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《王都 ~バルメース~》

(…………あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ)

 アスパーン・メリスは閉口していた。

 田舎育ちのアスパーンにとって、到着して僅か数分にしてバルメースというこの大都会は、閉口せざるをえない場所だった。より具体的には、バルメースが人種と人間の坩堝るつぼで、数十歩も歩くうちに目まぐるしく変わる人波と風景が広がっていることに、閉口せざるを得ないのだ。

 流石はセルシアの首都といった所か。

 バルメースの街は、先の戦争に勝利し、その復興に乗り出していることもあって、活気も溢れている。

 大都会特有の、常に五感の中でいろいろな物が動いている状態は、田舎育ちのアスパーンには刺激が強く、眩暈めまいがしそうだった。

「うーわー……」

 ようやく、という感じで吐息とともに搾り出す事が出来たのは、そんな感想だった。

 この街の騒々しさは、何処か『生き馬の目を抜くような殺気めいたなにか』に満ちていて、実家のあるザイアグロスのような、『騒々しい中にも隙のない感じ』とはまた違った『未体験の領域』だ。

 五感の総てを駆使して、周囲の気配を察知することに慣れすぎているアスパーンやシルファーンの鋭敏な感覚は、大都会の中で実にあっさりと許容量を超え、『何処で何があるか解らない』ような恐怖すら覚えてしまう。

「……………………」

 未だ呻き声の一つも出ない相棒シルファーンに到っては、今にもその場でしゃがみ込みそうな具合で、いつものシャンとした凛々しい姿は欠片も残っていない。背筋はぐにゃりと前傾し、森妖精である彼女の特徴とも言える長くて先の尖った耳も、既にしおれて下がってきていた。

 もしかすると、気分でも悪いのかも知れない。

 二人とも、この都会の空気に慣れるには少々時間が掛かりそうだ。

 バルメースの北側の門から街へ入って、まだ数分にも拘らず、それは良く解ってしまった。

「……ねぇ、お二人さん、大丈夫?」

 心配そうに二人の間を飛び回るのは、風妖精のラミスだ。

 出会ったのはつい先日――――確か、十日ほど前――――で、思いもかけなかった事件に遭遇したからだ。が、アスパーンとシルファーンだけではとても困難であったであろうその事件の解決に手を貸してくれたのがこのラミスと、その相棒パートナーである草原妖精のティルトだ。

 そこからこのバルメースまで、目的地が同じだった事もあって、この四人で同行している。


 ――――とはいえ、ここからの予定はお互いに別々だ。


 折が合えば連絡を取ろうと思っているが、ティルト達は盗賊ギルドの所属で、報告する用事があるようだったし、アスパーンは仕官先を探そうと思っていた。

 だが、有り体に何処かの貴族や国への『仕官』ではなく、単純に『何でも屋』として働く可能性もある。

 仮に『仕官』できれば生活するための収入には困らないだろうが、何かと足枷も増えてくる。アスパーンには、ちと、その『足枷』を嫌わなければならない事情があった。

 実は、アスパーンの姉はこの街で割と大きな役職についており、その姉に迷惑をかけないような暮らしをする事が第一希望なのだ。

 それ故に、生活するために求める道が『仕官』なのか『何でも屋』なのか、どちらにするかは決めかねていて、決められないままバルメースまで到着してしまった。

 只、逆に言えば『姉に迷惑さえ掛からなければどちらでも構わない』という程度の話で、特に『こうしたい』というこだわりはないのだが、姉の仕事はかなり忙しいと推測されるので、余計な心配事を増やしてしまうのも、弟としては申し訳ないのだ。

 かと言って、姉の仕事に全く関わらないという事もまた、アスパーンの持っている技能的な部分からすれば不可能に近い。

 誰がどのように評しようが、『アスパーン・メリス』は結局、剣を生業なりわいにするしかない生き物なのだと、自分でも理解している。

 ついでに希望を言うのなら『仕官』と言っても、姉のように公的な仕事に就くのは真っ平なのだが、この街で剣の技能以外に大した取り得もないアスパーンが生活していく為には、やはり剣で稼げる仕事以外には存在しないだろう。

