お伽話の結末のように
***注意***
この作品には人が死ぬ描写があります。
死ネタ要素もあります。
苦手な方は注意してください。
もしも、こうなるってわかってたとしても、私はきっと同じことをする
***
どこかの世界のある国の、とある町。
其処は自然豊かな世界に反して、鉄とコンクリートで固められた異質の都市だった。
勝者は富み、敗者は地べたを這いずり回る。そんな、場所だった。
けれども、人々は便利なその町から離れることを望まず、勝者になり莫大な財産を得ようと、周囲の人間を蹴落とし、裏切り、騙し、唆し、生きていた。
鉄の都市は悪人共の巣窟だと、そう言ったのは誰だったか。
けれども、その言葉は間違っていないのだ。
鉄の都市にいるのは数多の人々を唆し、騙し、裏切り、蹴落として莫大な富を得た勝者と、その争いに敗れて惨めに生きる敗者、そして、敗者を食い物にする悪人共しかいないから。
その都市には一人の男がいた。彼は悪人に属する人間だった。
親は物心ついた時には既にいなかった。たまたま拾われた人攫いの組織で、攫われた人を運ぶ仕事をしたり、邪魔者、逃亡者、裏切り者を殺す仕事をしていた。殺しは嫌いだった。それでも、生きるために殺し続けた。
その日は、攫われた人を運ぶ仕事を頼まれた。
案内されたその場所に、その少女はいた。
その都市には一人の少女がいた。彼女は敗者に属していた。
親の仕事の失敗で、少女は人攫いの者に売られたのだった。そして、鳥籠の中で売られるのを待つ小鳥になったのである。つい少し前まで学校で笑って、平和に過ごしていたのに。なんて、惨めな結末だろう。
その日は、少女が売られる日のようだった。
籠の中で待っていると、その男は現れた。
運ぶ者と運ばれる者。接点はそれだけの筈だった。
点と点は線で結ばれることなく離れていき、二度と会うことはない、筈だったのに。
男が指定されたその場所に行くと、その館は既に燃えていた。
悪人共の巣窟と呼ばれていても、その都市にも治安を守る部隊は存在する。
そして、人攫いをすることと、攫われた人を買うことは犯罪だった。
男は鳥籠の少女を連れて、逃げた。
殺しが嫌で嫌で堪らなかった男は、これ幸いにと逃げ出した。
少女を連れて逃げたのは、ほんの気まぐれ。
けれど、少女は男についていくことを決めた。
親に売られた少女に帰る場所は存在しないから、それなら、一抹の情けをかけた男についていこうと。
男は、それを拒否しなかった。
二人は逃げた。
安息の地を求めて、安住の地を求めて、逃げ続けた。求めるのは、争いも何もない平和な場所。
海が見える場所に行った。水平線の彼方に、太陽が沈む様を見た。
山が見える場所に行った。此処から眺めると何もかもが小さいね、と少女は笑った。
空が綺麗な場所に行った。夜空はこんなに綺麗に星が見えるんだな、と男は告げた。
静かな森の中にも行った。木漏れ日が降り注ぐ中、たった二人で寄り添った。
争いのない平和な土地で静かに生きていけるなら。
二人の願いはそんな些細なものだった。けれども、その願いは許されなかった。
男を雇い、少女を売ろうとした人攫いの組織が、逃げた二人を追い続ける。
ずっと、ずっと、ずっと。どこまで逃げても、追いかけてくる。
そして、とうとう二人は捕まった。
少女は鳥籠に戻された。けれど、組織は何故か彼女を売りはしなかった。
答えは単純。少女を人質にすれば、男は何一つ抵抗せずに命令を聞いたから。
長い長い逃避行で、二人は互いを愛してしまったから。だから、男はもう逃げられなかった。
組織の人間が男に差し出したのは、黒光りする銃。
男は、それを受け取った。
***
真っ暗な部屋の中。
少女はぼんやりとした表情で、ベッドに寝転がっている。
何も考えないで、何も感じないで、ベッドの上で鉄格子のはめられた窓の外を眺めて、彼の帰りを待っていた。
「――― 、」
唇が動き、彼の名を呼ぶ。
けれど、零れるのはかすれた吐息。名を、紡ぐことはなかった。
彼が出かけてから、三日。連絡はない。いつものことだ。
少女は彼と共に此処で暮らすことになった。その日から、彼は組織の人間に呼ばれては何日も帰ってこなくっては、ある日ふらりと帰ってくる。そんなことをずっとずっと、繰り返してきた。
「 」
