《用心棒たち》
アスパーンが異変に気付いたのは、周辺に通行人が少なくなってからだった。
時間帯の問題も有るのだろうが、場所によっては帰宅して人がまばらになる瞬間が生まれつつあった。
その瞬間の隙間を縫うように、何かを測っているような、人の意識が放つ違和感がごく僅かに漏れている。
――――『銀槌』までは、まだ少し掛かる。
全速力で走って、二分といった所か。
そこまでこの違和感を放つ者達が、自分達を見逃すようには思えなかった。
「シルファーン、気付いてる?」
傍らの相棒に問いかけると、シルファーンはアスパーンの顔を見て、首を傾げる。
「……何か有ったの?」
それから、異変を感じなかったのか首を傾げる。
「立ち止まらないでそのまま歩いて。……こっちを見てる奴らが居る」
シルファーンの感じたタイミングでは、どうやら何も感じなかったらしい。
単に体調的に問題を抱えている所為だとは思うが、森妖精の感覚の鋭さを知り、それを警戒して『意識的に』外したのだとすれば、かなりの手練かもしれない。
アスパーンとて、偶然気付いて、暫く相手に気付かれないように警戒を続けて確認したようなものなのだ。あの瞬間だけでは、如何なシルファーンとて何も感じられなくても無理はない。
「……ティルトたちが言ってた『私たちを泳がせてる人たち』の目じゃなくて?」
「どうだろう。でも、いい感じはしない」
「じゃぁ、目をつけられたって事?」
先の昼食の時、ティルトが言っていた区分で言えば、この視線は恐らく『知らずに利用する奴』だろう。
「……ティルトの奴。……誤魔化してくれるっていう話じゃないのかよ」
或いは、ティルトの言う『誤魔化し』の範囲の及ばない相手だったのかもしれない。
例えば、何処かの諸侯、或いは貴族、メリス家にエース級の戦士を奪われる傭兵団など、『この街の外の勢力』であれば、まだ候補は幾らでもある。
「まぁ、言っても始まらないわね。……『どう』する?」
「……銀槌まで入れれば、そこで事を起こすほど危険な奴じゃないかもしれないけど」
「銀槌へ行けば、何とかなる?」
「……普通の相手なら」
アスパーンの答えにシルファーンは頷くと、不自然にならない程度に、歩む足を早くする。
数々の顧客を抱え、情報の集まる量も多く、古参の店ともいえる筈の銀槌で事を起こすというのは、その店のネットワークを敵に回すという事だ。
顧客にティルトのような盗賊ギルド員がいるということは、盗賊ギルドもまた、銀槌を支援している団体の筈で、その間に上下関係がないのであれば盗賊ギルドの保護を受けている筈である。
もし、本当に『街の外の勢力』であるのなら、余程の間抜けでない限り、街そのものを敵に回しかねない行動は、慎むだろう。つまり、銀槌まで行けば安全は担保されたようなものだ。
最悪、ゼンガーに相談して、ティルトに繋ぎを取ってもらう方法もある。
だが、何故か違和感が拭えない。
――――何で、『今』なのだろう。
ここ暫く、ティルトとラミスを含めて四人で行動してきたとはいえ、『街の外の勢力』がアスパーンに手を出すのなら、街の中、しかもバルメースで行動する事自体がナンセンスだ。
それとも、敢えてバルメースであることが必要なのだろうか。
例えば、アスパーンの姉に由来するような、何か。
だとすれば、今度は逆に銀槌を敵に回す事など朝飯前なのか、それを歯牙にも掛けない実力を持っている筈だ。
そうなると新参者の立場としては、街へ来て早々、街の顔役とも言える銀槌に迷惑を掛ける訳には行かない。
「……いや、銀槌へは行けないな。……何処か場所は」
「地図、見る?」
「うん」
シルファーンが差し出した地図を確認する。
出来れば周囲の見通しは良く、一方で中央には遮蔽のある場所がいいのだが。
「近くに公園か何か」
「先刻見かけたわ。……そこでいいのね?」
「うん」
「……こっち」
シルファーンの先導に従ってアスパーンも歩き始める。
『視線』の気配がまた僅かに変わった気がした。
「アタシも今、解った。一人じゃないわね。何箇所かから気配がする」
「……え? 俺はそこまでは」
気配が気のせいでない事を理解したシルファーンは、いつの間にかその数まで把握できたらしい。やはり、先程は疲労によって彼女の感覚が若干やられていただけのようだ。