 そうなると、この街での仕事はやはり、周辺の開拓予定地域を探索し、危険な障害の排除を行うような『何でも屋』の仕事か、危険の排除のために働いている団体――――例えば憲兵隊や、衛士隊のような。それがつまり『仕官』ということになるのだろう――――に入るのが望ましい。

(……でも、今はそんな所まで気を回せる状況じゃないなぁ)

 街に入ってからこちら、怒涛のように押し寄せる様々なものに圧倒されるばかりなのに、余計な事まで考えてしまった。

 取り敢えず、出来る事から始めるしかないし、何よりも今晩泊まる所を見つけるのが先だということに気付いて、アスパーンは頭を切り替えることにした。

 今後の話や仕事の話は、落ち着く先を決めてからにした方が、考えを纏めやすいだろう。

「そのザマで大丈夫なわけ無いだろ。……まぁ、田舎者は初めて来ると大概、大はしゃぎするか、人の多さに飲まれて気分が悪くなるかのどちらかだよ。とりあえず宿でも取れよ。俺達は今、アパート借りてるんだけど、その前に泊まってた宿がある。よけりゃぁ紹介すっけど、そこでいいか?」

 魅惑的な提案をしてきたのは、アスパーンよりかなり小柄な、草原妖精だった。

 その名はティルト。先程も説明したが、ラミスの相棒だ。

 街の雰囲気に圧倒されて、答えられずにいるアスパーンとシルファーンの様子を見たティルトが溜息をついて、二人の前を歩き始めた。

 自分で言うのも何だが、ティルトが溜息をつくような理由は考えずとも解る。そのくらい自分でも『田舎者の反応』をしているとは思うが、こればかりは仕方がない。

「……宿? ティルトたちは、ギルドに行くんじゃないの?」

 既に『忘我』の領域に近いらしいシルファーンがうつろな目で訊ねる。

 確かに、落ち着き先のことを考えていたアスパーンにしてみれば『渡りに舟』の言葉だが、予想外の提案に思わず首を傾げた。

 ティルトが悪い奴ではないのは十分に理解しているが、そこまで世話焼きな印象もない。率直に言って、底意地は悪い方だと思うし、こういう提案をするときは裏があるような気さえした。

 ところが、ティルトはこちらに背を向けたまま腰に手を当てて、再び溜息をつく。

「行くよ? ……お前達が宿を確保したらな。どっちにしても、お前達は先に部屋を確保しておかないと。どんな働き口にしても、田舎じゃないんだ。行って直ぐに誰も彼もが『うちで働いてくれ。じゃぁ、今日からここに住んでくれ』なんて家まで斡旋してくれるような街じゃないぞ、ここは。それでたった今、『ハイさようなら』ってなったら、お前達、きっと何か危ない事になる。……ほぼ間違いなく。」

 ティルトは言いながら、通りを確認して道の反対側へ移動する。

 バルメースでは、馬車などが通る車道と人間が通る歩道に分かれている場所があるので、反対側に移動するのは注意が要るのだが、ティルトはその小柄さゆえの機敏さでスイスイと道を渡っていく。

 置いていかれそうになったアスパーンたちも、慌ててそれについて移動した。

「……そういうモノなのか?」

 追いついて、再びティルトに問いかける。

 アスパーンは、仕官先かギルドかに行って、住む場所を提供してもらえるよう話をすれば済む話だと思っていた。

「お前、ホントに世間知らずだな。『大きな街のギルドなら、常日頃から部屋の準備してるだろう』。でも、仮にそこまでは良かったとして、だ。これだけ大きな街になると、お前みたいな奴から、その店の金目のものを盗んで逃げようとかいう輩まで、色々入ってくるんでな。そういうことがあるなら、見ず知らずの奴にいきなり使わせるわけにはいかないだろ? 用意する側もされる側も、あらぬ疑いを掛けたくも、掛けられたくもねぇわけだし。加えて、あまり街に居ない仕事の場合は、住居費も余計に掛かるしな。だから、お前が当てにしてたような『ギルドが用意してくれる家』を使うのは、登録だけして他所の街を拠点に活動するような、『その日泊まりたいだけの奴』なんだよ。『取り敢えず今日のところは』ってなら話はそれで済むが、定住して『生活』をしたい奴には、他のやり方が必要なんだ」

