79話 砂の中を泳ぐ魔物
「さあさあ、お嬢さま。ドレイクを用意したので乗ってくださいまし。半刻ほど走れば現場に着きますの。ほらほら、わたくしの後ろにどうぞ」
シャーラがどこからか手配してきたドレイクは、砂色の鱗が太陽に照り返り、風を切るように鼻をすんすんと鳴らした。
「う、うん」
「では、出発!!」
ネアはややぎこちなく鞍にまたがると、シャーラは手綱を軽く弾いた。
ドレイクは砂を蹴り、交易路から外れた荒野へ滑るように走り出す。
乾いた風が頬を撫でていく。
ドレイクの背中は安定しており、ネアは前にいるシャーラの狐耳を見ながら、雑談を始めた。
「私、別に……幹部の人と深い繋がりがあるわけじゃないんですよ?」
するとシャーラはくすくすと笑い、狐の尻尾を揺らした。
「まあまあ、お嬢さま。繋がりが浅いということは、“実力”で選ばれたということでしてよ。それはそれで期待できる、ということですわ」
「期待って……何を……?」
「人材として、ですわ。若くて強くて、剣も魔法も扱えて。あらららら、貴族でも傭兵でもなく、魔剣使い? これは高く売れますわねえ」
「あのね、売れないから」
「おほほほ」
おふざけが楽しいのか、シャーラは笑いながらドレイクの首を軽く撫でた。
しばらく荒野を進んだあと、ネアは以前から気になっていたことを口にする。
「……魔神の器って、定期的に変わるくらいには“いる”んですか?」
シャーラの耳がぴくりと動いた。
「いいえいいえ。そんなに頻繁ではございません。数十年に一度、ようやく代替わりする……そんなものですの」
「そんなに珍しいんだ……」
「これでも、選ばれる者は限られていますのよ。若すぎても、老いすぎても、魔神の力に耐えられず、死んでしまいます。器とは──魔神が憑依しても壊れぬ器。条件を満たす肉体が、そもそも少なくて」
「そ、そうなんだ……」
レセルがため息をつきたそうな様子でささやく。
『嫌な話ね……魔神の器にふさわしい者がいなかったら、どこかから誘拐してでも用意しそう』
魔剣の声が聞こえないシャーラは気にせずに話を続ける。
「代替わりの際には、一時的に魔神が器に憑依しますの。そして、今後数十年の教団の方針を語り置いていく。これが、わたくしたちが言う“お披露目”ですわ」
「方針……魔神が?」
「ええ。だからこそ、皆さまお祭り騒ぎでしてよ。タダ飯、タダ酒、そしておこぼれ話──それらを狙って信徒が集まるわけですわ」
ネアは素直に頷く。
「へえー……」
シャーラは頬杖をつくように振り返り、軽く笑った。
「ええ、可愛らしい反応ですこと。知らぬ世界は、何でも新鮮に見えますものね」
ドレイクはさらに速度を上げ、乾いた地を踏みしめながら目的地へと向かっていった。
ドレイクが駆けるうちに、荒野の景色は徐々に変わっていった。
足元の土は細かい砂に変わり、風に舞う砂粒が頬に当たるたび、乾いた音を立てる。
「このあたりですわねえ……そろそろ、出るはずですが」
シャーラが耳をぴくりと動かしたその瞬間。
ザザザッ……
遠くの砂地が、まるで水面のように波打った。
「……いた」
ネアは目を凝らす。
砂の下を、何かが“泳いで”いる。
ひれのように砂を弾き、うねりながら移動する影。
魚と蛇を合わせたような体つきで、細長い体には薄い鱗が反射していた。
「砂の中を……泳いでる……?」
「サブアラの砂漠地帯ではよく見かける魔物ですのよ。単体では大したことありませんけれど」
次の瞬間、砂地から飛び出すように伸びた影が、遠くの商隊に向かって跳んだ。
「群れで動くと、ちょいと危のうございますわねえ」
砂煙を上げて馬車に食らいつこうとする魔物たち。
商人たちの悲鳴が、砂風にかき消されつつ響く。
ネアが身を乗り出した時、シャーラは実に嬉しそうに目を細めた。
「さあさあ、お嬢さま。助けにいきましょうか。他人が勝手に囮になってくださいますし、助ければお礼のお金も期待できますわ。お金に愛されるとは、こういう機会を逃さないことですのよ。ふふっ」
(……お金のことしか考えてない)
ネアは思わず言いかけた。
「シャーラさん、ちょっと……その発想は……」
しかし、言い切る前に、自分の言葉を飲み込む。
(……いや、言うだけ無駄か)
シャーラは尻尾を揺らし、手綱を引いた。
ドレイクは砂を蹴り、商隊へ向かって一直線に駆け出す。
「さあ参りましょう。この砂泳ぎの子たち、まとめて退治して差し上げましょうねえ!」
ネアは剣に手をかけながら、シャーラの貪欲さに若干の不安を覚えつつも、助けを求める商隊の方へと意識を向けた。
レセルの声が静かに響く。
『……あの女狐、貪欲すぎて逆に信用できるタイプね』
(前向きに捉えていいのかな……?)