アスパーンの感じた視線の主も追いかけてきているようだが、それ以外にも誰かが追いかけてきているとは感じられなかった。
表通りから僅か一本分路地に入ると、目の前に、石畳で舗装された街の中では珍しく、緑地化された公園が姿を現す。
時間的な問題も有ってなのか、既に薄暗く、人の居る気配はなかった。
「公園に入ったらどうするの?」
「迎え撃つ。どっちにしても、俺達に出来る事ってそのくらいだし」
「……それもそうね」
シルファーンは腰のポーチから櫛と紐を取り出すと、背中まである髪を手早く一掴みに纏め、それを更に中央辺りで折りたたむ。そして、更にそれをうなじの辺りで組んで紐で括ると、輪になった部分に串を通し、捻って先端を側頭部の髪に埋める。
アスパーンにはこの程度の説明しかできないのだが、それでシルファーンの長い髪を纏めて固定できる……らしい。というか、できている。
以前訊いた所、シルファーンは剣を使うとき、汗や泥や返り血で髪が汚れると後が何かと面倒らしく、予め使うと分かっている時にはこうやって髪を纏めるようにしているそうだ。
「……お、剣を使うの?」
「用心よ。……万が一、乱戦になったらね」
シルファーンの手にしている剣には精霊を呼ぶ力があるので、戦闘になるのならいずれにしても剣は抜いておくに越した事がない。
が、シルファーン自身の言う通り、今はまだ早い。
アスパーンは、思っていたよりも広い公園の中心部の手前、広場と植樹林の境界で立ち止まった。
「……ここならいいかな」
広場の方から来る敵には対応しやすく、林の中に居る敵は分断して倒せる。
相手が『林に火を掛ける』とか、『予め罠を仕掛けてある』というのなら話は別だが、そこまでは確認のしようがないし、或る程度、妥協点の見極めは必要だ。
――――アスパーンがそんなことを考えているその間にも、こちらを追っていた何者かの気配はいよいよもってその密度を増し、既に隠す気がないであろう程の存在感を放っていた。
まるで、獲物を弱らせるまで追いかけようという狼のそれだ。
尤も、本人達は自分たちのことを『獲物を狩る狼』のつもりでいるのかもしれないが、今のところアスパーンは、特にこれといって脅威を感じてはいなかったが。
「……袋小路にでも追い込むつもりで居たのか?」
アスパーンは敢えて聞こえるようにやや大きめの声で言うと、剣の柄に手を掛けた。
背後では、シルファーンがこちらに背を向け、同じように柄に手を掛けている。
アスパーンとシルファーンはお互いに右利きのため、多少のスペースが有る場合は、背を向けあって抜剣した方が、お互いが怪我をするような『事故』が発生しにくい。それをよく知っているが故の陣形だ。
アスパーンたちを予想通りに追い込めたのか、それとも意外な場所だったのかは知りようがないが、周囲に居て姿を現していなかった気配の主たちが、アスパーンの言葉に応じるように、闇の奥から一人、二人と姿を現す。
アスパーンは相手が何者なのか、その姿から探ろうとしたが、街中を偽装するためか一様に軽装、軽武装と言える出で立ちの集団で、例えば軍隊などに見られるような『一様に同じ工房の鎧を着けている』とか、所属がわかるような物は見当たらない。まぁ、流石に、『街の外の勢力』だとしても、周到な相手ならその程度の偽装はしてくるのかもしれないが。
「俺達が見てるのに気付いてたってのか。……まだ小僧だってのに、大したもんだ」
「ちょいと、一緒に来てもらうぜ」
正面から出てきたのは二人。
同じように、背後から二人、更に奥の方に一人と、まだ遠巻きにこちらを見ているのが何人かいる。
恐らく、万が一の時の応援要請を行う要員だろう。
頭というか、指示を出しているらしい人間は見当たらない。
普通、徒党を組むにはリーダーシップを取る人間が必要で、対集団戦を想定する場合、真っ先にそいつの駆逐を考えるのが少数側のセオリーだ。
それが見当たらないという事になると、今度は別の視点が必要になってくるのだが、長くなるので今はその話は置く。
結論だけ言えば、この状況の場合は、手間の掛かる方法だが、情報を引き出しつつ片っ端から駆逐して相手の戦意を殺いでいくしかないとアスパーンは判断した。
「……何の用?」
念のため、訊ねてみる。
何か素性が知れるとは思いにくかったが、相手の反応に寄って手に入る情報も有る。