再び、名前を呼ぶ。
帰ってきてくれるよね。その言葉を口にしたことはない。絶対に帰ってくると知っているから。
そして帰ってくるたびに、切なくなる。
だって―――
「……!」
扉が開き、閉まる音が聞こえた。
足音は聞こえない。けれど、彼が此方に向かってくるのはわかる。
廊下へ続いている扉が静かに開いた。
「おかえりなさい」
ベッドから起き上がり、彼の傍に駆け寄る。
けれど、一定の距離を置く。そうすることを、彼が望んだ。
男は静かに笑みを浮かべた。
「…………ただいま」
その笑顔が、少女にはたまらなく悲しいものだった。
だって、全然笑っていないから。人形に無理やり笑みを張り付けたみたいな、悲しい笑顔。
二人で逃げていた頃に浮かべていた笑顔は、すごく綺麗な笑顔だったのに。
「……」
男は笑みを消して俯くと、少女の横を通り過ぎる。
持っていた黒いスーツケースをテーブルの上に無造作に置いて、リビングを出て行った。
やがて、離れた場所から水の音が聞こえてくる。
「………ッ」
一人残された少女は目を閉じた。
そうでもしないと目の奥の熱が爆発して、頬を濡らしてしまうから。
ベッドに飛び込んで、ごろりと転がる。
此処は、地獄のようだ。
囚われて、罪過を贖うように、縛られる。
そんな事を考えて、自嘲した。
少なくとも自分がいるせいで、愛する人を繋ぎ止めてしまっているのは確かだ。
そして、それを嬉しいと感じる自分がいることも。
水音が止んで、男が戻ってきた。
髪から水滴を滴らせながら、彼は少女が寝転ぶベッドに腰を下ろす。
二人きりだった。
「一人で、大丈夫だったか」
男の問いに、少女は起き上がって男の隣に並ぶと笑顔を向ける。
「大丈夫だよ。料理も洗濯も、みんな一人で出来るから」
「……料理も?」
「ちょ、何その信じられない顔」
「信じられないな」
「酷いなぁ。前はできなかったけど、今は出来るようになったんだからね」
そう言ってむくれてみせると、男は微かに笑う。
「知ってる。……俺が、教えたからな」
静かに笑う男を見て、少女は心の中で安堵する。
よかった。もう、前と同じ顔だ。
けれど、それが仮初に過ぎないことはわかっていた。
少女を守るために、男は何度も何度も人を殺すだろう。そして、その度に心を殺していく。
「………」
黙り込んだ少女を、男は抱きしめた。
その手は、温もりは、酷く冷たいものだった。
「………ごめんな」
ぽつりと、謝罪が紡がれる。
少女からは男の顔は見えない。けれど、その体が震えているのはわかった。
「お前を、こんな所に閉じ込めて………ごめん。助けられなくて、ごめん。俺と会わなければ、お前はきっと、幸せに生きられた筈なのに」
「………」
少女は男の背に手を回す。
「貴方がいなかったら、私はどこかの施設に連れて行かれてたかもしれない。また組織に攫われて、最低な人たちの所で泣いて暮らすことになってたかもしれない」
「………」
「貴方が私を連れていってくれてよかったって、心の底から思ってるよ。………だから、謝らないで」
私は、幸せだから。
そんな言葉を飲み込んで、少女は笑った。
それでも、男に伝わってしまったのだろう。体の震えが止まり、男は自嘲するように少女に言った。
「……こんな結末になると知ってても?それでも、お前はよかったって、幸せだって、笑えるのか?」
「うん」
少女は頷く。
その答えに、躊躇いなどなかった。
ずっと、ずっと、ずっと、逃げ続けていたとしても。
小さな部屋に繋がれて、何処にも出られなくなったとしても。
「もしも、こうなるってわかってたとしても、私はきっと同じことをする。ずっと、貴方と一緒がいい」
彼とずっといることができるなら。
逃げ続けることだって構わない。繋がれてしまっても、構わない。
「ッ……!」
少女の答えに、男が息を呑む。
彼はもう何も言わなかった。
背に回された腕の力が強くなって少しだけ痛かったけど、少女も何も言わなかった。
男の手は、温もりは、冷たいまま。
それでもよかった。彼の腕の中にいれば、少女は幸せだったから。
***
男はまた人を殺した。
火薬の臭いと血の臭いが体中にこびりついて、離れない。
そんな錯覚を覚えて、男は自嘲する。
この道を選んだのは、自分だ。
後悔なんてしない。否、後悔など、するものか。
