ドアマットは人間になった
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今回はドアマット逆行ものです。
痛い、いたい、いたいいたい!!!!どうして?!どうしてこうなってしまったの!?誰でもいい!なんでもいい!だれか!!誰か助けて!!
「……ちっ、まだ息があったのか……。」
頭上からふってきた声に反応しようとして、あげることすらできない首から生暖かい呼吸が漏れる。呼吸すら、うまくできなくて漏れるのはかすれるような嗚咽と声にならない呻き声だけ。…そんなことすら、混乱した頭では理解することがだきなかった。
「あーあ、可哀想に。あんな高い所から馬車ごと落ちたのに即死できないばかりか、下半身潰れちまって…おまけに首に……なんだあれ?ささってんな。」
「何でもいいだろ、どうする、とどめを刺すか?」
「よかねぇよ。即死しなかったらできるだけ苦しめて殺せっていわれてんだから。……それなら寧ろこれ放置でいいよな?」
なにを言っているのだろう、よくわからない。ぼやぼやと視界が定まらないから、自分がどうなってるのかもわかんないのに。
「……恨むなら公爵閣下を恨むんだな。」
最後に聞こえたのは、それだけ。最後に思えたのは、優しい笑顔のあの人の顔。
──わたしの、かみさま、エドワード様の笑顔だった。
次に目が覚めたのは、ボロボロの、見覚えのある押し入れの中。記憶の中の自分より、ずっと小さな手に、痩せた体。
過去に、戻ったのだと、戻ってきてしまったのだと理解して、声が枯れるまで泣いて、……声がうるさいと折檻されて気絶して、ようやく夢から覚めた、そんな気がした。
──生まれてこの方、まともに人間扱いされたためしがなかった。
生まれてすぐ母が死に、すぐに父は異母妹を宿していた愛人を家に連れてきた。その後、私は山羊の乳を含まされてそだてられたのだと、感謝しろと私の赤子時代を見ていたというメイド達から言われて育った。
ある程度歩けるようになったら給料のいらない使用人として余り物の賄いを一日一回食べる時と寝るとき以外はずっと働いていたと思う。
その間も、異母妹は父と義母に大切に育てられ、美しいドレスや装飾品に毎日囲まれて暮らしていた。笑えることに、わたしの母方の祖父母が私に贈る誕生日プレゼントも異母妹に身につけさせて孫として会わせていたらしい。
まぁ、それはそうか。私は文字も書けないしマナーもできない。貴族としてふさわしい見た目もしていなかったし、いつも眠くてお腹がすいてふらふらしていたから、外になんて出せなかったんだろう。
私の名前も、居場所も、全ては妹のものだった。……仕方ない。だって妹はなにも知らないのだから。
邸にいるみすぼらしい、自分よりも小さな子供が姉だなんて誰も教えなかったんだ。私だって、あの人に教えられるまで主だと思っていた貴族の男が父親だなんて知りもしなかったから。
転機があったのは、妹がデビュタントを迎えた時期のことだった。
妹は美しかったから、沢山の貴族から求婚を受けて、毎日顔合わせのためにお茶会が開かれていた。その間、私は顔を出すなとわずかな食事と一緒に閉じ込められていた。私は、初めて余り物ではない食事が嬉しくてそのまま、言われたとおりに大人しくしていたんだ。
そんなある日、急に部屋の扉が開かれて私は連れ出された。連れ出したその人が、エドワード様だった。
エドワード様は、優しい人だった。難しいことは…私のことをどうやって見つけたかとかは何度聞いてもよく分からなかったけど、エドワード様にメイド達の様子がおかしいって教えた人がいたらしい。
エドワード様は私に温かいご飯と、快適な部屋、お風呂に綺麗なドレスを用意してくれて、私はこの人のためなら何でもしたいと当然のように思うようになったんだ。一度死んだ今なら、分かる。
エドワード様は、都合のいいお人形が欲しかっただけなんだ。
馬鹿よね、私。エドワード様の屋敷は私のいた屋敷よりも大きかった。当然よね、公爵様のご子息だったんだもの。
エドワード様は優しかった。優しかったけど、なにも教えてくれなかった。多分、私がなんにも考えられなくなるようになにかを仕込んでいたんだ。だって、過去の、不健康でなんにもない私の体の方が死ぬ直前の私の体より、いろんなことを考えることができるんだもの。
思えば、最初は気遣わしげだったエドワード様のお母様も、最後の方は私のことを忌々しい目で見ていた。婚約者はいないっていっていたけど、正直、それも本当なのかわからない。もしいないというのが本当だとして、夫人と公爵閣下のお考えなんて知らないけど、立場を考えると水面下で色々動いていてもおかしくはない。ちょうど釣り合う年頃に第四王女がいたから、そちらと話が進んでいたのかもしれない。
なら、確かに私は邪魔だ。殺されても仕方ない……なんて、
──言うわけないだろクソ野郎どもが!!!!!!!!!!!!!!