アスパーンは自分の手持ちの情報が少ない時には、こういうやり取りを『必要』と判断することにしている。
とはいえ、今のような状況の場合、助けの手が現れるより敵の増援が増える可能性のほうが高そうなので、あまり暢気に会話を楽しんでしまうと命取りになる可能性もあるが。
「なぁに、主に用があるのはそっちの姉さんの方だ。森妖精のお嬢さんは色々使い道が有る。お前さんはついでかな」
「…………つまり、物取りですか?」
何の情報も持っていない。
つまるところ、失敗だった。
正確には、『予想通り何も知らない』と確定することが出来た。
訊ねておきながら、それを感じずには居られない。
完全に物取りにしか見えないが、ティルトが言う通り『利用している』可能性がある以上、このような問答は無用だったのかもしれない。
ただ、『このようなケースが起こるのだな』という風に理解しておこうと認識する。
結果的に彼らが、ティルトが説明してくれたような『利用されているクチ』なのかどうかは、この際関係ないと思うしかない。
仮にそれを調べるにしても、それはこの後のことであって、今この場を切り抜ける助けにはならなかったのだ。
男たちは次第に輪を縮めながら、身構えるアスパーンとシルファーンの隙を窺い始める。
「シルファーン、明かりを」
「……わが友、優しき光の精霊よ、我が意に沿いて明かりを灯せ」
アスパーンの声に、シルファーンが精霊を呼び出して応える。
シルファーンの声に応え、夕方の林に差し込む光が一瞬凝固するようにポツリ、ポツリとシルファーンの手元に集まると、二つばかりの小さな光の塊となり、そのまま光源となって辺りを照らした。
今時分の明るさでも、戦うだけならば問題なかったが、仮に誘い込まれていた場合は罠があるかもしれない。それを回避する為に、明かりはあるに越した事はなかった。
「人数はこれで全員?」
念のため、訊いてみる。
木陰に隠れている人間まで把握していたが、取り敢えずそこには触れずに置く。
「さ、どうかね? そんなことより、この人数じゃお前さん二人で何したってムダだろ。痛い目見る前に武器捨てろよ」
男はアスパーンの質問には答えず、空いた片手を差し出して要求する。
こちらの意図を察したのかもしれないが、無意識の防衛行動の類かもしれない。
それでは、『痛い目』を見たくないのはどちらなのか知れたものではない。
だが、彼らが自分のリスクを減らしたい事情は良く分かる。
と、言うより、相手を制圧する際に多勢に頼る事のメリットは大きく、如何に自分が安全且つ優位に事を運ぶかということに終始すれば、逆に反撃を受ける可能性のある行動は回避するのが適策というものだ。
情報を与えない事で抵抗の可能性を排除する事が出来るのであれば、彼らにとってそれに越した事はないからだ。
尤も、現状の場合、それが意図的に行われたのか、或いは本能的なものなのかはアスパーンには判断できないが。
多勢に頼った上で情報が制御されている事を明らかにする事で、結果的に自分たちの実力を未知数にし、相手の抵抗する気力をも排除しようというのは、使い古されているが、『使い古される程度には利用されている』有効な手段である。
だが、その一方で、抵抗する側にとってもどのようにするのが相手にとって一番面倒か、というのも非常に解りやすい。
と、言うよりも、実際にはそうするより他に明確な手段がない。
簡単に言えば、派手に抵抗して見せればいいのだ。
「取り敢えず訊いとくけど、体の一部をなくしても生きていたいか、体の一部を失うくらいなら死んだ方がいいか、どっちがいい?」
「てめぇ、どっちの方が有利な立場だと思ってんだコラァッ!」
軽く脅しを掛けたアスパーンの質問に、男の一人がいきり立つ。
その腰に下げていた短剣に手を掛け、アスパーンに向かって突きつけようと間合いを詰めてきた。
(挑発に簡単に乗る程度の練度か……)
それは、アスパーンにとって『話にならない』ほどの隙だ。
アスパーンは、相手が腰に下げた短剣を抜くより早く、飛び込んできた相手が抜こうとしていた手首を、瞬時に抜剣した剣の平で強かに打った。
『バチン』と、皮を打つ音と共に男の腕が弾かれて、手を掛けていた短剣が宙を舞う。
「……こういう意味だけど?」
更に挑発。
短剣が宙を舞う間の、一瞬の沈黙。
その隙にアスパーンは自分たちを囲んでいる相手の大凡の力量を測り、隙を作らずにこちらを見ている者だけを見極めた。
