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ドラゴンの確定申告は大変です

作者: あっつん
掲載日:2026/02/26

 王都歳入庁第七出張所の壁には、朝から低い唸りが満ちていた。唸りの正体は、空調でも民のざわめきでもなく、書類だ。羊皮紙は束になると唸り、数が増えると咆哮に変わる。


「新人、今日の特別納税者はあなたが担当」

 シゴデキで有名な係長ラーファが胃のあたりを押さえながら、青い封筒を私の前に置いた。封筒には、金色の印字が踊る。

【特別納税者番号:ZRG-01/種別:古代竜/氏名:ザラゴス・オブ・テッサロ】


「え、竜、ですか」

「竜よ。去年は前任者が眉毛と前髪を焦がしたわ。焦げ臭いと書類が吸うのよ、臭いを。だから今日は、絶対に焦がさないでね。」

 焦がさないで、と言われて焦がせる人間がどこにいる。私は机の上の砂時計を確認した。

 竜は待たない。竜は来る。

 鐘が三つ鳴ると、出張所の外壁が影になった。窓の外に、鱗のひとかけら。影はゆっくりと形を変え、やがて入口に人影が映る。大柄な男――いや、ヒトの皮をまとう竜が、扉をくぐってきた。闘気の代わりに、古い金属の匂いが漂う。

「決して、納税期日を失念していたわけではない。」

 第一声がこれだ。私の中の何かが、ぐっと正気に引き戻される。言い訳には人の温度がある。竜でも同じらしい。

「王都歳入庁第七出張所、新人のユトと申します。本日はお越しくださり、ありがとうございます。」

 私は深く礼をした。ドラゴンは瞼を細め、少し鼻を鳴らした。

「ユト。短い名だ。覚えた。余はザラゴス。短くも長くも呼ばれてきたが、今日は短くでいい。」

「承知しました、ザラゴス様。では、申告書類の確認から――」

 私は青い封筒から束を取り出し、順番に並べた。『宝庫評価申告書第27号』『洞窟維持管理費明細』『防衛結界費計算書』『竜族特別控除申請書(G-51)』。見慣れた文字列が並ぶが、全てが初めての相手用のものだ。

「経費というものを、余は軽んじない」

 ザラゴスは胸を張った。椅子が悲鳴を上げる。

「文明とは、経費の積み重ねだ。警備費、清掃費、結界費。いずれも大切。余はすべて領収書を取ってある。」

 彼は鱗のような財布を取り出し、どさりと机に置いた。羊皮紙、石板、焼けこげた木札。中には歯型のついた骨片まである。

「この『骨の欠片』は……」

「スケルトンの労務契約書だ。奴らは紙を嫌うのだ。」

「……後ほど鑑別課に回しますね。」

 私は石板に触れ、魔導端末に記録を起こしていく。竜の声が、列をなす書類に血を通わせる。

「まず、『洞窟維持管理費』。湿気対策の除湿結晶、壁面の苔除去スライム委託費、床の砂利交換……はい、これらは認められます。」

 ザラゴスの眉間の皺が少し緩む。私は続ける。

「『防衛結界費』。不法侵入者対策、落盤防止。これも必要経費ですね。『侵入者撃退用落とし穴再設置費』は……設置し直しの回数が多すぎますが……」

「勇者がよく落ちるのだ。」

「それは……勇者の問題ですね。ええと、『姫誘拐計画広報宣伝費』……」

 私は読み上げた瞬間、ラーファ係長が奥で咳き込んだ。ザラゴスは胸元のマントをつまんで、咳の方向を気まずそうに見る。

「民の噂は宣伝になる。『姫は塔に囚われる』というのは古典だろう?」

「古典ではありますが、犯罪行為は経費として認められません。」

「犯罪ではない。立派な儀式だ。」

「たとえ儀式であっても、犯罪は犯罪です。」

 机の上の蝋燭の火が、彼の鼻息で小さく揺れた。私は蝋燭立てを少し遠ざける。

「では、『火山保険料』。これは、噴火時の宝の損壊に備えて加入されている保険ですね。保険料は控除対象です。」

「噴火は自然災害だ。余の咆哮ではない。」

「ここに、『咆哮による小規模崩落』と小さく書いてありますが……」

 ザラゴスはわざとらしく視線をそらした。私は咳払いを一つ。ユーモアは現実を丸くする。

「次に、『宝庫評価』。これは重要項目です。宝そのもの――金貨、宝石、古代の王冠などは『資産』です。経費ではありません。しかし、磨き砂、陳列台の補修、錆び止め油……こういった『維持』のための費用は経費として扱えます。」