人を殺すことは、嫌いだった。
それでも生きる為にはどうしても、その技術は必要だった。だから、人を殺し続けた。その度に、自分の中の何かが死んでいくような気がしていた。
男の目に映るのは、赤。男の耳に聞こえるのは、銃声。
それしか映らず、それしか聞こえず。ただ流されるまま生きて、生き続けて。
そして―――鳥籠に囚われた少女に出会った。
少女を連れて逃げたのは気まぐれだった。その気まぐれが愛しさに変わったことに気付いたのは、果たしていつからだったろう。
海に沈む太陽を眺めてからか。広大な世界を高い山から臨んでからか。満点の星空の下で共に眠ってからか。木漏れ日の中を、二人で並んで歩いてからか。
わからない。けれど、それでもよかった。
彼女と共にいることで、男は再び笑う事が出来たから。
ずっと、こうして世界を回れたなら、と。そう思ったのがいけなかったのだろうか。
少女はかつて自分が所属していた組織に囚われて、男もまた、元の場所に戻ってきた。
再び男は人を殺す。殺し続ける。
人を殺すことは嫌いだった。
けれど、銃を差し出された時に男は心を決めたのだ。
少女を守る為ならば、どんなことだってやってみせると。
部屋の中は、やはり暗い。
彼女が部屋を暗くして男の帰りを待つようになったのはいつからだったか、もう覚えていなかった。
それだけ殺し続けたのか、と男は口元を歪める。
「………」
頭を振って、暗い廊下を歩いた。
つきあたりにある扉を開けると、少女が駆け寄ってきた。それに応じて揺れる赤い髪。
愛しさがこみあげてきて、少女を抱きしめたくてたまらなくなる。
それでも、今触れることはしたくなかった。
「おかえりなさい」
ふわりと笑う少女の笑顔。
無垢な白を思い起こさせるような清廉な笑顔に、今触れてしまったら。
彼女まで汚れてしまうと、そう思ったから。
「………ただいま」
少女に応えて、スーツケースをテーブルに置く。
本当は、こんなものを彼女に見せるのは嫌だった。
けれど、二人がいる場所には、部屋は今いる此処とシャワールームしかないのだ。
スーツケースをおいたなら、後はもうシャワールームに一直線。
早く全てを洗い流してしまいたかった。血に汚れている、硝煙がこびりついている自分を、彼女に見せたくなかった。
少女がどんな顔で自分を見送っているのか気付きもせずに、男はリビングを出て行った。
シャワールームに行って、蛇口を捻る。
冷たい水を頭から被ると、髪についていた血が溶けて水と一緒に流れていった。
手の甲を擦る。何度も何度も。赤はいつまでも消えない。水は赤を溶かし、重力に従って落ちていく。
赤い水が排水溝を流れていく。赤い水が排水溝の奥に消えれば、後はもういつもどおり。
「………」
けれど、彼は蛇口に手を伸ばそうとはしなかった。
冷たい水は容赦なく彼に当たる。それでも、男はそのまま冷たい水を被り続けた。
「………消えない」
呟く声は、かすれていた。
消えない。消えない。
どんなに綺麗になったって、心の隅が少しずつ、少しずつ、赤で侵食されていく。
乾いた血のようなどす黒い赤色で、塗り潰されていく。
「それでも、」
男は呟いた。声はもう、かすれていない。
彼は新しい服を着てから、シャワールームを出た。
部屋の中は、暗かった。
いつものことだ。けど、ベッドの上には誰もいない。
視線をずらすと、リビングの冷たい床に座り込む少女の姿。
「………?」
何をしているのかと、目を凝らす。
少女の目の前にあったのは、開けられたスーツケース。
彼女の手に握られていたのは、真っ黒な拳銃。銃口を向ける先にあったのは、彼女のこめかみ。
「―――っ!」
頭の中が、真っ白になった。
少女は引き金に指をかける。けれども、彼女の指はそれ以上動かない。
何度も何度も、引き金を引こうと力を込めている。
「………やめてくれ」
少女を後ろから抱き締めて、銃の引き金にかかる指を優しく引き剥がす。
表情は此方からでは窺い知れない。それでも、彼女が泣いているのはわかった。
静かに、問いかける。
「………どうして、こんなことを?」
問いかけに、少女は答えなかった。
彼は少女の名を呼ぶ。答えはない。再び、名を呼ぶ。
「………」
少女は体を震わせた。