――――そして、短剣が地面に落ち、刃が土に刺さる。
土と金属が衝突したときの鈍く低い音が、微かに耳朶を打った。
「うぉぁああああ!」
その音が契機になった。
相手を侮れない相手と認識したのか、それとも平静さを欠いてしまったのか、気勢と共に別の男が襲い掛かると、それを契機に、複数の男達がアスパーンとシルファーンに群がるように迫って来る。
先ほど力量を見極めた者の順に、僅かにタイミングをずらして。
同時に襲い掛かってこちらの対応を妨げようという構えだが、技量か冷静さのどちらかを持ち合わせていた者ほど、彼我の実力の違いを認識しているのが明らかだった。
「わが友、風の精霊よ!」
しかも、複数による襲撃は、アスパーンもシルファーンも慌てさせるものではない。
シルファーンが風の精霊に呼びかけると、周囲に落ちていた枝や落ち葉が舞い上がり、アスパーンとシルファーンの周りを避けて男達に纏わりつく。
葉や埃によって目晦ましを受けた男達が一瞬、視界を遮られるその間に、アスパーンとシルファーンは僅かに立ち位置を変え、突進してきた男たちを避けつつ、それぞれに剣の平で強かに顔や首筋や小手を打ち据えた。
第一陣とも言える輩は、あっさりとそれで駆逐されてくれた。
周囲に残るのは、突入を僅かに遅らせた、『見極めていた』者達のみだ。
林の影に居た気配は、先程の攻防の隙に僅かに遠ざかりつつある。
――――増援を求めに行ったのか、或いは逃げたのか。
この距離感ならば、どう立ち回るのか判断しようとしているのが正確なところだろう。
数人の気絶者を足元に放置したまま、気絶していない男たちも僅かに距離を置く。
(意外とだらしない……)
正直、気絶した奴の処分に困る。
ああは言ったものの、あくまで脅しであって本当に殺す気は更々ないのに。
だが、結果から見れば最初のハッタリは却って効き過ぎてしまったかも知れなかった。
シルファーンが額の辺りを掻いて、アスパーンに渋い顔をして見せた。
「ザイアグロスじゃないんだから、あんなハッタリはやり過ぎよ」
「……都会って、意外とヤワなのか? 実は」
反省しきりだ。
実は、アスパーンがこういった暴漢に襲われるのは初めてではない。
寧ろ、他の姉兄に較べても多かった方だと思う。
その理由は、簡単に言えば『弱い奴の方が襲いやすいから』だ。
ザイアグロスはメリス家のお膝元であるが故に、襲ってくる方にもそれなりに報復への覚悟が有った。そして、それを回避したり、駆逐したりして育ったアスパーンは、実はこの状況には結構慣れていた。
メリス家の人間を誘拐しようという輩は、人間、魔族問わず沢山居たからだ。
だが、人質として効果がないと解った近年では、大分収まっていたし、実力差を見せ付ければ帰っていく奴が殆どで、少なくとも彼らのように錯乱するほど度胸の無い奴は居なかったのだが。
「……非常に珍しいケースだ」
「……というより、初めてね。ここまで簡単なのは」
シルファーンも、アスパーンを一旦窘めはしたものの、第一陣があまりにも簡単に終わってしまったことに対しては疑問を感じているらしい。
確かに、唐突に襲ってきた上に、この体たらく。
更に、残りはそろそろ逃げ出す算段。
こんなに簡単に事が運んでいいものなのだろうか。
「……おいおい、こりゃ、ちょいと予想外だな」
シルファーンと二人首を傾げていたところに、突然背後から声を掛けられた。
アスパーンは反射的にシルファーンを抱き上げると、大きく一歩横へ跳ぶ。
――――気配を全く感じなかった。
紛れも無く、背後から急襲される事態を想定して警戒していたにも関わらず、だ。
「なるほど、いい反射神経だ。こいつらじゃ歯が立たないのも仕方ないか。……しかし、考えてたのとちょっと違ったな。容赦なく殺すもんだと思ってたが」
男がそう言って、チラリと味方の男を見る。
見られた方の男の態度に何を見たのかは解らないが、この男にはどうやら何か思うところが有るらしく、一つ溜息をついた。
新たに現れたのは、『偉丈夫』と呼んで良い体躯の男だった。
身長はアスパーンよりかなり高い。
大きくスリットの入った鎧衣を着込んでいるが、その下が金属鎧だとすると、その膂力たるやアスパーンを軽く凌ぐだろう。
