144. 誤差
主張も心意気もない日々感じた事柄についてのエッセイ、というか駄弁りです。
視聴番組のCM中にでも見れる(読める)程度の時間と内容を想定してます。
いつでもどこからでもどーぞ。
ご注意: 口語的語りとしています “い”抜き、“ら”抜き、その他文章定義はご容赦くださいね。
【日くらし】
144. 誤差
ほぼ全てにおいてどんぶり勘定で生きてきた私でございますので、キッチリとした目標に基づく計画的推進や算段なんてものには縁がありません。(威張って言うことではありませんが。ホントに)
世に溢れる“数字・数量”には誤差(もしくは概算)が付き物でして、それも内容によって絶対(値)的なものであったり相対的なものであったりするわけですが、この“相対的”いわゆる“比率”というのが中々厄介といいますか危険なのですよ。
何だかの財源予算の試算見積もりで、「目標12兆円に対し、アレとかコレとかを割り当てれば11兆円に届くのでおおよそ達成の見通し」なんて言っていて、そう聞くと
「9割以上はあるから何だかいけそうじゃん」って気もしますが、ゆうてもあと1兆円ですよ?何万人分の年収に相当するのかと考えたら恐ろしい話です。
額が額ですからそういう風に算段しないと「やってられん」というのはあるのでしょうが、国家予算というのも随分とどんぶりだよなぁってなります。
常にキッチリしている数字としては“年齢”なるものが挙げられます。(イヤな数字の筆頭)
女性などが意図的にボヤかしたり詐称したり(可愛いやつですよ?)することはあっても公式なものとなるとビタ一文まけてくれる事は無いですし、「あれ?いつの間に私あの人の年齢追い越しちゃった?」なんて事もありません。
しかしこれもその年数や環境によって扱い、というか捉え方が変わってきます。
学生時代の1歳差はそれはもう絶対的なものがありまして、それによる上下の力的関係はまず覆る事はありませんから驚異的な差といえますが、働くようになって様々な年齢層の方と同じ職場にいると1,2歳の差なんてもう誤差です。
幅が広すぎて世代や年代での括りという扱いになるわけですよ。
実力と有用性評価の時代ですから若くとも役職に就く方も多いですし、実際関連する全ての方の年齢を知っているわけではありませんから年をとるほど明確な“年齢”というのはあまり意味を成さなくなってくる感じがしますね。
「子供の頃からTVでよく見るこの方、今おいくつなんだろう?(結構イってるよね?)」とggりますと
「えっ?私と同年代なの??マジかぁ……」
ビックリしますよホント
ではまた
あー怖い怖い




