甲斐と信乃
今回は、甲斐と信乃の別れに向けて、最後の刻を過ごす親子の話です。
よくる朝、信乃は、甲斐姫を乳母と共に自室に呼び出した。
甲斐姫も、幼少とはいえ、最近の城内のただならぬ雰囲気は気づいている。
普段なら母に会える喜び、甘えられる機会にうきうきしているのだか、今日は心なしか緊張しているのが見てとれる。
「母上さま、甲斐、参りました。」
「甲斐、本日は母とともにすこし城外に参りましょう。」
甲斐姫の顔に母と過ごす時間への期待から緊張の色が消え、喜びの表情が広がる。しかし、周囲のものには、驚きがひろがり、すこしざわつく。
当然である。信乃が甲斐姫を連れて由良領内に走る可能性もあるのだ。信乃も周囲に緊張が走るだろうことは充分承知である。そして言葉を続ける。
「殿には昨晩話してあります。それにおなご衆だけで行くわけではありません。黒木丹波が同行する予定です。」
成田家の中でも、忠義第一、さらに若手の武人である黒木丹波が同行するということは、すなわち、由良領に逃げる意思がない、逃げられないということの現れである。
その言葉に周囲の人々にも静かに安堵が広がる。
「甲斐、皆のもの、さきたまの小山に参りましょう。握り飯でも持って行きましょうね。皆のもの、丹波が来るまでに準備お願いしますね。」
四半刻後、黒木丹波が奥向きに表れた。
「黒木丹波、殿の命にて、参りました。殿からは、お方さまと姫をお守りしつつ、領内視察と伺っております。して、どちらへ。」
若手第一の武を誇る黒木丹波とは言え、この微妙な時期に信乃と甲斐姫の警備同行を命じられたのである。甲斐姫の拉致など由良家からの何かしら策を警戒して声色、表情ともに硬い。
「さきたまの小山に行きたいとぞんじます。」黒木丹波の緊張を読み取り、あえて朗らかな声と明るい笑顔で信乃が伝える。
「さきたまですか‥」
黒木丹波の声にわずかにほっとした雰囲気が混じる。
さきたまの小山、今で言うさきたま古墳群、さきたま古墳公園である。
さきたま古墳群は、忍城から南東三キロほどにある。つまり、忍城から由良領内に向かって遠ざかる方向にさきたま古墳群は存在するのである。
由良領内から遠ざかれば、何かしら起こる確率は下がるし、起こったとしても対応できる、そう丹波は考えた。
「さきたまの丸墓山、頂上の桜の木を見に行きたいと存じます。」
「さきたまの小山辺りまでは、一里足らずあり申す。甲斐姫様を連れての徒歩や輿ではやや遠うござりますが、よろしいので?」
「これは異なことを。騎馬にて参るつもりです。甲斐は、私の前にのせるつもりですが、心配なら丹波の前に乗せても良いですよ。それに、万にひとつ、私が甲斐を連れて逃げようとしても、幼子との2人乗りでなおかつおなごの操る騎馬を、丹波が制しきれないなどと言うことはありますまい?」
いたずらっぽく信乃が微笑む。
「わかりました。騎馬にて参りましょう。お方さまの前に甲斐姫を乗せてください。火急のことでもないのに、それがしが、甲斐姫と同乗するは畏れ多い。」
黒木丹波は、苦笑いしながら答える。内心では、自分の武に対する自負心を上手く利用されたな‥と思っていた。
あと数日で別れる親子に二人の時間を作ってやりたいという気持ちと、もし同乗させたときにまだまだ幼子の甲斐姫をどう扱って良いか迷う気持ち、甲斐姫を同乗させた場合、信乃が単騎で逃げた場合に追うのが難しいかもしれないと言う打算そういったものも複雑に去来したことも確かである。
「して、お方さまは、騎馬は得意なので?2人乗りはなかなかに難しいかと」
「ふふ、私は妙印尼輝子の娘ですよ。兄上と同様に騎馬に弓にとあの母上から仕込まれております。騎馬の2人乗りも弟達を前にのせてやったものですよ。」
「成繁様ではなく、妙印尼どのに仕込まれたのですか‥、さすがは妙印尼どのと言うべきでしょうな…」
「お方さま、お話し中申し訳なかったありません。持参する食事ですが、輿入れの時の行器で持たせ、後から追いかけますか?」