何より、その鎧衣のスリットや、下から大きく柄と鞘の一部がのぞく、腰に乱暴に下がった大剣。
両手で扱うその剣はアスパーンが実家においてきた物よりもふた回りは大きく、通常の鞘に入っていては抜けないためか、スリットの入ったカバーのような特殊な鞘に納まっている。
「……気付いてた?」
「いや、全く」
シルファーンと二人、短いやり取りで確認しあう。
改めて警戒の態度を顕にしたアスパーンに対し、男が軽く手を振った。
「おいおい、状況から見て仕方ないかもしれないが、何にでも噛み付くなよ」
アスパーンは自分の気持ちが本能的にささくれ立つのを感じた。
平たく言えば、『カチンと来た』のだ。
この状況で、いきなり背後を取られて警戒するなとは、アスパーンには出来ない注文だ。
「ふざけんな! お前が親玉か!」
アスパーンは反射的に剣を向け、身構えた。
この際、通りがかりであろうが何であろうが、これほどまでに見事に不意を突かれた相手が怪しくないとは思えない。実家の方で遭っていれば、既に問答無用で斬りかかっている。そうしないだけありがたいと思って欲しいくらいだ。
「……親玉じゃなくて、用心棒みたいなもんかな。仕事を手伝ってくれと言われたから」
男は飄々とアスパーンの質問に答えると、再び足元に転がる男達に視線を移す。
「……まさか、予定外の仕事をさせられる上に、それが問答無用で拉致事件を起こすことだったとは思っていなかったが」
「り、リチャードさん」
「解ってるよ。期間を切って仕事を引き受けた以上、これも仕事ってことだろ? ……と、いうわけで」
リチャード。
そう呼ばれた男は乱暴に見えるほど適当に下げられた大剣を覆っていたカバーを外し、大剣を構える。
思っていたよりも、かなり大きな剣だ。
アスパーンの実家でも、これほど大きなものは装飾品に近い扱いだった。
下手をすると、地面に突き立ててもアスパーンの胸より高い位置まであるかもしれない。
本来、剣は槍と違い、その取り回しの良さこそが武器としての最大の利点である。
但し、剣は棒術や槍術のように『中央部分を持って振り回す』という動作が実質不可能であるが故に、サイズ大きすぎると『剣に振り回されて』しまう。
体格に対してリーチが長過ぎたり、重量があり過ぎる剣だと、振り回すときに生じる遠心力に腕力に追いつかず、『取り回しのよさ』という最大のメリットが失われてしまうのだ。
中でも、最大威力と取り回しのバランスを求められる大剣ともなれば、このサイズは破格といってもいいかもしれない。
少なくとも、アスパーンの体格では扱いきれない代物だ。
「俺個人としては、お前さんを拉致するなんて犯罪行為に手を貸すつもりはない。けど、こいつらがお前さんたちに憲兵に突き出されるのも、契約を考えれば不義理と言うものだ。だから、俺はどちらも目的が達成できないように、これからこいつらが逃げ切るくらいまで時間稼ぎをさせてもらおうと思う。お嬢さんは精霊を使うみたいだから、その精霊の探索圏外に出るまで……数分ってところかな?」
「何言ってんだよリチャードさん。手伝うって話じゃねえか。捕まえてくれよ!」
「いいからさっさと行けよ。そもそもこいつは予定外の仕事じゃないか。しかも、何の説明もせずに誘拐の手伝いをさせようとしたくせに、それはないと思うぜ? ……それに俺は『仕事を手伝う』とは言ったが、『犯罪に手を貸す』とは一言も言った覚えはない」
よろめきながら何とか体を持ち上げた一人に、リチャードは相変わらずとぼけた態度で応える。
先程倒したその男に同調する気はないが、確かに虫のいい話だ。
何より第一に、自分達を襲った男たちに『次』の機会を与える気など、アスパーンには更々ない。
(今、このタイミングでなら、反応が一歩遅れる)
アスパーンは、不意を突いて、立ち上がった男に投擲用のナイフを放った。
ナイフは狙いを過たず、正確にリチャードの隙だらけになっている手元へ、糸を引いたような軌道を描いて飛んでいく。
「おっと!」
しかし、その攻撃をあっさりとリチャードは剣で弾き飛ばした。
アスパーンの攻撃に気付いていた感じではない。
反射神経だけでアスパーンのナイフを弾いたのだ。
反応することと、反応して対応することは、完全に似て非なる行為だ。
今のは、反応した動作が完全に身に染み付いていなければ、出来ない動作だと断言できる。
(何だ、コイツ??)