「あぁ、なるほどね」

 言われてみればそうだ。

 例えば盗賊ギルド。

 登録料を支払えばギルドの構成員になる事が出来るとはいえ、『誰でも払える登録料』を貰っただけの相手にいきなり『家を使わせてくれ』と言われて『はい、いいですよ』という訳にも行かないのは、特に盗賊ならば当たり前の話だろう。第一、その家では重要なものは全く置いておけない。別途斡旋料を払って、『安全そうな住まいに関する情報』を購入するのが『筋』というものだろう。

「普通に行くなら、暫く宿で仮住まいするか、寮つきのお使いバイトで仮住まいしつつ、ギルドの『使い走り』して顔を売るのさ。そういうのならギルドが斡旋してくれるんだ。その上でお互いに定住しても良さそうな相手だと解れば、今度は改めて家を斡旋してもらう。何処のギルドでも大抵はそういう仕組みになってる。まぁ、最初に自分でアパート探して、そのまま住んじまう奴も多いけど……」

 ティルトは困ったことを思い出したように、一度頭をガシガシと掻いて、溜息をつく。

「……つぅか、俺も実際に、この間もその『使い走り』みたいなもんの筈だったのになぁ。どーしてあんな事になっちまったんだか。……まぁ、お前みたいな剣士や傭兵は、戦時中ならあまり関係ないけど。今は戦争終わったしな」

 確かに、剣士や戦士が揃う傭兵のギルドには、戦時中であれば、ティルトの言う『宿住まいをしつつ使い走り』的な仕組みは存在しない。

 いきなり寮の様な大規模住宅に放り込まれ、大部隊の一員か、実力が当初からはっきりしていれば小隊の欠員が有るところに組み込まれる仕組みになっている。

 少なくとも、常に戦争と入隊を希望する人材の両方を抱えているザイアグロスでは、そのような仕組みになっていたし、他所は違うなどと考えていなかった。

 だが、良く考えてみれば、常に兵力を確保しておく必要のある戦時中ならともかく、戦争が終わって数年も経てば、国家レベル同士で折衝を行って徐々に軍縮の流れを作り、経済の復興に力を注いでいくのは、国としてはごく自然の流れだろう。

 自国を脅かす敵がいないのに軍を増強する必要はないのだし、世間に生きている人間の殆どは『戦いたくない人』なのだから。


 ――――何より、人は物を食わずに生きていく事は出来ない。


 糧食を貪る一方の兵力など、平時は持っているだけ金の無駄というものだし、その一方で、糧食を生み出すことの出来る様々な職業は『必要不可欠』なのだ。

 戦争が終わった現状のバルメースにティルトの言う通りの仕組みが存在するのならば、ここは大人しくティルトの助言を聞いて、手順を踏んで行動するより他にはないのだろうし、そうしなければ仕事にはありつけないのだろうということは、アスパーンの頭でも良く解った。

 取り敢えず、手っ取り早く住居を確保することだけが目的なら、常に人員が必要な治安確保のための部隊を探して、そこに志願するという方法もないではないが、治安確保の部隊は『人間』を相手にする仕事の方が圧倒的に多そうなので、アスパーンとしては正直な所、あまり気の進む話ではない。

 ザイアグロスの人間であるアスパーンには『この世界』や『人間』を守るために存在するという意識が強い所為か、『人間同士』で争う事に抵抗があるのだ。

 メリス家の人間の習いとして、対人戦闘のための技術を教わっていないわけではない――――寧ろ、『人型魔族』も多く存在するので、対武器用戦闘もまた、必須技術ではある――――が、進んで人間同士で争う場所に足を突っ込むつもりも、覚悟もまだ出来ていない気がする。

 一方で、アスパーンは争いごとにおいて闘うことを躊躇すれば、必ず死が訪れる事をも良く知っている。そして、それを知っているだけに、仮に人間同士でも争う事になって『その気』になってしまえば、手を下す事に躊躇しないであろう自分の性格も、良く解っていた。

