求を一切呑むな」と命令を出して俺への対応を固めて来ると言った事も考えられるが。
「最終手段は手あたり次第に、って事になるだろうなぁ。いや、でもそこまでする必要ってあるのか?」
別に今回の事は「そうなってくれたら楽だな」「話しが通せれば今後がスムーズに行くな」と考えただけの行動だ。これ程にこだわる必要など無いのである。
「途中で真面目に考え始めちゃう病だな、コレは。もっと気楽になろう。そんな風に意識して無いと俺が余計に疲れるだけだ。」
魔力ソナーでオリスとボグの動向を注意しつつも俺は日向ぼっこで気持ちをリセット、リラックスさせて待つ事とした。
村や町を見回りするのは今日は中止である。このまま一日を二人の動きを探る事に使う事とした。
そして直ぐに動きはあった。先ずは先程の店の中でどうやらオリスは先に集めてあった十五名に状況説明を求めに行った様だ。
それに対して「訳が分からず足が動かなかった」と口々に言っているだろう者たちにオリスはきっと怒りを覚える事だろう。俺に対しての態度でソレが何となく想像できた。
(そんなにイライラするなよ。力の差があり過ぎる相手だと昨日にもう分かってたはずだろ?ああ、いや、それでも抵抗しようとした根性は立派だけどな)
こうした者を忠義に厚いと言うのだろうか?俺にはそう言った部分は何となく分からない。オリスはきっと俺の事を危険だと判断して素っ気無い対応だったのは仕方が無かったのだろう。
サラリーマンとして働いていた時の俺は会社に対してそんな感情は持っていただろうか?などと思いだそうとしてやめた。
もう俺は定年退職して、そこから奇妙で信じられない事にこちらの世界にこうも見事に来てしまっているのだ。そんな事はもう考えるだけ無駄である。
そんな事を俺が考えていたらボグとオリスはその店を出て行った。そしてオリスはボグと分かれて別の場所に向かう。
早速上司にでも報告をしに行くのだろう。俺は一応はボグの動きの方も注意して魔力ソナーで二人の動向を観察した。
そしてオリスの辿り着いた場所は一軒の家。そこそこの大きさでちょっと広めの庭付き。
良く観察してみるとその庭では一人の少女が遊んでいた。狼、だと思われる結構大型のそれと戯れていた。
ソレを傍で眺める御老人が温かな眼差しで見守っている。
(・・・何だこりゃ?オリスの家族?父親と娘かな?いや、どうにも様子がおかしい)
オリスはその御老人の側に寄って耳打ちをした。そして下がっていく。
何をオリスが言ったのかは分からない。いや、今の俺ならそれすらも知ろうと思えばやれたのだが今はソレをやっていなかった。
そしてそんな御老人の表情は穏やかなままだった。それがどうにもおかしい。
(オリスは部下だ。そしてその上司があの御老人だ。なら、じゃあ、あの少女は?)
少女はそんな事は関係なさそうに狼と戯れ続けている。楽しそうに。
狼の方も慣れた感じだ。決してその少女を傷つけようとはしていない。良く訓練されて飼われていると言った印象だった。
オリスは既に庭から去っており、そのまま来た道を戻ってどうにもあの店に帰って行く様子。
(ボグの方はどうやら自分の持ち場に戻ったみたいだし。うん、ここからの話し合いはあの御老人にすれば良いのか?)