違和感が拭えない。
この男が一体何者なのか、その正体は掴めないが、『侮れない』という認識だけがどんどん事実として積み重なっていくのを、アスパーンは感じていた。
「……わが友、大地の精霊よ。我が意に沿いて彼らを捕らえよ」
アスパーンが焦りを抱いたその刹那、今度はシルファーンが仕掛けた。
大地の精霊に呼びかけ、逃げようとする男達の足を捕らえようという術だ。
シルファーンの声に応えた大地の精霊が地中から手を伸ばし、男たちを拘束しようとその腕を伸ばす。
「待てって!」
しかし、リチャードは声と同時に大剣を一閃すると、剣圧を受けた地面は陥没し、シルファーンの呼びかけに応えた大地の精霊が伸ばした腕がその分、男たちから遠のく。あろうことかリチャードは、大地から伸びてくる『うねり』の様な土の塊を、剣圧だけで男たちから逸らしてのけたのだ。
驚異の視線と絶句を生み出すほどの剣圧が、風となって周囲に霧散する。
恐るべき剣圧。
(『徹し』か!?)
メリス家ではそう呼ばれている、打撃によって生まれる衝撃をコントロールする技法だ。
その威力を目の当たりにしたアスパーンに生まれた『驚愕』という一瞬の隙を契機に、男達は互いに肩を貸すようにしながら、三々五々、散り散りになって逃走を開始した。
それまで実力と情況を探って判断を保留にしていた奴らが、リチャードの圧倒的な力量を見て、戦闘に介入するよりリチャードがアスパーンを倒すか、或いはお互いが闘う間に生まれる隙を突いたほうが得だと判断したのだ。
(余計な事をっ!)
アスパーンはそれを追うべく、走り出そうとするが、リチャードが剣を大きく翻しながら大剣を構え、アスパーンを牽制した所為で、機を逸してしまった。
それにしても、出鱈目な男である。
世間にはたまにこういう出鱈目な事が通用してしまう奴が居ることを知ってはいるが、バルメースに来て直ぐに出会うとは思わなかった。
都会ならば当たり前にこういう男がいるのか、それともこの男がとてつもなく出鱈目なのかは置くとして、いずれにしてもこのリチャードという男を何とかしない限り、男達を捕らえて自分の身の安全を確保するのは難しそうだ。
これ以上の躊躇は許されない。
「邪魔をっ!」
アスパーンは気合の声と共に突進。
体ごと突きを入れるかのように構えて、それをワンフェイクにして、リチャードが迎え撃つ大剣の間合いギリギリで長柄の長剣をリチャードの小手に巻きつけるように打ち込む。
アスパーンの突きを、体をアスパーンの右手に流し、剣を自身の外側に払おうとしていたリチャードの剣先が、フェイントに引っ掛り、小手への対応が遅れて上に向いた。
剣の根元で受ける形で、しかも、完全に手首が返っている。
「……するなっ!!」
それこそが、本命。
アスパーンは剣先を、本来向かっていたルートから反時計回りに、上から回り込ませると、リチャードの大剣を掴む手の内側、右手の脈の方へ狙いを変える。
十二式(篭手内巻き)。
アスパーンの実家ではそう呼ばれていた打ち込みだ。
「ちっ!」
リチャードは舌打ちと共に、手首を強引に返してアスパーンの剣先を剣の根元で何とか受けると、不利な体勢を物ともせずアスパーンに突進してくる。
体当たりで受けるつもりだ。
「うぉおっ!!」
気合と共に飛び込んでくるその勢いは、立派な体躯もあってアスパーンの体格ではまともに受ければまず間違いなく、吹き飛ばされるだろう。
強引に手首を返した受け方も、あっさりとフェイントに引っ掛った動きも、リチャードという男には『力こそあるが技はない』。
このやり取りでアスパーンはそれを確信した。
――――但し、この男、とてつもなく『受け』が強い。
『剣術』では対応が遅れると見て、即座に選んだ方法が体当たり。
その応対の仕方で、どのような経験を積んでいるのかも読み取れた。
実戦慣れした、常に未知の敵を相手にしてきた男の戦い方だ。
しかし、アスパーンにはアスパーンのやり方がある。
体が小さい頃から大人の相手をしてきたのだから、体格的な不利など先刻承知で、その為の戦い方もまた、過信にならない程度には心得ているつもりだった。
体当たりに来る、その刹那。
それを受けるかのようにアスパーンは膝を僅かに折り、体を前に沈める。
但し、ただ受けるわけではない。
(内、もらった!)
