眠れる森の魔王様
「ふんふふふん。」
ご機嫌で、息子と嫁の待つ食堂に来た男。
この、人間よりも人間らしい魔族は、人間たちが誰しも恐れる“魔王“である。
魔王、と言っても魔族を束ねているだけで人間の王と何ら変わりはない。
100歳を超えていて、人間年齢に直せば中年とも呼べるその人は、黙って立っていれば、振り返らずにはいられないほどの、ものすごい美男子である。
まあ、魔王の威圧が凄いので、直視できる人こそ少ないが。
実力も、そんじょそこらの人間や魔族が束になっても敵わず、最強の勇者と言われているシンディが、まともに傷を負わせることも叶わない、とにかく完璧な魔王である。
「マイプリティエンジェルエミール!誕生日プレゼントは何がいいかのぅ?」
黙ってれば。
「……魔剣で……。」
エミールと呼ばれた魔王の息子の少年は、人目も憚らず抱きついてくる魔王を、ちょっと面倒臭そうに見たあと、振り解くことはせず、苦笑を交えて答えた。
「そうか!今年こそは、最も呪われて、最も曰く付きの最強のやつを買ってくるからな!」
「……あーなーたぁ?」
最愛の息子の誕生日を祝うため、そして、あわよくば『パパ大好き!』と、言ってもらいたいこのお人は、嬉々として、これ以上ないくらい迷惑な代物を探そうとする。
その魔王の耳を、呆れ顔で掴んだのは、なんとも場違いすぎる、人間の女性だった。
人間とはいえ、このお方こそ、魔王の奥方で、種族間の違いを乗り越え、魔王に一目惚れされた末に、熱烈過ぎる求愛を経て結婚したシルフィーヌ様だ。
魔王様をとても気遣っているし、魔族にも人間にも分け隔てなく接している。
魔王の城に、女神と見紛う程、奥ゆかしく、美しく、優しい物腰の女性がいるのは、とにかく違和感しかないが、結婚して15年も経てば、意外と見慣れるものである。
この和やかな雰囲気は、この城の名物といっても他言ではない。
そしてこの女神のような女性が産んだ二人の子供は、なんと聖女と勇者。
古来より聖女と勇者は人族が産むので、母体が人間なら何らおかしいことはないのだが、人族と魔族が交わると、生まれてくるのは必ず魔族なのだ。
その結果、人類の切り札である聖女と勇者が魔族という、訳の分からない状況になったのだが。
きっと神ですら、この二人が愛を育み子を成すと思っていなかったのだろう。
あの帝国の勇者があれほど馬鹿でクズでなければ、おそらく強い神聖力を持つシルフィーヌ様を国母に、と皇后の席に据えたはずである。
いくら平民の出とはいえ、神力を持つ人間が異様に減っている現状、強い神力を持つものは稀で、神のように崇められたり、祀られたりすることもある。
だからこそ、皇后に据えることに、だれも反対しないどころか、歓迎されるに違いない。
そうすれば人間の聖女が生まれ、人間の勇者が生まれただろうに。
「マサヒト。ここの護衛はもういい。お前は城下の方で警戒に当たってくれ。」
「はい。」
執事服をびしっと着込んだこのお方は、魔王側近のロベルト。
フクロウ型の魔族で、本来魔族が持たないはずの神力を持つ不思議な一族だ。
回復魔法に特化しており、軍師の役割も併せ持っている。
この人も、ぶっ飛んだ親バカだが、魔王様と違って表に出すことは少ない。
いやー魔族も複雑だねぇ。
そんなことを考えながら、一礼するとドアを潜り抜けて門へと向かおうとした。
その時。
「あ、マサヒト、ちょっとこっちに来てちょうだい。」
めったに話しかけられることも無いその声に、つい怪訝な顔で振り返ってしまった。
俺を部屋から出そうとしたロベルトも、よく分からないと言った様子でこちらを見ている。
…シルフィーヌ様?
「ねぇ、貴方のお父様は異世界人なんでしょう?」
「え、ああ、はい。チキュウの二ホンから転移してきた人間です。」
「で、お母様は転生者だったわよね?」
「はい。とはいえ、俺は特にこの世界で生まれ育った魔族なので、別世界の記憶とか持ってませんけどね。」
急に何の話なんだろう。
「実は、貴方にね、子供の護衛を任せたいの。」
「へ?エミール様のですか?」
「ううん、この子。」
そういって、シルフィーヌ様は自分のお腹を撫でた。
「へぇ、まだ産まれてないお子さんの……えええ!?」
俺が叫んだ瞬間。
「え、ちょ、ワシ、パパなの!?パパになるの!?シルフィーヌ!!」
「いえ、貴方はもう15年以上前からパパですよ。」
「そそそそっそうじゃなくて、え、ほんとかの!?」
「嘘を言っても仕方ないでしょう。でも、ちょっと不思議でね、貴方に言うべきか悩んでたんだけど
……。」
ロベルトですら、驚きのあまり完全にフリーズしている。
王妃様はまだ若いとはいえ……いや、そうだよな、あんなにラブラブで若いんだものな、在りえるよな。
「ふ……ふっ…不思議?」
なんかもう、失神しそうなほど取り乱している魔王さま。
シルフィーヌ様の言葉に、なんとか息を整えながら、聞き返した。
「なんだか、この子がたまに話しかけてくるのよ。」
「何じゃと?産まれてもないのに?」
「ええ。聞こえる、というか、頭に響くような?断片的なんだけれど。今まで、こんなことなかったのに。」
「聖女と勇者が生まれる以上に不思議な事があるのかの?」
「私もそう思うんですけど……。」
二人して少し首を傾げた後、
「それで、産まれるときに一度記憶を無くしてしまうから、先に伝えたい、って言うんですよ。」
「何をじゃ?」
「とにかく自分を守ってくれと。あいつに狙われている。奪われたら大変だ、って。」
「我が愛しの息子は生まれる前から狙われているのか!!」
「あ、娘だそうです。」
「あ、娘ちゃんか、すまぬ。」
二人して、よく分からない会話を続けているが……、おなかの中の子が喋るってどういうこと?
