94話 黄昏の名を冠する騎士団
朝早く、ネアは城の一室へ呼ばれていた。
広くはないが整えられた部屋の中央には、宮廷儀礼に詳しい侍従が一人、立って待っている。
「ではネア殿。短期間で覚えねばならぬため、最低限これは必要という部分だけを説明いたします」
侍従は穏やかに言ったが、目は本気だ。
「……全部は覚えなくていいけど覚えなきゃいけない部分は重要、ってことですよね」
「その通りです」
即答だった。
ネアはため息をつきつつ、ふと視線を横にずらす。
そこには、人の姿のレセルが当然のように腰かけていた。
「ちゃんと覚えなさい。あなた、失敗しそうだもの」
「レセル、そういうこと言わないでよ……」
侍従は一瞬だけ驚いたが、すぐに「ああ、魔剣殿ですか」と受け入れた。
人の姿になれる魔剣ということで、それなりに有名らしい。
儀礼とはいっても、きらびやかな動きではない。
要点は三つ。
教皇に対する敬礼の所作。
国王と教皇が並ぶ場での立ち位置。
騎士団長としての挨拶の形式。
厄介なことに、残り数日でこれらを覚える必要がある。
ネアは、緊張しながらも侍従の動きを真似していく。
「背筋を伸ばし、胸の前で拳を軽く。はい、もっと柔らかく」
「こ、こう……?」
「いいえ、柔らかすぎます」
レセルは後ろからネアの腕を握って角度を直す。
「ほら、ここ。力を抜きつつも形は崩さないの。少し姿勢が悪いのよ」
「それ、今言う……?」
侍従は微笑ましそうに頷いた。
「息も合っておられるようで、何よりです」
ひと通り儀礼の確認が終わると、侍従が書類を取り出す。
「さて、新設される騎士団の正式名称を決めねばなりません。陛下は、宰相殿にすべて任せるとのことで、宰相殿は、ネア殿の意向を優先してもよいとおっしゃっていました」
「私の……?」
騎士団の名前なんて考えていなかったため、ネアは慌てる。
そこへ、すかさずレセルが口を挟む。
「黄昏の剣騎士団がいいわ」
「たそがれのつるぎ、でございますか」
侍従のペンが止まる。
ネアも止まる。
「えっ、もう決めたの? なんで?」
「あなたの色よ」
レセルは当然のように言うと、茶色い髪にさらっと指を通す。
「終わりの光でもあり、始まりの光でもある。沈む日にも、昇る日にも、寄り添える。あなたに相応しいじゃない」
「……寄り添える、ね」
言われてみると、そこそこしっくりくるため、ネアは考え込む。
(黄昏って綺麗だし……なんだか格好いいし、いいかも)
侍従は深く頷いた。
「響きもよく、象徴としても相応しいかと。では正式名称は“黄昏の剣騎士団”で記録いたします」
書類にさらさらと文字が記される。
ネアの胸に、責任の重さと、少しの誇らしさが広がった。
次に案内された部屋には、城付きの仕立て職人が待っていた。
ネアが少女なのを考慮してか、女性の職人である。
「では、団長としての礼服を仕立てますので、少し失礼しますね」
ネアは立たされたまま背筋を伸ばされ、手足や肩幅を計られる。
「わ、わ……くすぐったい……」
「動かないでください、ネア殿」
レセルは横で腕を組みながら、満足そうにしていた。
「団長の装いなら、もっと威厳ある感じにしてもいいんじゃない?」
「レセルは口を出さなくてもよくない?」
「だってあなた、威厳がないもの」
「ひどい!?」
二人のやりとりに、職人の女性は微笑む。
「いえいえ、ネア殿には柔らかな威厳がございます。その雰囲気を壊さぬよう、上質で落ち着いた感じにしましょう」
レセルがどこか誇らしげに頷く。
「そうね。あなたが魅力的なのは事実なんだから」
「……褒めてるのか、弄ってきてるのか」
「どっちもよ」
そんなやりとりをしながら、採寸は進んでいった。
採寸を終えると、まだ昼には早い時間帯だった。
ネアは人の姿のレセルと共に、城内の食堂へ向かって歩いていると、曲がり角でちょうど二人の人物に出くわした。
ユニスと、その隣を歩くバゼム。
「ネア?」
「おや、君か。城で会うとは珍しいね」
二人は使用人を遠ざけ、人目のない部屋へ移ってから口を開いた。
ユニスが腕を組み、ため息をつく。
「……王都中の貴族が大慌て。あと数日で教皇が来るなんて言われて、皆が状況把握に必死」
バゼムも笑みを浮かべながら続ける。
「自分たちの勢力にとって有利か不利か、判断材料がないからね。そのせいで、あらゆる派閥が互いの動きを探ろうとして……結果、混乱している」
ユニスは盛大に呆れているのか、頭を振る。
「貴族同士の私兵を使った小競り合いまで起きてる。こうなると、王都の治安維持のためにどれだけ人員が必要か……」
ネアは思わず眉をひそめる。
