93話 騎士団長というものの重さ
オルヴィク家へ戻ると、ユニスはちょうど書類に印を押し終えたところだった。
ネアは、教皇が来ることやその関係で騎士団長になったことを話すと、彼女は手を止めてじっと耳を傾ける。
「新設される騎士団の団長に、あなたが?」
静かな声だったが、その表情は驚きと警戒が入り混じっていた。
ユニスは椅子に深く腰をかけ、どこか分析的な目線で語る。
「王都にはいくつも騎士団があるとはいえ……その一つの団長に任命されるのは、相当な抜擢」
「そ、そうなの?」
「ええ。国境の街や地方にも騎士団はあるけれど、王都の騎士団は実質的には王国の顔。同じ団長でも、扱われ方はまったく違う」
そう言われると、ネアは勲章の重みを思い出して肩がこわばる。
「狩猟祭での優勝で実力を示して、部隊の隊長としての実績も得た……。だけど、それにしたって騎士団長をあなたに与えるのは、普通ではない」
ユニスは眉を寄せ、紅茶のカップを指で回す。
(普通じゃない……やっぱりそうだよね)
いったい宰相は何を求めて団長の地位を与えたのか。
あの時、表向きの理由は語ってくれた。
しかし、それ以外の隠された内容があるかもしれないと考えると、胸の奥がざわついてしまう。
「それで……数日後に、女神教の教皇が来られるのは確かな事実?」
ユニスの声が低くなる。
さっきまでの分析的な表情とは違い、明らかに警戒と緊張が浮かんでいた。
「うん。宰相がそう言ってた」
「……事実なら困った話よ」
ユニスは額に手を当てる。
「教皇が王都を訪れるなんて、異例中の異例。しかも、リセラ聖教国から急に……」
小さくため息をつきながら呟く。
「オルヴィク家の当主として、バゼム……あの人と話し合う必要が出てきた。この来訪は、貴族の力関係にも影響するから」
ユニスはすぐに立ち上がり、書類をまとめ始めた。
いつもの静かな態度の奥で、貴族としての冷静な判断が働いているのがわかる。
「ごめんなさい、ネア。数日後となると、今のうちに行かないといけない」
「うん、気をつけて」
ユニスは軽く頷き、使用人を連れて部屋を出ていった。
部屋に一人残されたネアは、胸の内に小さな不安を抱える。
(……教皇が来る。しかも突然。それを考えると……)
思い浮かんだのは、青い瞳を持つ女神教の若き司教。
王都における女神教の一応のまとめ役でありながら、常に冷静な、どこか達観した雰囲気の少女。
(リュミナさんなら、何か知ってるかも)
ネアは腰のレセルを軽く叩く。
「行こう、レセル。リュミナさんに会いに」
『ええ、いい判断だわ。女神教の司教という、内部の者でないとわからないことはあるだろうしね』
ネアは小さく息を整え、王都にある大教会へ向けて歩き出した。
到着すると、すでに廊下は人の出入りが激しく、慌ただしさが漂っていた。
受付の神官に事情を話すと、申し訳なさそうに頭を下げられる。
「司教様は本日すでに面会が立て込んでおりまして……少しだけお待ちいただくことになります」
「わかりました。大丈夫です」
ネアは案内された先の静かな別室で腰を下ろす。
待つ間、落ち着かない気持ちと、わずかな緊張が胸に積もっていく。
「痛い痛い痛いっ、耳っ、耳ちぎれるぅぅぅ!」
しばらくすると、廊下の方から大声が近づいてきた。
(うん? この声は……)
扉が開いていないのに、はっきりわかるほどの騒がしさ。
続いて、ずるずると引きずられる足音。
ネアが不審に思って扉を少し開けると、廊下の向こうで、見習いとして女神教の世話にまっているミリアが、リュミナの護衛にして聖騎士たるレティスに片耳をつままれ、強制移動させられていた。
そしてミリアと目が合う。
「あ、ネア!? 助けて!!」
勢いよく叫んだミリアは、そのままネアへ向けて必死に手を伸ばす。
「どんな用で来たかは知らないけど、助けて! ちょっとリュミナ先輩にべたべたしてたら怒られた!」
「それは、ミリアが悪いんじゃ……? 自業自得というか」
ネアが苦笑混じりに返すと、ミリアは衝撃を受けたように目を見開いた。
「味方してくれないの? 同年代の友情とか、そういうのあってもいいでしょ? 狩猟祭の時とか戦ったけどさ」
「いや、さすがに……私も怒られそうだし、ごめん」
ミリアは絶望した顔で地面に膝をつきかけたが、レティスによって強制的に耳を引かれて立たされる。
レティスは周囲への礼儀を崩すことなく、淡々とした声で言う。
「ミリア、司教様への私的な接触は、せめて許可を貰ってからするようにと何度も」
そこまで言いかけたレティスの目が、ネアの胸元に留まる。
視線の先には、宰相から先ほど授かった新しい勲章が輝いていた。
レティスの表情が一瞬で変わる。
驚きとも警戒ともつかない色が浮かび、わずかに動きが止まった。
