89話 地下での戦いと聖都からの脱出
金庫室に響く剣戟の音。
飛び込んできた二人の信徒を、ネアとリュナは即座に迎え撃った。
「速い!」
鋭く突き出された槍が、ネアの頬をかすめて、赤い線が走る。
ネアは剣を滑らせ、槍を押し返すと同時に踏み込んだ。
リュナも別の者と斬り結ぶ。ヴァニティアの刃が火花を散らし、鈍い音を響かせた。
だがその瞬間、シャーラがちらりと奥を見やった。
「……あら〜?」
資金の運搬用の木箱を担いだと思わしき数人が、驚愕の表情でこちらを凝視している。
そして、慌てて後退し、逃げるように通路の奥へ引っ込んでいった。
「ふーん、運んでる途中でしたのね。つまり、この場にいるのは護衛がすべてではありませんわ!」
その一言に、敵の動きがわずかに乱れた。
「シャーラ! この裏切り者め、余計なことを!」
槍を持つ男性が舌打ちし、力任せに突き押してくる。
その乱れを、ネアは見逃さない。
「──っ!」
踏み込み、斬り上げる。
相手は柄を使って受け止めるが、腕が大きく揺れた。
『少しずつ崩れてる。今のうちに押し込む!』
「任せて!」
攻める動きに合わせるように、リュナもヴァニティアを振り下ろす。
その瞬間、奥から戻ってきた別の信徒が、苛立ちを露わに魔法を発動した。
火の矢が飛んでくる。
「戦えるのが二人だけだと思うなよ!」
しかし、ヴァニティアの黒い刃が軽く振られた瞬間、矢は霞のように消え失せた。
「……は?」
まさかの事態に驚愕し、固まる。
それから少し遅れて、歯噛みした。
「魔法を封じる……魔剣だと!? ちっ、閉所でそんな代物を!」
ヴァニティアの声が冷ややかに響いた。
『はっ、魔法なしで俺と使い手に勝った奴がいるんだがな』
「くそっ、意思あるやつか……! これだから魔剣と使い手は厄介なんだよ!!」
魔法使いの信徒は明確に怯み、距離を取る。
槍と剣を振るう二人も、焦りに呼応するように後退した。
ネアは追撃しながら、息を整えた。
(これなら押し切れる──!)
ところが次の瞬間。
奥の通路の向こうから、ゆっくりと、重い靴音が響いた。
ズ……ッ、ズ……ッ。
先ほど逃げた者たちとは違う、静かで落ち着いた足取り。
姿が見えないのに、全身の毛穴が総立ちになる。
『……来るわね。ここを守る本来の番人が』
レセルの声は、低く、冷たかった。
戦いはここからが本番だった。
奥から姿を現したのは、一人の老人。
背は少しだけ曲がっているが、歩みは揺るぎなく、足音は重い。
白髪だが、眼光は若者より鋭い。
腰には、黒鉄の刀身を携えた魔剣がある。
「……守り役、というわけ?」
ネアが構えると、老人はにやりと笑った。
「歳を取ると、各地を飛び回るのも疲れるのでな。こういう所で番犬の役を任されるばかりよ。あとは馬車で揺られるのが結構きつい」
苦笑して肩をすくめる。
だが、すぐに言葉は毒気を帯びた。
「この魔剣はな──斬った相手の“若さ”を吸う。十年離れた者なら一年、二十年なら二年、そんな効率の悪い代物だが……」
そして、嬉しそうに目を細めた。
「子どもを斬れば、大きく若返る。まあ、さすがに心苦しいがな?」
言葉とは裏腹に、心からの笑みが浮かんでいる。
レセルは舌打ちした。
『このクソジジイ……実力は本物よ。油断しないで』
ネアは警戒しつつ軽く踏み込む。
老人は、歩くより速く、剣を抜いた。
キィィィン!!
金属を擦り合わせた悲鳴のような音が、辺りに響き渡る。
ネアは咄嗟に防ぐが押される。
老人が片手で振るう剣とは思えないほど重い。
「ぐっ……!」
「援護するよ」
すぐにリュナが援護に入る。これで二対一。
だが、老人は刃を軽く受け流して笑う。
「二人がかりか。よろしい、若い力はこのくらいあってこそ楽しい」
斬撃が弾かれ、床に火花が散る。
二人は攻め立てるが、互角どころか、少しずつ押し返されている。
(つ、強い……!)