砂の海で、戦いが幕を開けようとしていた。
まず砂を割って飛び出した魔物が、商隊の護衛に襲いかかる。
「うわっ、また来たぞ! 構えろ!」
「隊列を崩すな、馬車を守れ!」
護衛たちが槍を構えて応戦するが、砂の中を泳ぐように動く魔物は狙いにくく、地面から跳ねるように飛びついては噛みつこうとする。
ネアはドレイクから飛び降り、砂の感触を確かめるように一歩踏み込んだ。
『砂地は足を取られるわ。跳ねるのは危険。踏み込みは浅く、斜めに動いて』
「了解」
踏み出しと同時に、ネアは身を低く構えた。
砂を弾きながら滑るように接近してくる魔物。
ギャッ!
剣先を軽く当てただけで動きが変わる。
黒い霧のときとは違う、生身の手応え。
(速い……でも、動きは単純)
ネアが目で追うより早く、レセルの声が戦い方を導いていく。
『右、潜るわよ。斜め左へ、一歩だけ』
魔物が砂に潜って向きを変えた瞬間、ネアは細かくステップを踏み……。
ザンッ!
跳び出した魔物の首を、剣先が正確に捉えた。
「やりますね、お嬢さま」
少し離れた場所で、ドレイクに乗ったままのシャーラが声を上げる。
シャーラは杖を振るい、氷の粒を混ぜた風を魔物に向けて放つ。
ビュオォ!
冷気が砂上を走り、魔物の鱗に触れた瞬間、蛇のような体が硬直して動きが一瞬だけ止まった。
「今ですわよ!」
「わかってる!」
ネアは砂を蹴り、一気に距離を詰める。
斬撃は深くは入らない。
魔物は、柔らかい体に硬い鱗を持っており、刃を滑らせるように受け止めてくる。
しかしレセルの声が、音よりも速くネアの神経を走る。
『滑らせるのが弱点。切るんじゃなくて、押し込んで』
(押し込む……!)
ネアは剣を横に倒し、力任せではなく、体の重心を前に滑らせながら押し込む。
鱗ごと柔らかい体を押し倒すように切り裂くと、魔物は動かなくなった。
「すごい……! 若いながも強いんですね!」
護衛の一人が驚きに声を上げる。
その背後で、また砂が盛り上がった。
「まだ来るか!」
シャーラが杖を振り上げる。
「はあい、もう一発おまけですわぁ!」
氷混じりの冷風が魔物の群れに吹き付ける。
凍るほどではないが、魔物の動きは明らかに鈍り、砂を泳ぐ勢いが落ちる。
その瞬間を狙って、護衛たちとネアが同時に突撃した。
「はぁっ!」
「子どもに守られてちゃ示しがつかん。こっちは任せろ!」
シャーラの援護のおかげか、そこからの展開は早かった。
ネアが二体、護衛が一体ずつ仕留め、最後の一体は砂に潜りかけたところをネアが追い打ちをかけた。
剣が砂に突き刺さり、魔物は動かなくなる。
「……終わった、かな?」
『終わったわ。初めての相手に、よくやったじゃない』
レセルの声は少し誇らしげで、ネアは照れくさく息を吐いた。
「助かった! 本当に助かったよ!!」
商隊のリーダーらしき人物が駆け寄り、深々と頭を下げる。
「護衛たちだけじゃ押し切れなかった……お礼は必ずする! あなたも、そこの杖の人も、本当に感謝する!」
「おやおや、お礼、ですって?」
シャーラの耳がぴくぴくと動く。
「あらまあ、そんなに気を遣わなくてもよろしいのに……でも、受け取れるものは全部いただきますわね」
(……うん、やっぱり言わないでおこう)
ネアは小さくため息をついた。
商隊を救ったことで、シャーラとの信頼関係も深まり、本部へ行く資金の目処も立ちそうだった。
「討伐する魔物はこれで終わり?」
「ええ。肉食な魔物の群れの間引き。これで交易路はいくらか安全になりましたわ」
戦いの熱は冷めきらない。
ネアは次も何かあると予感していた。




