ドラゴンの確定申告は大変です
王都歳入庁第七出張所の壁には、朝から低い唸りが満ちていた。唸りの正体は、空調でも民のざわめきでもなく、書類だ。羊皮紙は束になると唸り、数が増えると咆哮に変わる。
「新人、今日の特別納税者はあなたが担当」
シゴデキで有名な係長ラーファが胃のあたりを押さえながら、青い封筒を私の前に置いた。封筒には、金色の印字が踊る。
【特別納税者番号:ZRG-01/種別:古代竜/氏名:ザラゴス・オブ・テッサロ】
「え、竜、ですか」
「竜よ。去年は前任者が眉毛と前髪を焦がしたわ。焦げ臭いと書類が吸うのよ、臭いを。だから今日は、絶対に焦がさないでね。」
焦がさないで、と言われて焦がせる人間がどこにいる。私は机の上の砂時計を確認した。
竜は待たない。竜は来る。
鐘が三つ鳴ると、出張所の外壁が影になった。窓の外に、鱗のひとかけら。影はゆっくりと形を変え、やがて入口に人影が映る。大柄な男――いや、ヒトの皮をまとう竜が、扉をくぐってきた。闘気の代わりに、古い金属の匂いが漂う。
「決して、納税期日を失念していたわけではない。」
第一声がこれだ。私の中の何かが、ぐっと正気に引き戻される。言い訳には人の温度がある。竜でも同じらしい。
「王都歳入庁第七出張所、新人のユトと申します。本日はお越しくださり、ありがとうございます。」
私は深く礼をした。ドラゴンは瞼を細め、少し鼻を鳴らした。
「ユト。短い名だ。覚えた。余はザラゴス。短くも長くも呼ばれてきたが、今日は短くでいい。」
「承知しました、ザラゴス様。では、申告書類の確認から――」
私は青い封筒から束を取り出し、順番に並べた。『宝庫評価申告書第27号』『洞窟維持管理費明細』『防衛結界費計算書』『竜族特別控除申請書(G-51)』。見慣れた文字列が並ぶが、全てが初めての相手用のものだ。
「経費というものを、余は軽んじない」
ザラゴスは胸を張った。椅子が悲鳴を上げる。
「文明とは、経費の積み重ねだ。警備費、清掃費、結界費。いずれも大切。余はすべて領収書を取ってある。」
彼は鱗のような財布を取り出し、どさりと机に置いた。羊皮紙、石板、焼けこげた木札。中には歯型のついた骨片まである。
「この『骨の欠片』は……」
「スケルトンの労務契約書だ。奴らは紙を嫌うのだ。」
「……後ほど鑑別課に回しますね。」
私は石板に触れ、魔導端末に記録を起こしていく。竜の声が、列をなす書類に血を通わせる。
「まず、『洞窟維持管理費』。湿気対策の除湿結晶、壁面の苔除去スライム委託費、床の砂利交換……はい、これらは認められます。」
ザラゴスの眉間の皺が少し緩む。私は続ける。
「『防衛結界費』。不法侵入者対策、落盤防止。これも必要経費ですね。『侵入者撃退用落とし穴再設置費』は……設置し直しの回数が多すぎますが……」
「勇者がよく落ちるのだ。」
「それは……勇者の問題ですね。ええと、『姫誘拐計画広報宣伝費』……」
私は読み上げた瞬間、ラーファ係長が奥で咳き込んだ。ザラゴスは胸元のマントをつまんで、咳の方向を気まずそうに見る。
「民の噂は宣伝になる。『姫は塔に囚われる』というのは古典だろう?」
「古典ではありますが、犯罪行為は経費として認められません。」
「犯罪ではない。立派な儀式だ。」
「たとえ儀式であっても、犯罪は犯罪です。」
机の上の蝋燭の火が、彼の鼻息で小さく揺れた。私は蝋燭立てを少し遠ざける。
「では、『火山保険料』。これは、噴火時の宝の損壊に備えて加入されている保険ですね。保険料は控除対象です。」
「噴火は自然災害だ。余の咆哮ではない。」
「ここに、『咆哮による小規模崩落』と小さく書いてありますが……」
ザラゴスはわざとらしく視線をそらした。私は咳払いを一つ。ユーモアは現実を丸くする。
「次に、『宝庫評価』。これは重要項目です。宝そのもの――金貨、宝石、古代の王冠などは『資産』です。経費ではありません。しかし、磨き砂、陳列台の補修、錆び止め油……こういった『維持』のための費用は経費として扱えます。」
「資産?石は石だぞ?」
