凡夫と才媛の恋愛方程式
本を読む時間がなくて辛い。
ので、小説朗読アプリで聞いたりしてます。
1
俺はあいつが嫌いだ。
あいつにはいつも負けている。
勝てない勝負をするのは好きじゃない。
だから今回だって、本当は勝負をするつもりなんてなかったんだ。
「おやおや、偶然だね~。私も受けるんだよ、語学留学の適性試験」
学校の帰り道。
岡崎真紀にポンと肩を叩かれて、俺は心の中でため息を吐いた。
はあ、またこいつと一緒か。
そう思うと、なんだか足取りが重たくなってくる。
「勝負だね、どっちが良い点を取れるか」
「お前の中で、テストに落ちるっていう心配はないのか!」
今年の語学留学の行き先は、アメリカ、フランス、ドイツだ。
フランス語やドイツ語には疎いが、英語ならば望みがあるだろうと申し込んではみたが、真紀も同じアメリカを留学先に決めていたというのは悪い知らせだった。なぜならば、俺はいまだかつてこいつに勝ったことがないからだ。そうつまりこの展開は、ライバルがひとり増えたことに他ならないのだ。
「ん? 心配なんかしてないよ。これくらい余裕でしょ?」
「いやいや、そんなはずないだろ」
確かに、俺は英語が得意だ。
自慢ではないが、校内でもそれなりの成績を修めている。
「だけどな。語学試験受けるやつには、成績上位者しかいないんだよ」
「うん、知ってる。でも私は校内で1位しかとったことないし……」
普通の神経してる人だったら、嫌みに聞こえかねない言葉を彼女は発した。
だけど、俺は知っている。
1番であることはこいつにとって、嫌みでも自慢でもなく、当たり前のことなのだということを。
ブォンとやかましい排気音をまき散らしながらアルミバントラックが通り過ぎて行った。
日焼けした上腕に受ける風が心地よかった。
2
俺と岡崎真紀は親戚同士の関係だ。
俺とあいつの両親は仲が良くて、だから盆や正月には、真紀と一緒に過ごすことが多かった。
だけど彼女は人とはすこし異なっていた。
いわゆる万能型の天才なのだろう。
小学生の頃は、どんな競技をさせても無敵だった。
男子顔負けの運動神経と勉強能力を有していて、どんな時でも彼女が活躍しない日はなかった。
俺が真紀を本当に恐ろしいと思ったのは、スイミングスクールでのことだった。
俺は水泳を始めて数か月で、10級から1級まで飛び級に次ぐ、飛び級で合格していったのだが、彼女はその記録すらをも更新して、最短で俺と同じ級にまでたどり着いたのだ。
それだけではない。
俺の得意な競泳の自由形200mの大会で、彼女は新記録を樹立してしまったのだ。
スイミングを始めて、1年も経たないうちの快挙だった。
それ以来、俺は真紀と距離を置くようになったのだが、彼女は執拗に勝負を申し込んでくる。
今回の語学留学の試験だって、俺に対する嫌がらせなのだろう。
「あーあ、才能があるやつがうらやましいぜ」
それにしても、どうしてこいつは俺に勝負を仕掛けてくるのだろう。
勝って優越感に浸っているようにも見えないし。
もしかすると、『お前には才能がないんだよ』と暗に示しているのかもしれないな。
まったく、俺も嫌われたもんだぜ。
「そうだね、私もそう思う」
彼女に対するの当てつけのつもりだったのに、真紀は真面目な顔をして同調した。
「ふん」
俺は調子を狂わされたと空を見上げる。
ちょうど赤い夕焼けがビルの谷間に吸い込まれていくところだった。
3
学校の定期試験ならばともかく、英語検定やTOEICの試験はどれだけ英単語を覚えているかにかかっていると思う。基礎的な英文法はすでに習っているから、そこで点数を落とすことは考えにくいからだ。
俺は今回の語学留学の試験の過去問題を、英単語に絞って勉強していた。
昼夜を問わず暗記カードを持ち歩き、眠る時には英単語の聞き流しまでした。
だからそれなりに自信はある。
「テスト、開始」
英語教諭のとがった声とともに、一斉にシャーペンが紙の上をすべり始めた。
教室内の熱気がむんむんと立ち込めて、気温が急上昇していく。
「テストが終わっても寝ないようにしなさい」
教鞭をぴしりぴしりと弄んで、巡回指導をする英語教諭。
ヒールの音がすこし耳障りだった。
「見直しをして、間違いがないと思ったら、退室を許可します」
これは1番をとれるかもしれないぞ。
俺は口角を上げてしまう。
勉強の成果が出たのか、英単語の知識を詰め込んだのが功を奏したのか、すらすらと問題が解けていく。
おい、真紀。この勝負、もらったぜ!
