店名とアイドルの憧れ
「ごめん、ごめん。少し道に迷っちゃって」
多分少しってもんじゃない。時刻は午前0時30分ごろ。とうの前に「ふりー」は閉店時間を過ぎている(それ以前に今日は休業日であったため、閉店時間もないのだが)。会場前でモカさんに会ったのは午後9時ごろ、どう迷った結果なのだろうか?
「相変わらずね。方向音痴だけは」
そりゃ、イヴさんだってパーティーから帰ってきたばかりでこの時間まで起きているからな。いつもならコーヒー飲んで、どこかの株価を......、って、あ。起きているな。
「それで、月が帰ってきてないってどういうこと?一応明日営業日だけど、なんも準備してないみたいだし」
「それがさっきから電話に出ないんですよ。もしかして、新楽さんも方向音痴だったりします?」
いやいや、それはないだろ。あいつ地図にない島いったことあるとか言っていたし。下手すりゃ世界地図が頭に入っている可能性だってある。
「まあいっか! 來野くん、ブレンド!」
前来ていたときにも説明したよな、『この店ブレンドない』って。まあ、前回と同じブレンドにするか。
「それにしても、まだ店名変えてなかったんだ・・・。手違いで店名決まっちゃったのに」
「ふーん、そうでしたか......、って、え!?」
手違いで店名が決まった?そんな話聞いた事ないけど?
「開店時からそれなりに人気があったからね。前はケーキが、今はコーヒーが名物。いろいろメディアに取り上げられるようになると、なかなか変更できないのよ」
「ちょっと待ってください! どういう手違いで今の店名になったんですか?」
二人とも苦笑いして目を逸らした。何があったの。
「あれはお店の営業許可を取得するためのことなんだけど、本当は英語で『FREE』の予定だったんだけど、間違って平仮名で『ふりー」って書いちゃって・・・」
それはどんな手違いでしょうか?ただの書き間違いにしか思えませんけど?
「それを私がそのまま役所に出してしまってね、気付いたのはそのあと。ちょうど他の書類に手をつけ始めたばかりだったから変更するより、もうこっちにしようって話になったってわけ」
イヴさんらしくないミスだな。たしかこの店始めて6,7年は経つっけ?イヴさんもこういう手違いがあったんだな、今からじゃ想像も出来ない。
「でも、なんかうれしいなー。憧れのバリスタのコーヒーをこの喫茶店で飲むなんて、あのときは考えもしなかったよ」
不意にモカさんがコーヒーカップの中の黒を見つめだした。
「私ね、ここでバリスタをやっていたのは下積み時代の生活資金を作るためでもあったんだけど、ある雑誌でね、洵くんが紹介されているものがあってね、それでなりたいなーってね」
まあ、なりたいって思ってなれる世界ではあるが、俺が来る前でも「ふりー」のコーヒーは結構評判は良かったはず・・・。それを考えると凄いかもな。
「確かあの時の見出しは『欧州で活躍する少年バリスタ!!』だったかな? 凄くかっこいいって思ってね、イヴが喫茶店を始めるって言うから無理言ってバリスタにさせてもらったんだ」
「最初は他から引き抜こうって思っていたけど、モカがうるさくてね」
モカさんの強引さ、恐るべし。そしてイヴさんの財力、いつからあったんだろう?
「まあ、思い出に浸ることも出来たし、ホテルに戻りますか。そろそろマネージャーさんも怒っているだろうし」
マネージャーさんに黙って来ていたの!? そういや、前回もマネージャーさんに引っ張られて帰って言ったような......。
「それじゃあねー!」
大きくてを振り、店を後にした。芸能人は芸能人の大変さがあるんだな......。月はどこ行ったのやら......。
~1時間半後~
「はぁー。やっと帰れた~」
月が店の玄関に入るなり、倒れこんできた。月がここまで疲れるとは珍しいな。
「どうしたんですか!? ところどころ怪我もしているじゃないですか!!」
まさか、喧嘩!? おいおい、それはやめてくれよ。
「学生時代に暇潰しで道場破りしていたんだが、破った道場の門下生に出くわして特訓やらなんやらに付き合わされたんだよ! 実力は大した事ないが、数が多すぎるからさ......」
何やってんだか......。暇潰しでそんなことやるやつがいるのも驚きだが、そんなことをすれば因縁や何かが生まれるのは良く考えればわかることだろ。
「言い訳はいいから、さっさと仕込とか掃除!」
イヴさんがモップを持ってきて、月の前に転がした。うん、イヴさんは鬼だな。