95. マスク
主張も心意気もない日々感じた事柄についてのエッセイ、というか駄弁りです。
視聴番組のCM中にでも見れる(読める)程度の時間と内容を想定してます。
いつでもどこからでもどーぞ。
ご注意: 口語的語りとしていますので“い”抜き、“ら”抜き、その他文章定義はご容赦くださいね。
【日くらし】
95. マスク
前略
コロナ下で空前絶後に一世を風靡したマスクですが、インフルエンザの流行も重なって今でも数多くの方が装着されております。
コロナ発生初期は品薄状態(正確には“無い”ですね)が続いて皆確保に血眼になっておりましたが、その反動もあってか供給が十分になってからも「とりあえず買っておくか」みたいなノリで購入した結果、「もう一生分のマスクが…」なんて方も多いのではないでしょうか。
以前からも冬場になりますと感冒やインフルエンザの予防、春には花粉対策の為マスクをされる方は多かったですが、あのパンデミックの影響で一層増えました。
そしてそこには「あれ?マスク便利じゃない?」となった人達も多いと思います。
風が冷たい冬でも薄いマスク一枚で鼻や顔は結構暖かいですし、女性の方などは「お化粧雑でもマスクしとけば」みたいな安心感(?)を得られます。特殊なところでは知人や会社の人となるべくエンカウントを避けたいみたいな(コミュ…)方なども。(元々”仮面”的な意味ですしね)
後は単純に習慣化しちゃってというパターンも多いでしょうね。
当時は政府の啓発、というか注意喚起的なものもありましたので実際の効果は置いておいて皆(私含め)マスクを常備・装着していたわけですが、色々なシチュエーションで装着と一時収納を繰り返した結果、久々に冬物の上着やコートに袖を通したりするとありとあらゆるポケットからマスクが出てきます。「トランプマンかな?」って思うほど。
今更ながら考えますと当時の“マスク未着は人に非ず”という風潮はちょっと怖い感じがします。
同調圧力といいますか、正義正論の名の元に全員が同じ思考、価値観というのは良く言えば一致団結なわけですが、それで異を唱える一部の人を袋叩き(世論)にするのもどうなんだろうなぁと。プロパガンダってこうして形成されていくのかなって。
(まぁ勿論 “とにかく何が何でも反抗!” ってのも頂けませんけど)
全国のいたるところでトランプマンを生み出す結果となったパンデミックですが、不要となったこのマスク、私の場合この時期鼻をかむのに重宝しておりますよ。
弾切れの心配はありませんから心置きなく使い倒します。
そりゃもう「ソイヤ!ソイヤ! ソレ!ソレ!」ってな具合っす。
ではまた
リアタイで知っているわけではありませんが、室井管理官の若い頃結成していたグループです。今も昔もカッコイイなぁ。




