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96話 魔神と魔剣

 儀礼の場が終わり、緊張に満ちた大広間から人の波が散っていく頃、ネアは廊下で息を整えていた。

 そこへ、淡い銀の紋章が入った衣を着た使者が近づき、丁寧に頭を下げる。


 「ネア・ブランシュ団長。教皇様がお呼びです。お一人でお越しください」

 「……私だけ、ですか?」

 「はい。教皇様が“ぜひ”と」

 (……絶対になにかある……)

 

 案内された先は、王族の部屋かと見紛うばかりに豪奢だった。

 白と銀で統一された広間は、まるで教会の一部を切り取ったかのように神聖で静謐だ。


 (ここ、あまり落ち着けないな……)


 部屋の奥、高級そうなソファーに座り、紅茶を口にしている少女がゆっくりと顔を上げた。

 白銀の髪。銀色の瞳。

 そこにいるのは教皇フェリシア。

 しかしその表情は、大広間での厳粛な雰囲気とはまるで違う。

 どこか無邪気で、友人に話しかけるような気安さがあった。


 「いらっしゃい、泥棒さん。また会えて嬉しいわ」


 ネアの背筋がびくりと跳ねる。

 フェリシアはくすくすと笑った。


 「冗談よ冗談。捕まえたりとかしないから」


 人払いされた部屋だからか、まるで別人のように軽い。

 フェリシアはカップを置き、ふわりと微笑む。


 「まずは……お礼を言っておこうと思ってね」


 ネアは思わずきょとんとする。


 「お礼、って……?」

 「魔神教の資金を、綺麗に消してくれたこと」


 フェリシアは楽しげに指を組む。


 「本当に助かったわ。おかげで、女神教にいながら魔神教と繋がってる者を見つけ出すことができたから。あとシャーラという、あの狐の商人……彼女、魔神教を裏切る覚悟で大金を用意していたみたいだけど」


 銀の瞳が細められ、ぞっとするような愉悦の色を帯びた。


 「残念ながら手に入れ損ねたようね。いやあ、御愁傷様」


 にこやかな顔のまま言っているが、まるで氷の刃そのものだった。


 「裏切るなら、もう少し賢く立ち回ればよかったのにねえ」


 ぞわり、とネアの背中を冷たいものが走る。

 レセルが鞘の中から、強烈な警戒心に満ちた様子で忠告する。


 『……ネア。あいつ、まともじゃないわ。気をつけなさい』


 ネアは小さく喉を鳴らすだけで精一杯だった。

 まともに返事をすれば、すぐ気づかれそうなせいで。


 「さて」


 フェリシアは紅茶を一口飲み、静かに続けた。


 「あなたとその魔剣、名前はレセル、だったはず」


 ネアはわずかに身を固くする。

 相手は大きな組織の頂点に立つ者。

 事前にある程度こちらの調査はしてあるわけだ。


 「魔剣と使い手の深い結びつき。その力は、魔神の依り代としての代用品になれる」


 思わず空気が凍る。

 ネアは意味を理解するのに数秒かかった。


 (魔神の……依り代……!?)


