78話 胡散臭い狐の女商人
サブアラの支部へ戻ると、空気はひどくざわついていた。
しかし、ざわめいているのは上層部だけ。
廊下を歩けば、耳を澄ませずともひそひそ声が漏れ聞こえる。
「ジェーン様が?」
「ここの所属ではないから、正式な報告筋が……」
「責任の所在が面倒な……」
「だが消えたのは事実だろう。となると──」
ネアが近づくと、皆そろって話題を切り替える。
あからさまではないが、どこかよそよそしい。
(サブアラの人たちからすれば、私は外部から突然来た新人でしかない)
しかも、ジェーンが消えた現場にいたのも自分。
尋問されてもおかしくない状況だが、幸いネアに火の粉は飛んでこなかった。
それはただ単純に、ジェーンがサブアラの所属ではなかったからだ。
『国が違えば、同じ組織でも実質的には別の組織みたいなもの』
「……寂しいね。あの人は、裏でいろいろ動いてたのに」
自分たちの部下や上司が死んだわけではない。
そのため、混乱は魔神教の上の方で起きており、サブアラの支部は命令待ちの状態で比較的静か。
とはいえ、ネアにとっては別の意味で深刻な状況だった。
「……この国で、完全に孤立してる、よね?」
誰に問うでもなく呟く。
剣であるレセルが鞘の中で応じる。
『ええ。あなたをここに連れてきた張本人は、もういない。今のあなたは、砂漠の真ん中で置き去りにされた旅人みたいなものよ』
「言い方が……重い」
『でも事実でしょ?』
サブアラの乾いた空気が、やけに遠く感じられる。
そんな不安定な状況を理解しているらしい支部の幹部代理たちは、ネアに対してやたら丁寧だった。
ジェーンという幹部が、わざわざ連れてきた者というのが影響してるのだろう。
「……転移陣の再調整が必要でして」
「その、旅費を渡して陸路で帰っていただくのも検討していますが……」
「上で話がまとまるまでは、どうか待機を……」
つまり、帰る方法はあるが、どれを選ぶかが決まっていない。
その板挟みの中、ネアは宙ぶらりんのまま放置される形になった。
「……異国にある魔神教の支部で足止め、か。どう考えても、良くない状況だよね……」
『でも、逆に言えば、堂々としていれば今回の混乱に紛れ込める』
「堂々とって……気持ちが追いつかないよ」
『そのためにわたしがいるじゃない』
少し嬉しそうな、頼もしいような、やや歪んだ声にネアは苦笑した。
その後、しばらく待機をという指示が下された。
やることもなく、行く宛てもない。
(話がまとまるまで、うろつくしかないか……)
ネアは支部の内部を歩き始めた。
石と砂で造られた迷路のような建物。
行き交う人々は異国の衣装を身につけ、言葉の訛りも王国とは大きく異なる。
まるで、別の世界に来たようだ。
しかしその中で、ネアの知らぬ視線が、何度か背中に刺さっていた。
「……気のせい?」
『違う。誰かが見てるわね。あなたを“ジェーンの後釜候補”だと思っている者がいる』
「えぇ……それ、本気で困るやつ……」
『幹部がわざわざ、一人だけ同行させてる者とくれば、そういう目で見られてもおかしくはないわ』
ネアはため息をつきながら、支部の奥へと歩みを進めた。
サブアラ支部の市場区画は、どこか怪しげな熱気に満ちていた。
王国とは違う香辛料の匂い、乾いた風、異国の衣装を着た信徒たちが取引の話をしながら行き交っている。
(支部っていうか……市場みたい)
そんな感想を抱きつつ歩いていると、耳の先が尖り、ふさふさした尻尾を揺らす狐の獣人の女性が、とある露店の陰からひょいと顔を出した。
「まあまあ、そこのお嬢さま。少しお顔が強ばっていらっしゃいますわ? 異国でのお一人歩きは、緊張しますものねえ」
柔らかい声。
言葉の端々にどこか商人めいた余裕があり、しかし過度に押しつけがましくもない。
「あなたは?」
「わたくし、シャーラと申しますの。商人をしながら魔神教にもお仕えしている者ですわ。困ったときの相談役……といったところかしら」
商人にしては目が鋭い。
しかし愛想はよく、腹の底を見せない──どこか危険と安全の中間みたいな雰囲気をまとっていた。
よりわかりやすく言うなら、胡散臭い。
(一応話が通じそうな相手……かな)
ネアは思い切って尋ねる。
「魔神教について……いろいろ聞いてもいいですか? 支部があるなら、本部ってどこにあるんです?」
シャーラはぱちりと目を瞬かせると、すぐさまにっこりと微笑んだ。
「もちろん、教えてさしあげてもよろしくてよ。ただし、情報には値段がつくものですの」
「……お金で?」
「ええ。わたくしは商人ですから」
ネアは少し悩んでから財布を開き、手持ちの中からいくらかを差し出した。
シャーラはそれを受け取り、指で軽く弾くと心地よく笑った。
「では、お話いたしますわ。魔神教の本部は、大陸のどこにもありませんの。厳密には──大陸の地下にございますのよ」
「地下……?」
「地下洞窟に広がる大規模拠点ですわ。そこへ至るには、転移魔法陣を使うほかありませんの。徒歩では決して辿り着けない、というわけですわねえ」
そのままシャーラは話を続ける。
「そしてもう一つ。より値の張る情報がございますの」
そこで言葉は止まり、手が何かを催促するように動いていた。
続きが聞きたいなら払うものを払えという意味だ。
(……払うしかないか)
さらに金を渡すと、シャーラは狐の耳をぴんと立てて言う。
「近々、本部にてお披露目が行われますの。新しい魔神の器となる者の、ね」
「お披露目……」
レセルが鞘の中で不快そうに震えた。
『器……またその話……』
シャーラは指を揺らしながら楽しげに続ける。
「ちょっとしたパーティーになりますわ。皆さま、お祝いだお祝いだと、タダ飯やタダ酒を狙って集まるものでして。お嬢さまも、お好きでしょう?」
「そりゃ、タダで飲み食いできるのは嫌いじゃないけど……」
シャーラはふさふさしている尾を揺らしながら、さらにささやく。
「追加料金を払ってくだされば、わたくしのお導きで“本部”へお連れできますの。それだけの立場はありますのよ、わたくし」
それはまさかの提案。
だが、ネアは財布を見て青ざめた。
「……足りない」
財産のほとんどは王都に置いてある。
サブアラに来るつもりなどなかったのだから当然だ。
シャーラは視線を動かし、ネアと、その腰にある剣を見比べた。
「まあまあ、お困りなのね? でしたら一つ、お仕事がございますの」
「お仕事……?」
「魔物討伐ですわ。交易の邪魔になるものが少々。お嬢さまほどの腕があれば、ちょちょいと片付くはずですもの。わたくし、こう見えて人の“素性”は調べるのが早い方ですのよ?」
「……わかりました。受けます」
「では、お任せいたしますわね──狩猟祭の優勝者である、ネア・ブランシュさま」
狐の目は、どこか楽しげに細められた。
異国から来たばかりの者だろうと、その素性をすぐに調べられる。
それだけの力があると、暗に匂わせてきていた。




