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軍師躍動(一)

めいの諸侯である雷楽らいらくが、大京だいきょうを占拠してから二週間が過ぎようとしていた。雷楽は大京陥落後、直ぐに各諸侯らに使者を出し、各地で虎王の死と昇王朝の滅亡を高らかに宣言したのであった。

「各諸侯においては、これより二ヶ月以内に大京に入貢頂きたい。仮に期日内に入貢頂かなければ、自領の塁を高く築くことだ、との仰せであります」

と、そう言って使者は最後を締め括った。

これは雷楽が夏元かげんの新たな王になることを認め、貢ぎ物を持参して忠誠を示せということであった。また、もし拒めば、武力を行使すると脅したのである。こうした流れは雷楽の気質が大きく影響していると言えよう。雷楽は天下の為に悪政を続けた虎王を倒したが、それは建前であり、自らが天下を治めたいという若年の頃に打ち立てた夢を、現実のものにしただけなのである。

茗の領主の長男として産声をあげた雷楽は、成人するまで何不自由ない生活を送った。

雷楽は幼い時分から既に貫禄を持ち合わせていた。同年代の子供だけにはおさまらず、回りの大人達をも従えて威張り散らす毎日であったのだ。

「おい、そこのお前。ああお前だよ。俺が誰だか分かるか」

雷楽の名を一度目に言えない者は、二度目に聞かれた時にも言えなければ容赦なく鞭で打たれた。そうやって少年時代の雷楽は、邑内の至る所で自分の名を広めたのである。

「領主様は自分の子にあめえ。あれではこっちがたまらねえ」

邑民は陰口を叩く毎日を過ごした。しかし、親の権力を借りてやりたい放題の雷楽であったが、気前の良さを持ち合わせていた為に、案外人気もあった。

「何、こいつが大事な肉を腐らせた……。それで喧嘩してるのか。よし、わしが買い取ろう。だから仲良くしな」

そうやって喧嘩を仲裁したり、

「何で泣いてる。――そうか、父親が帰ってこないのか……。分かった。俺がお前の父親を探してやるからもう泣くな」

と、困っている人を見掛けては援助を申し出たりした。雷楽の評価ははっきりと分かれた。が、回りの迷惑を考えない自分勝手な行動は、歳を加える毎に減っていき、代わりに面倒見の良い行動が増えていった為、成人する頃には雷楽の評判はかなり良いものになっていた。

この時代、形の上では昇王朝が天下を治めてはいたが、各州毎にそれぞれが独立国家を築いていたと言えよう。諸侯の中には自領を拡げようとする者も当然いた。というより全ての諸侯がそう考えていたとも言えなくはなかった。州同士間の戦は絶えることがなく、茗も例外ではなかった。

雷楽は特に同年輩に人気があり、また親の立場からすれば、今のうちに次期領主に我が息子を覚えてもらいたいという腹積もりがあった。成人式を終えた雷楽の初陣には、多くの若者が争うように参加志願を申し出たのである。

諸侯の息子である太子の初陣では、太子は軍の安全な場所に配置され、激しい交戦を回避するのが普通である。後の君主になる太子に何かあれば大変であるから当然であろう。雷楽も中軍の後方という安全な位置に配置された。しかし、雷楽は初めての実戦経験で、自分の将来を占うような賭にでたのだ。

「父君は戦が分かっておらぬ。負けぬ戦ばかりしておるから勝てぬのだ」

両親を尊び、君主を神と仰ぐこの時代に、雷楽の言葉は信じ難いものである。廃嫡にも成り兼ねないこの発言は、雷楽を取り巻く配下の面々の心臓をわし掴みにしたも同然であった。

「俺についてこい。勝利とは何たるかを教えてくれようぞ」

雷楽はそう言って、回りの様子も確認せず、馬腹を蹴って敵軍に突撃した。雷楽の信じられない発言で浮足立っていた者達は、これでかえって肚を据えた。ここで雷楽を死なせる訳にはいかない。雷楽の後に人の波が続いた。

およそ攻撃はしてこないとたかを括っていた敵軍は、相手の予想だにしない突進に慌てた。しかも先頭の雷楽の武力が尋常ではない。敵軍は針で刺された風船のように弾け飛んだのである。

大勝であった。これほどの大勝利は参加した茗兵の記憶にはないであろう。雷楽は軍法違反を犯しはしたが、その勝利により罪を帳消しにされた。そして、一緒に戦った兵達からは、喝采と称賛を浴びせられたのであった。

