71話 国境の街における方策
昼のトラヴァスは、活気にあふれていた。
朝よりも人通りが多く、香ばしい匂いが風に混じっている。
屋台の列を歩きながら、ナランは軽やかに笑った。
「ここの串焼きは名物なんですよ。ソーティから香辛料を仕入れていて、王都のものより味が濃いんです」
「へえ……おいしそう」
ネアが受け取った串を見つめると、ナランは満足げに頷いた。
「こういう場所に来るの、久しぶりなんです。騎士団の仕事だと、食事はどうしても形式なものばかりで」
二人は街の片隅に腰を下ろし、串をかじった。
肉の脂と香辛料が舌に広がり、少し辛い。
ネアが小さく咳き込むと、ナランは笑いを漏らした。
「王都の味に慣れていると、刺激が強いでしょう?」
「う、うん……でもおいしいです」
ナランは軽く頷き、屋台の喧騒を眺めながら言った。
「この街は、不思議なんですよ。王国の中にありながら、どこか“外”の匂いがする。でも、だからこそ私はここが好きです」
「……ナランさんって、ずっとここに?」
「ええ、小さい頃を含めると、もう十年以上になります」
ネアが頷くと、ナランは少し目を細めた。
「あなたについて尋ねてもいいですか?」
「え?」
「宰相直属の部隊になるくらいですから、何かきっかけがあったんでしょう?」
ネアはわずかに言葉を選ぶ。
「……そうですね。いろいろあって、今は剣と一緒に旅をしています」
「剣、ね」
ナランは意味ありげに微笑んだ。
「あなたの“相棒”のこと、少しだけ噂で聞きました。人になれる魔剣、でしょう?」
「……ええ」
「素晴らしいことですよ。この国の上層には、特別な存在を恐れる人が多い。でも私は、そういう力を“使える側”にいたいと思って生きてきました」
ナランは串を食べ終えると、手を拭きながら続けた。
「私はね、特別な家に生まれたわけではないんです。ごく普通の家庭。それでも、王都の学校に入って、貴族の子弟たちと机を並べました。家の名はなくても、努力すれば人脈は作れる。あとは──誰と繋がるか、だけ」
淡々と語る声。
そこに誇りも謙遜もない。
ただ、積み上げた現実の音がした。
「そうして知り合いを増やし、機会を逃さず掴んだ結果……私はこの街で、それなりの地位を得ました」
「自分の力で、ですね」
「そう。誰にも奪われない立場を作るには、それしかないんです」
ナランはそう言って、ネアをまっすぐに見た。
「あなたも、そう思いませんか? ネア・ブランシュ隊長」
その呼び方に、ネアの背筋がわずかに伸びた。
笑顔を崩さず、静かに頷く。
「……ええ。きっと、そうだと思います」
ナランは微笑み、ゆっくりと立ち上がった。
「よかった。話が通じる人は好きです。さて、もう一軒、甘いものでも行きましょうか。この街の名物で、片方の国では禁じられている菓子があるんです」
風により、香辛料の刺激的な香りと遠くから漂う甘い匂いが混ざる。
ネアは胸の奥のざらつきを押し隠しながら、静かに歩き出した。
甘味屋の奥、仕切られた小さな個室。
窓の外から差す陽光が、薄い布越しに金色を描いていた。
香ばしい焼き砂糖の匂いが漂い、机の上には二つの皿。
淡い桃色の菓子が、ふわりと湯気を上げている。
「これが、例の禁じられたお菓子。ソーティ側では刺激が強いとかで禁止されているんです。でもね、食べてみると──ただ甘いだけですよ」
ナランがフォークで一口分をすくい、口に運ぶ。
とろん、と溶ける音。
彼女の表情は穏やかで、まるでこの空間だけが現実から切り離されたようだった。
ネアも一口食べる。
柔らかく、けれど喉の奥に残る甘みが妙に濃い。
「……おいしいです」
「でしょう?」
ナランは微笑み、フォークを置いた。
そして、まるで世間話の続きをするように唐突に言った。
「ねえ、ネアさん。あなたは、この王国をどう思います?」
ネアは一瞬、手を止めた。
「え……どう、って?」
「良い国か、悪い国か。あるいは、あなたが守りたいと思える国か」
唐突で、重い問いだった。
店の外のざわめきが遠くに霞む。
ネアは言葉を探し、慎重に答える。
「……まだ、よくわかりません。旅の途中でいろんな場所を見てきたけど、どこにでもいい人と悪い人がいて……王国も、きっと同じだと思うから」
「なるほど。賢い答えですね。当たり障りないとも言いましょうか」
ナランが静かに笑う。
獣人である彼女は、猫の耳をぴくぴくと動かし、どこか楽しげにしていた。
「では、もう一つ。魔神教については、どう思います?」
フォークを置く音がやけに大きく響いた。
ネアは思わず顔を上げる。
「それは……」
「この街に彼らが入り込んでいることは、もう知っているでしょう? それに、私が彼らと繋がっていることも」
その言葉に、空気が一瞬で張り詰めた。
ネアは息を呑む。
冗談ではなく、ナランの瞳は真剣そのものだった。
「……どうして、そんなことを」
「どうして、か」
ナランは淡く笑う。
「街のためです」
「街の……?」
「この国の端にある小さな街。王都からの援助は限られ、商人たちはソーティに流れる。ここを保つには、ベルフとソーティ、両方に顔が必要なんですよ」
ネアは言葉を失い、ナランは続ける。
「それにね、王都の貴族の中には、もう魔神教と繋がっている人が多い。まあ、それもこれも不老が得られるという話のせいですが。……私たちが彼らを敵だと思っても、実際には境目なんて曖昧です。だから、私はこう考えました」
彼女の声は、穏やかで、どこか寂しげでもあった。
「もし王国が魔神教側に傾いたとしても、この街が生き残れるようにしておくべきだと。そのために、私は繋がりを作った。それだけです」
ネアは喉が渇くのを感じた。
言葉が見つからない。
「でも、それって……裏切りじゃ」
「裏切り?」
ナランは小さく首をかしげる。
少しだけ、わざとらしさがあった。
「私は誰も裏切っていませんよ。“どちらの側にも見捨てられない道”を選んだだけ。それが、この街を守る一番確実な方法です」
ネアは俯いたまま、皿の上の菓子を見つめた。
甘い香りが、なぜか胸を締めつける。
「……あなたは、怖い人ですね」
「そう言われたことは、何度もあります」
ナランは笑い、立ち上がった。
「でも、怖いくらいでちょうどいいんです。この国は、優しい者から壊れていく」
彼女は代金を卓上に置き、振り返った。
「さあ、戻りましょうか。午後にはもう一つ、見せたいものがあるんです」
その笑みは、陽光よりも眩しく、そしてどこまでも冷たかった。
いったいどれだけ、この場でも語れないことを積み重ねてきたのだろう。
ネアは少し考えるも、頭を軽く振って彼女のあとを追う。




