IF20〜もしも体調が悪かったら〜
「あ〜ったまいてぇ…………」
大宮を遊びに誘った日の翌日。俺は、朝起きると謎の体調不良に見舞われていた。
目を覚ました瞬間に体の不調が分かった。全身の倦怠感に加えて、偏頭痛かと思うほどの頭の痛み。それに何か、下腹部が重いような錯覚を覚えていたのだ。
「熱でもあんのかなぁ………」
体調が悪い時は気分までも滅入ってしまうというもので、独り言でも言ってないと、ネガティブな気持ちに呑まれてしまいそうだった。
寝室のある3階から2回に降りて行き、薬が入っている籠の中を漁る。すると、使ってない風邪薬やら胃薬やらが入っているところに丁度紛れ込んでいた。
おそらくだが、前回使った人が適当に片付けたのだろう。
熱っぽいは熱っぽいのだが、そこまで体が熱いわけではない。少し頭はぼーっとしているが、熱はないだろう。そう思いながら、体温計を柔らかい女の子の脇で包み込む。自分の肌の柔らかさに、自分でどきりとしてしまう。
少しだけ待つ。と言っても、2分くらいである。朝のまどろみに包まれて呆けていたら、朝の時間なんてすぐに経ってしまうというもので、気がつくと体温計の音がなっていた。
寝かけていた俺の思考が、体温計の甲高い機械音によって遮られ、現世に引き戻される。
「…………36.8度か」
微熱である。この体になってまだ熱を測ったことはなかったから、平熱が何度なのかはよく分からないが、日本人ならこの体温は微熱だ。まあ、本当にこの体が日本人のものなのかは定かではないが。
だが、問題は微熱ということである。あまり学校は休みたくない。休んだ分だけ家で勉強しなくてはいけなくなるからだ。そう考えると、学校に行きたいと言えば行きたいが………
しかし、風邪とかならば、うつしてしまったり、逆に弱った体に菌が入り込んで悪化するかもしれないというハイリスクローリターンなのである。そう考えると、行きたくなくなってくる。
ただ、母さんに言ってしまうと、絶対に休めと言われる。母さんは心配性だから、こんな体になってしかも体調までも悪いのであれば、心配しないわけがない。
あまり心配かけたくないのだが…………
と、そんな俺の後ろから、階段を降りてくる音が聞こえた。
…………やばい、ど、どうにかこの状況を隠さなくては!
体温計を箱に入れ、急いで薬入れの中にしまったところで、足音が止まり、台所の床の軋む音が聞こえたので、ゆっくり振り返る。
するとそこには母さんではなく、兄がいた。
「お、おはよう!きょ、今日は早いなぁ……は、はは」
「…………?おう」
そこにいたのは、なんともまぁ髪の毛のボリュームが増し増しの寝ぼけた男であった。
おそらく髪を乾かさずに寝たのだろう。ただでさえ天パでボリューミーな頭なのに、寝癖のせいでより一層ボリュームが増していた。それなのに、頭頂部はぺったんこなのである。なんとも奇怪な髪型であった。
だが昴は、踵を返してトイレの方は歩いて行ってしまう。全く俺には関心がない様子であった。
それにしても、昴にしては早起きである。いつも俺が出発する時に起きてくるくらいなのに、今日は母さんが起きる前から起きてきたのだ。
トイレで、水を流す音が聞こえると、ドアを閉めた昴がこちらへ帰ってきたと思うと、またもや俺の方には関心を持たず階段を上って行ってしまった。
…………いや、トイレに起きただけかい!
逆にこの時間に起きてきてニ度寝する神経が信じられないよ。と心の中で愚痴っていると、今度は重いようで軽い足音が聞こえてきた。
この階段の足音というのも、玄関の開け方と同じで誰のものかすぐに判断できる。この気だるさを感じさせるがその中に女性特有の体重の軽さを隠している足音は、ずばり、母さんである。
…………足音ソムリエ目指そうかな。
「おはよー母さん」
「………うん」
このように母さんは、朝にとても弱い。だから、今日は俺が起こしに行かなかったのに起きたので、大分元気な方だ。
そして母さんは、トイレから帰って方かと思うと、ゆっくりとパンを焼き出した。まさに、いつもの朝の光景だった。自分が女の子になった事を、忘れてしまいそうなくらいだった。
だけど、俺だけはその日常から外れてしまった人間なのだ。どれだけ周りが変わらなくても、俺だけは確実に変わっていく。
いつもの朝の光景の中、全身の気だるさとともに、1人でひっそりと恐怖を覚えるのだった。
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結局母さんには体の異常は伝えずに出てきた。外の空気でも吸えば体は楽になるだろうかと思ったが、願い叶わず、むしろ更に体調は悪化していた。
朝起きた時は頭がぼーっとして、少し痛みが気になるくらいだったが、駅に着く頃には、ガンガンと軋むような痛みが、脳を締め付けていた。
頭が働かない。思考が強制的に止められて、だけどそれに対抗しようと思えば思うほど痛くなる。
それでもなんとか踏ん張って、虚ろな思考のまま足取りもおぼつかない様子で俺は、命かながら学校に着いた。
席について無造作に荷物を置いて、うつ伏せになる。
これだけ体調が悪そうにしているというのに、誰も声をかけてくれないというのは、みんな引っ込み思案だからだろうか?
