99話 魔剣使いの団長同士
ガルドとアリシアの戦いが終わり、訓練場に再び静寂が落ちる。
蒼盾騎士団の団長、ベルクス・リジェルがゆっくりとネアの前へ進み出た。
その目は穏やかだが、芯の強さを感じさせる。
そして、開口一番こう言った。
「魔剣は使わないのかい?」
ネアは思わず瞬きをした。
「え……?」
「君が団長になれたのは、魔剣の使い手としての実力あってこそだろう? 練習用の剣で戦うのは、むしろ不自然ではないかと思ってね」
その声は挑発にも聞こえるし、単なる疑問にも聞こえる。
どちらなのか判断しづらい。
ネアは戸惑い、返答に困った。
その瞬間、鞘の中のレセルが盛大な舌打ちをした。
『……あいつの腰を見なさい。ほら』
「え、腰……?」
ネアはベルクスの腰にある帯へ視線を向ける。
そして気づいた。
(……練習用じゃない剣……)
ベルクスも、練習用の武器ではなく、わざわざ本物の剣を差している。
それは、ネアがレセルを鞘に収めているのと同じ構図。
ネアが気づくと、ベルクスは薄く笑い、提案するように口を開いた。
「どうだろう? お互い、練習用ではなく魔剣を使うというのは。模擬戦とはいえ、実力を試す場だ。その方が、互いに納得できるだろう?」
訓練場の空気が一瞬で変わった。
見物していた騎士たちがざわめく。
「ま、魔剣……? ベルクス団長もなのか?」
「聞いてないぞ!」
「最近、選ばれたって噂はあったが、本当だったのか……!」
どうやら、ベルクスが魔剣使いになったのは最近で、まだ公には知られていないらしい。
ネアは驚きで胸が詰まりかけた。
(蒼盾騎士団の団長が……魔剣使い……? どうしてこんな重要なことが、今……)
そしてもう一人、異様に目を輝かせている者がいた。
──観客席にいるフード姿の少女。
変装したフェリシアが、全身から興奮を隠しきれない様子で、手を叩きかけていた。
どう見ても、ただの見物客という様子ではない。
「きたきた。二人の魔剣使い、それも団長同士の模擬戦なんてねぇ。ああ、素晴らしい……これは見る価値があるわ……!」
(盛り上がり過ぎでしょ……)
ネアも引いてしまうほど、この状況を楽しんでいる。
観客席の誰も、彼女の正体に気づかないのが逆に恐ろしい。
レセルはため息をつく。
『……あの銀髪、絶対あとで面倒なこと言い出しそう。でも、やるしかないでしょう? ネア』
ネアは静かに息を吸う。
ベルクスはまっすぐこちらを見ていた。
挑発ではない、戦士としての誠意と覚悟のある目。
「……いいよ。この模擬戦、魔剣を使ってやろう」
ネアは練習用の剣を置くと、そっとレセルの柄に触れる。
レセルは、嬉しそうに微笑んだ。
『始めましょう。あなたが望むなら、いくらでもわたしは応えてあげる』
訓練場の空気は、もはや単なる模擬戦という言葉では表せない。
観客の熱気。
フェリシアの異様な期待。
そして、魔剣使い同士の対峙。
「では、始めようか」
ベルクスも練習用の剣を置くと、腰にある剣へ手をかける。
ネアもレセルを抜こうとし、訓練場は深い静けさに包まれる。
次の瞬間、誰もがここで何が起こるのかを息を呑んで待つことになった。
「お互い怪我するだろうけど、心配いらない。うちの騎士団から、回復魔法が使える者を連れてきているから」
「そうですか」
ベルクスが剣を抜くと、妖しい赤光が刃をなぞるように走った。
それはレセルとはまったく違う、静かで冷たい光。
(……これが、向こうの魔剣……)
ネアはレセルを引き抜き、静かに構える。
審判の合図とともに、二つの魔剣が音を立ててぶつかった。
ギィン!
