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《『四人目』ウェルテル》

 小一時間ほども掛けてブラフマンとの『調整』を終えたティルトは、そのまま乗合馬車でガイエン通りに在る盗賊ギルドを目指した。

 一見、『盗賊ギルド』と聞くと『泥棒組合』のようなイメージを持たれがちだが、大きな戦争や政変を乗り越えた現在では、その実態は『職業盗賊用ギルド』というのが正確なところだ。

 例えば、真っ当な構成員は冒険者やその水先案内人として遺跡を回ったり、誰かの依頼を受けて鍵の閉じ込みをしてしまった家の開錠をしたり、ソーレンセンのような工房と契約して鍵の開発をしたり、果ては国と契約した対盗賊(この場合、まさしく泥棒という意味の『盗賊』)用の盗賊として市民に防犯のアドバイスや用心棒をしたりしている。

 つまり、盗賊ギルドの所属員達の『表の顔』はどちらかといえば『盗賊』の仕事だった部分の技術を利用して生きている『技術者集団』だ。

 その手広い業務内容の内で、『遺跡探索の水先案内人』としての役割も果たす彼らは、前文明時代の物をはじめとする遺跡に関する知識や、そこに存在する『錬金術』と呼ばれる機械と、蒸気や電気による仕組みに通じている者も多く、或いはそれを利用する『錬金術師』としての技能を持つ者も居る。

 因みに、『蛇の道は蛇』ではないが、旅程などで『強盗や野盗』に遭遇しないルートを知っているのもまた彼らのような『盗賊ギルド構成員』ということで、乗合馬車の会社と共同で運送業をしている奴等やつらも居る。

 ティルトのしていた『アルバイト』が正しくそれだ。

 運搬する品物が間違いなく誰かに狙われていたりする場合は冒険者のような戦闘を請け負える者たちに『依頼』することが多いが、手紙程度ならば、盗賊ギルドに頼んだ方が安い上に早く相手の手元に着く。

 勿論、それらは全て『表の仕事』と呼ばれており、公然とまでは言わないものの、本来的に『盗賊』と呼ばれる仕事も実際には行われているのだが。

 シルバーパレスを囲む円周の中で最も内側にある、『ガイエン通り』の中でも古参でありながら、尚且つ未だ『秘密』の部類に属するギルドの入り口を潜ると、自分に突き刺さる幾つもの視線に内心だけで溜息をつく。

 それもまぁ、仕方有るまい。

 何せティルトは、厄介事を起こした立場でありながら、一方で、今後この国で鍵を握るかもしれない人物をエスコートしてきた構成員でありもし、しかしながら、あくまでも『新人』という立場なのだから。

 状況は、かなり複雑なのである。

「よう、ティルト。てっきりルーベンで死んだと思ってたぜ」

「誤解受けたのがてめぇじゃなくって良かったな! こっちぁ死にそうな目に遭ったってのに」

「あっはは。余計な仕事しようとするから、罰が当たったんだ」

「よせよ、あくまでも善意の行動だったんだ。アンタと違ってな」

 口さがない受付の軽口をいなしつつ、ティルトは武器を預ける。

 基本、このギルドでは武器の持ち込みは禁止されている。

 あくまで原則であり、この仕事をしていれば幾つかの武器を隠し持っておくくらいのことは誰でもしていることだが、そこは暗黙の了解という奴だ。

「……で、用があるんだが、ウェルテルは?」

「おい、ウェルテル『さん』と言えよ、小僧!」

 幹部の所在を尋ねたティルトに、受付は敵意丸出しで語気を強くした。

(……そういえば、こいつはウェルテルの子飼いだったか)

 ティルトがこのギルドとどんな約束をして入ったのか、全く知らされていないか、知りながらも、ティルトの振る舞いが気に入らないらしい。

 ティルトがそのように振る舞える理由を、改めて教えてやっても良かったが、生憎ティルトは先程から散々放たれている嫉妬やら嘲弄やらの入り混じった視線に飽き飽きしており、機嫌も良くなかった。

「……『一応オレから』もう一度訊くが、ウェルテルは?」

「……ぉ、奥に居る。さっさと行け、はた迷惑野郎!」

 ティルトの言葉に含まれる機嫌の悪さに端を発する攻撃的な気配に、受付は怯みながらも悪態をついた。

「ちょっと、ティルト!」

 一切の愛想を廃したティルトの受け答えに、ラミスが声を上げたが、ティルトはそれに応えず、さっさと奥に入って幹部の部屋が有るエリアを目指す。背後でラミスが何やら受け答えしていたが、直ぐに追いついてきた。

