88話 影の情報源
ネアが宿へ戻ると、すでにユニスとリュナ、そしてシャーラまでもが待ち構えていた。
扉を閉める前から、三つの視線が刺さる。
「遅かったですわね。何かあったんでしょう?」
ネアは息を整え、女神教の少女とのやり取りを端的に説明した。
意思のある魔剣に興味を示したこと。
レセルを握らせろと言ってきたこと。
そして、三日後、東の聖堂が無人になるというのを知らせてきたこと。
話し終えた瞬間、空気は一気に張り詰めた。
「……女神教の中枢にいる者が、いきなりそんな話を?」
ユニスが眉を寄せる。
「罠くさい。罠の匂いしかしない」
リュナも不機嫌そうに腕を組んだ。
シャーラは値踏みするように目を細め、尻尾を小さく揺らす。
「利益になりそう、というだけでは喜べませんわね。裏が読めないと、儲け話は腐るものですし」
全員の疑いが深まる中、ネアは剣を机の上にそっと置いた。
『……はあ、仕方ないわね』
淡い光とともに、レセルが人の姿に変わる。
長く白い髪に、赤い瞳。腕を組んだまま、壁にもたれている。
「向こうはずいぶんと偉そうにしてたけど、要はこういうことよ」
レセルは面倒くさそうに髪を払った。
「女神教の一部は、魔神教と繋がっている。それを嫌っている勢力が、わたしたちに泥棒をやらせたい、というわけ」
ユニスの表情がわずかに動く。
「つまり……権力争い?」
「そう。信仰なんて便利な飾りといったところよ。内側は利権の奪い合い。王国の貴族がやってるみたいに。今回のあいつ、女神教内部の反魔神派ってところね。だから、わたしたちに資金を盗ませて汚れ仕事を押し付けたい」
レセルの口元が皮肉に歪む。
「こちらとしては、ただ利用されるだけ。だけど、今回に限っては、利害が一致してる。だから、一応の味方ってところ」
沈黙が落ちる。
シャーラだけが、ぱっと顔を輝かせた。
「そういうことなら話は簡単ですわ。向こうの都合で無人になるなら、盗みやすくなる。利害一致こそ、交渉の基本!」
リュナは腕を組んだまま、ぼそりと呟く。
「でも信じられるかは別問題だよね。罠かもしれないし」
ユニスが頷く。
「三日後、本当に人がいなくなるかどうか……それを見極めた上で動くべきだと思う」
全員の視線が、自然とネアへ集まった。
ネアは深く息を吸い込む。
「……じゃあ、三日後。本当に聖堂から人がいなくなるなら、動く。それまでは準備だけ」
レセルは軽く肩をすくめた。
「それでいいわ。利用できるなら利用する。嘘なら、全部切り捨てればいい。なにせ、今のわたしたちは、聖教国へ商売しに来た者たちでしかないから」
シャーラが満足げに笑う。
「では、盗みの準備に全力を尽くすとしましょう!」
狐の尻尾が喜びで跳ねる。
それは、信仰と陰謀に満ちた国への、ささやかな攻撃の始まりだった。
◇◇◇
その日は、朝から街の空気がざわついていた。
昼になる頃には、揺れるほどの騒ぎになっていた。
「何があったんですか!?」
ネアが近くの露店の店主に尋ねると、彼は息を荒くしながら叫んだ。
「教皇様だよ! 教皇様が誘拐されたんだ!」
その一言に、空気が凍りつく。
「内部で戦いが起きてるらしい! でも、大聖堂だし、教皇様がいるから強引には攻め込めないんだと! 今、周辺の戦える者が集まってるんだ!」
「教皇、様が……?」
ユニスは言葉を選びながら尋ねる。
「……そんなことが起きてる間に金庫を盗めるかな?」
リュナは半信半疑に呟いたが、ネアはすでに考えていた。
(大聖堂が混乱すれば、他の聖堂の人員が引き抜かれる)
あの時に少女が口にした言葉。
三日後、大事件が起きて東の聖堂から人がいなくなる。
(……本当だった)
ネアはすぐに進み始める。
目指すべき先は、東の聖堂。
四人は喧噪の中を駆け抜けた。
少しして到着すると、やはり人が少ない。
見張りが数人いるだけで、内部に信徒すら見当たらない。
見張りたちは忙しなく辺りを見回しているが、その隙の多さにネアは確信する。
「人手不足……完全に引き抜かれてる」
「私が気を引く。ついでに情報も抜いてくる」
まずユニスが前へ出た。
フードを深くかぶり、控えめな声で見張りに問いかける。
「あの、こちらでは祈りはできないのですか? 今日は大事な日なので……」
兵士は不安げに頭を振った。
「今は無理だ。内部はほぼ無人だが、何があるかわからん。とにかく立ち入らないでくれ。大聖堂の件で手一杯なんだ」
内部は無人。
それを知ったシャーラの目が輝く。
