3章-1
「ん゛あ゛あ゛ぁぁあぁぁぁ」
突如非常にだらしない声を聞かせてしまい申し訳ない。
だがどうしても許して欲しい、なにせこの世界で初めての風呂に入ったのだ。
しかもそれは沸きたて源泉かけ流し、どこぞの高級旅館を思わせるような温泉。
勿論今まで出来る限り毎日垢を落としていたが、井戸から掬った水を沸かして布で拭うだけであった。
それが垢を拭うことすら出来ない5日の旅を終え宿屋に向かうと、
鉱山の街でありながら温泉も湧き出ているというではないか。
一応スライムに表面だけ溶かして貰うということも可能だったが、
残念ながらそのままスキンシップを図られそうでまだ心の準備というか、まぁそのなんだ。
言うに言えず仕舞いである。
なので宿屋につき温泉に入れることを聞き出だすと荷物を部屋に放り出し、
温泉街で最も有名だという湯場にやってきて一人800ゴールドの入浴料を払った。
ここまでいえばわかると思うが先ほどの声は早く湯に浸かりたい気持ちを抑え垢を拭い取って、
足先からゆっくりと湯に浸かっていき肩まで湯が使った時に漏れた声だ。
だから許されて然るべき声なのだと言いたい。
「魔王さま、はしたないですよ」
あといい忘れていたが何を隠そうこの温泉では、
男女を隔てる壁がない俗にいう混浴というやつである。
「すまんなスライム、久しぶりの風呂で少し感動してな」
スライムといえば水に浸かると溶け出してしまうイメージなのだが、
コアを表面に出しその部分が浸かるように体の一部を温泉につけていた。
そんなスライムを観察していると、
「魔王さま。そんなに見つめられては恥ずかしいです」
「お、おう。すまん」
どうやら露出したコアを見られるのが恥となるらしいが、
普段透き通った体を通して見ているはず。
コアを覆う液体が服に相当するのだろうか、基準がよくわからない。
「あたいは見られるの平気だけどよ。
乙女の体をマジマジと観察するなんて魔王も隅に置けないね~、このこのっ」
と言いつつシリンは裸のままチョークスリーパーで首を締めてくる。
打ち解けていく中で分かったがスラムで子供の面倒を見ていたことからも分かる通り、
姉御肌で魔獣の血を引いているからか性に対することにおおっぴらで、
今こうして二つの山が背中で大きく主張している。
魔王になったとはいえ中身は極々普通の青年である。
そのため理性という天使と、
性欲という悪魔が互いに消し去ってしまおうと壮絶なバトルを繰り広げていたが、
「見て! タコ泳ぎ!」
急に呼ばれ声のする方を見ると多種族で使えるようプールのように深く作られている箇所があり、
そこでゴーレムが器用に手足をくねらせ泳いでいた。
そんな呆れた光景を見ていると何もかもがどうでも良くなってくる。
「はぁ……。お前ら集まれ、温泉に浸かりながら作戦会議する。
まずギルドからの依頼、これをこなさないとたとえスラムの問題が片付いても明日の食事はない。
これはスライムとゴーレムに任せる」
「はーい」
「わかりました」
「次にスラムの人たちを探し出し、場合によってはその場で救出し転移魔法を使って首都まで戻る。
連絡は伝達魔法で送る予定だ、以上質問があるやつはいるか?」
おおまかに説明し質問を受け付けると、
「はいはーい、おやつは何ゴールドですかー」
「依頼組のおやつは現地調達するように、他は」
遠足か何かと思っているゴーレムを軽くあしらい再び質問を受け付ける。
「ないようなので会議終了。作戦行動中に危険を感じた場合はすぐに撤退するように、それじゃあ解散」
解散を促すとゴーレムは再び泳ぎに行き隣に並んで温泉を堪能していたシリンが、
「魔王はさ、この世界に来る前はどんな事してたの?」
と旧魔王に転移させられる以前の事を聞いてくる。
「そうだな、親父が道具屋みたいな仕事してたから休日は手伝い。
それ以外の日は工房みたいなところでせっせとアイテム作ってたかな」
「魔王ってぐらいなんだから前世も凄いと思ったけど、あたいたちと大差ないな」
「魔王になって分かったけど、復活出来るだけで理不尽な誓約がセットであるしシリンのほうが羨ましいよ」
「そんなもんなのかねー」
「ただ階級制度なんてものはとうの昔に廃止されたし、そんな制度は良くないと思ってる。
それに今回の件はおそらく教会が黒幕だろう。
教会のトップを潰すことになるかも知れないが、そのへんシリンは思う所あるか?」
シリンを顔を見てどう思っているか聞くと、
「実はさ、本当は教会が裏で糸を引いてるんじゃないかってスラムの皆も薄々分かってるんだ。
それでも倍のお金が貰えれば生活が楽になるし、糾弾すると国そのものを相手にするかもしれない。
そんなことを思うと誰も言えなかったんだよ……」
悔しそうな表情で唇を噛んでいる。
脳をフル回転さえ以前の世界で学生時代にインドのカースト制など学んだ事を思い出すが、
結局のところ知識だけで実際に直面したことがない。
だからどうすればいいか分からないと言い訳はしたくはない、
けどどうしたら良いかなんて分からない。
だがそんなことはどうでもいい、自分は魔王なのだから。
「今更だけど俺が誰だか分かるか?」
「んー、ひょろくて年下で甲斐性のない男の子かな」
「そんな風に見えてたのか……」
少しは頼りになる男に見えていると自負していたが子供扱いされた挙句、