まだこの御老人がラメカだと言う確証は無い。だがそれにオリスより近い位置に居る人物だと言うのはこれで判明したも同然だ。
ならば行くしかないだろう。
「とは言え、まあアレだな。こう言った時には手土産の一つでも持って行った方が印象は悪くなったりはしないか。」
とは言ってもオリスの報告を受けているこの御老人が既に俺への悪印象を持っていたら手土産如きで何も変わりそうも無いが。
「はぁ~。何で俺はこんな営業みたいな事をしようと始めちゃったのかね?力で相手に言う事を聞かせようとするのに疲れちゃったのか?」
俺は別に「力こそ全て」と言った感じの精神を持っている訳じゃ無かった。
なのでもしかしたら心の何処かで只自分の魔法の力で何でも解決している状況に嫌気に似た何かを感じているのかもしれない。自覚が無いだけで。
それでも使える物は使う。便利過ぎて依存していると解っていても。
「さて、それじゃあこういう場合に攻めるべきは何処からだ?もちろん、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だな。」
メルフェの実が幾つかまだインベントリに入っていた様な、無い様な。無かったら再び取ってくれば良いだけである。
俺はこうして準備を整える為に一旦家に戻ってゆっくりとお茶を飲みつつ作戦を考える。そして結論。先ずは少女へと狙いを定めて甘味の用意をする事とした。
で、その際に家を出る時に俺の専用農場の側に植えていたメルフェの木に視線がふと向かっていた。そして驚愕する。
「おい、もう実が生ってるのか?桃栗三年、柿八年?メルフェってどれくらいで本当なら実が生るんだ?これだけ早く生るってのは絶対に魔力が関係してるよね?・・・うわぁ・・・」
そこには大量にメルフェの実。確か高級食材で珍しい物であるはずのそれが、それこそ「これでもか!」と言った感じで生っている。
甘い匂いが木の側に寄ると鼻にガンガン入って来る。まだこの周辺遠くまでこの匂いが拡散されていないのが救いだ。
この匂いが散って、それを嗅いだ動物やらこの村の住人がここに寄って来てしまう所だった。
「いつの間にこんなになってやがったよ?昨日は無かったはずだぞ?え?今朝だってまだ無かったじゃん?タイミングが読めねぇ・・・」
俺の居なくなったこの一時間ちょっとでこれだけの量が一気に生育されたと言う事になる。
土中の魔力は既に俺が吸い上げて無くしているはずで異常な生育速度は出ない様にしてあったはずなのにだ。
ここで実を一つ取って俺は齧った。それはソレは甘くて、とろけて、そしてスッと後味爽やかな、以前に食べた物よりも一段上の味がしたように感じた。
「うん、ダメだ。コレ放っておいたら。全部回収しておかんと。」
これがもし市場で出回る様な事が有ったら大変である。ここに住民が来てこの実を食べればきっと「贅沢」を覚えてしまう事だろう。
これを気安く広める事はできない。今はまだこのメルフェの実を住民に食べさせる訳にはいかない。
こうして俺は収穫作業をしっかりと終えてから気持ちを切り替えてあの御老人と少女が住む家に向かった。
もちろん手土産は収穫したばかりのこの実で良いだろう。とは言っても向こうがコレを毒だと思って受け取らない、或いは毒だと思って裏で後で捨ててしまうかもしれないが。
向こうの大陸、ノトリー連国にこの果実が存在するのかどうかも分かっていない。これは何だと疑われる事も想定しておかねばならないだろう。
そうして俺は目的の家のドアをノックする。コンコン。返事が無かったのでもう一度。コンコン。
しかし反応が返ってこない。ここで俺は庭の方に回ってみた。
するとそちらにまだ二人と一匹は居た。なのでここで声を掛けてみる。
「すみません。こちらがラメカって方のお住まいで合っていますか?」
直球にも程があるのだが、既に向こうの御老人は俺の事などオリスの報告で知っているはず。
だがここで俺を驚かせたのはこの質問の答えが少女から来た事だ。
「お兄さんだれ~?ラメカはこの子の名前だよ?」
「え?どういうこと?」
俺はよっぽどおかしな顔でいたんだろう。これに少女が「お兄さん面白いかお~。あははは。」と笑う。
朗らかに育ってきたのだろう。擦れた感じが全く無い無垢な笑いである。この国はこれまでずっと飢えていたと言うのに。その陰が全くこの少女には存在しないのだ。
よっぽどの良い環境で育てられたのだなと分かる。そしてそれは籠の中の鳥なのだと言うのも察せられた。外の状況など一切知ら無いと言った感じの自然なその表情だ。多くの者が飢餓に苛まれていたなどと言う事なんて知りも、思いも、考えつきもしないのだろう。
そんな狼のラメカは俺をじっと見つめ続けて来ている。その瞳には何だか知性を感じた。
あの森の奥、メルフェの木の側に縄張りを作っているあの巨狼の瞳と似た感じだ。
ジッと観察されているだけでどうやら敵意と言うのは持っていない様子。だが俺が何か少しでも危害を加える存在だと判断すればきっと飛び掛かってくるのだろう。
この狼、ラメカは少女をいつでも守れるだろう位置取りで立っているのだ。俺も迂闊な動きはできない。このラメカに敵認定されるとこの後の交渉に支障が出そうだから。
「お客人、こちらへどうぞ。中でお茶でも出しましょう。色々とご説明致しましょう。」
「あ、これはどうもご丁寧に。つまらないものですけど、これ、後で召し上がってください。」
物腰柔らかで優しそうな声音で御老人に家の中への案内をされた。
ここで俺は事前に用意していた籠一杯のメルフェの実を御老人に差し出した。