「丹波の手のものに背負い籠で持って行ってもらいましょう。姫飯の握り飯に焼き味噌と梅干を人数分、真桑瓜を一つ二つ持っていきましょう」
「それがしと部下二名、甲斐姫にお方さまの四騎で宜しいか?おなご衆は、騎馬は厳しかろう」
「私の腰元、お藤は、騎馬も大丈夫ですよ。さすがに女手無しは私が困りますから。」
「では、五騎にて。我らは騎馬の準備をして参ります。車寄せにてお待ちしております。」
すこし後、馬乗り袴を着た信乃と信乃に手を引かれた甲斐姫、信乃から借りたと思われる色違いの馬乗り袴を着、手には弁当が入った背負い籠をもったお藤が、車寄せに表れた。
黒木丹波が自分の馬を引き、部下二名が一人二頭の馬を連れて待っている。
「お方さまとお藤どの用に馬を引いて参りました。一応、気性のおとなしい馬を選んで参りましたが‥」
「丹波、ご苦労でござります。」
部下から信乃達が乗る予定の馬の手綱を受け取り、信乃が乗るのを手伝おうとする黒木丹波であったが、丹波の手には、甲斐姫の手が預けられた。黒木丹波のわきをすり抜け、信乃は、鐙に足をかけたかと思うと、軽やかに騎乗の人となる。甲斐姫を受けるとる為に信乃が黒木丹波に腕を伸ばすが、丹波は、信乃の騎乗の見事さに見とれ、わずかに反応が遅れる。
「丹波、甲斐を。」
「は、すいません。甲斐姫さま、では、ご免。」
丹波が、騎乗の信乃に甲斐姫を渡した後、自分も騎馬の人となった。
「では、丹波、参りましょう」
「「「「はっ」」」」
信乃の声に、皆が答えるのを見て、甲斐姫が、信乃の顔を見上げて、笑顔で信乃に言う。
「まいりましょう、ははうえ」
城を出て、半里ほどは、常歩で進んだ。
甲斐姫は、馬を見たことはあっても乗ったことはない。最初は極力揺れが少なく、騎乗に慣れることを大人達が自然に選んだのだろう。
「ははうえ、おうまは、はじめは怖かったですが、高くて早くてたのしいですね」
「甲斐は、もう馬になれましたか。少しの速くしますか?」
「はい、ははうえ」
「丹波、甲斐が、馬を楽しみたいとのこと。早足で参りましょう。」
「はっ、ここから早足ですと、丸墓山まではすぐにつきますな。」
「ははうえ、さきほどよりはやいですね」
「甲斐、戦場では、この速さで弓を引きます。大きくなったら、騎馬の練習もするのですよ。」
「はい、ははうえ。甲斐もははうえのように馬に乗れるようになりまする。」
甲斐の言葉に信乃の顔がほころぶ。
「もう少しで、さきたまの小山ですよ、甲斐」
丸墓山の近くの木に馬を繋ぎ、皆で丸墓山に登る。
丸墓山は高さ18.9メートル、例え、幼子の甲斐姫がいても登り始めれば、数分ほどで頂上に着く。むしろ、母と城外を歩き回れることが楽しい為に母の手を引くような勢いで登っていく。
頂上の桜の木のもとに、六人が着く。
ちなみに、忍城が秀吉の軍勢に攻められたとき、伝説では、石田三成は、この丸墓山に陣を張ったとされる。
桜の木のもとで信乃と甲斐は、忍城を眺める。
「甲斐、ここから忍のお城が見えますよ。」
「はい、ははうえ。おいけのなかにお城があるのですね。回りには田んぼがたくさんです。」
「甲斐、成田の家は鎌倉の頃より武蔵の国に割拠し、甲斐のひいひいおじいさまの顕泰様から忍の土地を代々守って参りました。甲斐もこの土地とこの地の民を守り育てるのですよ。」
「はい、ははうえ。」
信乃が、甲斐の向きを自分の方にかえ、目線を合わせる高さまでしゃがみこんで、甲斐の目をしっかり見ながら言う
「甲斐、母は、数日後にはお城をでなければなりません。お家の事情にて父と母は離縁せねばならないのです。甲斐と離れねばならないのです。」
「ははうえ、甲斐は、ははうえと離れたくございません。ひっくひっく。」
今までの楽しい気持ちが消え、甲斐は、泣き顔になって、泣き出した。
そんな甲斐姫を何も言わず、信乃は、ただ抱き締める。桜の木のもとにただ甲斐のしゃくりあげる声が響く。
すこしばかり後、甲斐姫が落ち着いたのをみて、信乃がゆっくりと語りかける。