打ち合いは速い。
速いが、互いに魔剣の力は一切使っていない。
攻撃の威力も抑えており、技術と観察だけが交差する。
レセルが即座に声を飛ばした。
『ネア、慎重に。まだ探り合いの段階よ。向こうも様子を見てる』
ベルクスの剣筋は鋭く、無駄がなく、美しい。
だが、まだ本気ではない。
見物人の期待で熱気が生まれているが、見応えのある戦いとは言い難かった。
と、その時。
「団長になって、どんな気分だい?」
ベルクスが軽く問いかけてきた。
剣を交えながら。
「えっ……?」
質問の意味を考える前に、レセルが鋭く警告する。
『考え過ぎないで。向こうは、言葉と同時にあなたの動きを観察してる。質問は“揺さぶり”よ。意識が逸れる瞬間を狙ってる』
その通りだった。
ベルクスは会話と同時に微細な踏み込み、剣の角度、肩の動きを変えている。
まるで、ネアの反応速度や癖を確かめるかのように。
ベルクスはさらに続ける。
「魔剣とは、いつ出会った? 君は王都の生まれではないようだが、どこから来たんだい?」
観客に乗せる言葉のようでいて、剣の間合いを絶えず測り、ネアの呼吸や視線の揺らぎを読み取ろうとしている。
レセルが苛立った声を出す。
『ほら来た。こういうタイプはね、質問しながら情報を盗む気だから答えなくていいわ。隙を作るだけ』
ネアは唾を飲み込む。
しかし、逃げるように黙るのも違う気がした。
だからか、攻撃を受け流しながら短く言った。
「……魔剣と出会ったのは、村を出てから」
ベルクスの剣が一瞬だけ止まる。
ネアは続けた。
「私にとって、この魔剣は……命と同じくらい、大事なもの」
その瞬間、剣であるレセルがほんのわずかに揺れた。
ベルクスは目を細める。
「……そうか」
攻撃が止まったわけではない。
むしろ、剣の軌道は鋭さを増した。
だが、その瞳に宿る色だけは変わっていた。
興味。
分析。
そして、わずかな敬意。
「ならば……大事なものを守る力、確かめさせてもらう」
ベルクスは踏み込む。
ネアも構え直す。
観客席では、変装したフェリシアが身を乗り出し、満面の笑みを浮かべる
「いいわねぇ……こういうのを見たかったのよ……!」
レセルは舌打ち混じりに呟いた。
『……あの銀髪、一発ぶん殴ってやろうかしら。握り拳で』
「さすがにまずいって……!」
それはそれとして、ネアの胸は高鳴っていた。
戦うことの喜び、大勢から一目置かれる喜び、それは強さを与えてくれる。
金属音の響きは、先ほどまでとはまったく違う重さを帯びはじめていた。
ベルクスの剣は速い。
しかも正確で、無駄が一切ない。
ネアはレセルを握りしめ、じわりと押し込まれる感覚に、額へ汗がにじむ。
(……こんなに重いなんて)
レセルが低くささやく。
『相手、本気を出し始めてるわよ。気を抜かないで』
数合の斬り結びのあと、ベルクスが少し距離を取った。
そして淡々と、まるで雑談のように言う。
「君の魔剣……レセルだったか。美しい剣だ。能力も、私が聞いている限りでは特別だ」
「……あなたの剣は?」
問うと、ベルクスは刃に手を沿わせ、静かに口を開いた。
「これは、意思を持たない魔剣だ」
観客がざわりと揺れる。
意思を持たない魔剣。
それはネアも知識としては知っている。
ベルクスは続ける。
「人工の魔剣だよ。感情も人格もない。ただし、一つだけ能力がある。持ち主が疲れない。ただ、それだけだ」
ネアはわずかに表情を変える。
ただ疲れないだけ。
それだけなのに、目の前の剣技は、恐ろしく洗練されている。
レセルが深刻そうな声で呟く。
『なるほど。厄介よ。技術の完成度が高い者が、それを永遠に続けられるとしたら……強さがまったく別物になる』
ベルクスは軽く構え直す。
「さあ、続きをしよう。今度はこちらから行く」
剣が地を滑るように迫り、ネアは咄嗟に受け止める。
しかしその瞬間、両腕がしびれるほどの重圧が襲い、剣が跳ねるように角度を変え、さらに一撃が飛ぶ。
『ネア、強化する?』
「……うん、少しだけ」
ネアはレセルに意識を寄せ、体の芯に力を満たす。
筋肉の反応が鋭くなり、視界がわずかに広がる。
身体能力の強化。それはレセルが持つ魔剣としての力の一つ。
次の瞬間、ネアの踏み込みは鋭くなった。
ベルクスの剣を外し、強引に懐へ潜って斬り上げる。
キィン!
しかしベルクスは最小限の動きで受け流し、そこから後退もせず、その場に踏みとどまる。
『守りが……硬い!』
レセルが苛立ちまじりに叫ぶ。
確かに、ネアの強化した動きでも、ベルクスの守りは崩れない。
攻めても攻めても、剣は壁のように受け止められる。
まるで、長年積み上げた技術がそのまま砦になっているかのよう。
観客席からも、ざわめきが広がる。
「押せてない……!」
「動きが素早くなったのに何でだ……?」
「ベルクス殿の守りが尋常じゃない……!」
ネアは焦りを飲み込みながら剣を振る。
時間が経つほど、有利になるのは相手の方だ。
(強化は……代償が返ってくる……)
身体能力を高めれば高めるほど、使った分の反動があとから来る。
筋肉の痛み、神経の負荷、倦怠感。
それらは、戦いのあとに必ず重くのしかかる。
今は小さく抑えているとはいえ、ベルクスのように疲れない相手にじわじわ時間を稼がれると、どうなるか。
(まずい……! このままじゃ……)
どう攻めても崩せず、強化を続ければやがて反動で自分が動けなくなる。
(……どうすれば、一撃を通せる……!?)
ネアの脳裏に焦りと冷静さが混じり合い、剣先が揺れる。
ベルクスはその様子を見て、静かに言った。
「迷っているね、ネア団長」
蒼盾の団長は微笑む。
「迷いがある者には、勝機は訪れない」
その言葉が、ネアの胸に刺さった。
(このままじゃ、押し切れない……)
レセルが声をかける。
『ネア。あなたは強い。だけど、一直線に攻めても相性が悪すぎる相手よ』
「じゃあ……どう攻めればいいの……?」
『その答えは、あなたが見つけるの。わたしは力を貸せるけど、勝ち筋を選ぶのはあなたよ。……それとも、わたしに体を任せる?』
「ううん、今回はやめとく」
ネアは息を吸い、視線を鋭くした。
次の瞬間、踏み込みを止め、構えを変える。
空気の変化に観客席がざわついた。
そしてフェリシアは、変装したままにやりと笑う。
魔剣の使い手同士の戦いは、まだ決着には程遠い。