肘を上向きに折りたたんで。
リチャードの懐に入る。
直後。
「……ぉらぁっ!!」
飛び上がるように、柄尻を突き上げる。
――――九式・突(柄打ち・突き上げ)。
本来は剣を手放さず、内懐に入られた時の為に有る技だが、アスパーンのように剣士としては体格に劣る場合、このような使い方もある。
殺さない程度に手加減はしているが、きちんと命中すれば脳震盪は免れない。
そう、きちんと命中しさえすれば。
「…………あっぶねえっ!?」
お互いに勢いが死んで、結果的に僅かに弾きあって元の間合いに戻った所で、リチャードが唾液を飲んで喉を鳴らす音がここまで聞こえた。
リチャードの右側の頬骨辺りが、五メルチ(≒センチメートル)ほどザックリ縦に裂けて、血が流れている。
しかし、行動力を奪うような一撃は避けられていた。
この男、何を考えていたのか速度を緩め、直前で避けたのだ。
「何て奴だ……」
リチャードが軽く頬を撫でて、流れた血を拭う。
だが、その台詞はこちらが言いたい。
何故あそこで速度を緩めたのか。
何か仕掛けようとしていたのか、それとも、単に野性の勘が働いたのか。
その鎧を隠す鎧衣の下に何かを隠していて、それを使おうとしていたのか。
(……だけどっ!)
このままではいけない。
膠着状態はすなわち、奴らを取り逃がす事とイコールだ。
「シルファーン!」
「分かってる!」
シルファーンが契約を結んでいる水の精霊を呼び出そうと、腰に下げている水袋を外す。
「それはちょっと困ったな」
シルファーンの意図を察したのか、リチャードはアスパーンの正面から素早くシルファーンの方へ間合いを詰め、水袋を提げている方へ攻撃を仕掛ける。
シルファーンは必死に躱しながらそれを剣で受け流すが、流石にそこまでが手一杯で、魔術を行使するところまで手が回らない。
本来、一対二で不利なのはリチャードの方だ。
加えて、本来ならばシルファーンは逃亡した輩の追跡をしてもらうという大きな仕事がある。
なればこそ、奴の足止めは自分がやらなければならない。
「アンタはこっちだろ!」
アスパーンはすぐさま、シルファーンを巻き込まないポジションに移動してリチャードに斬り付ける。
それはリチャードにとっては悠々と躱せる攻撃だったが、シルファーンをリチャードから離すには十分な攻撃だ。
リチャードが大きく一歩引いた隙に、アスパーンは体ごとリチャードとシルファーンの間に割り込んでシルファーンの進路を確保した。
直後、シルファーンがアスパーンの作った『進路』をすり抜ける。
「……こっち、お願いね」
「当然!」
シルファーンと短いやり取りを交わして、シルファーンが抜けた場所とリチャードの間に再び割り込んで、リチャードの追いかけるための動きを封じた。
その隙に、シルファーンは水の精霊を呼び出したようだ。
「追いかけて!」
シルファーンの短い指示に応えて、水の塊が緩やかに曲線を描きつつ、宙を舞う。
シルファーンも先行した精霊の更に後を追いかけて、走り出した。
『出し抜いた』
そう確信した、瞬間だった。
突然、水袋を壁に叩き付けた時の様な音が辺りに響く。
先行していた『水の精霊』が爆ぜたのだと気付いたのはその直後だ。
「……遅いぞ」
「すみません。『僕の出番はないかも知れないので、ゆっくりで構わない』と言われていたもので」
「……そうだっけ?」
「えぇ。貴方も聞いていたはずですよ、リチャード」
アスパーンと対峙するリチャードの言葉に応えながら、木の陰から姿を現したのは、痩身の男。
リチャードほどではないが長身で、体重は逆にリチャードの六割ほどしか無さそうな、細身の男だ。穏やかな表情の中に理知的な光をもたらす眼鏡が特徴的で、リチャードと同じくらいの、つまりはアスパーンの兄たちと同じくらいの年齢に見える。