親父たちはよくこの世界を『なんでもありのファンタジー』って言ってるけど、俺から見れば普通の世界で、不可能なことは不可能だし、死ぬときは死ぬし。
「で、護衛にその、異色の魂を持つものがいい、と。転生者や転移者が理想的だけど、それを併せ持つハイブリッド?がいるから、そいつがいい、って。」
「へぇ……生まれる前から、我が娘に手を出した輩がおるのか……」
魔王さまは、隠しきれない殺気を漏らしながら、俺の方を見る。
ちょっと待ってくれよ!!産まれても無いものにどうやって手を出すんだマジで!!
「ちょ、ちょっと待ってください!さっきも言いましたけど、俺自身は魔王領産まれ魔王領育ちだし、種族としては魔族ですけど、人間と魔族のハーフですよ!?そんな半端な俺が、姫様の護衛なんか……」
「でも、この子の指名なのよ……引き受けてくれないかしら。」
悲しそうな顔をするシルフィーヌ様を見て、魔王さまは急にうろたえ始める。
「何じゃ、お前は、我が妻と、娘の願いを聞けないというのかの?」
「どっちですか!?」
魔王の命令は絶対だ。
なんだかんだ言って、遠慮したいという事を伝えることはできても、俺に断るという選択肢は存在しない。
そして、この魔王は……家族の事となると理性がぶっ壊れる。
「わ、分かりました。お生まれになった暁には、このマサヒト・ウェイバーが専属騎士として護衛の任務を全うさせていただきます。」
「よろしい。絶対に娘ちゃんに手を出すんじゃないぞ!」
「は!命に代えましても!」
怖すぎる。
万が一懐かれてしまったらどうしよう。
冗談でも、『マサヒトとけっこんするぅ』とか言われでもしたら、その瞬間俺の首が飛びそうだ。
大いに在りえる恐ろしい未来を想像して、身震いをしてしまう。
「それにしても、娘ちゃんかー。」
今の話の流れで気持ちが落ち着いたらしい魔王さまは、自身の可愛い子供達でも想像したのか、とろけるような笑顔で王妃様を見た後、
「元気に産まれてきて、早くパパと呼んでおくれ。」
そのおなかに触れた。
その瞬間。
―――ドターン!
「え?」
辺りの空気が凍り付く。
一体何が起きた?何故?
誰一人、何が起きたのかわからない。
だが、魔王は意識を失ってその場に倒れた。
この世で、最強を誇る男が、何の前触れもなく。
「あなた!あなた!!!ロベルト!この人を!早く!」
「父様!?」
悲鳴のような声で叫ぶ王妃様と、少し離れた位置から二人のやり取りを見ていたエミール様も駆け寄り、一層混乱していく。
とっさに遠距離の攻撃を警戒したのか、視線を巡らせていたロベルトは、彼女の声に弾かれるように魔王に駆け寄った。
「息は、在る……。」
呟くように発せられたその言葉に、一同は詰まりそうな息を吐く。
「脈も正常。目立った外傷もなし。あるとすれば、倒れた時に出来たであろう頭部の小さな打撲痕。」
てきぱきと脈を取ったり瞳孔を見たり、そして不思議そうに首をかしげる。
「結論から言うと……」
皆が息をのむ中、困惑したようなロベルトの言葉。
「ただ、寝ているだけなんです。」
は?
また、この人騒がせな魔王が気絶したのか?
それとも、誰かに、眠り薬でも盛られたとか……。
おそらく、みんなそう思っただろう。
まさか、この後、あれほど長く眠り続けるとも思わずに。
「異様に深い眠りです。今魔法で解毒をしましたが、起きる気配はありません。エリクサーも試しましたが、反応すらしないあたりを見ると、呪いの類というわけでもなさそうです。今のところ、全く原因不明です。」
「そ、そんな……。」
青ざめ倒れこむ王妃様をエミール様が受け止め、そのまま駆け足で医務室へと運ぶ。
それに続くように、魔王さまを抱えたロベルトも医務室に向かって駆け出していった。
一体、何が起きたのか。
何もわからないまま、魔王城は混乱に包まれたのだった。
遅くなって申し訳ありません。
このままでは完結に年どころか数十年かかってしまいます…。
何とかペースを上げて頑張ります。