 鞘の中のレセルが、怒りとも恐怖ともつかない震えを見せた。


 『……代用品? ふざけてるの? こいつは』


 次の瞬間、人の姿へと変わったレセルがネアの前に立つ。

 白い髪と赤い瞳をした少女として、敵意に満ちた様子で。


 「……どういう意味かしら、教皇様?」


 レセルの声はいつになく低い。

 瞳はまっすぐに相手を睨みつけている。

 けれどフェリシアは少しも怯えず、逆に嬉しそうに微笑んだ。


 「そのままの意味だけど? レセル、あなたとネアの結びつきは、魔神教が欲してやまない依り代の資質に近い。とても興味深い」


 楽しげな口調なのに、内容は恐ろしく危うい。

 ネアは息を呑み、レセルはさらに一歩前へ。


 「……わたしたちを巻き込むつもりなら、容赦しないわよ」


 フェリシアは目を細め、どこか甘さの混じった様子で話す。


 「怖がらないで。あなたたちに害を加える気はないの。だって、私は女神に仕える存在。魔神教の敵」


 その微笑みは、歪んだ優美さを帯びている。

 清楚な少女の姿。

 可憐な少女の声。

 だが纏う雰囲気は、決して人の持つそれではない。

 フェリシアは楽しげに指を組んだまま告げた。


 「あなたたちの力は、私の儀式にも必要になるでしょう。ああ、安心して。その時はちゃんとお願いをするからね」


 その瞳は、じっとネアを見つめていた。

 まるで逃がさないと言うように、じっとりとした視線が全身を這う。

 レセルが前に立ち、フェリシアを睨みつけている。

 胸の奥がざわざわと落ち着かないため、ネアは思い切って口を開いた。


 「……詳しく説明してもらえますか? 代用品って、どういう……意味なんですか?」


 フェリシアは微笑みを少しだけ薄め、遊びの色を引っ込めて真面目な空気に変わる。


 「ええ、もちろん。まずは、魔剣そのものについて」


 銀の瞳が静かに細められた。


 「魔剣とは、魔神の力の欠片を宿したもの。自然に生まれたものもあれば、偶然から生まれたものもある。ゆえに、特別な力を持つ」


 魔神の力の欠片。

 それは、軽く口にして良いものではない。

 ネアは息が詰まる。

 フェリシアは続けた。


 「だからこそ、そこのレセルのように意思を持つ魔剣が存在する」


 レセルは眉一つ動かさないが、その瞳の奥に鋭い光が宿る。


 「もちろん、人工的な魔剣の研究もあるけれど……」


 フェリシアは肩をすくめて笑った。


 「それは魔神の力とは無関係。成功してもしなくても、大勢に影響はない」


 淡々としているのに、どこか冷たい言い切り。

 ネアは思う。


 (……人工の魔剣に対してああいう風に言い切るなんて、そこまで差があるの?)


 しかし質問するより早く、フェリシアは次へ進む。


 「では次に、あなたとレセルのような関係。いわゆる、魔剣と使い手の結びつきについて」


 声が、わずかに柔らかくなる。


 「魔剣は本来、ただの武具。けれど、共に時間を過ごし、お互いを必要とし続けると……」


 細く白い指が空をなぞる。


 「結びつきは、魔神の依り代になり得るほどの質へと高まる」


 ネアはその言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。


 「依り代はつまり、魔神が入り込む器……」

 「そう。魔神教の本部に潜入したあなたたちは見たでしょう? 器となる者のお披露目を」


 割と軽く言うので、逆に恐ろしい。

 フェリシアは、もう片方の手の指先を重ねる。


 「とはいえ、結びつきは永続しない。しばらく離れれば、魔剣と使い手の繋がりは薄れるし、負担も軽くなる」


 重ねた指を引き離す。

 そして、淡々と告げた。


 「だから、女神教では、魔剣の使い手には定期的な隔離期間を設けてるの」


 それを聞いた瞬間、ネアは心臓が止まるかと思った。


 (……レセルと離れる……? しばらく離れるなんて……)


 ネアは思わず言い返しそうになったが、声は喉で詰まった。

 もう無理なのだ。

 繋がりは深くなりすぎている。

 少し離れただけでも胸が苦しくなり、体が重くなってしまう。

 意識も曖昧になりかける。

 ネアは言葉を失い、視線を落とした。

 その様子を見て、フェリシアはふっと微笑む。


 「……なるほど。強すぎる繋がりは、祝福なのか、呪いなのか。見方次第で変わるけれども」


 優しげに頷いたあと、フェリシアは立ち上がり、白銀の衣を揺らす。


 「私はしばらくこの城に滞在する。だから、続きは……また別の機会にしましょうか」


 その笑みには、悪意はない。

 だが、興味深い対象を見つけたという静かな光が宿っている。

 レセルはネアの前に立ち、鋭く睨む。


 「……わたしの使い手に妙な意図を持つなら、容赦しないわ」


 フェリシアは笑った。


 「心配しないで。あなたたちが特別であるというだけよ」


 その言い方が、逆にネアの不安を増幅させる。

 そして教皇たる少女はくるりと背を向けた。


 「また会いましょう、ネア。あなたとレセルの結びつきは、とても素敵だから」


 銀の髪が揺れ、扉の向こうへ消える。

 廊下に出たネアとレセルの間に、しばらく言葉はなかった。

 ただ一つ、確かな事実だけが胸に残る。

 フェリシアという少女は、とてつもなく厄介な存在であるということ。

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