「どういうつもり!?」

「……オレがウェルテルに敬語を使わないのは、皆知ってることだろ? 敢えて挑発してきたんだよ、アイツは」

「そういうことじゃないわよ。アンタが迷惑かけてことは事実なんだから、少しくらい殊勝な態度をみせろって言ってんの!」

 ラミスが振り回した拳に軽く殴られつつ、二人は網の目状に、しかし立体的で複雑に作られた迷路のような地下通路を抜け、目的のドアの前まで辿り着いた。

「「………………」」

 ラミスと視線を合わせて頷き合い、一応ノックをする。

「…………開いてるよ」

 気さくでのほほんとした、しかし何処か底を読ませないしたたかさを感じる声色の返事が返ってきたのを確認して、ティルトはドアを開ける。

「ちーっす」

「お、ようやくのご帰還だね」

 長い銀髪を後ろで束ね、人の良さそうなのっぺりとした顔をした糸目の男が歓迎するように両手を広げた。

 自称で三十になったばかりだという男だが、既にバルメースのギルドでは重要な地位に有り、幹部の中でも主要な役割を担いつつあるという。

 あらゆる手段を使って生き残りを図り、生き延びた者が老獪な手段で『出る杭』を蹴落とす盗賊の社会において、若い幹部というのは珍しくもない『当たられ役』だが、同時にそれを知りながら主要な役割をこなしている男というのは、珍しい。

 その『若い幹部』、ウェルテルの名が知れ渡ったのは数年前の戦争のことだ。

 『三英雄』と呼ばれるバイメリア、ジスカーン、ウランドークの三人を支えて『門』が出現した塔を共に登ったのが『四人目』という通り名を持つ、このウェルテルだという。

 人物的な評価が非常に高く、それでいて冷徹な判断を下す一面もあることから、近年このギルドを『禅譲』という形で引き受けることになるのは時間の問題だと一部の『知恵の回る』者達には言われている。

 ついでに言えば、言われているし、ティルトもそうなるだろうと思っている。

 ただし、ティルトは個人的に、そういった事情は別にして、全く違う理由でこの男は敵に回したくないと思っているのだが。

 性格も面倒見もよく、仕事が出来、腕も立つ。

 出来すぎているのだ。

 他人に差し伸べるその手の反対側。

 その『もう一方の手』で隠し持っている筈のその剣が、あまりに上手く影に隠れている為に目立たなさ過ぎるのだ。

 盗賊ならば必ずそうである筈だ、と判っている盗賊たちの間ですらそれが通用してしまうのが何重にも出来すぎていて、その出来すぎたことがまかり通っている事実が更にティルトの警戒を煽るのである。

 思考の雁字搦めを断ち切れずに苦手意識を感じるしかない自分にティルトが密かに苦い思いをしていると、ウェルテルの方から口を開いた。

「……バイメリアの弟を連れてきたんだって?」

「…………アスパーンの事だな?」

 ティルトは溜息をつく。

 その話をするつもりでここに来たものの、事情を知っている人に形だけでも頭を下げるのは、どうにも面倒くさい。

「そう。『メリス家の秘蔵っ子』と一部で名高い、我らが愛する『あの方』の弟君だよ」

 ウェルテルはやや芝居がかった仕草で、歌い上げるように言い放つ。

 それは芝居がかっているというより、ウェルテル自身が『茶番』だと思っているからに違いない、とティルトは思った。

「……その言い方はアスパーンが可哀想ね。本人は『関係ない』って言ってるけど?」

「まさか。……本人の気持ちがどうあれ、周りがその気なら、それは十分に関係あるさ。君たちならそのくらいのこと、解っているんだろう?」

 ラミスの言葉を受けて、ウェルテルが再び大仰に応える。

 とはいえ、その話はアスパーンに対してティルト自身が既に言った事なので、今は本人も理解しているはずだ。

 と、言うより、理解していると思いたい。

 『踊る林檎亭』にたどり着くまでに既に疲労困憊していたあの二人の疲労具合では、もしかしたら、説明した時には冷静な判断力が失われていた可能性も無きにしもあらず、といった感じだったが。

