戦国の論理
今回は、成田氏長と信乃姫の離縁に至る経過説明です。
成田氏長と由良信乃姫の蜜月は、すなわち、成田氏と由良氏の蜜月であった。
越相同盟の破綻後も後北条氏と長尾上杉氏の間で上野の領有権をめぐって大きな戦がなければ、たとえ主家間で徐々に緊張感は高まろうとも、直ぐに離縁やいがみ合いにはならなかった。
しかし、主家に忠誠を見せる為に、成田氏長と信乃姫の周囲には二人を離縁させたがる人間が増えていったのも事実ではあった。
武蔵や上野の小名たちは、室町時代には鎌倉公方関東管領体制のもと、血縁にて繋がり、相互に安全保障をしていたのだ。
しかし、永亨の乱、結城合戦、亨徳の乱、後北条氏の台頭を経て、関東の諸家は、二大勢力に属しての長い戦乱の世に揉まれていく。
血縁による安全保障と主家への忠誠、その危ういバランスの中で続いた二人の結婚生活は、1574年遂に破綻する。
信乃姫の実家、由良家が北条方の桐生氏を攻めたのである。
桐生氏攻めは、反北条を鮮明にする行為であった。危ういバランスで続いた成田氏長と信乃姫の結婚は、この行為で決定的に破綻。
やっと二歳になった甲斐姫は、母との大切な時間を、戦国の論理により急に取り上げられるのだった。
説明文ばかりですいません。
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