「いいえ、資産です。資産は価値を生み続けます。そして、価値を生み続けるものは、年を経るごとに少しずつ『減るもの』として扱い、毎年少しだけ経費にできます。これを『減価償却』と呼びます。竜族には『輝度減耗率』というのがありまして……」
私は『竜族特別控除ガイドライン』を開き、輝度減耗率の表を指差した。宝の「輝き」は法においても価値の尺度であり、定められた率で減っていくことになっている。
「つまり、宝を一気に経費にすることはできないが、必要な磨きと、年ごとの輝きの減り分は、認められるのです。」
「ふむ……輝きは確かに減る。余が眠るたび、光は少し鈍る。磨き直せば戻るが、その磨きにも金がかかる。」
「ですから、その磨きの費用は経費です。」
「賢いではないか、ユト。」
大きな目が細くなり、口元が少し上がる。私はほっとした。それから、次の紙をめくって、少しだけ手を止める。
「ここに……『ハートストーン(心臓石)』の購入があります。極大の紅玉。これを「福利厚生費」として計上されていますが……」
「そうだ。余の心の安寧のための支出。洞窟が広すぎる夜がある。凍てつく夜。灯りが欲しかったのだ。」
彼の声が少し低くなった。紙の向こう側に、巨大な洞窟の暗闇と、石の冷たさが見える気がした。
「福利厚生費は、本来雇用者のためのものです。従業員の心身の健康維持にかかる費用。ザラゴス様には、従業員は……?」
「スケルトンは労働契約を結んでいるが、心はない。」
「なるほど、でしたら福利厚生と認めることはできません。ただ……『文化保護控除』という制度があります。希少価値の高い宝を『文化財』として登録し、定められた日数だけ一般に公開すれば、控除が受けられます。『洞窟美術館』のような形にする方法ですね」
「余が、民を洞窟に入れるだと?余の宝が汚されるに違いない。靴についた泥で、床にある古銭も汚れる。」
「そのために、ロープと案内板を設置し、係の案内人を雇います。スライム清掃員は、既にいらっしゃるようですし。期間を限定して、見学路を設け、『触れてはいけません』の札をかけてみてはどうでしょうか。」
「それでも、触れる者は必ずいる。」
「確かに、いるかもしれません。しかし、何もしないより、何かをした方が、税は軽くなります。」
ザラゴスは腕を組み、少しの間黙った。唇の端を摘み、思案する仕草は、どこの事業主も同じだ。
「余の宝は、見世物ではない。」
「見世物にするのではありません。民に『見せつける』のです。ザラゴス様の歴史を。ザラゴス様が千年かけて集め、守ってきたもの。それを、ただの宝石としてではなく、『物語』として公開するのです。」
言葉が口から出た瞬間、私自身が驚いた。自分でも少し熱かった。ザラゴスの瞳が、わずかに揺れた。
「……物語か。」
「はい。そのための案内文は、私が書きます。費用は、控除対象です。」
ラーファ係長が奥で頭を抱えたが、何も言わなかった。言えば、胃が痛むのだろう。胃薬は経費にならない。
「では、もう一つの制度もお伝えします。『孤児院寄贈』です。孤児院への宝石や金貨の寄贈は、寄付控除の対象です。」
「余は、金をやるために集めてはおらん。」
「存じています。寄付は、ザラゴス様の『強さ』を示す方法でもあります。千枚の金貨を動かす代わりに、小さな宝飾品――例えば、この『王国創建記念メダイ』の重複分などは……」
私は鑑定印の押された小さなメダルの写しを示した。ザラゴスはそれを見て、肩を落とした。
「余は、数を数えるのが苦手だ。どうして同じものが三つもあるのか、わからぬ。」
「それは、よくあることです。」
笑いが、机の上で弾けた。空気が柔らかくなった。私はひとつひとつ、紙を積み上げていった。
***
昼前になると、ザラゴスは静かに息を吐いた。息は煤の匂いを含むが、熱は少ない。
「ユト。余は、去年この机で咆えた。『全て経費にしろ』と。前任者の眉毛と前髪が一瞬で灰になった。余が火を節制するのは稀だ。だが、今日は咆える気にならぬ。」
「それは、よかったです。」
