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塀の上の猫は嘘を見る

 私は猫である。

 どこか有名な猫とは違って、名前は一応ある。

 私を見かけた人間によってさまざまな呼ばれ方をするのだが、どうやら見かけから「クロ」と呼ばれることが一番多い。

 だが、それが本当の名前かと言われれば、違うような気もする。さすれば名前など無いのかもしれない。

 生まれたところは憶えていないが、どこかそこら辺、どこにでもあるような薄暗い雑木林の中だったような気がする。

 しかし、生まれたばかりの記憶など曖昧で、はっきりと言えることは少ない。あの頃の確かな記憶と言えるものは、母親からお乳をもらっていた時の温かさだ。

 その母親も今は何処へやら……。

 今の私は一人で生きている。

 私を見かけた人間どもは、どうやら私が何をしているのかと気になるらしい。

 寒い時は陽のあたるところでまったりと過ごす。長い時間太陽光にさらされながら、ゆっくりと、ゆっくりと身体が温まっていくのを感じながら横になるのは至福の時と言えよう。

 逆に、寒い時は日陰でのんびりと過ごす。太陽光を避け、ひんやりとした地面と心地よい風にあたりながら一日を過ごすのもまた至福の時なのだ。

 むしろ私が気になるのは、人間どもの方である。彼らは一日何をしているのか。

 暑い時にも寒い時にも毎日決まった時間にせっせと歩く者もいれば、所在もなく、行く宛てもなくふらついている者もいる。

 私を見かけては餌を恵んでくれる者もいれば、まるで忌み嫌うように避ける者もいる。

 健やかな笑顔を浮かべる者、苦痛にゆがんだ顔、無気力に遠くを見つめている表情。

 彼らは実にいろいろな表情を見せてくれる。

 これは私を含めた猫には無いものだ。

 私は一日何をしているのか、と言ったが、もしかしたら人間どもの見せる表情を眺めているのかもしれない。

 そして、最近少し気になったことがある。

 彼らの表情に一瞬「陰」が見える事があるのだ。

 どんなに楽しそうにしている人でも、人生を謳歌していそうな人でも、ふと一人になった時に疲れたような、参ったとも言いたげな表情なのである。私にはそれがその人間の陰に見えてとても気になるのだ。

 その陰は人間を飲み込むのだろうか。

 私はその行方が気になって、人間どもの生活を覗いてみることにしたのだ。

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