 理解しているかどうかはともかく、否、最終的に『理解したフリ』であっても、余計な行動に結びつかなければ説明の価値は有ったのではないかと思うのだが、何しろあの二人、ティルトからすればどう見ても『天然』の類なので、アクシデントでうっかり暴露、なんて可能性も否定できないところではある。

「……まぁ、大丈夫だろ。流石にゼンガーの爺さんは知ってたけど。……そういうわけで、暫くこの情報は黙っててくれよな。上手くやってくれ」

「勿論だよ。僕が『あの方』の弟を大事にしないはずもない。勿論、君たちのこともだけどね。ちゃんと徹底しておくよ。明日になれば彼は人違いという話に出来る筈だ。情報の浸透には時間が必要だからね」

「えぇ、よろしくね」

 ラミスがウェルテルに頭を下げる。

 ティルトも倣って、一応形だけ頭を下げた。

 何しろ、先程叱られたばかりだ。ここは大人しくしておいて損はない。

 そう思った、そのときだった。

 ウェルテルが二人の一礼に小さく何度か頷いてから、思い出したように切り出してくる。

「……それで、彼らなんだけどね。君と初めて会ったときに何があったかという話も追々聞かせてもらいたいんだけど?」

「……初めて会った時?」

 応えながら、ティルトは反射的に嫌な顔をしてしまった。

「ルーベンのギルドに捕まってた話か。……そういやお前、解ってて俺達見捨てただろ?」

 取り繕うように、敢えて別の話を口にする。

 ウェルテルが訊きたいのは恐らく――――いや、ほぼ間違い無く――――そのことではないが、ティルトは取り敢えず誤魔化してみた。

 いずれはばれてしまうだろうが、アスパーンとの『いい加減で出鱈目な』共闘について、あまり他人の耳目に触れるべきではないと思っているからだ。

 アスパーン本人は全く解ってない様だが、『アレ』は全くもって普通ではない。

 あの魔族は、如何にアスパーンが『メリス家直系』とはいえ、一人の人間が、単独で駆逐出来るものでは到底ありえないと思ったし、もしアスパーンがあそこに居なければ、実際近隣の街は総勢で掛かっても――――魔力を用いて攻撃しなければ傷つかない相手であるが故に――――敵わなかった恐れすらある。

 少なくとも、あの二人が『世間のルール』をしっかり把握するまでは、可能な限り世間の目から隠しておいてやるべきだと、共に歩いていた十日間ほどでティルトは判断していた。

 ラミスにも、当然それは伝えてある。

 ティルトも、年齢の割には様々な厄介ごとに巻き込まれてきた経緯がある。

その経験の上で考えるのなら、あの二人はとても『危うい』存在なのだ。

 『生み出すもの』という、誰の目から見ても凶悪な魔族をほぼ一人で討滅して見せたあの力が、何かが間違って悪い方向へ進んでしまうと、ティルトどころか一般市民にとっても、大きな災いになる可能性が十二分にあり得ると、ティルトの中の重要な部分が警鐘を鳴らしている。

 普通ならば無関係を決め込んで放置するところではあるのだが、放置したばかりに彼らの行く末が悪い方向に進んでしまうのは、あまりに危険が大きい。

 加えて、あの二人に今の内に恩を売っておけば、いつかティルトの目的が果たされるときにプラスに働く可能性もある。

 加えて、一応になるが、打算的な問題の他にも、ティルトとラミスの気持ちとして『あの時の借りを返す』というつもりもある。

 だが、それは、実質的な問題というよりは心情の問題だ。

 『生命の借りは生命で返す』程度の挟持が、ティルトにも有る。

 それらを全て統合した結果、『暫くはあの二人に協力してやる』というのが、ティルトとラミスの意思の合致するところだった。

「……えぇ。だって、もし、君がホントにしていたなら、そうするのが当たり前だからね。でも、まさかとは思うけど、ホントに裏働きを?」

 ウェルテルは理解に苦しむように首を傾げる。

 どうやら誤魔化されてくれたらしい。

「否定し続けて関係が悪化するのも問題あっただろ。それに、お前が救けてくれると思ってたんだけど、俺」

「アハハ。…………新人一人のために同業のギルド同士が揉めるような事はそう簡単にはしないよ。幾ら君が大事だいじな新人でもね。それに、大事おおごとになりすぎて君の身元が割れるのは、君としても困るでしょ?」

