《『生活する』ということ》
一通りラミスが紹介してくれた店を回り終えたアスパーンとシルファーンは、疲労をベッタリと纏わりつかせながら、最後にもう一度『銀槌』を訪ねるべく、乗合馬車を待っていた。
『ソーレンセン』のあるリンカイ地区から、南東側へ順を追い、ガイエン通りからソトボリ通りに向けて店を回っていたのだが、生活雑貨まで扱い、大抵の物が入手できそうな事からも、荷物が多くなる事を懸念してウチボリ通りにある銀槌は最後にすることにしたのだ。
思えば、それもまた誤算だったのだが、回る店ごとにラミスの紹介ということで『ご挨拶代わり』のサービスを受け、予想外に荷物が増えていたのだ。
ソトボリ通りの店を回りきったときに、一旦『踊る林檎亭』に戻って荷物を置いてきたのだが、そこで気を緩めてしまったのが拙かったのか、もう二人には、もう一回銀槌まで歩いて行く気力は残っていなかった。
すっかり陽が傾いて、夕刻を迎えつつあるバルメースは、茜色に染まった街路にそこらじゅうの店から食べ物の匂いが漂い、『これでもか!』と言わんばかりに疲れを纏った客を誘っている。
二人は銀槌の営業時間を知らなかったので、万が一を考えれば急がなければならないが、食事の誘惑は非常に気持ちの中で堪えた。
「……『林檎亭』で休憩したのは失敗だったわね」
「……同感。……せめて、何かおやつでも頼めばよかったね」
相棒の顔にも疲労が纏わりついている。
慣れない人混みや人工物ばかりの建物の並ぶ中で、精力的に活動するには、些かエネルギーが不足している。
自分でさえそう感じるのだから、自然を愛する森妖精のシルファーンには、今日という日は相当堪えている事だろう。
しかも、節約を考えた末に軽食を諦めたにも拘らず、歩いて移動する気力が足りず、結果的に乗合馬車を待っているのだから。
やがて、六頭引きで二十人近く乗れそうな乗合馬車がやってきた。
ソトボリ通りからウチボリ通りへ向けて、東を貫く『民益参道』を折れる馬車だ。
『銀槌』へ向かうには、これが一番早い。
「来たよー」
アスパーンは完全に項垂れているシルファーンの肩を叩いて起き上がらせると、御者台から降りてきた料金係に、ふたり分の代金を支払う。シルファーンの背中を押しこむように馬車に乗り込ませているところで、ふと『この馬車代で何が食べられただろう』と愚にもつかないことまで頭に浮かんでくるのを、慌てて振り払った。
片道十五CBの運賃で、帰りも乗ることになるだろうから、三十CBで計算すれば、ドーナツ一個と果汁くらいは頼めそうだ。
しかし、この二択を必ず迫られるというのは、実はとても厄介な事ではないだろうか。
――――都会では、何をするにも金が掛かる。
森に居れば果物を見つけたり、川で魚を獲ったりすれば済む話が、ここでは手に入れる時間と手間の代わりに金が掛かるのだ。その代わり、金で時間が買えることが非常に多く、果物を探したり、魚が竿にかかるのを待ったりする時間はほぼ必要ない。
コレはコレでとても凄いことではあるが、住居費の一件然り。本当に厄介な話だ。
「……今思い知った。早く何とかしないと、生活は大変だ」
「……偶然ね。あたしも今そう思ったわ」
二人、空いた座席に腰掛けて、しばし流れる街の風景を眺める。
視界の端に、何かこちらの様子を見ている視線を感じた。
視線を向けると人が居たが、特に目が合う訳でもなかったので、気のせいだと思うことにした。これだけ人が多ければ、中には何の気なしにこちらを眺めている者も居るだろうし。
ぼうっと眺めていたこともあって、幾つの停留所分を乗っていたのかは解らなくなったが、地図で見て予め丸をつけておいた停留所にたどり着いたので、御者にノックをして降りる事にした。
正直な所、歩くよりも相当早い。
「まぁ、気を取り直していこうか」
「そうね。頑張りましょう」
馬車を降りてひとつ、大きく伸びをしてシルファーンに微笑む。
微笑む事で何処か前向きになれるような気がした。
シルファーンも気合を入れなおしたのか、大きく深呼吸すると、微笑んでくれた。
これから二人で生活していくのだ。
この街のリズムにも慣れなければならないのだから、何も始まっていないうちから疲れ果てるのは、まだかなり早いではないか。