その眼鏡と同じくらい特徴的なのが、身を包み隠すような黒い長衣をコート姿の上から更に羽織るように被り、その左手には先端に雲のような形の瘤がある、杖。
一目見て解る。
『魔術の根幹を成すものを極める為に在る』といわれる、『マナ』を用いた術理を用いる者。つまり『魔導魔術師』だ。
「事情が良く解らないのですが、依頼主に危害を加えようという人に、依頼主をムザムザ差し出す訳にもいきませんからね」
こちらもまた、どこか飄々とした態度。
リチャードといいこの男といい、都会に出てくる奴は皆こんな感じなのか。
もう一人の飄々とした男、リチャードは、少し考えるように間を置いた後、それを放棄したように口を開いた。
「話すと手間が掛かるんだが、要は時間稼ぎがしたい。取り敢えず女の方を足止めしてくれ」
「解りました」
しかも、その放棄をあっさり了承する魔術師。
先程リチャードは自分の事を『用心棒みたいなもの』と言っていたが、どうやら一人ではなく二人組だったらしい。
普通、用心棒といえば『先生、お願いします』とか言われて出てくるアレで、色違いで出てくるような感じの大剣使いではないのか。
世の中そんなに甘くないという話も有るが、流石に雑誌や文庫本に出てくるほど簡単ではないらしい。
それにしても、困った。
打つ手がない。
二対二になって、状況が悪化した。
アスパーンは単純に剣で争ってリチャードに負ける気はしなかったが、自分の攻撃で決定的に打ち据えて直ぐに逃げた奴の追跡に移れる自信もない。
用心棒二人の打ち合わせによると、シルファーンは恐らくこの魔術師を相手にしなければならないが、実はシルファーンの扱う『精霊魔術』は、汎用性の広い術である一方、魔術師の使う『魔導魔術』と呼ばれるタイプの魔術とは相性があまり良くない。
正確には、『お互いに』良くないのだ。
精霊魔術には魔導魔術を封じる必殺の手がある一方で、魔導魔術の方にも精霊魔術を封じる必殺の手がある。
故に、両者が争う場合は完全に魔術構成速度の勝負になるか、自分のような『相方』が相手の魔術を邪魔して時間を稼ぐ必要があるのだが、残念ながらリチャードと魔術師はアスパーンとシルファーンを挟み込むように立っているため、魔術師に集中してしまうとリチャードに背を向ける事になる。その上で、魔術師を集中的に狙おうとすれば、流石に目の前の相手はそれを許してくれないだろう。加えて、そもそも逃走した奴らを追う為にこの二人を倒さねばならず、この二人を倒すためには時間を稼がなければならないというのはかなり致命的な矛盾だ。
いずれにしても、この時点で決断を下さなければ、ジリ貧になる。
選択肢は三つ。
『相手にせずに追いかける』か。
『逃げる』か。
『殺す』か。
最初の選択肢はリチャードの目的が『こちらの追跡を防ぐ』事である以上、あまり期待できない。
二つ目の選択肢は今後逃走した奴らによって再度の襲撃を受ける事になる事を考えれば、禍根を残すという意味で受け容れがたい。
最後の選択肢は、相手がこちらを殺すつもりがない以上、その隙を突けば実現可能で、しかも奴らに追いつける可能性が残っている。
但し、その後が上手くいくかは結局未知数だが。
リチャードと呼ばれた男と魔術師。
この二人を何とか抜いてしまえば、相手は重い鎧を着ているであろう男と、頭脳派の魔導魔術師だからどうとでもなるだろうが、それを易々と許してくれないことはとうに知れた。
ならば受け容れ難いながら逃げるか、隙を突いて殺すか。
剣を持つ手が僅かに汗ばむのを、感じた。