「父上、そろそろ引退して体を休めたらどうでしょうか」

雷楽は自信に溢れんばかりの笑みを見せ、君主である父に迫った。既に父の近臣は抱き込んである。味方に引き込めなかった有力者は、父の古き友人でもある宰相の李喬りきょうだけであった。

大勝利の波に乗った雷楽は、翌年二十一歳の若さにして、父を押し退ける形で茗の君主になったのであった。

雷楽の父は回りを見渡し、自分の時代が終焉したことを悟ったに違いない。回りの目はあからさまに自分を邪魔だと語っていたのである。もはや味方は李喬だけである。息子の雷楽に国政を任せた方が、あるいは茗にとって良いかもしれない。父は息子を憎まなかった。潔く引退した雷楽の父は同じく引退した李喬と共に自宅に引き込み、次世代に国政を委ねた。

雷楽は君主の席に腰を降ろし、新君主の誕生を祝う配下の顔を一人ずつ見ていった。

茗には人材がおらんのか。心の中でそう吐き捨てた雷楽は、自分の野望を満たすには時間が必要なことを覚悟した。

国政を補佐させようと考えていた宰相の李喬も引退してしまった今、雷楽は当初の予定を変更せざるを得ない。領内を李喬に任せ、早々に隣州に攻め入るつもりであったのだが、李喬に代わる人材はいそうもなく、雷楽はじっくりと腰を据え、国力を上げることに専念したのであった。


雷楽が君主になって二十七年が経った。茗は雷楽により、隣州を飲み込める程にその国力を高めた。領土は僅かに東へ二十里拡げただけである。が、軍資金や兵糧などの経済力、兵や軍馬などの軍事力は他州を圧倒しており、いつでも領土拡大が可能であるように思われた。

この長い年月で、ある程度の人材は得た。有能な武官や文官は揃っている。しかし雷楽は他州を攻めとっていくには、まだ人手不足だと感じていた。今でも、戦争すれば必ず勝つ自信はある。だが、天下を征するという雷楽の尊大な夢に、一歩を踏み出すにはまだ十分ではないと感じていたのである。軍師足る者がいないと。

そんな時である。

雷楽の元に李喬が訪ねてきたのは。

雷楽が何度人を遣わせても、また自分で出向いて行っても、李喬は病床と言って決して姿を見せなかった。

そんな李喬が自ら雷楽に拝謁を申し込んだのである。

雷楽は喜びと不信感に揺られながら李喬を迎えた。雷楽の知っているかつての李喬は、体から大きな気を放ち、尊厳さと静粛さを持ち合わせた威厳があった。父をも侮りの目でみていた雷楽が、李喬に対しては一目置いていたのであった。かつての姿を想像していた雷楽は、二十七年振りに会った李喬を見て、多少の戸惑いを見せた。

李喬の歳は定かではないが、まだ七十にはなっていないはずであった。しかし、雷楽の目の前の男は、皺だらけの顔に折れ曲がった背中の、朽ち果てた老人であったのだ。

ああはなりたくないものだ。現役であったからこその気塊であったか。雷楽は心中溜息をついた。この時点で、雷楽は李喬から得られるものは既に何もないと思ったのであろう。さっさと用件を言えとばかりに、雷楽は形式的な挨拶も手短に済ませ、無言の圧力を李喬に加えた。

「奠の北にある渥菴あくあんという地をご存知でございましょう」

李喬の口調は動じることなく堂々としていた。

「渥菴の託岱たくたい斗歌とかであり、君がもし龍昇りゅうしょうのごとく大望をお持ちなら、最高の礼をして、迎えるべきでございます」

雷楽は雷に打たれた思いであった。

李喬の言葉は、雷楽が長らく待ち続けたものであったからだ。

外見は枯れ果てた李喬であるが、声力は昔のままである。

よく李喬の顔を見れば、目はかつての力強さを失ってはいない。侮りが自らの首を絞めることを知っている雷楽は、居住まいを正し、李喬に向かって慇懃に礼を示した。弟子が師に教えをこうのと同じように、頭を下げたのである。人材を欲している君主の波長と、自分の代わりを推挙しにきたかつての宰相の波長とが、見事に合わさった瞬間であった。

「野心ばかりで実が伴わぬこの私に、どうかお聞きかせ願いたい。託岱とはいかなる人物でありますか」

「託岱は天下の偉才であります。また、彼はその心に天下を動かしたいという大望を持っておりますので、君が召し抱えずとも、やがてどこかで地位を得ることになりましょう。もし彼を重宝する気がないならば、必ずや将来君の妨げとなりましょうから、彼が他国に走る前に殺すべきでございます」