…………全く、あれだけ可愛い可愛いと騒いでおいて、結局こんな感じかよ。薄情だな…………
心の中で愚痴をたくさん言って毒素を全て吐き出そうとするが、もう結構限界が来ていた。これ以上何か考えていたら、脳がパンクして吐いてしまいそうだった。
これは多分、寝たほうがいい。本能的にそうわかる。というか、そうでもしないと、この大勢が見ている中で吐いてしまうという一生の恥を晒してしまうのである。
そうなるくらいなら、必死に起きている意味はない。
寝たほうがいい、寝たほうがいい、と心を落ち着かせるように言っていると、なんだか怠さにも似た眠気が襲ってきた。
決して心地のいいものではないが、それでも寝れるのであればその眠気に身を委ねてしまうのもいいのかもしれない。もしかしたら、寝たら治っているかもしれないし。
そんな事を考えながら、気がつくとすでに、俺は外界との繋がりをシャットアウトしていたのだった。
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俺は、夢を見ていた。なんとも心地が良くて、快適な夢だった。それだけは覚えている。
夢は記憶に残りにくいと聞くが、確かにその通りで、その時抱いた感情や考えだけはおぼろげに覚えているのだが、夢の全貌を覚えていることは少ない。
でも、そんな記憶に残らないような薄い記憶の中で、脳内で作られた楽園の中で、俺は何かをしていた。それがなんだったのかは覚えていない。
だけど、とんでもなく心地良かった。できることなら、このままここにいたいと思っていた。なぜかこの夢の中でだけ、自分が女の子になった事をを考えなくて済んだのだ。
そのせいだったのかはわからない。しかしそんな中で、俺が楽しんでいたのは確かだった。
まさに楽園と言わざるを得なかった。
そんな楽園は、なぜか目の前でヒビが入る。一度入った亀裂は、どんどん大きくなっていき、やがて世界を包み込む大きなヒビとなり、全てを破壊し尽くす。
まるで、この世界を恨んでいるかのように、一方的な力で蹂躙するのだ。
……………うるさいなぁ。
不意にそんな思いが湧いてくる。
思考が働いているというのは、結構起きている証拠だ。まだ完全に起きているとは言えないが、なんとなく現実に戻ってきた感覚はあった。
もう夢の国にいるという気はしていない。
そう思うと、急に周りが動き出したかのように、静まり返っていたはずの人達が、急にうるさくなる。
そのせいか、なんとなく皆んなが何を言っているかが聞こえてくる。
だか、なんて言ってるかはまだ理解できない。音は聞き取れるが、何を言っているのかはわからない。おそらく何かを見て騒いでいるのだと思うが…………
耳を澄ます。澄ませば澄ますほど意識が覚醒していき、外の音がはっきり聞こえてくる。
「なんか、ヤバくね!?」「うおぉ、結構グロい!」「てかこれ先生呼ばなくていいの?」「あホントだ、呼びに行ってくるわ!!」
誰かが怪我をしたのだろうか?先生を呼びに行くくらいだから、結構なものなのだろう。
しかしここまで騒がしくて、こうまで起きてしまうと、うつ伏せになっている意味はない。ただ真っ暗な中にいるだけだ。それなら本でも読んだ方がいい。
そう思って起き上がる。まだ少し瞼が重いような感覚がしたが、それでも少し待ってれば完全に目がさめるだろう。
それに、体のだるさも少し軽減されたような気がする。割れるように痛かった頭も、少し痛いものの、なんだか違和感があるだけである。
目をこすって、欠伸をする。すると、外の世界の景色が、鮮明に視界に入ってくる。
視界が明瞭になる。するとなぜか、大勢の生徒がこちらを見ているのが分かった。
キョロキョロと周りを見渡すと、教室内は勿論、窓の外からもうちのクラスを覗き込む生徒が多数。
昨日もこんな感じだったけど、明らかに目が違う。皆んなが皆んな目を見開いて、固まっているのだ。
いや正確にいうと、騒がしいのは変わらないのだが、なんだか皆んな俺の方を見て騒いでいるのだ。
わけもわからず辺りを見渡していると、ガラガラ、と教室のドアが開いて、先生が数名入ってきた。
そして一目散に俺のもとに駆け寄る。
「………っ!だ、大丈夫!?ど、どこか痛いところはある!?どうしたの?誰かにやられたの!?」
「え、あ、はぁ………?大丈夫、ですけど?」
すごい慌てようで心配そうに俺の方を見ている。やっぱりどこか怪我したのは、俺だったのか。だがそれにしては体の異常ははない。
こういう時くるのは、偉そうなおじさんの先生ばかりかと思ったが、なんだか若い女の先生までも来ている。それどころか、結構な数の先生が来て、しかも雑巾を持っているのだ。
「ど、どうしたんですか?」
戸惑いながらも聞くと、
「き、気づいてないの!?」
と、とんでもない驚きで帰ってきた。
皆んなざわざわしている。それも俺の方を見て。
なんなのだろうか。俺が何かしたのだろうか。
何気なしに下を向く。
するとなぜか俺の下半身は、真っ赤に染まっていたのだ。