「資産?石は石だぞ?」

「いいえ、資産です。資産は価値を生み続けます。そして、価値を生み続けるものは、年を経るごとに少しずつ『減るもの』として扱い、毎年少しだけ経費にできます。これを『減価償却』と呼びます。竜族には『輝度減耗率』というのがありまして……」

 私は『竜族特別控除ガイドライン』を開き、輝度減耗率の表を指差した。宝の「輝き」は法においても価値の尺度であり、定められた率で減っていくことになっている。

「つまり、宝を一気に経費にすることはできないが、必要な磨きと、年ごとの輝きの減り分は、認められるのです。」

「ふむ……輝きは確かに減る。余が眠るたび、光は少し鈍る。磨き直せば戻るが、その磨きにも金がかかる。」

「ですから、その磨きの費用は経費です。」

「賢いではないか、ユト。」

 大きな目が細くなり、口元が少し上がる。私はほっとした。それから、次の紙をめくって、少しだけ手を止める。

「ここに……『ハートストーン(心臓石)』の購入があります。極大の紅玉。これを「福利厚生費」として計上されていますが……」

「そうだ。余の心の安寧のための支出。洞窟が広すぎる夜がある。凍てつく夜。灯りが欲しかったのだ。」

 彼の声が少し低くなった。紙の向こう側に、巨大な洞窟の暗闇と、石の冷たさが見える気がした。

「福利厚生費は、本来雇用者のためのものです。従業員の心身の健康維持にかかる費用。ザラゴス様には、従業員は……?」

「スケルトンは労働契約を結んでいるが、心はない。」

「なるほど、でしたら福利厚生と認めることはできません。ただ……『文化保護控除』という制度があります。希少価値の高い宝を『文化財』として登録し、定められた日数だけ一般に公開すれば、控除が受けられます。『洞窟美術館』のような形にする方法ですね」

「余が、民を洞窟に入れるだと?余の宝が汚されるに違いない。靴についた泥で、床にある古銭も汚れる。」

「そのために、ロープと案内板を設置し、係の案内人を雇います。スライム清掃員は、既にいらっしゃるようですし。期間を限定して、見学路を設け、『触れてはいけません』の札をかけてみてはどうでしょうか。」

「それでも、触れる者は必ずいる。」

「確かに、いるかもしれません。しかし、何もしないより、何かをした方が、税は軽くなります。」

 ザラゴスは腕を組み、少しの間黙った。唇の端を摘み、思案する仕草は、どこの事業主も同じだ。

「余の宝は、見世物ではない。」

「見世物にするのではありません。民に『見せつける』のです。ザラゴス様の歴史を。ザラゴス様が千年かけて集め、守ってきたもの。それを、ただの宝石としてではなく、『物語』として公開するのです。」

 言葉が口から出た瞬間、私自身が驚いた。自分でも少し熱かった。ザラゴスの瞳が、わずかに揺れた。

「……物語か。」

「はい。そのための案内文は、私が書きます。費用は、控除対象です。」

 ラーファ係長が奥で頭を抱えたが、何も言わなかった。言えば、胃が痛むのだろう。胃薬は経費にならない。

「では、もう一つの制度もお伝えします。『孤児院寄贈』です。孤児院への宝石や金貨の寄贈は、寄付控除の対象です。」

「余は、金をやるために集めてはおらん。」

「存じています。寄付は、ザラゴス様の『強さ』を示す方法でもあります。千枚の金貨を動かす代わりに、小さな宝飾品――例えば、この『王国創建記念メダイ』の重複分などは……」

