家族になろうよ…、成田家の場合。
今回は、日曜日に投稿できました。
翌朝、忍城本丸御殿の表書院には、氏長と領内の内政を取り仕切る宿老の田山伯耆守、手島美作守の二名と右筆、近習らがいた。
田山の一門は、成田家が熊谷から忍城に入ったときに臣従した元国人であり、内政面で歴代当主を支える家柄である。
そして、手島美作は、父の長泰が、永禄九年に氏長から家督を取り上げ、末弟の内匠を当主にしようとしたお家騒動の際に、いち早く氏長支持を表明し、以降、氏長の信任の厚い老臣である。
婚礼の三日間でたまってしまった領内の各種の決裁を、氏長と家老格の二人を中心に、話し合い、粛々と進めていく。
ただ、内政の決裁とは別に時々思案気なを表情みせる氏長の筆がいつもと比べて遅いのを二人の家老は、気にしていた。
ほぼ、決めねばならないことが、終わったところで、手島美作守が、何気なく氏長に問いかけた。
「殿、婚礼の儀にてお疲れですかの?」
「いや、こたびは二度目でもあり、疲れるほどではなかったのだが、ちとな…」
「ちと、ともうしますと?奥方様と何か?」
二人の話を聞いていた田山伯耆守が、片眉を上げ、不安げに聞いてくる。
婚儀の直後から、新しい奥方との間に問題でもあったのではないかと二人の家老は考えていたのだ。
もし、そうなら、世継ぎのことや、北条の子息が養子に入った太田家との関係などにも影響が出るかもしれないからである。
「いや、縫とのことは、問題がない…」
「それなら、ようございました。はじめての晩ですからな、いろいろ疲れましたのでしょうよ。」
老臣二人は、やや艶ののった笑顔で、うんうんとうなずき合う。
右筆や近習達は、少し困った感じで目配せするか、気づかない振りをしている。
「お主ら、からかうでない、その、なんだ、縫との床のことは、問題ではない。困っているのは、甲斐のことよ。」
「甲斐姫のことですか?なんぞ、問題でもありましたか?」
「婚儀の後、少し時間があったのでな、甲斐の様子見を見に行ったのだが、そこで、甲斐に『母は、由良帰った信乃だけ』という感じのことを言われてな…」
「甲斐姫様には、此度の婚儀のことお伝えしていたので?」
「ああ、小田原から帰った後、皆に婚儀について評定の場で諮った後と、婚儀の前に話しをした。」
「うむ、殿から二度も話してあるのならば、問題ないと存じますな。」と、田山伯耆は、頷いた。
「いやいや、田山殿、幼子ですから、お家のためと理詰めで話しても無理でありましようよ。子は母のことを忘れえぬものですぞ。甲斐姫様は、信乃殿と別れてまだそれほど月日がたっておりませぬ。そこで、継母があらわれても、すぐには受け入れられぬのでしょうよ。」
「美作の言うことも道理よな。甲斐が縫のことを受け入れられるようにせねばな。」
「我ら男どもには、すぐに良い知恵は出ませんので、甲斐姫の守役である酒巻のところの、えぇ、赤城の前殿に知恵を借りるが良いのでは無いですかな。」
「さよう、亀の甲より年の功、赤城の前どのなら、甲斐姫の気性も多少なりともわかっているでしょうからな。」
「そうだな、美作、伯耆。政だけでなく、甲斐のことも相談にのってくれて、ありがたいことだ。そなたらのいうとおり、午後は、赤城の前に会って相談するとしよう。」
「では、残りの書類仕事を片付けてしまいましょう。」
「うむうむ。」
三人の話で止まっていた書類仕事が、進み始めたのを見て、右筆らは、ほっとするのであった。
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後刻、奥書院に氏長は甲斐姫の守役の赤城の前を呼んだ。
「赤城、昨日、甲斐と話したのを聞いたと思うが、やはり甲斐はまだ縫のことを母とは思えぬ様子か?」
「氏長様、甲斐姫様が縫様に何度あったとお思いですか?婚儀の前に一度と婚儀の最中にあっただけですよ。しかも婚儀の最中は成田の一の姫として、家臣らの前で座っていただけ。縫様と甲斐姫様がまともに話したのは、婚儀の前のあいさつの時のみです。それですら、本当に挨拶以外は名前や歳を縫様が聞かれたのに答えただけです。名目上は既に義理の母と娘でございますが、まだまだ赤の他人にございますよ。」
「幼子には、お家の都合など道理を話しても意味がないと豊嶋美作にもいわれてな。いかがすればよいと思う。」
「まずは、縫様と甲斐姫様が二人で過ごす時間をおつくりくださいませ。」
「儂を入れた三人ではだめか?」
「氏長様がいては、甲斐姫様は氏長様の後ろに隠れてしまうのは必定。それは悪手にございますよ、氏長様。」
「う~む、確かにそうなりそうだのぉ。さすれば、二人の間を近くするような策はないか、赤城。」
「縫様への城内の案内を甲斐姫様より今一度させてはいかがでしょうか?」
「それでは、一度きりよな」と考え込む氏長。
