出会い
今度こそ天国だと、そう思って瞳を開ければそこは―――
「・・・・・ここは、何処?」
私は誰?とは続けなかった。
瞳に映るのは、見慣れぬ天井。背中に感じるのは、柔らかい布団の感触。
「気がついた?」
「・・・・・・天使?」
そこにいたのは、太陽のような輝きを放つ、美しい青年だった。
体を起こそうとする一花を手伝いながら、彼が口を開く。
「違うよ。僕は人間。ついでに、ここは王宮の一室。残念ながら、君は生きている」
確かに、天使にしては年が行きすぎている。天使が成長すれば、彼のような美青年になるかもしれない。天使に性別があれば、の話だが。
けれど、すぐに一花の頭からその美しさは抜け、残ったのは最後の彼の言葉だった。
(生きている?)
どうやらあの騎士は自分を斬らなかったらしい。なら、何故自分はこんなところで眠っているのだろう。
一花の疑問を察したのか、青年が状況を説明してくれた。
「首を強く絞めすぎていたみたいでね、君、気絶しちゃったんだ。それで、驚いた男の一瞬の隙を突いて、イージスが君を救出したってわけ」
なんとも間抜けな男である。人質を気絶させては意味がないだろうに。
「そうですか。こんな寝台まで用意していただいて、申し訳ありません」
「気にしないで。これから君にいろいろ聞かなきゃいけないし」
頭を下げる一花に、彼は笑顔で言う。
彼の言う聞きたいことのうち、自分が答えられるものはいくつあるだろうか。
「あ、ちなみに僕の隣に何か見える?」
「?いえ、何も見えませんが」
「そう、ならいいんだ」
(幽霊でもいるのかしら?)
よく分からない問答に首を傾げると、ドアをノックする音が響いた。青年の許可の声の後、室内に現れたのはあの騎士だった。
「あっ、この度は助けていただいてありがとうございました」
「・・・・・・」
慌てて寝台の上で正座して頭を下げる。日本人として、礼節を忘れてはいけない。
「気にしないでいいって。それより自己紹介がまだだったね」
青年の言葉に、一花は顔を上げる。
「そうでした。私は、佐伯一花と申します」
「サエキ?珍しい名前だね。君の国では一般的な名前なの?」
不思議そうに言われた。発音もなんだかたどたどしい。
「・・・・・そうですね。珍しくはありません」
「そう。サエキ・・・・・サエ、でいいかな?」
社会人になってから、名前で呼ばれる機会など皆無に近かった。なので、名で呼ばれるより、名字で呼ばれる方が反応しやすい。
そこまで考えて、西洋風の名乗り方をしなかったことに気づいた。けれど、すぐに別れるであろう彼らにそれを訂正する必要性を感じなかった。これから長い付き合いになると知っていれば、訂正したかもしれない。
「はい。お好きなように呼んでください」
「分かった。僕は、アルフォンス・ツィル・フロイライン。アルって呼んで。こっちはイージス・レインディア」
なんとなく、金髪の青年アルフォンスは、随分と身分の高い人のような気がした。隣の騎士、イージスよりも。
この勘は、あながち外れてなかったと知るのはもう少し後のこと。
「それで、私に聞きたいこととは・・・・」
「ああ、まずはね。君がどこの誰で、どうして王宮の中にいたのかっていうこと」
(王宮って、王様の住んでいる城のことよね?)
困ったように笑って切り出せば、眩しいばかりの笑顔で切り返される。
さて、どう答えたものか。
しばらく考えたものの、正直に話すしかない。信じてもらえるかどうかは、神にまかせるとしよう。いるかどうかは分からないが。
「・・・・私にも、分からないのです」
「分からない?」
初めて口を開いたイージス。その瞳は厳しく、冷たい光を帯びていた。
「はい。私は、故郷で大きな事故に遭ったはずなのです。命を落とすほどの」
「でも君は生きている。少なくとも、僕らには君が死んでいるようには見えないし、さっききた医者も、君が死んでいるとは言わなかった」
アルフォンスの言葉が、胸に突き刺さる。
(どこまで悪運が強いんだ、私は)
「失礼ながら、体の傷も見させてもらったが、その右手の古い傷以外は、どこにも傷など見当たらなかった」
「・・・・・そうですか」
アルフォンスの言葉に、とっさに左手で右手を握りしめる。
右手の手のひらから甲に、貫通してできた古い古い傷だ。もう痛むはずもないのに、疼いた。
彼らの求めるような答えを、自分は持っていない。それに、それを持っていないことで命を奪われたとしても、もう死んでいると思った命だ。惜しくなどない。
「私に答えられるのは、私が佐伯一花という人間であること。ここが、どこかも分からないし、どうしてここにいたのかも分からないということ。これ以上の答えを、私は持ち合わせていません」
穏やかな、柔らかい笑みを浮かべ、一花は言い切った。それは、一人で生きていく中で身につけた、自分の心を隠す笑みという仮面。
「はいそうですか、とはいかないのが世の中なんだよね」
そうだろう。すんなり行ってしまう世の中の方が、問題である。
「では、牢に入りましょうか?それとも、やはりその剣で・・・」
「やめろ。軽々しく死を口にするな」
イージスの言葉に、びくりと肩が跳ねる。その瞳に、何かを見透かされそうで、慌てて仮面を被り直す。
「まあまあ。僕らも人間だからね、なるべくなら血なまぐさいことはしたくないんだよ」
「・・・・そう、ですね」
一瞬流れた不穏な空気を、アルフォンスが和らげる。イージスの視線から逃れるように彼に目を向ければ、彼も笑みを浮かべていた。
そして、その笑った彼の爆弾発言に、部屋の空気が凍り付くことになる。
「さすがに王宮の中にはいられないからね。イージスの所にいてくれるかな?」
「・・・・はっ?」
「・・・・・何故俺の屋敷なんだ」
不機嫌そうなイージスの言葉に、一花も賛同の声を上げた。心の中で。
(冗談じゃないわ。これ以上彼に関わってたまるもんですか)
正直に言おう。この時点で、一花はイージスのことを苦手だと認識していたのだ。
あの強く、鋭く、そして、こちらの思いを見透かすような美しいあの瞳に、見つめられる度に逃げ出してしまいたくなる。
そんな一花の思いを知ってか知らずか、悟ってそうな気はするが、アルフォンスはいい考えだとばかりに新緑の瞳を輝かせる。
「イージスの屋敷は大きいし、確かハンナが手伝いがほしいって言ってただろ?それに、王宮第一騎士団の団長にして“王の剣”であるお前が、年端も行かない少女に後れをとるはずはない。もし、彼女が誰かに追われているとしても、お前なら彼女を守り抜ける」
「・・・・ただ、俺に押しつけるだけだろう」
「まあ、そういう風にも言えるね」
「そんな、ご迷惑をかけるわけには」
「お前の存在自体が、既に迷惑だ」
「・・・・そうですね」
イージスの言葉は正しい。この世界で、異物でしかない自分は、迷惑以外の何者でもないだろう。
(何故、自分は生きているのだろう)
「どうやら、君自身からも、君を守る必要がありそうだね」
「えっ?」
知らず下げていた視線を向ければ、やはり笑った顔のアルフォンスがいた。
「いや、独り言だよ。というわけで、今日はここに泊まるといい。明日イージスの屋敷に送ろう」
有無を言わさぬアルフォンスの言葉に、ただ従うしかない自分。冷たいイージスの瞳を見つめないように、そっと、目を伏せるしかなかった―――――。
もう少し出会い編が続く予定です。