 私は鑑定印の押された小さなメダルの写しを示した。ザラゴスはそれを見て、肩を落とした。

「余は、数を数えるのが苦手だ。どうして同じものが三つもあるのか、わからぬ。」

「それは、よくあることです。」

 笑いが、机の上で弾けた。空気が柔らかくなった。私はひとつひとつ、紙を積み上げていった。


***


 昼前になると、ザラゴスは静かに息を吐いた。息は煤の匂いを含むが、熱は少ない。

「ユト。余は、去年この机で咆えた。『全て経費にしろ』と。前任者の眉毛と前髪が一瞬で灰になった。余が火を節制するのは稀だ。だが、今日は咆える気にならぬ。」

「それは、よかったです。」

「余の火を節制させたのは、数字ではない。おぬしの言葉だ。余は『わからぬ』と言える相手が欲しかったのだろう。」

 机の上の砂時計の砂が落ち切った。私はひっくり返す。砂はまた落ち始める。仕事も同じだ。

「最終的な納税額は……こちらになります。」

 私は計算書を差し出した。ザラゴスは身を乗り出す。巨大な指が小さな数字を追った。

「……思ったより、軽いな。」

「控除を最大限に活用しましたから。文化保護控除は、来月の公開が実施されてから適用になります。寄付は本日付で孤児院に受領書が送られます。」

「ふむ……。今年は、この場で払おう。」

 ザラゴスはマントの内側から革袋を取り出し、机に置いた。袋は重く、机が小さく呻く。私は魔導天秤に載せ、金貨の数を確認し、納税印を押した。最後に、ザラゴスにサインをお願いする。彼は羽根ペンを摘み……一瞬、躊躇した。

「……余の真名をここに?」

「いえ、登録名で結構です。真名は、税務上の扱いが難しいので。」

「ならば良い。」

 渦を巻くようなサインが羊皮紙に踊った。私は控えを渡し、領収書には魔術耐火の封を施した。

「本日の手続きは以上です。来年に向けて、帳簿のつけ方が改善できるよう、簡単な『現金出納帳』を先程作成しました。使い方も書いてあります。もしよければ……」

 私は薄い小冊子を差し出した。表紙には『ザラゴス様のためのかんたん出納帳』と、恥ずかしくなるほど素朴な字で書いてある。ザラゴスはそれを受け取り、ぺらぺらとめくった。

「絵が多いな。」

「絵が多い方が、より分かりやすいかと。一応、美大出身でもありますので……」

「……余は、絵が好きだ。」

 ザラゴスは椅子に深く座りなおし、天井を見上げた。天井の梁には、焦げ跡がいくつか残っていた。去年の痕跡だ。

「ユト。」

「はい。」

「来月の公開。案内文と、ロープと、札と、案内人の手配。余はそういうのが苦手だ。王都に『洞窟美術館』の段取りができる者はいるか。」

「はい。文化財課に顔の広い同僚がいます。」

「そうか。では、手配を頼む。」

 私は頷き、手帳に走り書きした。書く音が、奇妙に心地よい。

「ユト。余は、余の宝が余だけのものではないというのを、今日は受け入れてみる。受け入れた上で、余のもので在り続ける。二つは矛盾しないだろうか。」

「矛盾しません。」

 ザラゴスは立ち上がった。影がまた大きくなり、出張所の空気が少し薄くなる。

「余は洞窟に帰る。帰って、磨く。輝かせる。紙も集める。」

「ありがとうございます。来年もお待ちしています。」

「来年までに、『雲会計』に対応しておこう。クラウドというのだろう?余も勉強しているのだ。余は雲に住んでいたこともあるゆえ。」

「……そのクラウドではありませんが、お気持ちは伝わりました。」

 ザラゴスは微笑んだ。人の形の口元が、竜の笑みの形に、ほんの一瞬だけ歪む。彼が扉をくぐると、外の光が一気に差し込んできた。影が薄くなり、室内の唸りが少し静まる。紙の魔物は、少しだけ機嫌を直したらしい。

 私は机に戻り、控えの束を揃え、インクを拭い、砂を振った。ラーファ係長が椅子にどかりと座り、私の方に親指を立てる。

「焦げない新人、合格。」

「ありがとうございます。」

「で、来月『洞窟美術館』の運営書類は、君が全部作るのよ。」

「……承知しました。」

 私は深く息を吸い、吐いた。インクの匂いと、金属の匂いと、少しだけ煤の匂い。どれも、働いている匂いだ。

 夕刻。空は夕焼けで、雲はクラウドで、竜は遠くで一度だけ咆哮した。税は、明日も締め切りに追われる。竜は、来年も確定申告に追われる。でも、いい。追われるのは、生きているからだ。生きているものは、数えられ、数える。数え終えたら、また数える。私は机に戻り、砂時計をひっくり返した。砂は落ちる。落ちる砂の音に耳を澄ませながら、私は次の青い封筒に手を伸ばした。

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― 新着の感想 ―
一応人の姿をしているとはいえ竜とやり取りするのはかなり恐ろしそうです。 そんな中、ユトは指摘すべきことは指摘し、提案すべきことは提案し、と優秀ですね。 竜の確定申告という“ぶっ飛んでる”とも思える題材…
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