老人は余裕たっぷりに、横目でシャーラを見た。
「そこの女狐。よくもまあ裏切ったものだ。長く魔神教にいたというのに。それゆえに様々な恩恵を得ただろう?」
シャーラは肩をすくめ、尻尾を揺らした。
「それがどうした、と言いたいですわ。戦争のために各地の資金がここへ集まるとくれば、狙わない理由があります?」
老人は、深いため息をついた。
「やれやれ。欲望に忠実な獣風情が。まあ、殺せばすべて解決する」
剣が構え直される瞬間、空気が変わった。
そこには若返りを求める切望が、快楽が、満ちていく。
『ネア、気を抜いたら一瞬でやられるわよ』
「わかってる……!」
老人の笑みは歪みきり、剣先は淀んだ欲望の色を帯びる。
まだ若さを奪う余地がある獲物が、ここには三人分いるのだ。
◇◇◇
決着はつかないまま時間だけが過ぎていく。
そろそろ引き上げるべきだ。
だが、背を向けて走れば、その瞬間に斬られてしまう。
(どうにか、この人を……!)
ネアとリュナは押し込まれながらも必死に剣を振るう。
その時、老人の刃が横へ跳ね、シャーラへ迫った。
「ひっ──!」
バシュッ!
飛んだのは血ではない。
シャーラの胸元にぶら下がっていた、魔法陣の描かれた札の束が真っ二つに裂け、床へ落ちた。
「きゃあああああ!! わたくしの! とっておきが!!」
悲鳴は、命を奪われかけた恐怖ではなく、財産への嘆きだった。
老人は吐き捨てるように呟く。
「札に命を救われるとは……運が良いな。商人気取りの獣め」
シャーラは震えながら札の残骸を拾い上げた。
「これは金貨百枚分の価値が、いえ、千枚以上の価値が──! む、無駄にぃぃ……!」
このままではまずい。
足止めされ続ければ、人がいないはずの聖堂に、そのうち人が戻ってしまう。
その時、レセルの声がネアに叩き込まれた。
『無理をしてでも、一気に決めるわよ』
「どうやって!?」
『肉体の限界を一時的に越える。わたしがあなたの体を引っ張る。その上で身体強化を重ねるの。代償として──終わったあと、しばらく全身が動かせないほどの激痛がくるわ』
ネアは息を呑んだ。
効果が切れたら戦える身体ではなくなる。数日はまともに動けない。
(でも……捕まったら終わりだ)
迷いは一瞬。ネアは小さく頷いた。
「……お願い」
次の瞬間、ネアの視界は世界の輪郭が浮き上がるように歪んだ。
鈍かった感覚が鋭くなる。
筋肉が焼けるように熱い。だが、軽い。思う通りに動ける。
老人の視線だけが、はっきり見えた。
「……ほう?」
ネアは踏み込む。
老人は受けようとしたが、その速さに初めて目を見張った。
「若造が、抜け駆けを──!」
リュナが横から打ち込む。
老人の魔剣の軌道が乱れる。
「そこっ!」
ネアとレセルの意志が重なる。
斬りつけた剣は、老人の魔剣を弾き飛ばした。
黒鉄の刃は宙を舞い、床へ落ちて転がる。
「ぬおっ──!」
「得物を、手放した」
その瞬間、リュナは駆けた。
魔剣を拾うと、壁の隙間から突き出た石の裂け目へ、深々と突き刺した。
柄以外が土に埋まる。
老人は目を見開き、叫んだ。
「なんということを!!」
だが、刃はすぐには抜けない。
掴んで引っ張るだけでは、少ししか動かない。
ネアは息を荒げながら、老人を見据える。
「逃げよう、今のうちに!」
シャーラは名残惜しそうに震えていたが、リュナに首根っこを引っ張られ、強制的に走り出した。
階段を駆け上がり、地上へ。
すると誰もいない聖堂の裏口で、ユニスが待っていた。
「遅い。……やったの?」
「あとで説明する……! 今は逃げる!」
空飛ぶ船がある乗り場まで、息を切らしながら駆け抜ける。
誘拐騒ぎはまだ続いており、誰もネアたちを気にかけない。
教皇を誘拐した者を討伐すべく送り込まれた聖騎士の姿に、人々は目を奪われていた。
そして、手続きを済ませてベルフ王国行きの空飛ぶ船へ。
小部屋に全員が押し込まれると、シャーラは壁にもたれ、放心していた。
「ああ……あと少し……目の前まで来ていた財産の山が……」
狐の耳と尻尾は、しおれた草のように垂れ下がっている。
「とっておきが……水の泡……。年に一枚しか作れない札が……遠くへ……せめて場所の指定をしていれば……ああああ……」
乾いた笑いが漏れる。
「うふふ……うふふふふ……すごく、損をしてしまいましたわ……」
人の姿になったレセルがため息をついた。
「命があるだけで十分でしょ、泥棒商人」
「そう言って慰め……うふ……」
「はぁ、ダメね、これは」
飛空船は静かに離陸し、聖都カルセラを離れる。
盗みは成功に終わった。
魔神教から、膨大な戦争資金は失われた。
だが、その資金は誰の物にもならず、転移した先はどこなのか誰にもわからない。
ネアは剣を抱えたまま、小さな声で呟いた。
(これで……国の未来は、どうなるかな?)
空を進み続ける船の窓からは、聖都の姿は少しずつ遠ざかっていった。