 そう。

 正直そこは、考慮の外にあったわけではないものの、意外ではあった。

 ティルトとギルドで交わした――――ウェルテルを介して行われた――――『約束』のことを考えれば、ギルドはもう少しティルトを高く買ったものだと思っていたが、どうやら『高く買ったが故に特別扱しない』ということらしい。

 信頼の証と考えるか、軽く見られていると考えるかが微妙な所である。

「君はキチンと知恵が回るタイプだからね。僕らのギルドは君にとって、軽挙妄動に駆られるほど大事な物でもないようだけど、一方で短慮に走ってあちらのギルドで暴れたりはしないだろうとも思ったんだよ」

「結局何もしなかった割に、都合のいい物言いだよな」

「……そうやって、いつも他の人たちも丸め込んでるんでしょ?」

「アハハ。……そうかもしれないね」

 ティルトとラミスの追求を、ウェルテルがさらりと躱す。

 こういうところが侮れないというか、掴み所がない。

「本当はもうひとつ、はっきりしない事も訊いておきたいんだが、別の機会にしようか。折角君が出向いて報告してくれたんだし、直ぐにでも仕事に入らないとね」

 ウェルテルはニヤリと笑う。

 どうやらティルトの仕掛けた『誤魔化し』は、ティルトが誤魔化したわけではなく、ウェルテルが誤魔化されてくれただけだったらしい。

 内心で『相変わらず食えない奴だ』と思っていたティルトに向けて、ウェルテルは肩を竦め、近くに置いてあったハンドベルを鳴らす。

 二度振って、三度目を鳴らす前にドアがノックされた。

「お呼びでしょうか」

「入ってくれ」

 ウェルテルの声を受けて、顔見知りの同業者が部屋に入ってくる。

「…………!?」

 一瞬、男がティルトの顔を見て驚愕の表情を浮かべた。

(??)

 ティルトはその表情に疑問を持ったが、男は幹部の前とあって直ぐに思いなおしたようで、表情を整える。

「昼頃に、この二人と一緒に入ってきた二人組の話なんだけどね?」

「隠蔽工作ですか?」

「うん、進めて貰える?」

「……あの。……そのことなんですが」

 顔見知りは、チラッとティルトの方を見て、言いかけた言葉を止める。

「いいよ。彼にも関わりがあることなんだから、言ってくれ」

「……はい。……実は小耳に挟んだんですが、見かけない剣士と森妖精が彼方此方で買い物して回ってるという話が別口で流れてまして。……誰かの命令であの二人が誰かを知らない奴らが、色々と動いて回ってるようです。この隠蔽話に声が掛かっていなかったので、こちらとしても何も出来ず見守るしかなくて」

「……おや、そりゃあ大変だ!」

「『大変だ!』じゃねぇだろ!」

 ティルトはのほほんとしたウェルテルの態度に思わず突っ込んだ。

 隠蔽の準備をしていたのに、噂が出ていてもストップをかけないなんて、間抜けにも程がある。

 だが、ウェルテルの意見は全く違うようだった。

 今までのノンビリした態度の中に確信を持って、ティルトの目を正面から見る。

「……でも、これは君の失態だよ? 君が銀槌シルバーポールに彼らを案内してから直ぐにギルドに来ていれば、こんな事にはならない筈じゃないか。ソーレンセンまで付いていって、挙句、こちらへの報告を後回しにしたりするからこんな事になるんだよ。せめて君が一緒にいるか、速やかにこちらに報告してくれなければ、僕らにはどうしようもないじゃないか。それが道理だろう?」

「……くっ」

 言い返したいことは、ある。

 だが、確かに、それがここの道理だった。

 盗賊ギルドは、基本、全ての構成員に対して中立でなければならない。

 ゴーの掛かっていない隠蔽話を勝手に実行する事で、他の構成員の利益――――この場合営利誘拐などだろう――――を邪魔する事は、タブーの一つだ。

 いや、実際のところは、アスパーンの正体を知る者達と、知らない者達、或いはそれらを利用する誰か、様々な人間が入り乱れ、絡まった糸のようになっているのだろうが。

(……確かにこれは、オレの手落ちだ)

