魔王はこの世の地獄を知る
どうぞ、よろしくお願いいたします。
長い。
なんだこの長すぎる時間は。
昨日の夜、嫁は産気づいた。
子供など、すぐにポコーンとうまれると思っていたが、そうではなかった。
嫁はうんうんとうなり続け、腰が痛い、おなかが痛い、痛い痛い痛いと叫び続け、わしはその声に耐えきれず、パニックになった末に気を失った。
なんとも情けないが、愛する嫁の悲痛な声は聞いていて苦しくなったのだ。あきれ返った部下に邪魔だと一蹴され、部屋を追い出されて数時間、ついには朝になった。
治癒魔法も効かないような痛みとは何なのだ!
まぁ、使えるのはちょっとしたケガを治す程度のヒールだけだが、それでも痛みを緩和することくらいできるはずなのに。
ああ、わしは役立たずなのか。
何でもいい、無事に生まれてくれれば。
何もできないもどかしさと、辛さで再び気絶しそうになったその時。
おぎゃぁああ!
という、元気な声が城の中に響く。
「魔王様!産まれました!女の子です!」
「産まれた!?わしの子か!?」
「それ以外にあり得ません!早く行ってください!」
駆け付けた部下は、うれしい知らせのはずなのに、ものすごく暗い表情をしていた。だが、興奮しすぎたわしは、そんなことには気づかない。
バーンとドアをあけ放ち……あ。ドアが壊れたけど、まぁちょっとだから仕方ない。
ベッドに横たわり、こっちを見てほほ笑む妻と、部下に抱えられている小さな赤子。
「お……おおおお、で、でかし……いや、ありが……いや、そのおつかれさま!」
待ち望んでいた子供が生まれた。
嫁は人間なので、こういう時なんて声をかけていいのかわからなかった。
なんでも、出産時にヘマをすると、一生尻に敷かれるとか、恨まれるとか聞いた。
尻に敷かれるのはいいが、大好きな嫁に恨まれ、娘にもパパは臭いから嫌いとか言われて生きていくことを考えると、今日は失敗できないとか思っていたが、いざとなると、パニックだ。
「あなた……産まれた……わ。」
え?
あれ?
「どどどど?!え?シルフィーヌ!?」
嫌われるかなとか考えていた自分なんて、一瞬で吹っ飛んだ。
子供を産むと、かなり消耗するとは聞いていたが、なんだこれ?
ベッドの周りは、血まみれで、嫁であるシルフィーヌは真っ青な顔をしている。
「子供……は?……げ、元気?」
絞り出すような声。
「ああ、ああ、元気だとも!お前も疲れただろう!ご苦労であった!ゆっくり休むがいい!」
出産で血は出ると聞いていたが、こんなに??
床一面に血だまりができている。
お産に立ち会った部下たちは、生まれた報告以外何も話さない。
子供は、別の魔族に抱えられ、体を清められている。
「よか……った。」
シルフィーヌの手が震える。
喜びに震えてるわけではない。
こんなのを何度も見てきた。
死ぬ寸前の生き物の震えだ。
「やだ……いやだ!死ぬでない!死ぬことなど許さぬ!」
しかし、何もできない。
何が魔王だ。人間の娘1人助けられずに。
愛した女の1人も守れずに、片腹痛い。
魔王は、かなりの自己治癒能力を持っており、魔術にも長けているが、他人を回復する能力は低い。
「ゼル様がいらっしゃれば……」
侍女の1人がシルフィーヌに回復魔法をかけながら、辛そうに顔をしかめた。
悪魔神官ゼル。魔族の中で唯一最高峰の回復魔法が使えるやつだが、攻めてきた勇者の対応の為、不在なのだ。
妻の出産のために、助かるはずの魔王軍を見殺しにするわけにはいかない。
出産が大変とはいえ、起きてもない事故のために、臨月の間ずっと城に閉じ込めておくわけにもいかない。苦渋の決断だったが、こんなことになるなら、行かせなければ……。
頭の中で、いろいろなことがぐるぐると回る。
「……良いのよ、あなた。私は、幸せ、だった、わ。ありがと……う。子供を、よろしく、おねがい、しま、す……」
必死に、声を絞り出す。
真っ青な顔に浮かべる笑顔が痛々しい。
「ダメだ!せめて、せめて娘を抱いてくれ!俺は、お前と、ずっと……」
涙で前が見えない。
神でも悪魔でも誰でも良い。
助けてくれ。
俺の嫁を。シルフィーヌを助けてくれ。
彼女は、本当に不幸な娘なんだ。
貧しい村に生まれ、苦しい生活の末に両親を亡くし、奴隷になり、回復魔法の才能から教会で飼われたのち、勇者に引き渡され、私を倒すために私の所へ来たが、勇者に盾として使われ、棄てられたのだ。
そんな辛い生き様があって良いものか。
恋心を抱いていた相手に、使い捨てられたのだぞ。
もう、この子を許してやってくれ。
子供と笑い合うだけの未来を与えさせてくれ。
「奥様、どうぞ」
その腕の中に、キレイになった娘がゆっくりと置かれた。
なんと小さい。なんと可愛らしい。
私にこんな素晴らしい天使を与えてくれた彼女を、奪わないでくれ。
わしはどうなっても良い。
彼女たちを……!
「ああ、私、、の娘。魔王、、様、みてくだ、さい。可愛らしい……」
シルフィーヌの腕が力を無くし、ゆっくりと落ちる。
今、この瞬間、彼女は……
「……え?」
死んだと思った。
確実に、彼女からは死んで良い量の血が流れ出していた。
力無く手が垂れ下がろうかという瞬間にそれは起きた。
その体が金色に光り、みるみるうちに顔に生気が戻ったのだ。
「は?」
シルフィーヌは意識を失い、目は閉じているものの、スースーと規則正しい寝息を立てて眠っている。
「何が、起きた?」
「魔王様、御子様が……」
シルフィーヌが力無く手を落としかけた時、彼女が抱いていた赤子にも、異変が起こっていた。
侍女が支えているものの、手はしっかりと母親の服を掴み、全身から金色の光が溢れていた。
最初は、シルフィーヌが光に包まれてるので、巻き込まれている形かと思ったが、違う。
娘が光っているのだ。
「お前が、治癒したのか?」
娘に問うが、答えられるはずもなく、母親に抱きついたまま、ウトウトと目を閉じていた。
何故か、子供を支えていた侍女の顔色が少し悪くなっていたので、大丈夫かと問うと、何故か急激に疲れたとのことで、自室に戻って休むように促した。
娘の額に一瞬、見たくない模様が浮かんだ様に見えたが、気のせいだろう。
この金の光も、聞いたことはあるが、気のせいだろう。
そんな訳はない。
まさかコウモリの様な羽と額に二本の角を持った、立派な魔物が。
魔王の娘が、伝説の聖なる乙女なわけは……。
ないよな?
魔王さまは、ものすごく愛妻家で親バカのようです。