どいつもこいつもふざけてる!!!!どう足掻いても私は悪くないだろうが!!!!!!世の中腐ってる!!クソ家族にクソ公爵家!!!助けた!?違うだろ飼い主が替わっただけで私が家畜扱いされていたのは変わらないじゃん!!お母様の実家の目も節穴すぎ!!妹の乳母ですって面でずっといた愛人に気がつかないって馬鹿!?!?!?その後再婚したんだから疑えよ!!!!貴族なんかだいっっきらいだ!!!!!
──逃げよう、何をしても、どんな手を使っても。妹のデビュタントがはじまったら終わりだ。閉じ込められて、あの悪魔に目をつけられる。見つかる前に、逃げ出さなくては。
ぐっと手を握りしめる。軽く頭を振って、背筋を伸ばす。まずは、今がいつかを把握するところからはじめなくては。
……唯一、実家にいた頃、私に優しくしてくれた人はいた。その人がいたら、いいのだけれど。そんなことを思いながら庭の物置に走る。目指すのは美しい庭園ではなく、道具や肥料のおいてある、庭師小屋。この屋敷にいる人間の中で、唯一の平民。庭師のおじいさんの住む場所だ。
「……おぉ……お前さん……今日は大丈夫かぁ…?怪我、昨日のいたくないかぁ……?」
ゴツゴツとした節くれ立った指、モジャモジャとしたおひげのおじいさん。いつもこっそり小屋の裏で育ててる自分用の野菜を料理してこっそり分けてくれた人。ボロボロと流れる涙もそのままに抱きついても振りほどくことなく、怪我に響かないように撫でてくれるその手が懐かしくて、私は声を殺して泣き続けた。
「おじいさ………わたし!!わたし!!ここいや!!にげよう!!!!」
ひどく、驚いた顔をして、けれど確かに彼は頷いた。
──庭師のおじいさん。名前はジョージ。昔は男爵家の三男だったらしい。でも、家が没落して家族を支えるためにかつての友人の貴族の屋敷に庭師見習いとして働くようになったという。それの友人が、私の父方の祖父なのだと、おじいさんは優しく教えてくれた。
おじいさんは真実を知ってる数少ない人間で、それ故にある年の冬、病をえたことを理由に屋敷を追い出されたのだ。きっと、おじいさんはその冬を越えられなかったのだろう。それほどまでに、最後に見たおじいさんは痩せ細っていた。
「……道具の手入れのために鍛冶屋に行くから、その時に賊に襲われたことにして逃げようなぁ。」
おじいさんに家族はいない。もう、全員死んでしまったのだという。だから、なにも気にすることはない、そう彼はしわくちゃな笑顔を見せた。
──それから、数年。
私達は無事逃げおおせた。私はその日、髪を短く切っておじいさんの古着に着替えて、元着ていた服を破って少し血を垂らしてから道端に捨てた。おじいさんも、同様に。前日に絞め殺した鳩の血を使って。
年老いた祖父とともに故郷に戻る途中の孫息子。それが私の役柄だった。そして、それは国を越えて定住地を見つけた後も、性別を隠さなくなった今も変わらない。
伸びた髪をくるくる指にからめる。すっかり伸びたそれは、平民には似つかわしくないきらきらしい色だったから今でも髪染めは手放せない。でも、本来の色は公爵家にいた頃を思い出すからこの落ち着いた茶色は安心できる。
「……へぇ、あの家潰れたんだ。」
新聞を広げて思わず呟く。おじいちゃんのお陰で私は今では字が読めるのだ。結構複雑な計算だってできる。お陰で探偵社なんて平民にしては結構いい所に勤められるようになって、毎日お腹いっぱいご飯を食べることができるのだ。
改めて、新聞を読み進める。隣の国のある伯爵家が戸籍偽造がバレて国王によって爵位と領地を没収されたらしい。当主は投獄の後に病死、夫人と娘は行方不明。へぇ、そんなことが。あ、これ戸籍偽造以外にももっと凄いことしてるぞ~~余罪滅茶苦茶あるじゃん~~。