腰を僅かに浮かせた体制で話しに聴き入る雷楽は、手に汗をかいていた。興奮していたのであろう。雷楽は李喬にそこまで言わせる男が、この茗にいたのかと驚愕の思いであった。と、同時に自分の視野の狭さに呆れる思いでもあった。雷楽はもっとその人物について知りたい、と李喬に詰め寄るのであった。


渥菴という小さな農村の小領主の第二子として産まれた託岱は、小さな頃よりその類い稀な才で周囲を驚かせていた。同年代がやっと言葉を上手く使いこなせるようになった時には、託岱は歴史書を読み耽る毎日を過ごしていた。少年は脇に抱える書物を片時も放すことはなかったが、決して他の少年らと野を元気に走り回らなかった訳ではなかった。むしろ農村で一番活発な少年であったと言えるであろう。

青年になった託岱は、ある日母親に、

「もっと見識を広めとうございます」

と、言葉に力を込めて切り出した。託岱の母親は絵に描いたような良母であり、才覚も悪くない。託岱のことを誰よりも分かっている人であると言っても過言ではなかった。母親は涙で潤んだ瞳を息子に向け、

「家のことは心配しなくてもよいのです。書からでは獲られぬこともありましょう。あなたはもっと多くのことを見て体験して、立派な人になりなさい」

と、気持ちの良い豊かな声で応えた。以前から託岱の母は、託岱がこんな小さな農村でおさまる器ではなく、いつか必ず此処から飛び出すと予感していたのであった。

「母上……」

母が気丈に接しようと必死になればなるほど、託岱の胸は熱くなった。

「十年下さい。諸国を旅し、見識を広めて必ず戻って参ります」

託岱の言葉は短い。が、その言葉に込められた気持ちは、語れば一日や二日では言い尽くせないほどであった。

この年、託岱は十八歳になっていた。出発の日には、家族や親類だけでなく、村の大部分の住民が集まった。

託岱の父は前に出て、

「岱よ、そなたは我らの希望にならねばならぬ。農民が安泰に暮らした時代はなかった。岱よ、十年後、そなたの勇気で国を変えてみよ」

と、皆に聞こえる声で言った。当初から託岱の旅については反対していた父であったが、押し切られる形でこの日を迎えた。そんな父の口から、場違いとも言える大言が発せられるとは、託岱以下一同は唖然とした。しかし一瞬の沈黙の後、託岱を激励する沢山の言葉が大気を揺らした。小さな農村は賑やかに託岱を送り出したのである。

父は託岱に厳しい人であった。

思えば父に褒められたことはなかった。

託岱はこの時初めて父の自分に対する期待の大きさを知った。託岱は泣かなかった。別れを惜しむ気持ちは勿論あったが、それ以上に未来への意気込みが強かったのだ。託岱は鍛え貫かれた自らの足で、生まれ育った地から出た。託岱は十年にも及ぶ諸国漫遊の旅に出たのである。その精力的な旅が、託岱を大きく成長させたことは言うまでもない。


大京の乱で殺された約三千の人間の身元を一人一人確認する作業は、大変な労力を必要とした。死んだ人間の身内や知り合いに確認してもらうのだが、そうした者達の怒りと悲しみは計り知れない。殺すことも辛いが、この確認する任務はもっと辛いものとなったのである。

「なあ、俺はもう嫌だよ」

「ああ、俺もこんなことしたくねえ」

「もう死体と過ごすなんて真っ平だ。それにあいつらの顔見たか。俺達を怨んでいやがる」

「無理もない。家族を殺されたんだ。怨んでも怨みきれねえよ。罪なんてもんもねえんだしよ」

こんな会話が、身元確認時には聞こえてきた。

王族の身元確認を担当する責任ある将軍達ですら、兵卒と思いは同じで、やりたくない、であった。

「この女性とこの子供、きっと圭姫けいひ様と苣乎きょか様に違いないと思うが、確認した方がよいだろうか」

「別にいいさ。皆殺しにしたんだから。死んでることに間違いはないさ」

或は将軍達の作業の方が、酷くずさんなものであったのかもしれない。このように大京の乱後の処理がずさんだった為に、圭姫と苣乎は歴史上では死んだことになるのであった。


大京に降り注ぐ陽の光は柔らかで暖かい。風は西から清々しさを運び込んでいる。しかし、大京の宮殿は血の惨劇を忘れなてはいなかった。宮殿内の死体は全て片付けられたが、至る所に血痕が残っており、正気の人間ならばとても長時間は留まれなかった。

