75話 魔剣の策略と異常な愛情
夜の帳がおりきった夜、トラヴァスの街はほの暗い灯火に包まれていた。
一日のざわめきは完全に消え、見回りをする兵士の足音が時折聞こえてくるだけ。
ブランシュ隊の仮宿舎に戻ったネアはすぐにユニスを呼んだ。
扉を閉めると、ろうそくの明かりが二人の顔を照らす。
「……儀式は終わった。信徒の人に、お偉いさんと呼ばれてるジェーンという人に会った」
「幹部辺りか……それで直接話したの?」
「うん。力を授けられたように見せかけて……実際はレセルが何かした。でも、実際に何が起きたのかは、まだ気づかれてない」
ネアは手の甲に残る黒と白の刻印を見せた。
淡く光が脈打つたび、胸の奥がざわつく。
ユニスは興味深そうに、しばらく見つめる。
「影響が気になるけど、手の甲にあるそれについては後日詳しいことを聞くとして……それで他には?」
「あの幹部の人は、女神教の司教──リュミナさんの誘拐計画を話してた」
ユニスの目が一瞬鋭く光る。
「……やっぱり、まだ狙ってるか。若いエルフで美人で実力もある。そんなわかりやすい象徴を、もし誘拐することができれば、女神教との争いで魔神教は優位に立てる。……それは王国貴族の、魔神教への傾きを強めることになる」
ネアは小さく頷く。
「まだ計画の段階だと思う。でも、リュミナさんには早めに警告しておきたい。私は魔神教に入ってて動きが制限されるから……ユニスに頼みたい」
ユニスは腕を組んで少し考え込み、やがて深く息を吐いた。
「ワイバーンを使うのはやめておく。目立ちすぎるし、魔神教に勘づかれる可能性がある」
「じゃあ、どうするの?」
「リュナと一緒に“サボるふり”をして、馬を借りて向かう。これで監視を欺ける程度の距離は稼げるし、昼までに出れば夜には王都に着ける。あとはまあ、私一人だと危ないしリュナは護衛代わり」
ネアは安堵と不安が入り混じった表情を見せた。
「ありがとう、無理はしないで」
「それはお互いさま。そっちこそ、深入りしすぎて抜け出せないことにならないように」
部屋の中には短い沈黙が訪れる。
レセルは剣の姿のまま、鞘の中で小さく震えた。
『見ず知らずの土地において、あなたが信じられる者は限られてる。……でも、あなたの部隊の二人はひとまず信じられる。それを考えて動くべきよ』
ネアは無言で頷き、窓の外を見やった。
月が雲の切れ間から顔を覗かせ、街を静かに照らしていた。
(この夜が、何かの始まりになったりしないといいけど)
◇◇◇
朝の光が薄く差し込み、部屋を柔らかく照らす。
鳥の声が遠くから聞こえ、外では街の人々が動き始めている。
ネアはゆっくりと目を開けた。
体が温かい──視線を横に向けると、そこには白い髪をほどいたレセルが、静かな寝息を立てて添い寝していた。
いつもの剣の姿ではなく、人の姿。
その頬は柔らかく、まるで普通の少女そのもの。
「……レセル?」
呼びかけると、彼女はゆっくりとまぶたを開く。
赤い瞳が光を反射し、微笑む。
「おはよう、ネア」
「どうして人の姿で?」
「あなたが寝てる間に戻りたくなったの。剣の姿より、そばにいて触れられるから」
ネアは呆れたように笑い、すぐに手の甲を見る。
黒と白の混ざる刻印が、今も淡く脈打っている。
「……昨日は眠くて聞けなかったけど、これ、何なの?」
レセルは体を起こし、ゆっくりとネアの隣に座る。
「魔剣と使い手の結びつきが深まった証。あなたとわたしの繋がりは、もはや簡単に切れない」
「でも、儀式のあと、ジェーンは勘違いしたままだった。魔神の加護だって言うほどに。……これ普通のやつじゃないよね?」
レセルはしばらく沈黙し、それから再び微笑んだ。その笑みには、どこか危うい甘さがあった。
「そうよ、これは普通の結びつきじゃない」
次の瞬間、レセルはネアを押し倒した。
ベッドが小さく軋み、柔らかな髪が頬に触れる。
「これは、魂の繋がりを示すものよ」
見下ろしながら、ゆっくりとささやく。
少女な見た目に反して力は強く、抵抗しても抜け出せない。
