IF34.〜もしも優雅な朝を目指したら〜
怒涛の土曜日の次の日。日曜日になって、俺はスライムのようなどろどろになって家の床に張り付いていた。
「床暖房あったかぁい………」
ストーブオン、床暖房オン、なんていう贅沢防寒をしている俺は、リビングで溶けて間抜けな声を上げていた。
昨日は1日の疲れもあってか、夕飯を食べてサッとお風呂入って倒れこむように寝た。時間は曖昧にしか覚えてないけど、おそらく8時ごろだったらと思う。
そこからきっかり12時間、朝の8時に起きて2階に降りてきて、ストーブをつけ床暖房をつけたあと、再度床に寝転んだというわけである。
だが日曜日の8時というのは意外に早い時間で、母さんも兄も起きてきていない。
というわけで1人で堕落の限りを貪り尽くしていた。
「あぁ…………寝ようかな」
ついうとうと、としてしまう。全身が温まってきて、良い感じに眠気が襲ってきた。
確か睡魔って体温が下がる時に来るものだよな………なんで暖かい時に襲って来るんだろう………
なんて事を考えながら意識を手放そうとしてしまうが、すぐにハッとなって飛び起きる。
「い、いかんいかん!こんなだらけてたら日曜日の短い時間を無駄に消費してしまう!」
日曜日は悪魔の日だと思う。あー明日から学校かぁでもあと十数時間あるしなぁなんて事を呑気に考えていたらもう昼過ぎになっていて、気づいたら夕飯を食べている。
日曜日には俺のもう一方の人格が顔を出すのだろうか?…………収まれ、収まれもう1人の俺………!
まあいないんだけど。
「どっか行った方がいいよなぁ………」
と1人でぼやくものの、朝8時となるとどこも開店準備中なんだよなぁ…………
とりあえず、朝ごはんを食べなくてはいけない。
朝食にパンを食べてもいいが、せっかくの日曜日。優雅な朝を過ごしたい気持ちになってしまう。
「近くの喫茶店でもいくか」
んん、と伸びをして、はぁ、とため息をつくと幾分か目が覚めて、着替える気になった。
冬用のパジャマを脱ぎ捨て、女の子になって初めて買ったパーカーを着て、母のジーパンを借りて靴を履く。
一連の動作が手馴れたものになっていくことに一抹の不安を覚えながらも、財布を持って家を出る。
ちなみに、リビングに『喫茶店にモーニングに行ってきます。探さないでください』って書き置きを残しておいたから心配することはないだろう。
外へ出ると、春の冷たい風が頬を吹き付ける。
寒っ、と思って頬を触ると、プニプニなのに確かに頬を跳ね返す極上の感覚と共に、皮膚の冷たさが直に手に伝わってきた。
やっぱり寒いなぁ…………
そう思いながら、手を口元に持って行って、はあはあと息を吐き温めながら歩く。
寒いながらも確かな太陽の陽気を感じながらとことこと歩いていくと、家からそう遠くはない喫茶店に着いた。
うちの学区の人達はみんな喫茶店と聞いたら真っ先にここを思い浮かべるくらい馴染みの店だった。
からんからん、という軽いベルの音を聞き、あぁいつものだと少し安心して勝手に席に座る。
ここには来慣れたもので、勝手に席に座ればおしぼりとお水を持ってきてくれることを知っている。
さすが常連、なんでも知ってるぜ………いつものって言ってみようかな、やめようかな………
って、今俺女の子だった!(てへぺろ)
……………笑えねーよ。
「ご注文はお決まりで?」
近くに店長さんが寄ってきて、注文を聞いてくる。
いくらうちの学区御用達だからといって、そうそう毎日たくさんの人が来るわけではないから、店長は1人で店を回しているのだ。
それでもなかなか落ち着く良い空間になっている。
「えっと、モーニングセットでカフェオレ」
「かしこまりました」
そう言って店長は微笑をたたえて帰っていた。
うむ、いい雰囲気だ。一方の窓からしか入ってこない日の光も、程よく店内を照らしていて温かみがある。
実は俺は、仄暗い空間が広がっている奥側の席も落ち着けるから結構好きなのだ。
雰囲気を作るためか、店内の照明は薄暗く客のいないテーブルを照らしている。
しかも今日は他にお客さんがいないから、ほぼ貸切状態だ。落ち着く、このままここに住みたいくらいだ…………
とここでもだらけていると、ドアの方からカランコロンと控えめな鈴の音がなった。
振り向くとそこには―――――
「奏太!?」
あいつは俺の幼馴染で一時期俺と一緒に学校に通ってた、高松奏太じゃないか!ちなみに俺が女になってからというものめっきり朝は来なくなった。
と、奏太は家族で来ているようで、家族内で「知ってる?」「いや知らない」みたいなみたいな会話がなされてるっぽい。
いや、奏太お前は知ってるだろ。前会ったろ。登校初日のときに会ったろ。なんで覚えてないんだよ。
だが俺も、読んだからには何か話さないといけない気分になるというもので、ててて、と寄って行って深くお辞儀した。
「日比野咲と申します。そこの奏太君とは、まあその、深ぁい因縁がありましてですね…………」
因縁も因縁、実はこいつにも正体を明かしているのだ。それなのに信じてくれないっていう野郎なのだ。
「えーっと、まさ…………咲さんでしたっけ?」
おいこいつ今俺のこと正樹っていいかけたぞ!?