雷楽は大京の外に陣をはり、そこから忙しく命令を発していた。託岱の仕事量も半端なものでなく、寝る間も惜しむ程であった。

超羽ちょううと名乗る者が面会を求めておりますが、いかがいたしましょう」

託岱の顔が明るくなった。託岱は超羽のことがずっと気になっていた。今になれば、取るに足らないことを頼んでしまったという思いであったのだ。この大事な時だからこそ、初めての配下である超羽には近くにいて欲しかったのである。

「只今戻りました」

超羽が姿を見せた時、託岱は走り寄って超羽に抱き着いた。

「よくぞ無事に戻られた。しばらく待って戻らなければ、どうしようかと心配したぞ」

超羽は予想もしない主君の対応に戸惑いながら、

「任務はまだ果たせておりませんが、進展がございましたので報告に参りました」

と、いかにも配下らしいよそよそしさで告げた。

超羽の話は託岱を安心させ、彼に対する評価を上げさせた。

「これはまた、かなりの戦利品だな」

超羽が差し出した金と宝品の多さに、託岱は驚いた。

「追っておりました車はこれでございます。中にはこのように見事な財が積まれていたようです」

「大京から脱出したのは王族ではなく、我がの財を守ろうとした商人であったか」

「そのようでございます。車の持ち主の商人が一人賊に捕われておりましたが、車と財との交換で開放致しましたがよろしかったでしょうか」

託岱は笑みをこぼしながら頷いた。一抹の不安が解消され、さらにこれ程の財が手に入るとは誰が予想しようか。金はあるに越したことはない。託岱は超羽の手を握り、感情を込めた労いの言葉をかけた。


丹念に地面を調べ歩いた結果、超羽は大京西門から出たらしき車輪跡を発見した。車は南に向かったらしいことを突き止めた超羽の足は速い。一時は見失った車輪跡も、途中からは完全に確認でき、さらに歩速をあげることができた。雨があがれば、かえって跡ははっきりと残る。超羽は調査開始三日目にして、車を見つけたのであった。

「ほう、賊の寝ぐらか」

車は森林の奥深くにある賊の住家らしき所にあった。月のない深夜である。見張りはおらず、寝静まっていた。

託岱はこの場の静けさと同化するように、物音一つたてずに建物の中に侵入し、腰の剣を抜いた。

躊躇することのない剣先が、赤く赤く塗り替えられていった。一撃で急所を貫かれた賊らは、眠ったまま声を発することなくこの世を去っていった。漆黒の闇の中においても、超羽の視力はさほど落ちないのであろう。全く無駄のない動作が続いた。それは一種の完成された楽曲に、なぞらえているようでもあった。

最深部の部屋に来た超羽の足が止まった。

部屋の奥では一人の初老の男が座してこちらを見ていた。腕と足を紐で結ばれており、賊に捕らえられているのが見て取れた。超羽は車に積まれていた大量の金と、居間に散乱していた沢山の宝品とを思い出し、大京から脱出したのがこの男であり、途中で賊に捕まったことを悟った。躊躇なく人を危める超羽であるが、決して殺人が好きという訳ではなかった。

暗闇で向こうはこちらの顔は見えまい。生かすか……。超羽がそう考えていた時、捕われの男が口を開いた。

「助けて頂ければ、此処にある私の財は差し上げましょう」

超羽は盗人ではない。

賊の物であれば頂くが、この男の物と分かればそうはいかない。仕事を完璧にこなす為にやむを得ず庶民を殺すことはあるが、今回は顔を見られた訳ではないので、殺す理由もない。何より、どんな理由であろうと庶民を殺すと後味が悪い。超羽は男の動きを封じている紐を剣で切った。そして超羽は闇に吸い込まれるように、無言で男の前から立ち去った。

孝傑こうけつは目を閉じ、暫くじっとしていた。

意識を耳に集中し、研ぎ澄ました聴覚は、どんなに小さな物音をも見逃さなかったであろう。

先程の暗闇の人物は、どうやら建物の外に出たようであった。

孝傑は目を開けゆっくりと立ち上がり、音をたてないように此処からの逃走を開始した。血の臭いが鼻の奥に突き刺さった。暗闇の中、立ち止まることなく、何とか外に出ることが出来た孝傑は、全ての賊が殺されたことなど知るよしもなかった。孝傑の頭の中は苣乎のことでいっぱいであり、一刻も早く奠に行くことしか考えられないのであった。



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