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前の話のイージス視点。
「イージスって、文句言う割に優しいよね?」
くすくすと笑うアルフォンスの言葉に、僅かに顔を顰めながらも足は止まらない。
向かうは自分の屋敷。頼んでいた物を店まで取りに行き、その足でそれを相手に渡すためだ。
「イージスが自分の“それ”を渡すのって、初めてだよね?」
「・・・・うるさい」
何が可笑しいのか、くすくすと笑いが止まらないアルフォンスの様子に、眉間に寄るしわが深くなる。国一と言われる騎士であるイージスを、恐れることなくからかうのは彼ぐらいだろう。
まだ笑いの収まらないアルフォンスを引き連れ、ようやく屋敷に到着した。己の姿を見つけ、飛んできた使用人に用を告げ、さっさと門をくぐる。
「あの少女はどこにいる?」
「はい。与えられた部屋に籠もっております・・・・」
報告は受けていたが、改めて聞いても眉をひそめてしまう。
右も左も分からぬ土地に、しかもその身一つで放り出されたというのに、少女の反応はあまりにも淡泊だ。与えられた部屋に入れられ、食事は取っているようだが、それ以外は何もない。今の自分の境遇を嘆いて泣いて叫ぶこともない。まして、この屋敷を見ればイージスの権力がどれほどかは言わずもがな。なのに、それを利用しようという素振りすらない。すべてを他者、すなわちイージスの一存に任せる。そんな態度に見える。生かすも殺すも、イージス次第、と。
報告を終えた使用人を下がらせ、一歩庭に足を踏み入れた時、ふと風に乗って柔らかな声が耳に飛び込んできた――――――。
―――――歌を 歌おう
大きな声で 声を響かせて
歌は 幸せの魔法―――――――
「・・・歌?」
「イージス、あれ彼女じゃないかい?」
アルフォンスが指した先、ちょうど門から一直線上にある二階の窓に、件の少女の姿を見つけた。
風に揺れる漆黒の髪。夜を思わせるそれは、一般の女性にしては驚くほど短く、肩に触れる程度。大きな瞳は夜空そのもの。闇の中に時折星が瞬く。滑らかな肌は、白く、少し黄色みを帯びている。イージスの胸のあたりまでしかない背といい、ちょっと握れば折れそうな手足といい、華奢すぎて今にも消えてしまいそうな印象を受ける。
そんな彼女が、あろうことか、窓に座っているのだ。足を外に出し、カーテンを掴んだだけの不安定な体勢。万が一落ちたりしたら、骨折どころの問題ではない。
注意しようと口を開きかけたが、不思議と声を出すことは出来なかった。彼女の歌の邪魔をしてはいけないような、そんな気がして。
「・・・綺麗だね。とても澄んだ声をしている」
「・・・・・・・」
アルフォンスの言葉に、異論はなかった。城などに来る、昔の英雄譚を朗々と読み上げるだけの吟遊詩人とは違う、聞き手の心に語りかけるような何かが、彼女の声にはあった。
そもそも、歌というものは太古の英雄や、偉人を褒め称えるものや、精霊のためのものがほとんどだ。今彼女が歌っているものは、そのどれでもないように聞こえる。誰のためでもなく、皆に語りかけるような詩。
――――歌を 歌おう
力強く みんなで歌おう
歌は 悲しみを吹き飛ばす魔法―――――
決して大きな声で歌っているようには見えないのに、何故か屋敷中に響いているように聞こえる。
「!!・・・信じられない!!精霊たちが!!」
「・・・・アル?」
急に顔色を変えたアルフォンス。何事かと問うても、目の前の情景に気を取られているのか聞こえていないようだ。こういう時の彼には何を言っても無駄である。今はそっとしておくしかない。
――――うまく歌えなくってもいいの
楽しく歌えば それが幸せ
さあ 歌おう
歌を 歌おう―――――――――
楽しそうに歌う彼女の顔は、初めて会った時とは全く違い、優しい笑みを浮かべていた。あの時の仮面のような笑顔とは違う。もし、表情に真偽があるとするならば、今この瞬間の笑顔が、彼女の本物の笑顔なのだろうか。
最後の音を響かせて、口を閉じる。そして、初めて自分たちの存在に気がついたというように目を開き、さっと頬が赤く染まる。
「きゃあ!!」
「!!」
「!!」
その瞬間、まるで彼女の一瞬の心の乱れに合わせるかのように、一陣の風が吹き抜けた。それはちょうど彼女を中心に巻き起こる。
「精霊だ!!」
「何だと?」
アルフォンスの目には見えているのだろう。あいにく、自分の目は精霊を映すことはない。
風が吹き抜ける中、少女の声が響く。
「誰?誰なの?」
(・・・・精霊が、見えるのか?)
アルフォンスの話では、精霊に異様に好かれているのに姿を見ることが出来ない、そう言っていたはずだ。
なのに、彼女は風に向かって問うている。まるで、風の中にいる何ものかを掴もうとするように、手を伸ばす。
(!!・・・・落ちる!!)
一瞬で判断し、即座に地を蹴る。
「危ない!!」
「えっ?」
アルフォンスの声に我に返ったのか、慌てて手を引っ込める。が、随分と傾いでしまった体を戻すことは出来ない。
咄嗟に右手を伸ばしたようだが、窓の縁に手がかかったのは一瞬で、あっさりと離れてしまう。いくら華奢とはいえ、あの細腕では体を支えることは出来ない。
(・・・・ちっ)
窓の下まで距離がありすぎた。アルフォンスが、後ろで風の精霊に呼びかけているのを気配で感じる。術が間に合うか、自分がギリギリ間に合うか――――――。
「・・・・!!」
急に、彼女の落下速度ががくんと下がった。アルフォンスの術が間に合ったのか、とにかく彼女の体の下に潜り込む。
(・・・・軽い)
予想以上に少ない落下の衝撃と、それ以上に軽い彼女の体に、一瞬声をかけるのを忘れた。
駆け寄ってくるアルフォンスの気配を感じながら、腕の中の少女の無事に、ほっと息を吐くのだった―――――。