モグモグ、朝食のサンドイッチを口に含む。行儀が悪くとも誰も気にしない。だって私は平民なのだから。美味しいものを美味しいうちに食べられるなんて、これも平民の特権の一つだな、なんて。…勿論お金は必要だけど。
「……ふぅん、あの悪魔、結局結婚したんだぁ、第四王女……やっぱり話進んでたんじゃない。」
同時に、新聞には伯爵家の醜聞を隠すように、大々的に王家の姫が嫁いだことを一面に飾り立てていた。あの異常性癖に付き合わされるお姫様かわいそ、一生よそ見できないようにしててほしいなぁ。
「パトリシア、時間は大丈夫かの?」
「おじいちゃん!もお~寝てていいのに!今日は体調大丈夫?」
前よりずっと、おじいちゃんは小さくなってしまった。でもあの屋敷にいたときよりおじいちゃんの表情はずっと明るい。……聞いても教えてくれないけれど、おじいちゃんもきっと、あの屋敷では虐げられていたのだろう。
「平気じゃよ。よかったら今日帰りに花屋によってくれんか?花が明日にも咲きそうでなぁ、売るからいつものように籠を預かってきて欲しいんじゃよ。」
「そのくらい全然いいよ!あ、ご飯用意してあるからいつでも食べてね、スープは今ならあったかいよ!」
「そうかいそうかい、ありがとうなぁ。」
大好きな、しわくちゃな笑顔。幸せそうに、満足そうなその顔に思わず同じように笑みがこぼれる。
……逃げると決めてよかった。一緒に逃げられて、本当によかった。
「じゃ、そろそろ仕事だから私いってくるね!」
「おお、気を付けてなぁ。」
いつものように、扉を開けて外に出る。朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、キラキラと朝露に濡れた町に目を細める。
……正直なところ、どうして自分が巻き戻ったのかは今をもって分からない。神様の気まぐれか、何かしらの奇跡か、それとも……生存本能が見せた夢なのかも?それすら、真実はもう分からない。でも、分からなくてもいいと思う。…まぁ少なくとも公爵家でのあれこれは夢では説明つかないので、巻き戻っているのが有力である思うが。
少なくとも、逃げることを決めたから実家が没落したのに巻き込まれなかった。血の繋がった他人の罪を、連帯責任で裁かれることもない。公爵家の異常性癖男に捕まって白痴プレイに付き合わされた挙げ句無惨に殺されるなんていう未来も避けることができた。
パトリシア──おじいちゃんがつけてくれた私だけの名前だ──はただの平民の娘なので、お貴族さまの爛れた私生活にも後ろ暗い策謀もなーんにも関係ないのだ。このさき第四王女がぽっくり死んでも関係ないしそれで公爵家と王家の仲が悪くなって国が荒れても知らない知らない。異常性癖を見抜けなかった周りが悪い。
パトリシアの今の目標は大好きなおじいちゃんを一日でも長く健康に長生きさせることである。そのためには栄養たっぷりのご飯と寝床と趣味を支えることのできるお金が必要なのだ。他のことに構っている暇なんてない。結婚だっておじいちゃんとの同居及びいつか訪れる介護生活をよしとする男でないとするつもりもない。そんな甲斐性無しはお断りだ。
パトリシアの一番苦しくて一番辛かった時期を二度も支えて、初めてのお願いも二つ返事で了承してくれたおじいちゃんより大切な人はいないのである。
なので、
今日もパトリシアはなにか言いたげな所長の眼差しをガン無視して、飲みに誘ってきた同僚の言葉を素早く断り帰路につく。
おかえりと、しわくちゃな笑顔浮かべる大切な人を待たせるなんて言語道断なのだから。
このあとパトリシアの予想通り異常性癖公爵子息はやらかす。