177. 翻す
主張も心意気もない日々感じた事柄についてのエッセイ、というか駄弁りです。
視聴番組のCM中にでも見れる(読める)程度の時間と内容を想定してます。
いつでもどこからでもどーぞ。
ご注意: 口語的語りとしています “い”抜き、“ら”抜き、その他文章定義はご容赦くださいね。(あ、誤字脱字も……)
【日くらし】
177. 翻す
“常識”っていうメチャクチャ偉そうな(偏見です)この言葉。(書いててホント腹立ってきたなぁコンチクショー)
さも「永遠不変の人世の真理」みたいな顔をしておりますが、いとも容易く覆されがちです。
面白いくらいに。(ざまー)
技術や情報が発達、拡充されていく中で、以前は常識とされていたものが「実は非常識であった」という事が近年本当に多くなりました。
そしてそうなると今度は
「それ間違ってるからね?そんなの常識だよ?」なんていう掌返しっぷりにこちとらホトホト呆れケェっちメェやすぜ。(てやんでぃ!)
極論を言えば「”常識”とは覆されることを前提とした、ただの仮定に過ぎないのではないか?」と。
とかく根性論で成り立っていた昔のスポーツ系なんかはちゃぶ台返しの巣窟でして、
“神社の階段をうさぎ跳びで往復”とか
“毎日欠かさず肉体を酷使した運動”とか
“運動中は(炎天下でも)一切保給水禁止”とか
当時当たり前とされていた“常識”が今では
「それ全部ダメなヤツ、つーかあり得んで?」ってなりました。
熱血系の体育教師が指導する普通の体育授業でもそんな感じでしたから、今考えれば実際選手生命や、命そのものを絶たれた方もいた事でしょう。
現在なら訴訟対象ではないかと思います、本当に。
そして最も大きな問題はその”常識”を前提に「押し付けた責任」は有耶無耶になっていて
「だって知らなかったし当時の常識だったし」がまかり通っている事が恐ろしいと思うのです。
そんなあやふやな“常識”や今現在の個々人の“正義”なんかを振りかざして
「え?それおかしくない?」っていう少数派を袋叩きにする勢力達はその“正義・常識”を、
「後の世でも普遍に通用するものであると命を懸けて言えるのか?」
「もし違っていたら責任を取る気でいるのか?」と思ってしまいます。
「自分の(か細い知識の中での)“常識・正論”は他の人を叫弾出来るに値するか?」と冷静に考え至る人であれば、ネットの炎上なんてそうそう発生しないのではないかと考える事があります。
これも“正しさ(常識)”の捉え方と、少しの解釈過多(時代すかね)によるところなのだろうなーって。
このシリーズでもつい(私の)常識を押し付けがちですから(すみません…)確実な根拠のない主張は控えていくように心掛けていく所存でございます。(なるべく…)
…え?「3秒ルール」って国際法で定められたやつじゃないの?ウソでしょ??はあ?
ではまた (常識以前のやつ)
ま、死んでないからOK(私だからですか?え?)