「あなたが死ねば、わたしは壊れる。わたしが壊れたら、あなたは死ぬ。そして……ずっと離れていると、お互い衰弱するようになるの」
まさかの内容にネアは何を言えばいいのかわからなくなる。
その瞳に映るレセルは、どこまでも幸福そうだった。
「……嬉しそうだね」
「ええ。だって、ようやく繋がれたんだもの」
「魂を、繋ぐって……」
レセルは覆い被さるように身を寄せ、刻印のあるネアの手を両手で包み込む。
その動きは、祈りにも似ていた。
「事前に相談しなくて、ごめんなさい。ただ、あの女が悪いのよ。本来ならもっと先の予定だった」
「……ほんとに勝手なんだから」
「でもいいでしょ? わたしたち、一蓮托生になるだけなんだから」
ネアは顔の一部に手を当てて苦笑する。
「魔剣って、もしかして……やばい?」
「ええ、やばいわ。だって魔剣だもの」
レセルは小さく笑い、おでこ同士を軽く合わせた。
その笑みは、優しくもどこか狂気を孕んでいた。
「……ねえ、レセル。この結びつきって、どんな利益があるの?」
ネアが尋ねると、レセルはうっとりとした笑みを浮かべた。
まるで愛を語るように、頬に手を添え、柔らかくささやく。
「まず、あなたにとっての利益から話すわね」
「う、うん」
「魂がわたしと繋がったことで、あなたの体は、わたしという剣の特性を一部持つようになる。傷の治りが早く、というよりは怪我しにくくなり毒にも強くなる。魔力の流れが整い、少しならわたしが魔力を貸すこともできる。それに──」
レセルの瞳が、ゆっくりと赤く光を帯びる。
「わたしがあなたを守るとき、あなたはもう苦しまない。痛みも、恐怖も、わたしが全部引き受けることができる。しないという選択もあるけどね」
ネアは息を呑んだ。
まるで優しさの形をした呪いのような言葉だった。
「……それって、いいことばかりみたいに聞こえるけど」
「そうね。あなたにとって“表面上”は」
「表面上?」
レセルはくすりと笑い、ネアの胸の上に両手を置いた。
手の甲の刻印がかすかに光り、体の奥に鈍い熱が走る。
「その代わりに、あなたの感情がわたしに流れ込む。恐怖も、怒りも、喜びも。あなたが他の誰かを想えば──わたしにも全部、伝わるの」
ネアの肩がぴくりと動く。
「……つまり、全部見られてるってこと?」
「見てるわけじゃない。感じるの」
レセルの指先が、ゆっくりとネアの首筋をなぞる。
「あなたが微笑むと、わたしの胸が温かくなる。あなたが他の誰かを見て笑うと、胸が焼けるように痛むの。でも、それでもいい。だって、その痛みでさえ、あなたの証だから」
「……レセル」
「ねえ、ネア。わたしにとっての利益を、聞きたい?」
レセルは顔を近づけ、唇が触れそうな距離でささやく。
「あなたを、誰にも渡さなくていい。それがわたしにとっての利益よ」
ネアの背中に冷たい震えが走る。
レセルの声は、甘いのに、ぞっとするような熱があった。
「あなたが何を見ても、どこに行っても、わたしはあなたの中にいる。逃げようとしても、わたしがあなたの体を動かせば済む話。ねえ、それって、安心でしょう?」
ネアは思わず首を横に振る。
それは束縛よりも恐ろしい、何か。
「ううん……安心とは言えない、かな」
「ふふ、正直ね」
レセルは愉快そうに微笑む。
「でもいいの。いずれ、あなたもこの結びつきを心地よく思うようになる。わたしの声が絶えずそばにあって、わたしの魔力があなたを満たす。眠るときも、戦うときも、泣くときも──全部、わたしが見ているの」
レセルはそのままネアの頬を両手で包む。
「だからもう、他の誰かに守られる必要なんてないわ。一緒に、わがままを押し通しましょう?」
ネアの唇が震える。
恐怖とも、安心ともつかない感情が胸を満たす。
それは、愛と依存が溶け合う、毒のような甘さ。
レセルは満足げに笑い、そっと頭を撫でる。
茶色い髪は、手の動きに合わせて揺れ動く。
「魔剣のこと、怖く感じた?」
「うん……想像以上に」
「でも、もう遅いわ。だって、わたしたちは」
耳元に軽く唇を寄せ、甘い言葉を耳に語る。
「一つに繋がったのだから」