「……その勲章。あなたは宰相に……」
彼女は何か言いたげだったが、その続きは飲み込んだ。
代わりに、小さく深い礼をする。
「こほん……失礼しました。司教様への面会の方ですね。のちほどお部屋にお通しします」
表向き真面目な様子でそう告げると、ミリアをずるずると引きずったまま、レティスは廊下の奥の部屋へ入っていった。
ミリアは最後の瞬間まで必死に手を伸ばしてきたが、助けは得られないまま扉は閉まった。
「いつも通りって感じかな? あれ」
ネアは苦笑しつつ、静かになった廊下を見つめる。
やがて、別の神官がやってきて告げる。
「司教様の準備が整いました。どうぞお進みください」
ネアは立ち上がると深呼吸し、司教であるリュミナが待つ部屋へと歩き始めた。
案内された小部屋は、教会らしい清潔で静謐な空気に包まれていた。
ネアが入ると、机に広げた書類から顔を上げる人物がいる。
青い髪と、同じ色の静かな瞳をしたエルフの少女。
彼女は、女神教の司教リュミナ。
いつも通り落ち着いているが、目の下には薄く隈があり、膨大な仕事を抱えていることが見て取れた。
「……ネアさん」
少しだけ、疲れがにじむ声。
リュミナの視線がネアの胸元で止まった。
新しい勲章が光を反射して揺れた瞬間、何かを察した様子で頷いた。
「……なるほど。宰相と会って、女神教からどんな人物が来るのか知って……こちらに来た、というわけですね?」
二人きりの部屋だからか、その言い方は遠慮がない。
ネアは素直に頷く。
「はい。教皇様が来るって……聞きました」
リュミナは眉をひそめ、ため息をついた。
「まったく突然のことで、王都の女神教も混乱しています。予定は全部ひっくり返るし、各所への連絡も追いついていませんし……。こんな短期間で訪問するなど、通常はあり得ません」
愚痴がこぼれる。
青い瞳は冷静なままだが、その奥には疲労とわずかな苛立ちがあった。
「昨日の夕方に通達が届いたと思ったら……数日後に教皇が王都へ向かうとだけ書かれていて。理由も目的も明記されていません。困惑して当然でしょう」
言葉の端々に、この若き司教がどれほどの重責を背負っているかがにじむ。
ネアはそっと口を開いた。
「そんなに……大変なんですね」
「ええ。おかげで、昨晩はほとんど眠れていません」
淡々と告げる声なのに、どうしようもなく現実味がある。
それほどまでに、この突然の訪問は異常事態だった。
リュミナは机に手を添え、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「ネアさんは……王国と聖教国の関係について、ご存知ですか?」
「……いえ、あまり」
「そうでしょうね。では簡単に説明します」
リュミナの青い瞳が静かに細められる。
「昔は、両国は緊張を伴う友好関係でした。表面上は仲が良くても、宗教の影響力で衝突したり、どちらが主導権を握るかで探り合ったり……そんな時代です」
淡々と語られる歴史。
だがゆっくりと、空気が重くなっていく。
「ですが、今は違います。今は女神教にだいぶ国王陛下が……いえ、やめておきましょう」
リュミナは途中で言葉を止めると、深刻な話題をそのまま飲み込んだ。
「とにかく、現在は深い友好関係にあります。多少の問題なら目をつむるほどに。……貴族の中に魔神教に通じる者がいても、とやかくは言いません。聖教国が今回、どういう意図で訪れるのか……予想できません」
女神教の司教である彼女の言葉は重い。
それだけに、濁した部分の意味が気になった。
だがその時、控えの者が部屋の外で軽く扉を叩く。
「司教様、次のご予定が迫っております」
リュミナは軽いため息をつくと、ネアに向き直る。
「今日はここまでにしましょう。また必要であれば、いつでも」
「ありがとう、リュミナさん」
「お気をつけて」
ネアが頭を下げると、リュミナはわずかな笑みを返す。
静かだが、確かな気遣いがあった。
外へ出た瞬間、レセルが小声で呟いた。
『……言葉を濁したけれど、女神教は国王をどう“扱っている”のかしら?』
「扱ってるって言い方どうなの……」
『だってねえ? あの口振りだと、女神教の方が国王より上っぽい空気だったじゃない。そして素直には言えなかった』
「う……まあ、確かに」
レセルは楽しげに続ける。
『魔神教はろくでもないが、女神教も負けず劣らず。って宰相が言っていたでしょう?』
「言ってたけど……」
『つまり、これからだいぶ面白い光景が見れそうってわけよ』
なんとなく不穏で、なんとなく楽しそうで、ネアは思わず苦笑した。
「……レセルって、本当に時々、怖い考え方するよね」
『褒め言葉として受け取っておくわ』
「いや、褒めてないから」
ネアはやれやれといった様子で頭を軽く振る。