「裏ではそんなことになってるの……?」
「ええ。それに騎士団も例外ではないの」
ユニスは苦々しく言った。
「騎士団と言っても完全に中立ではない。古い騎士団ほど、どこかの貴族の家が裏で強い影響力を持っている。だから、今回の動揺がそのまま騎士団同士の対立にも現れていたりする」
バゼムが肩をすくめる。
「つまり、貴族の影響力がまったくない騎士団というのは、非常に珍しい」
ネアは首をかしげた。
「……じゃあ、私のところって」
「おや、気づいたようだね」
バゼムは軽い調子で笑った。
「君の騎士団は、貴族の誰も影響力を持たない空白地帯だ。君が団長で、君の魔剣が団員……というよりは実質的には最大の抑止力。そこに貴族が口を挟む余地は少ない」
「よくわかっているようでなにより」
レセルは満足そうに微笑むも、ネアはふと疑問を口にした。
「でもユニスがいるし、リュナもグラニエ家に雇われてるし……それでも影響力がないってこと?」
バゼムはわざとらしく肩を揺らして笑う。
「ユニスや私が騎士団を通じて権力を及ぼそうとすれば、レセルという魔剣が怒るだろう?」
レセルはにっこりと、とても攻撃的な笑みを浮かべた。
「もちろん、怒るわよ?」
これにユニスは苦々しくも同意した。
「実際、ネアの周りに政治的な影響を置くのは難しい。魔剣の存在が大きすぎる。意思があり、人の姿にもなれるから」
バゼムは続ける。
「そして宰相もそれを理解している。だからこそ、備えをしてくる。近いうちに追加される騎士団員は、おそらく貴族ではない者だろうね」
「えっ、そうなんですか?」
「貴族が入れば派閥争いの火種になる。だが平民なら、あるいは地方の者なら、比較的扱いやすい。宰相としては、君の騎士団を中立の象徴として維持したいのだろう」
ネアは少しほっとする反面、重大さを痛感して胸が重くなる。
バゼムが軽く時計を見た。かなり高級な特注品なのがわかる、贅沢な代物だ。
「さて、我々はそろそろ行かねばならない。これから貴族間の根回しがあるのでね。教皇来訪となれば、権力者たちは皆そわそわしている」
ユニスも頷く。
「ネア、気をつけて。あなたの騎士団の存在は、今後政治的な意味を大きく持つ」
「うん……気をつける」
二人は短く挨拶をすると、使用人を伴って廊下の奥へと歩き出した。
残されたネアはしばらくその背中を見送り、胸に手を当てる。
(貴族、騎士団、教皇……どうなるか読めないからこそ、誰もが動いてる……)
隣でレセルが柔らかく笑う。
「大丈夫よ、ネア。あなたが困ったら、わたしが全部どうにかしてあげる」
「どうにか、ね。できるの?」
「好きなように受け取って」
ネアは疲れたように苦笑しつつ、食堂へ向けて歩き始めた。
◇◇◇
数日後。
宰相の使いから追加の人員が決まったと告げられ、ネアは指定された部屋へ向かった。
「む……ネア殿、いや団長殿と呼ぶべきか」
扉を開けると、腕を組んで立っていたのは、衛兵隊長のガルド・グリムロックその人だった。
「どうしてここに……?」
「こちらの台詞だ……どうやら、グリムロック隊は騎士団に編入されるらしい」
ガルドは眉間に深いしわを寄せたまま、ため息をついた。
「いきなり騎士団に移されるのは本意ではないが……上からの命令では仕方ない。平時においては、これまでと仕事の本質は変わらぬだろうからな」
そして小声で呟く。
「とはいえ……教皇が来訪する厄介な状況のため、騎士団の者として動かねばならぬ……うーむ……」
ネアは苦笑するしかなかった。
やがて宰相の代理である文官から、正式な辞令が読み上げられる。
団長、ネア・ブランシュ
副団長、ガルド・グリムロック
その場でガルドも書類を受け取り、深く息をつく。
「団長は若く、その副団長に自分がなる……。どうにも、政治というものが裏で動いているのがな」
「ただの偶然じゃ」
「いいや、偶然でこの人事は起きん」
ガルドは苦い顔ながらもネアを見て頷いた。
「だが、そなたが団長ならば従おう。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その日の午後。
王都全体がざわめき始めた。
空が影を落としたかと思うと、城の上空に巨大な物体が近づいていく。
「……来たわね」
レセルが目を細める。
空を割るようにゆっくりと降下するのは、
リセラ聖教国の持つ飛空船であり、教皇が乗る特別な代物。
それが王城の中庭へ向けて、光を反射しながら静かに降り立っていく。
ネアは思わず息を呑んだ。
(……いよいよ始まるんだ)
王都の空気は一変する。
騎士団の団長として、ネアの出番は着実に近づいてきていた。