そう心の中で快哉を叫んだ時。
信じられないことが起きてしまった。
「真紀さん。あなた、カンニングしたわね」
英語教諭のとがった声が、真紀をとらえた。
クラスが、森閑と静まり返る。
「え、そんな、誤解です」
「じゃあ、これは何かしら」
そう英語教諭は真紀の机の引き出しから、“何か”を取り出した。
それは、語学留学試験の過去問題集だった。
は?
俺は頭が真っ白になるのを感じた。
真紀が、そんなことをするはずがない。
だって、あいつは、才能があって、成績優秀で、だから、そんなことをする必要はなくて。
「おい、先生! 決めつけは良くないんじゃねーのか?」
そう席を立とうとすると、真紀が手の平をこちらに向けてきた。
待て! という意味なのだろう。
ここで起立をしてしまえば、あなたも同罪になるからと。
でも、それじゃあ、真紀は。
「何か言ったかしら? 浩平くん」
「いいえ、先生。彼は、私を庇おうとしてくれただけです。私の試験は中止で構いませんので、彼のことは見逃してください」
英語教諭は俺を一瞥したが、
「まあ、いいでしょう」と納得して、真紀を追い出してしまった。
いや、よくねーだろ。
お前はそれでいいのかよ、真紀。
語学留学するんじゃなかったのか。
俺との勝負はどうなるんだ?
4
俺の留学が決定したのは、数日が経過してからのことだった。
真紀を欠いた語学留学の試験は、俺が単独トップだったらしい。
だけど、そんなことはどうでもいい。
やっぱり真紀がいなければ、この勝利にはなんの価値もない。
「語学留学決定おめでとう。お祝いを言うのが遅くなってごめんね」
そうだ。あのカンニング事件から数か月が経過したのだ。
今となっても、それが昨日のことのように思い出せるが。
「ああ、でも、お前がいないんじゃあ、ちょっと張り合いがないな」
前はあれほど避けていたのに、こんなことになってしまうと、なぜか恋しくなってくる。
「え?」
長袖のワイシャツに風が吹きつける。
すこし肌寒い。
夕日を眺めて下校していると、月日の流れが感じられた。
「私も行くよ? アメリカ」
「は? だって試験中止になったじゃんかよ」
「ふっふー。TOEICで満点をとって先生に見せつけてやりました」
ふーん、そうなのか。
て。
いやいや、さらっとスゲーこと言ったな、こいつ。
「それで、良いって言われたのか? あの先生が、そんなことを言うか?」
「うん。もしダメなら教育委員会に通報させてもらいますって言ったら、語学留学を認めてくれたよ。適正アリってね」
「まじかよ。まったく、お前には敵わないな」
真紀はいつだって俺の斜め上を行く。
だからこそ、競い合って楽しいんだと思う。
俺もいつかこうなりたいって思えるから。
「でね、浩平に言いたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「浩平はこの前に、才能があるやつがうらやましいて言ったでしょ?」
「ああ、言ったよ」
「だけど私、思うんだけど、才能なんかなくたって、そんなの別にいいと思う」
「はあ? それはお前には才能があるからで……」
「そうじゃなくって」
彼女は俺の唇の前に、人差し指を立てて言った。
「そうやって浩平みたいに努力できることが、才能なんじゃないの?」
「なんだよ、それは」
「私、努力してる浩平が好きだよ」
「はああ?」
俺は赤面しつつ、自分に才能がないことをちょっぴり喜んでしまった。
だって、尊敬してる人に認めてもらえたんだから。
才能があったら、きっと、努力なんかしなかっただろうから。