 ギルドの構成員は、上から隠蔽の指示が出れば、それがギルドの利益と納得してそれぞれに隠蔽に協力する。だが、指示が出ておらず、しかも身元が割れれば、場合に寄っては積極的に誘拐などに乗り出すことでメリス家とのパワーバランスを保とうとしていると判断する者もあるだろう。

 せめてギルドの構成員と一緒に居れば、こういう事があったとしても『そいつは俺の知り合いだから手を出すな』で済んだ話だし、ティルトが直接気付けばそいつと話を付けることも出来た。

 しかし、二人に自由に行動させていては、そういうことは出来ない。

 この時間で、アスパーンがメリス家の人間だと『割れて』しまえば、直ぐにでも実行に掛かる奴らが出てくるかもしれないのだ。

 ブラフマンと会話して、装備の調整をしている間のタイムラグがこれほど致命的になるのは珍しいケースだが、一人前の盗賊であるのなら避けて然るべき事態だった。

(落ち着け。……どうすれば合流できる?)

 ティルトは内心の怒りを堪えて、アスパーンとシルファーンに合流する方法を考える。

 たしか彼らは、最後に銀槌シルバーポールに寄る、という話をしていた筈だ。

 問題は、二人が現在、そのルート上の何処に居るのかだ。

 ティルトとラミスが装備の調整を終えて調整室を出たときにアスパーンとシルファーンは既に居なかった。

 それは、単に鎧を修理したいだけのアスパーンと、細かな角度の調整までしていたティルトの間に横たわった、圧倒的な時間差だ。

「珍しい物を手に入れて浮き足立っていたようだけど、順番を間違えたのは君のミス。自分で取り返すといいよ。幸い、まだ攫われたとか死んだとかいう情報は入っていないわけだし」

(……このっ)


 ――――この男。


 思わず口をついて出そうになる罵倒の言葉を、寸前で飲み込む。

 自分の傍らで、相棒が――――ラミスがティルトの判断を待っている。こんな所でさらなる醜態を晒すのは、一人の男として忌避すべきだという自認があった。

 ウェルテルは、間違いなくこちらの行動を逐一把握していた。それは間違いない。

 だが、『何故そんな事まで知っているのか』と訊くより前に、やる事が出来たのだけは確かで、幾つかの選択肢の中から行動を選択しなければならない。

 リンカイ地区で別れたのだ。

 そして、『ガイエン通り』は可能な限り近寄らないように勧めた。

 と、なれば、それ以上のことが解らない素人が採るであろうルートは、ウチボリ通りを沿いながらソトボリ通りへと向けて進むルートか、買い物リストのメインになるウチボリ通りとソトボリ通りを往復するルートしか無い。

 時間的なことを考えれば、そろそろ買い物は済む時間の筈。


 ――――つまり、この二者択一なら恐らくは後者だ。


「……すんげぇムカつくけど、今はそんな事突っ込んでる場合じゃねぇな」

「ティル! 急いで!」

 ラミスの声を受けて、ティルトはグッと拳を握ると、それでも我慢できずウェルテルを睨みつけてから出口へと走り出した。

「彼らなら、今頃は銀槌シルバーポールに向かっているはずだよ」

「解ってるよ、んなこたぁ!」

 相変わらず暢気な構えでティルトの背に声を掛けたウェルテルに乱暴に応えつつ、部屋を飛び出す。

 銀槌シルバーポールに行くのに最短ルートの駅馬車は、何処から出るのが良かっただろうか。

「……やれやれ、彼らも頭は回る方なんだが、ルーベンの件といい、如何せん若いな。まだ経験不足って所か」

 ティルトとラミスが去った部屋の中で、開けっ放しになったドアを見ながらウェルテルが呟く。

「どうします?」

「……まぁ、一応フォローはしてやろうかね。ウチの人間が弟君に危害を加えたら、今度は僕があの人に怒られるだろうし」

 ウェルテルは答えながら、心の中では全く別のことを考えていた。

 体面上、『ウチの人間が弟君に危害を加えたら』と言いはしたものの、寧ろ、この心配は逆なのだ。

 『ウチの人間がアスパーンに殺される心配』をした方が、いい。

(一度決めたら容赦のない子だからなぁ)

 陰ながら、同業者がドジを踏まないよう祈る、ウェルテルだった。


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