乳母と守役
やっと第一話の後の話に到達です。
「ははうえさまぁ、さらばにござりまするぅ」
甲斐姫は、徐々に小さくなっていく馬上の母に向かって、その小さな体からは信じられないほどの大きな声で別れの言葉を絞り出した。
顔をくしゃくしゃにしながら、しかし母との約束を守り決して泣くことなく、無理に笑顔を作って母に向かって手を振り続けた。
信乃達が小さくなるにつれ、見送りの人々は去っていく。しかし、甲斐は、母の見送りをやめない。氏長に人々が耳打ちした後、去っていくが、甲斐姫は、氏長の手と袴をしっかり握り続ける。それに答えて、氏長は、甲斐姫の手を握り返した。甲斐姫が母のが見えなくなり、悲しげに下を向いたのを見て、氏長は、甲斐姫を抱え、信乃達が見えるようにする。抱えあげられた甲斐姫は、氏長の顔を見上げて微笑み、そのあと、母が去っていく方向をまた見つめつづける。
ほとんどの見送りの人々が去り、信乃たちのすがたは、更に遠く小さくなる。甲斐姫を抱えた氏長が、信乃たちに背を向けて歩きだす。母を見送ることが終わったのだと思った甲斐姫は、氏長の腕の中でも泣き出した。
「甲斐、泣くな。」
氏長の言葉を聞いても、甲斐姫の鳴き声は強くなっていく。
本丸の奥向きに行くと思われた氏長は甲斐姫を抱えながら、城門の上の櫓に上がる。
わずかに残る供のものたちは、そのようすに驚くが、速やかに付き従い、北門の櫓に登り、氏長と甲斐姫を守る。
櫓門の上に登った氏長が甲斐姫に再度声をかける。
「甲斐、顔を上げよ。母と別れる時は笑顔を見せるのであろう?」
父の言葉を聞いて、最初はポカンとして父の顔を見上げる。氏長が甲斐姫の顔をみて微笑み、顎で城門の外を指し示す。
甲斐姫も城門の外をみて、小さく小さく見える母達に気づく。
「ははうえさまぁ、さらばにござりまするぅ」
先程の別れの言葉を絞り出したは無理に作った笑顔の甲斐姫であったが、今度は満面の笑顔で、母に向かって別れの言葉をふたたび、伝えた。
甲斐姫と氏長には、信乃が振り返り最後に手を振っていたように見えた。
「ちちうえ、甲斐はなかずに、泣かずに、ははうえにおわかれをいえました。」
「甲斐、えらかった、えらかったぞ。」
甲斐姫を抱いたまま、櫓門から氏長とその供回りのもの達が降りていく。
氏長は、櫓門を降りた後、甲斐姫を一度下ろそうとしたが、甲斐姫が泣くのを堪えていることに気づき、そのまま本丸まで抱いていくことにした。そして、供回りのものどもを必要最低限の小姓一人とした。
「甲斐、もうよい、もう泣いてもよい」
「ちぃちぃうえぇ」
氏長の言葉を聞いて、幼子にも関わらず無理に感情を圧し殺していた甲斐だったが、ついに泣き出した。
最初は声を上げて、そして、徐々にしくしくと泣き続ける甲斐。その甲斐姫をいとおしく胸に抱きながら、氏長は本丸まで歩いていく。
供の小姓は、甲斐姫の泣き声に気づいているが、喪失感に包まれる二人の歩く姿を半歩下がって何も言わずにただ伏し目がちについていく。
本丸の広間の手前に差し掛かったときには、泣きつかれてしまったのだろうか、甲斐姫からは鳴き声でなく寝息が聞こえていた。
「殿、如何いたしましょう?」
「甲斐をこのまま、奥向きにつれていく。甲斐が起きたあとになるが、当初とは予定を変えて、奥で顔合わせとするから、赤城の前と黒木丹波に奥に出向くよう伝えてくれ」
本当は、乳母と言うか守役というかとして呼ばれた赤城の前と甲斐姫の対面まで書く予定でしたが、上書き保存がうまく行かず、消えちまいましたので、その前の保存してあるところまでとしました。
歴史小説好きな方、ブックマークしていただけたら幸いです。
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