てか「まさ」まで言って「咲」って言ったら「まささき」ってなってもうほぼ正樹やん。
「そうだよそうだよ!よく覚えてたなぁ!」
馬鹿にするような感じで奏太の背中を1発叩く。
すると、ギロッと露骨に睨んでくるから思わず固まって冷や汗をダラダラと流してしまった。
なんでこいつこんなに怖いんだよ!今まで全然そんな感じなかったのに!…………なんか悔しい!
「まあでしてね?その、少し借りてもいいですか?」
どうやら親2人と弟2人と奏太で来ていたようで、なるべく恐怖心を抑えて抑えて、努めて冷静風に言う。
内心奏太にビクビクだったが。
だってずっと睨んでくるんだもん!俺この体になって睨まれたのホント数回目だぞ!?
だが深々とお礼した甲斐あってか、奏太父母はいいよいいよと超上機嫌で了承してくれた。
2人は「とうとう奏太にも春が来たかぁ」「この子そんな気無さそうだったのにねぇ?」「てかめっちゃ可愛い子じゃん!」「ちょっとぉ、面食いねぇ!」と話していたが、なんだかあらぬ誤解を招いた気がする。
…………その時ずっと、さっきよりも酷い形相で俺を睨んでいたので俺は逃げ出すように店を後にした。
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「それで?話ってなんなんですか?」
店を出るとすぐ、半ば怒鳴るようにして奏太は言った。
少し語気が強い声にびくりとしながらも、振り向いて奏太と向き合い、返事をする。
「お前、俺のこと正樹だって完全に信用してないだろ」
言うと、奏太はあからさまにため息をついた。
「信用するわけないですよね?今日に男から女になったって話。もっとマシな嘘ついたらどうです?」
「嘘じゃないッ!!」
奏太の声が耳に届くや否や、咄嗟に叫んでいた。
「俺だって、できることならこんなこと言いたくねぇよ。けどさ、辛いんだよ!話せるなら全員に話したいよ!だけど話しても、誰も俺を俺と信じてくれないんじゃないかって……………」
最後の声は、尻すぼみになって大気に溶けた。
でも、俺の気持ちは今言った通りだ。話せるなら話して、不安を解消したい。俺の事を見てくる全員に、真実を伝えたい。
けれど、できない。言ったところで、信用されない。
そんなことはわかってるんだ。だからそれを理解した上で奏太には真実を話した。
なのに信じてくれない。余計に怖くなるのだ。
いつのまにか俯いていた顔を上げると、奏太と目があった。奏太は、いつになく真剣な顔であった。
「そりゃ信用されるわけないでしょ」
そして、残酷に真実を突きつけてくる。
「貴方が本当に正樹なのかもしれません。それはわかりました。でもね?貴方以外の周りの人間は、日比野正樹の外見の事を日比野正樹と呼んでるんです」
「…………どう言う事だよ」
聞くと、またため息をつく。
「日比野正樹の顔、体、声、それらを総合して日比野正樹だと言っているというわけです」
つまり、俺の外見だけを見て、俺を俺としているというわけだ。日比野正樹の外見だけが日比野正樹で、今の俺は別人であると、そう言っている。
「そして何より、信頼ですかね」
だがまだ奏太は止まる事なく、話を続ける。
「成長をずっと見てきた親とか友達とかによる、貴方が日比野正樹であるという信頼があれば、信用されると思うのですが………」
外見とプラスで、周りからの信頼。それが個人を特定する要素だと、続けてみせた。
奏太は一旦話を終えたかと思うと、まっすぐ俺を指差した。
「でも貴方は違う」
違う。その言葉が、脳内で反響する。
「貴方は中身を、心を日比野正樹だと言っているのです。そこに、明確なズレが生じてます」
ズレ、その言葉を聞いて、何故かしっくりきた。
確かに俺と他の人では、ズレが起きている。それも、一際大きなズレが。
「でも心と言ってもそんなものが信用できるわけがないですよね。だから言葉を変えます。今この状況で言う心っていうのは、本当は―――――」
ためを作り、もったいぶる。
そして、世界の真理を知ったような顔で、言う。
「経験、なんです」
「…………経験?」
「そうです。正樹は、正樹という人生経験が、正樹を構成しているわけですよね?その経験が、貴方の中には入っている」
「………難しく言うなよ」
あまり理解できない。経験?どういうことなんだ。
「正樹の経験、例えば僕と一緒の小学校に通っていただとか、志望校の中学入試に受かっただとか、まあそんな正樹の経験が、貴方のいう日比野正樹なんですよ」
「………だからズレが生じると?」
「そういうことです。貴方は正樹の経験、周りの人は正樹の外見をそれぞれ正樹だと認識しているせいで、理解のズレが生じてるんですよ」
そこまで言って、奏太は言葉を切った。
そして俺は、ついに言葉を発することができなかった。
「だから貴方は正樹でも、僕からすれば正樹じゃ――――」
「あれ、奏太?」
最後の奏太の言葉を待たずして、不意に、横から声がかかった。
俺も奏太も、同時に振り向く。
そこにいたのは、小学校時代の友人だった。