自分の体温が冷たいから、それが彼女に移ってしまったのか。
「…………私が、いなければ……貴方はきっと、此処から逃げられると、思ったの」
少女の言葉に、答えに、息が詰まる。
「………貴方が人を殺してるの、知ってるよ。それに苦しんでることも、知ってる」
「…………」
「だから、私が死ねば、きっと、きっと貴方はもう、苦しまなくて済むって………そう思って………」
男がいない時に死んだら、その事実はきっと隠されて、彼は死ぬまで利用され続ける。だから、彼がいる時に死のうと決めたのだと、少女は淡々と口にした。
彼がシャワーを浴びているほんの少しの間に、少女は今まで触れたことも無いスーツケースを開いて、使った事もない拳銃を手に取った。
「……でも、死ねないの。怖くて、怖くて……死ねないの……っ!」
再び泣きだした少女を、男は強く抱きしめた。
腕に、少女の涙が落ちる。
「………死なないでくれ、頼むから」
自分でも驚くくらい切実な声が零れ落ちた。
「人を殺すのは、辛い。苦しくて、どうして俺がこんなことって、何度も思う」
「……なら、」
「…………でも、決めたから」
少女が彼の腕に触れる。
それを合図に彼女を解放すると、少女は男と向かい合うように振り返った。
泣きじゃくって目元が赤くなっている少女を眺める。こみあげてくるのは、やはり愛しさだった。
「お前とずっと一緒にいたい。その為なら、どんなことだってする」
「………おかしいよ」
苦しいのに、辛いのに、どうしてそう思えるの。
少女の言葉に彼は笑う。
全くだ。苦しくて、辛いのに、どうしてこんなにも愛しく思えるのか。
「死んじゃうかも、知れないのに……ッ」
「そうだな」
自分が死んだら、彼女は解放されるだろうか。
少女の言葉に、ふとそんな事を思う。
だが、無理だとわかっているからその選択肢は端から存在していない。
「なぁ―――もしも、俺が死んだとしても。お前は後を追おうとするなよ」
「どうして」
男はその言葉に答えなかった。
ただ自分よりも小さな体を抱き寄せて、その耳元で囁くように続ける。
「前を向いて、希望を捨てずに……生き続けてくれ。――――――」
少女はその言葉を聞いて、再び泣き出した。
涙を流して泣く少女を宥めながら、小さな肢体を抱きしめる。
強く、強く。彼女の温もりを、覚えていたかった。
***
男は出かけた。
そして、二度と帰ってこなかった。
***
男と、彼を捕えていた組織は、鉄の都市の治安を守る者達によって壊滅させられた。
その時に、男は胸に鉛弾を穿たれて息絶えた。
一撃だったから、自分が死んだことにすら気付いてなかった。
少女は鉄の都市の治安を守る部隊によって救われたと同時に、男の死を知った。
少女は泣き続けた。
泣いて、泣いて、それでも男の後を追わなかったのは、彼の言葉があったから。
保護された場所で何日も何日も泣き続けて、少女は男の死を受け入れた。
それを間近で見つめ続けたある人が少女に言った。
行きたい場所はあるか、連れていくからと。
両親の元へ帰るかとは、聞かれなかった。少女の事情を知っているらしい。
その人の申し出に、少女は頷いた。
彼女は鉄の都市を離れた。
そうして辿り着いたのは、自然がたくさんある町だった。
海が見える町。
少し歩けば小さな丘があり、そこからは町を一望できた。
夜になれば満点の星が空に広がる、そんな美しい所だった。
美しい町に住む陽気な住民達は、快く少女を受け入れた。
少女はそこで暮らし、そして、そこで働き始めた。
明るくて、よく笑う、快活な女の子と、町の住民たちは声を揃えてそう言った。
けれど、そんな少女に恋する少年たちが現れても、彼女は首を縦に振ることはなかった。
少女は幸せだった。
けれども、鉄の都市で暮らしていたときの方が、もっと、ずっと幸せだったと思う時がある。
その度に、思うのだ。
お伽話の結末のように、愛する二人が幸せに生きることが出来たなら、と―――――。
***
前を向いて、希望を捨てずに……生き続けてくれ。それだけで、救われるから
こんばんは、Abendrotです。
最近某ドラマを見ていたら、切ない話にうがあああってなって描き始めました。個人的にはハッピーエンド主義なんですが、悲恋も好きです。
長い上に読み辛い話ですが、読んでいただければ幸いです。