「もうひとつ、策がございます。縫様は、犬がお好きで、わざわざ寿能城より数匹犬をお連れとか。昨日も、本丸の庭で犬が吠えておった様子。縫様のお連れの犬は、太田三楽斉が仕込みで、とても賢い犬どもとか。縫様がいれば、かみつくような真似はいたしますまい。せっかくですから甲斐姫様と動物に触れ合わせるのもよろしいかと。」
「縫と甲斐で犬の散歩でもしながら、仲良くなるのを待てということか…」
「はい、縫様は婚礼の日にも犬の世話していたとか。ともに犬の世話をしていれば自ずとお二方の間の壁はなくなりましょう。」
「うむ、あいわかった。縫には今晩、儂から話しておく。甲斐には赤城から教育の一環で犬の世話をすることになったと話してくれるか?」
「承りましてございます。それと…」
「それとなんだ、赤城。褒美でも欲しいか。ん?」
「いえ、褒美ではなく…。言いにくいのですが、縫様との床のことでございます。今しばらくは、あまり頑張りすぎないよう。」
「床のこともか?」
「女子は、子ができれば、自分の子を慈しむもの。聡明と伝え聞く縫様とて、お子ができれば、甲斐姫様に気を使うこともできますまい。縫様と甲斐様が仲良うなられるまでは、次のお子を急ぐことはないほうが良いかと。」
「そんなものかの。ただ、家臣どもからは世継ぎを早くといわれるでのぉ。」と氏長は、眉間に少ししわを寄せ顎をさすりながら答えた。
赤城も出すぎた真似をしているのは、重々承知している。すこし下がって平伏し、一度頭を畳につけるほど下げた後、氏長の顔を見据えていう。
「お世継ぎの大切さは赤城も存じております。ただ、すこしばかり急がず、お願い申し上げます。」
氏長とて、愚かではない。まだ守役となって1年ほどしかたっていないにもかかわらず、赤城の甲斐姫を思う赤心はわかる。この先のお家の融和に心を砕いてくれていることもだ。
「赤城、この氏長だけでなく、甲斐のことも併せ、二代で世話をかける。そなたの言葉、胸に留め置く。」
すこし表情を柔らかくして、氏長は答えた。
「ありがたく存じます。では、甲斐姫様にすこしお話してきます。」
ほっとたような表情を一瞬みせ、そういって、赤城は奥書院を足早に後にした。
氏長は、今晩、縫にもよく話さねばな、と思うのだった
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わずかばかりのち、奥、甲斐姫の居室。
「甲斐姫様、赤城でございます。入ります。」
「赤城、どこに行っていたのですか?」
「氏長様に呼ばれて少しお話を。」
「父上はなんぞ、申しておりましたか。」
「縫様と甲斐姫様がなかようしてほしいと。」
「父上の言いたいことは甲斐とてわかります。でも、母上は由良にかえった母上だけです。」甲斐姫はすこし口をとがらせて、すねたように言う。
「氏長様から、明日、縫様に今一度、城内を案内せよともいわれました。」
「赤城、お役目ごくろうです。」
「いえ、赤城ではなく、甲斐姫さまが、ご案内申し上げるのです。」
「わ、私がですか!いやです。それに城内のすべてを知っているわけではありません。赤城がやってください。」かぶりを振りながら、すこし慌てて、しかし、確実に拒否の言葉が甲斐姫の口から出てくる
「もちろん、甲斐姫様だけで行うのではありません、私やお藤も一緒に行きます。」
「でも…」
「甲斐姫様は成田の一の姫でございます。氏長様が、小田原に向かう際、甲斐姫様が奥向きを取り仕切られよと仰せられたのをお忘れか?」
「忘れてはございません。でも、今は、父上もおられるし、縫さまもこられたのです。わたしが取り仕切ることなどございません。」最初ははっきりと言った甲斐姫だったが、自分の言葉で、徐々に自信を無くしたのだろう、最後は消え入りそうな小さな声になってしまった。
「甲斐姫様、父上がご不在の間、姫様は、朝に晩にと奥を見回り、皆に声をかけていたではありませんか。立派に奥向きを取り仕切り、一の姫としての務めを果たされていました。」
「そうでよ、姫様、勝手方の女子衆も、さすがは甲斐姫様とほめておりました。」
赤城も、お藤も甲斐姫を励ますが、まだ、甲斐姫は自信なさげである。
「でも、それは、赤城やお藤が一緒に回ってくれたからです。甲斐一人ではできませんでした。」
「甲斐姫様、自信を持ちなされ。氏長様不在の間、甲斐姫様が奥向きを差配し、大きな問題が起こらなかったのは、事実。姫様が、縫様に、城内をご案内し申し上げ、奥向きを取り仕切る仕事の仕上げといたしましょう。そして最後に、縫様に今後の奥ことをお任せすればよいのですよ。」
「わかりました。仔細決まりましたら、よろしゅうお願いします。」奥向きの差配の最後の仕事と聞いて、甲斐姫はすこしやる気になった。その眼には先ほどまでの不安の色は消えていた。
赤城は、明日、縫姫に犬たちも連れてきてもらい、一緒に行けるところは言ってもらう算段にしていた。
その様子を見ながら、甲斐姫に犬の世話の話をしようと思うのだった。
次回は、甲斐姫が縫姫と犬たちを城内案内ツアーです。
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