「お聞きしました? 無人だとかなんとか、ふふふ」
ユニスは兵士と話を続け、もっともらしい質問で時間を稼ぐ。
その間に──ネア、リュナ、シャーラの三人は、建物の影に身を滑らせ、裏口へ向かった。
『急ぎなさい。ユニスの時間稼ぎもそろそろ終わる』
「わかってる」
静まり返った聖堂の扉が、きしりと音を立てて開く。
工事中という名目のはずが、内部には足場も資材も見当たらない。
ただひたすらに清潔で、誰もいない。
リュナが低い声で呟く。
「……準備してたんだよね。いつでも“動けるように”。魔神教が、女神教と戦いを始められるように」
「でも、それが逆に……盗むチャンスに変わるとは、向こうも思ってなかったでしょうねえ」
シャーラの笑みは、獲物を前にした獣のよう。
ネアは剣の柄を握りしめた。
(私たちは、あの子に誘導されてる)
思い浮かぶのは、銀の髪に銀の瞳を持つ、女神教で偉い立場にある少女。
その意味を理解しつつも、やるべきことは一つ。
「金庫を探す。急ごう」
静寂に満ちた聖堂に、三つの足音が沈み込む。
混乱の起こる都市の裏で、盗みが始まった。
「むむむ、この辺りが怪しい……」
聖堂の細かな探索はできない。
ひとまず出入口に近いところは除外する。
そしてある程度の当たりをつけて奥に進むと、とある部屋の中でシャーラは鼻をひくつかせ、尻尾を揺らす。
「ふふん、届いていた紙には【物置の奥の何もない部屋】と書いてありましたわ。それがここ」
物置の奥にある部屋は、埃っぽく、誰も使っていないように見えた。
「何もないけど……?」
ネアの言葉に、シャーラは壁へ近づき、ぴたりと手を当てた。
狐の耳がゆっくりと動く。
「薄い……中が空洞ですわね」
音もなく、壁にあったランタン掛けを押すと、小さくきしむ音が響き、床板がゆっくりと沈んだ。
そこには階段があった。
黒い穴がぽっかりと口を開けている。
『まったく、良く見つけるわね』
レセルが呆れ混じりに言う。
シャーラは得意げに笑った。
「皆さま、狐の嗅覚と耳は、こういう時のためにあるんですのよ? おほほほ」
ランタンを手に、三人は階段を降りていく。
やがて足元が平らになり、目の前に大きな一室が現れた。
「……っ」
ネアは驚きのあまり声が出ない。
そこには、眩しいほどの金貨、銀貨、宝石の山が積まれていた。
「これ……全部が魔神教の戦争資金?」
見上げるほど積み上がっている財宝の山に、リュナは腰を抜かしそうになる。
「そうですわ。これこそ魔神教の戦争資金。各地の支部から集まった、国を揺るがすお金ですのよ」
しかし、ネアはすぐに現実的な問題に気づいた。
「でも……どうやって持ち出すの? こんなの、何百人いても無理だよ」
その言葉を聞いて、シャーラはゆっくりと、しかし不気味に笑いはじめた。
「……ふふ、ふふふふふ。とっておきを使う時がきましたわねぇ」
懐から取り出したのは、幾枚もの魔法陣が描かれた紙の束。
「これを床に。資金を囲むように貼ってくださいまし」
三人で急いで紙を貼っていく。
作業の途中、シャーラは満足そうに語った。
「これは年に一枚しか作れませんの。莫大な費用と手間をかけて……お金が転移する魔法陣を、何年も前から、わたくしは大きな盗みのために準備しておりましたの!」
『目的が清々しいほどに泥棒ね……』
レセルが呆れ果てる。
ネアは内心でうめいた。
(この人、ずっと盗みのために準備してたの……?)
やがて、紙がすべて貼り終わり、シャーラがぱんぱんと両手を打つ。
「では参りますわ。転移、発動っ!」
金貨も宝石も、光に飲まれて一瞬で消えた。
「場所は指定しませんでしたが、心配ありませんの。逃亡後に同じ魔法陣を貼れば、呼び戻せますわ。ふふふ、ウハウハな未来が楽しみですわねぇ!」
しかしその直後、遠くから魔力を圧縮した鋭い弾が飛来した。
「危ない!」
リュナが即座にヴァニティアを抜き、魔法を斬り払うと、音を立てて魔法が霧散していく。
『無効化した。魔法はなんとかできるが、それ以外はそっちで対応してくれ』
ヴァニティアは周囲に、声が聞こえるように話す。
階段の奥から、靴音が近づいてくる。
複数人のものであり、男女の声が重なった。
「資金の移送中に……ネズミが紛れているとはな」
「逃がすわけにはいかない。すべて吐いてもらう。泥棒ども」
三人は顔を見合わせた。
「……戦うしか、ないね」
『当然よ。全部盗んだんだから』
火花のような緊張が地下に満ちた。
資金は奪うことができた。次は、生きて逃げる番。