 『守る』という規範意識と、『闘う』という実質行為の間に必ず存在する、ジレンマという奴だろう。そもそも、アスパーンが人間を『守る』ために闘っていた相手は、人間ではなく魔族だったのだし。

 そんな訳で、『どうしても』という段になれば憲兵隊や衛士隊入りという決断もあるのだろうが、先述の姉の仕事との兼ね合いや自分の覚悟のことをツラツラと考えれば、そちらの世話になるのなら事前調査をしてからにしたいところだった。

「少し考えれば気付く事だけどな。尤も、お前はそういう疑問を持たない環境に居たって事だろうけど……」

「うん。ザイアグロスの場合、寮の規則はかなり厳しいみたいだけど。それにしても、住む場所に関して苦労するとは思ってもみなかった」

 ティルトの言葉をアスパーンは首肯する。

 話を聞いていたシルファーンが、ぐったりしたまま項垂れつつ、だるそうに口を開いた。

「私達、基本的に野宿でも気にならないし。決まらなくても森まで行って野宿できると思ってたわ」

 実際の所、アスパーンの認識もシルファーンと同じ程度だった。

 しかし、これほど大きな街では、仮にそのプランで行けたとしても、街と森を往復するだけでもかなりの時間が掛かるだろう。

 少なくとも、この一時間ほどは、レンガ造りの建物ばかり見ている。

 遠くに森が見えるどころか、木といえばその辺の雑草か、街路樹くらいしか見かけない。

 実際のところ、先ほどティルトが言っていた『住居費』などという言葉は、完全に思考の埒外だった。

 『住居費』ということは、『住むのに金がかかる』ということだが、ギルドや働き先で用意するものであって、金は掛からないと思っていたのだ。

 確かに、これだけ広い街で密集するように人が集まっていれば、どこかの空いている場所に勝手に家を建てて所有権を主張するというわけにも行くまい。

 或いは街の外側にならば可能なのかもしれないが、少なくとも、この一時間ばかりはレンガ造りの家ばかり見ていることを考えれば、仕事場所に近い場所に建てることが出来なければ間違いなく生活には不便になる。

 不便にならないよう、生活に便利な場所に住むには、誰かが土地に家を建てている場所を間借りして、大家に家賃を払うという事に他ならない。

 つまり、『住居費』が掛かるのが当たり前なのだ。

 確かにティルトの言う通り、考えてみれば当たり前の話だが、実家で生活したり、森で生活したりという生活をしていたアスパーンにしてみれば目から鱗の落ちるような話だった。

「この街で野宿って言ったら、宿にも入れなくて路面に転がって寝るくらいだけどな……。街の端っこにそういう奴らが住んでるスラムがあるんだけど、野宿とかしてるとそっちに追いやられるんじゃないか? 正直に言ってスラムはあまり治安が良くないし、止めといた方がいいと思うぞ」

「うん、言われるまでもなくそう思う。今は」

 アスパーンは『スラム』という単語に思わず気持ちが怯んだ。

 少なくとも、書物で読んだ限りの『スラム』という場所は、それはそれは悲惨な場所だ。

 生活する技能や環境を欠いたり失ったりした者がテントや路上で暮らす最底辺の場所だと聞いている。

 スラムが生まれる要因というのは、大都市特有の経済システムや貧富の差によるものだと知識では知っているが、話に漏れずこのバルメースも貧富の差が大きいのだろう。

 ザイアグロスにも、スラムというほどでもないが、低所得者が纏まって住んでいる下町があるが、彼らは別に住む場所が無くて野宿しているわけでもなければ、下町自体も殊更に治安が悪いわけでもない。

 寧ろ、互助的な防護機能を持っていて、そのネットワークに溶け込んでしまいさえすれば生きていくには困らないくらいだ。

「……なんか不安だなぁ。宿を取ったら少し休憩するか。メシの時にでも、少し予備知識をつけてやるよ」

 呆れたようにもう何度目にもなる溜息をついたティルトの言葉が、今日は妙に身にしみる気がした。


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