ガックリといった格好をしている自分にシリンは指を指してケラケラと笑っていた。
「まぁ、それでも俺は魔王。
しかも正式な継承もなく、たった紙切れ一枚で魔王になったペーパー魔王とでも言うのかな。
そんな右も左もわからないような俺でもさ、
半月も魔王として過ごすと自分の中で俺の魔王像ってのが出来上がるものだよね。
その理想とする魔王は言っているんだ。
世界征服なんてものは小事は大事、
一国の制度ぐらい征服しないようではダメだってな」
言ってて恥ずかしくなったのでさっさと切り上げ湯から上がり、
先に一人宿へと戻っていった。
「さ、てと。それじゃスライムとゴーレムはきのこ採集を頼む。
何かあったら伝達の魔法で声を掛けるから安心していってくれ」
「魔王さまもお気をつけてくださいね」
硫黄の匂いが微かに臭う宿の前でスライム達を見送った。
旅の途中酷い雨に見舞われたが今日は幸いにして雲一つない晴天である。
しかも、だ。今まで女性といえど魔物だったためそれほど意識していなかったが、
今日に限って言えば殆ど人間のシリンと二人で行動であり、いつも以上に気合が入る。
「俺は早速ギルドの方で情報を集めてこようと思う、シリンは住民から情報収集を頼めるか?」
「情報収集はあたいの十八番ね。任せといて」
そういうと颯爽とその場を立ち去りおみやげ屋などが並ぶ人の多い道へ向け走っていった。
「よーし、今日中に終わるよう頑張りますか」
こうしてギルドの方に足を運んでみたり労働者がいそうな酒場で聞きこみをしたりと、
考えれるだけの場所で聞き込みしたがこれといった情報は得られなかった。
唯一それらしい情報といえば、街に入ってくる半魔獣はいても出て行く所を見た人はいないぐらいである。
『おーい、どうだ何か情報をつかめたか? こっちはさっぱり何も掴めやしない』
『これが伝達の魔法かい、なんだかこそばゆい感じだね。
情報の方はそれなりに集まったよ』
『なら昼飯ついでに情報を持ち寄ろう、昨日食べた飯屋に集合な』
『分かった』
定食屋で落ち合う事にしたので先に店に入り、
昨日どちらにしようか悩んだ挙句マルムイ貝のステーキ定食にしたのだが、
今日はオススメ日替わり定食にしようか、
それとも食べそこねたカロッセ牛と温泉卵のすき焼き風定食にしようか悩んでいる。
昨日食べたマルムイ貝は歯ごたえが強いものの縦に身が避ける性質があるのか縦に噛むと避け、
横にして噛むと噛みきれずその代わり貝とは思えないジューシーな貝汁が溢れ出てくる。
その貝を1つ丸々ステーキにした手のひらより大きい貝は素晴らしく美味しかった。
ステーキの付け合せの野菜も拘っていたらしく元の世界とあまり変わらない野菜だったが、
野菜そのものが持つ甘みが噛めば噛むほど染み出してきた。
おそらく火山灰の土壌により栄養が豊富なのだろう、今まで食べた野菜の中で最も美味しかった。
今日はその野菜をメインとした鍋料理にしようか、
それら美味しい料理を作るシェフオススメの定食にしようか非常に難しい選択である。
「や、魔王もう注文してる?」
メニュー表から目を離し見上げるとシリンがいた。
「いや、まだだが」
「店員さーん、日替わり二つー」
「あいよー」
メニュー片手に数十分は格闘していたのだが、あっさりと決まってしまった。
今までの苦労は一体何だったのだろうか。
「それで? 魔王の方は情報どれくらい集まったんだい?」
核心的な情報を得ているのか誇らしげな表情で返答を待っているようだ。
「酒場で仕入れたんだが街に半魔獣がポツポツやってくるらしい」
「それだけかい?」
「あぁ、そうだ」
三段笑い、フッ、フハハ、フハハハハハっていうやつだ。
それをシリンは目の前で腹を抱えやっている。
周りが何をしてるんだという目線が痛かった、
穴があれば入りたいという気持ちはおそらくこんな感じなのだろう。
「で、そんなものしか手に入らなかったのかい。魔王っていっても万能じゃないんだね」
「その通りだ、情報収集能力どころか配下に何一つ勝てそうになくて悲しいよ」
「まぁまぁ、落ち込みなさんなって。このスラム一の情報通ねーさんが全部仕入れてきたよ。
内容は教会が魔力を込める魔石の採掘を半魔獣に死ぬまでやらせてるって話さ。
場所も特定してるしここからそれほど遠くない、今からでも行けるよ」
「なら飯を食べたら偵察して場合によってはスライムたちを連れて出直そう」
情報交換が粗方済んだ所で丁度料理が運ばれてきた。
料理名はマロン魚のムニエル定食らしい。
黄色い身を持つ元の世界で見たことのない色にどこの魚か聞いたら、
源泉深くに糸をたらして一本釣りする伝統的漁。
淡水魚ならぬ熱水魚という分類なのだろうが匂いが硫黄臭いと思えばそうではなく、
一口食べると体の芯から温まるような感じと魚の身そのものがものすごく辛い。
バターで焼いているお陰で少しは辛味がマシになっているとはいえパンがなければ、
舌を出してヒーヒー言っていただろう。
それと昨日絶賛した野菜のサラダがついてきていた、
一口食べると分かる濃厚な味わいと辛さにやられた口を野菜の水分で潤す。
確かにシェフオススメの美味しい料理だが、次回こそはカロッセ牛と温泉卵のすき焼き風定食にしようと心に決めた。