「余の火を節制させたのは、数字ではない。おぬしの言葉だ。余は『わからぬ』と言える相手が欲しかったのだろう。」
机の上の砂時計の砂が落ち切った。私はひっくり返す。砂はまた落ち始める。仕事も同じだ。
「最終的な納税額は……こちらになります。」
私は計算書を差し出した。ザラゴスは身を乗り出す。巨大な指が小さな数字を追った。
「……思ったより、軽いな。」
「控除を最大限に活用しましたから。文化保護控除は、来月の公開が実施されてから適用になります。寄付は本日付で孤児院に受領書が送られます。」
「ふむ……。今年は、この場で払おう。」
ザラゴスはマントの内側から革袋を取り出し、机に置いた。袋は重く、机が小さく呻く。私は魔導天秤に載せ、金貨の数を確認し、納税印を押した。最後に、ザラゴスにサインをお願いする。彼は羽根ペンを摘み……一瞬、躊躇した。
「……余の真名をここに?」
「いえ、登録名で結構です。真名は、税務上の扱いが難しいので。」
「ならば良い。」
渦を巻くようなサインが羊皮紙に踊った。私は控えを渡し、領収書には魔術耐火の封を施した。
「本日の手続きは以上です。来年に向けて、帳簿のつけ方が改善できるよう、簡単な『現金出納帳』を先程作成しました。使い方も書いてあります。もしよければ……」
私は薄い小冊子を差し出した。表紙には『ザラゴス様のためのかんたん出納帳』と、恥ずかしくなるほど素朴な字で書いてある。ザラゴスはそれを受け取り、ぺらぺらとめくった。
「絵が多いな。」
「絵が多い方が、より分かりやすいかと。一応、美大出身でもありますので……」
「……余は、絵が好きだ。」
ザラゴスは椅子に深く座りなおし、天井を見上げた。天井の梁には、焦げ跡がいくつか残っていた。去年の痕跡だ。
「ユト。」
「はい。」
「来月の公開。案内文と、ロープと、札と、案内人の手配。余はそういうのが苦手だ。王都に『洞窟美術館』の段取りができる者はいるか。」
「はい。文化財課に顔の広い同僚がいます。」
「そうか。では、手配を頼む。」
私は頷き、手帳に走り書きした。書く音が、奇妙に心地よい。
「ユト。余は、余の宝が余だけのものではないというのを、今日は受け入れてみる。受け入れた上で、余のもので在り続ける。二つは矛盾しないだろうか。」
「矛盾しません。」
ザラゴスは立ち上がった。影がまた大きくなり、出張所の空気が少し薄くなる。
「余は洞窟に帰る。帰って、磨く。輝かせる。紙も集める。」
「ありがとうございます。来年もお待ちしています。」
「来年までに、『雲会計』に対応しておこう。クラウドというのだろう?余も勉強しているのだ。余は雲に住んでいたこともあるゆえ。」
「……そのクラウドではありませんが、お気持ちは伝わりました。」
ザラゴスは微笑んだ。人の形の口元が、竜の笑みの形に、ほんの一瞬だけ歪む。彼が扉をくぐると、外の光が一気に差し込んできた。影が薄くなり、室内の唸りが少し静まる。紙の魔物は、少しだけ機嫌を直したらしい。
私は机に戻り、控えの束を揃え、インクを拭い、砂を振った。ラーファ係長が椅子にどかりと座り、私の方に親指を立てる。
「焦げない新人、合格。」
「ありがとうございます。」
「で、来月『洞窟美術館』の運営書類は、君が全部作るのよ。」
「……承知しました。」
私は深く息を吸い、吐いた。インクの匂いと、金属の匂いと、少しだけ煤の匂い。どれも、働いている匂いだ。
夕刻。空は夕焼けで、雲はクラウドで、竜は遠くで一度だけ咆哮した。税は、明日も締め切りに追われる。竜は、来年も確定申告に追われる。でも、いい。追われるのは、生きているからだ。生きているものは、数えられ、数える。数え終えたら、また数える。私は机に戻り、砂時計をひっくり返した。砂は落ちる。落ちる砂の音に耳を澄ませながら、私は次の青い封筒に手を伸ばした。
「面白い!」「続きが読みたい!」など思った方は、ぜひブックマークと評価をよろしくお願いします!
ブックマークや評価していただければ、作者のモチベーションが爆上がりします!




