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68話 獣人の騎士団長

 ナランの案内で、ネアたちは石畳の街路を歩いていた。

 夕刻のトラヴァスは活気にあふれ、行き交う人々の声が絶えない。

 露店では焼き串や果実の蜜漬けが売られ、香ばしい匂いが風に混じって漂っていた。


 「へえ、思ってたより賑やかだよね」


 リュナが片手に焼きパンを持ちながら呟く。

 いつの間にか買っているが、ネアはそれを咎めたりはしない。

 ちらりとナランの反応を見るだけ。


 「国境の街って、もっと物騒なところかと思ってました」


 ネアのその言葉に、ナランは笑みを浮かべる。


 「商人の往来が多い分、見栄えだけは整っているんですよ。王都に比べて人口が少ないので治安も“それなり”です。ですが──」


 彼女の言葉を遮るように、通りの向こうで喧騒が起きた。

 数人の兵が、麻袋を担いだ男性を地面に押さえつけている。

 袋の中からは金属の軋む音。


 「密輸商人だ!」


 誰かが叫ぶ。

 ネアたちが足を止めると、ナランは肩をすくめた。


 「……ああいうのは定期的に出てきまして。おかげで功績を稼ぎやすいんですけどね」

 「功績、ですか?」


 ネアが首をかしげる。


 「ええ。まがりなりにも騎士団となれたのは、功績ゆえにです。密輸商人の取り締まりにかけては自信があります。もし捕まらない密輸商人がいるなら──その者は相当な実力者でしょうね」


 軽い調子だったが、目だけは鋭い。

 その言葉に、ネアは無意識にカイランとリサナの顔を思い浮かべた。

 赤褐色の髪と琥珀色の瞳、あの兄妹のしたたかな笑みが頭をよぎる。


 (……あの二人なら、きっと捕まらないんだろうな)


 ぼんやり思考していると声をかけられる。


 「どうしました?」

 「いえ、ちょっと昔を思い出してて」


 ナランは特に追及せず、歩みを進めた。

 やがて通りが広がり、商人たちが声を張り上げる市場に出る。

 ナランは足を止め、屋台の串焼きを買うと、手慣れた様子で差し出した。


 「せっかくですし、どうぞ。ここでは人気なんです。王都にあまり入ってこない珍しい香辛料が特徴で」


 ネアが受け取ろうとした時、横からユニスが制した。


 「お気持ちはありがたいのですが、私たちは遊びに来たわけではありません」


 その声は淡々としていたが、副隊長として振る舞っているからか微妙な圧があった。

 ナランは一瞬だけ目を細め、すぐに柔らかい笑みに戻る。


 「ご心配なく。懐柔するつもりはありませんよ。このあと本部で話をするので、その前に少しでも仲良くなっておこうと思っただけです」

 「……なるほど」


 ユニスはそれ以上は何も言わず、歩くのを再開した。

 レセルはそんな二人のやり取りを横目に見ながら、小さく笑った。


 「人間関係の駆け引きって、どこの街でもあるけど、見ている分には楽しめるわ」

 「悪趣味じゃない?」


 ネアの呟きに対し、返ってくるのは笑みを含んだ甘い言葉。


 「わたしがどうあろうとも、使い手であるあなたの味方であることは絶対に揺らがないわ」


 やがて、街の中心部にある白い壁の建物が見えてきた。

 門扉の上には王国の紋章が刻まれている。


 「こちらが騎士団本部です。もっとも、騎士団と呼ぶには少し、こじんまりとしていますが」


 ナランはそう言って門を押し開けた。

 中からは、金属と油の混じった匂いに、武具の手入れをする音が時折響いていた。


 「いささか狭いですが、奥で話しましょう」


 建物の中は、外の喧騒とは対照的に静かだった。

 壁際に整然と並ぶ武具棚は、手入れが行き届いているのか錆びの浮かんでいるものは一切ない。

 外で見かけた者の中には、錆びのある鎧を着ている者がいたというのに。

 そんな疑問に、ナランは手短に答えた。


 「少し甘めにすると、手入れをサボる者がいまして。困ったことです」


 剣や槍などに比べ、鎧は面倒なところが多い。だから手入れをサボったりする者は出てくるという。


 「幸い、今回はブランシュ隊という外部からの部隊が来たので、錆びの浮かぶ鎧を着てきた者に対し、あとでたっぷりと叱りつけることができます」


 言葉は柔らかく、顔には笑みが浮かんでいるのに、その裏側には恐ろしさが詰まっている。


 「ネア殿。もし、あなたが今後、部隊の規模を大きくすることがあれば、部下を叱ることも大事な仕事になりますよ」

 「さ、参考になります」


 訓練場からは打撃音が遠く響き、規律の薄い街の印象とは違い、この本部だけは引き締まった空気を漂わせていた。


 「……思ってたより、整ってる」


 ネアが小声で呟くと、ユニスが頷いた。


 「ナランが……彼女がこの団をまとめている。団員の質はさておき、彼女の指揮下では大きな乱れがない」


 廊下を進む間にも、団員たちはナランの姿を見つけると自然に道を開け、礼をとった。

 その表情には敬意が宿っている。命令ではなく信頼から生まれる動き。

 わずかなやり取りだけでも、彼女がこの街で本物の騎士として認められていることが伝わってきた。

 とある扉の前で、ナランは足を止める。


 「こちらへ。お話は中で」


 案内された部屋は、地図と報告書が並ぶ作戦室のような場所だった。

 すでに数人の団員が待機しており、ナランが着席すると、自然に全員の視線が彼女へ向く。


 「では、まず現状を説明します」


 その声は落ち着いていて、無駄がない。

 ネアたちは席に着き、耳を傾けた。

 ナランは手元の資料を開き、静かに告げる。


 「──近々、ソーティ側との小規模な衝突が起こる見込みです」


 室内の空気が、一瞬で固まった。


 「えっ……?」


 リュナが目を見開く。ユニスも眉を寄せ、レセルは静かにネアの腕を握った。


 「戦争、というほどのものではありません。けれど、国境警備同士の争いが拡大しており、このままでは死者が出るでしょう」

 「そんな……でも、平和な街って聞いてて」


 いきなりすぎる報告を受け、ネアの声がかすれる。


 「表向きはそうです」


 ナランの表情は変わらない。


 「ですが、商人や労働者の中に、どちらの国の者かわからない者が増えている。密輸、密談、そして挑発行為。すべて小さな火種ですが、放置すれば炎になる」

 「だから宰相は……私たちの部隊を送ったんですね」


 ユニスが淡々と言葉を補う。


 「そう、隊長の言う通り。外部の目として、状況を報告させるため。そして、場合によっては鎮めるため」


 ナランはその言葉に小さく頷いた。


 「そうです。だからこそ、あなた方には部外者としての判断を期待しています。この街を守る立場の私には、どうしても見えない部分がありますから」


 レセルがネアの耳元でささやく。


 「どうする? ここに首を突っ込むのは、厄介そうよ」


 ネアは静かに息を吸い、トラヴァスの街において形ばかりの騎士団をまとめる獣人の女性を見た。


 「……まずは、詳しい状況を見せてください。現場を知らずに判断はできません」


 ナランはわずかに目を細めると、満足そうに頷いた。


 「いい返事です、隊長殿。では、明日、国境線まで案内しましょう。そこで何が起きているのか、直接見ていただきます」


 その声には、静かな決意と、どこか試すような響きがあった。

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