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階下に降りたイージスたちは、騎士たちの訓練場に向かった。
「団長!!すみません!!」
「どうした?」
と、そこにずぶ濡れの騎士が足を引きずりながら現れた。
「団長のとこの坊主が、井戸の精霊に・・・」
「・・・・行くぞ」
最後まで聞かずとも、何か起きていることは察することができた。屋敷でのアルフォンスの言葉もある。彼女は異様に精霊に好かれる体質なのだ。
「イージス!!」
「井戸だ」
さらに奥からアルフォンスが駆けてくる姿が目に入った。名を呼ばれ、返事の代わりに少女の居場所を応えれば、すぐに理解したのか同じ方向に走り出した。
「何が起きた」
「分からない。フレイが、彼女が危ないって言うから慌ててきたんだよ」
並走したところで問えば、困ったように眉を下げながらアルフォンスが答える。
(また精霊、か)
彼女だけではない。今、城下でも精霊を使った事件が起きている。
並走する二人のさらに後ろにベルツが続く。
「なっ!!」
「まさか、ここまでとは・・・・」
そこには、想像を絶する光景が広がっていた。
井戸からのびる水の柱。その先は、丸い球体になっており、まるで茎の先に膨らむ蕾のようにみえる。
その蕾の真ん中に、少女はいた。
何かに耐えるように耳を押え、苦しげに顔をゆがめ、胎児のように丸くなった少女が。
「・・・・・っ」
水の中に手を入れようと球体に触れてみるが、拒絶されるかのように押し返される。
「アル!!」
「分かってる!!」
いくら水の精霊に好かれているとはいえ、彼女は人間だ。水の中に囚われ、息が出来るはずがない。
(届くか!!)
「・・・・我右手に具現化せよ、紅蓮の炎、今、我が示す先に舞え」
「・・・・・」
アルフォンスの詠唱を背に聞きながら、球体を見つめる。
「フレイム・アロー」
その手から放たれた炎の矢が、水面を打つ。その瞬間、蒸発した水が水蒸気となって視界を遮る。
が、その一瞬の隙に、イージスは足を踏み出す。炎の衝撃で歪んだ球体に、手を突っ込む。
あと少し、というところで、球体を再生させはじめた水に弾き出される。
「アル!!」
「大丈夫、もう打てるよ!!」
すでに第2の矢を手に宿したアルフォンス。ずぶ濡れになったイージスも、再び球体を見つめる。
水の中の少女は限界が近いのか、一層その表情を歪める。
(間に合うか!!)
焦るイージスの耳に、聞いたことのない声が響く。
『名を、名を呼んでください!!』
(誰だ?)
その声が誰か、ということより、その内容にハッとした。
「サエ!!手を伸ばせ!!」
少女の意識があるうちに、こちらに手を伸ばしてくれれば引っ張り出せる。
「サエ!!」
「フレイム・アロー」
もう一度、飛んできた矢が水面を打つ。
再び歪んだ球体と、立ち上る水蒸気。構わず、イージスは水の中に手を伸ばす。
その時、ふと頭によぎったのは少女に出会った時のこと。
『サエキ?珍しい名前だね。君の国では一般的な名前なの?』
『・・・・そうですね。珍しくはありません』
他国には、名ではなく姓を先に名乗る国もあるという。
彼女は、一度もサエキが名前だとは言わなかった。
確信があるわけではない。けれど、あの声は名を呼べと言った。しかし、今まで彼女の名前だと思っていたものが違うとすれば、彼女が反応しない理由もわかる。
後になって思えば、どうしてその時そう考えたのか、なぜすんなりと謎の声を信用してしまったのか、イージス自身もわからなかった。
けれど、名を呼ばなければ、という強い思いがあったのは事実だ。
「イチカ!!」
一瞬、ほんの一瞬少女が動いた気がした。
けれど、また水がイージスをはじく。
「もう一度!!」
「了解」
3本目の矢が、アルフォンスの手に宿る。
「イチカ!!」
少女の瞳が、開いたように見えた。
「フレイム・アロー」
水面を打つ炎越しに、少女が手を伸ばしたのが見えた。
その手を取ろうと手だけでなく、今度は上半身まで水の中に入り込む。
あと少し、というところで少女の手が止まる。
―――――与えられるもの以上を望まないどころか、与えられるものすら拒もうとする少女。
この数週間で見て来た少女の姿が、今の少女と重なる。
(・・・・ちっ)
馬鹿な少女だ。
人間は、欲の塊なのだ。自分のために他者を蹴落とせる存在なのに。自分の利益のために、他者を利用できる存在なのに。
彼女は何もしない。
手も伸ばさない。足も踏み出さない。言葉すら吐かない。
こんな時くらい、他者に縋ってもいいというのに。
その手を拒むことで、彼女によいことなど何もないというのに。
今まで彼女に感じていた苛立ちの正体を、垣間見た気がした。
その苛立ちのまま、イージスは強引に少女の手を取る。
「・・・・・っは!!」
「イージス!!」
そのまま力に任せて引き抜けば、思っていた以上に軽い力で引き抜くことができた。。水の球は、少女が出た瞬間に弾け飛んだ。
腕の中でぐったりとする少女を抱きながら、イージスは深く息を吸い込んだのだった。