「甲斐、母も甲斐や氏長さまと別れたくはないのです。家の都合に振り回される、戦国の世のおなごは、悲しいけれど、それが宿命なのです。甲斐、甲斐は、成田の家を守る為にこの地で生きなさい。戦いなさい。」
「ははうえ…」
まだ甲斐姫の目には涙がたまっている。
「甲斐、今日は思うのさま、母の胸で泣きなさい。でも、別れの日には、笑顔で送り出して欲しいのです。甲斐を思い出すとき、泣き顔の甲斐を思い出すのではなく、笑顔で手を振る甲斐を思い出したいから。」
「ははうえ…」
いまいちど抱き合った親子は、声を殺して二人で、しばし、涙した。
「ははうえ、たくさんないたらお腹がすきました。弁当を食べましょう」
「そうですね、皆でご飯を食べましょう。真桑瓜も切りましょう。」
二人の様子を察し、すこし離れたところで控えていた黒木丹波以下四名の元に手を繋いだ二人が戻って来る。
手を振る甲斐の様子を察し、お藤が、背負い籠から笹で包まれた弁当を人数分取り出し、真桑瓜を懐刀で、手早く刻む。
「丹波、お藤、飯にしましょう。」
「ははうえ、外で食べる握り飯もおいしいですね。」
「そうですね、甲斐。焼き味噌やお藤の切った真桑瓜もいただきましょう。」
普段なら、地位や立場が違う6名だが、行楽の楽しさから無礼講に近い感じでワイワイ食事を楽しむ。
食事を早く食べ終わり、甲斐が遊びたくなったので、お藤と若侍が相手をしている。
「丹波、離れていても、そなたなら、聞こえていたでしょう。」
「はっ、失礼ながら警護しつつ、お二人の話を聞いておりました。」
「私は忍の地を離れますが、甲斐のこと宜しくお願いいたします。」
「は、おまかせください…と言いたいところですが、それがしでよいので?」
「若手の忠義第一、武人としての精進を怠らないそたなだから頼めるのです。今日、騎馬に乗せてみて分かりました。たぶんですが、甲斐は、私より武の才があります。あの子、武の才を伸ばしつつ、見守って欲しいのです。きっとそれが、成田家を守り育てることになると思うのです。丹波、無茶は、承知です。私からの成田家での最後のたのみです。何卒お願いします。」
「黒木丹波、お方さまの頼み、しかと承りました。甲斐姫様の武、妙印尼様に劣らぬよう、育てさせていただきます。」
「とは言え、おなごですから、肌や顔に傷はつけては成りませぬよ、フフフ。」
「さて、それがしも甲斐姫と遊んで参ります。黒木丹波を覚えてもらい、慣れてもらわねばなりませぬので」
「甲斐との大切な時間でですから、もう少ししたら、相撲草での草相撲や草笛でもいたしましょう。」
「ははうえ、由良の婆様は、弓がすごいんでしょ?」
「甲斐の婆様は、女だてらに一人半張りの弓を引いていましたよ。流鏑馬もかなり上手かったので、母もよくやらされたものです。」
「ははうえは、流鏑馬もやられるのですね」
「婆様と違い軽い弓で、ですけどね」
帰り道、五騎は、最初から早足で城まで向かった。
帰り道の甲斐姫は、母に身を預け、その温もりを身に刻むようすであった。
しかしながら、その口からは出るのは、別れの寂しさを紡ぐ言葉はなく、黒木丹波から聞いた妙印尼の武勇や母についての様々なことについての質問ばかりであった。
まるで、母との記憶を一つでも多くその小さな胸に溜め込もうとしているように。
珍しく長くなりました。二回に分けても良いかな‥とも思いましたが。あえて一気に行きました。
丸墓山古墳の頂上の桜は、60年ほど前に有志の方々が植栽したとのことですが、現状の風景を生かし、戦国な頃も生えていたことにしました。
信乃は、正式には年齢名前とも不詳ですが、由良国繁のあとに生まれ、渡瀬繁詮、長尾顕長が弟と設定しました。
お藤は、信濃、甲斐、ときて富士山から。この後の話で、活躍するかは不明です。
少しでも「面白い!」「続きが気になる」と思った方は、下の★でご評価いただけると、作品継続のモチベーションになります。
宜しくお願いします。