67話 国境にある街
翌朝。
王都の空は快晴だった。
ワイバーンの厩舎に接する広場では、陽光によって鱗がきらりと光る。
「それでは皆様、出発の準備はよろしいですね?」
御者が軽く敬礼し、搭乗箱の扉を閉める。
中にはネア、レセル、ユニス、リュナの四人。
木と革で組まれた狭い空間に、わずかに油と金属の匂いが漂っていた。
「それじゃ、飛び立つ感触を楽しもう」
リュナが楽しそうに手を叩く。
ワイバーンの翼が大きくはためき、地面が遠ざかっていく。
瞬く間に王都の屋根が下になり──塔や城壁が小さな模型のように見えてくる。
「うぅ……やっぱり何度乗っても慣れない……!」
ネアは思わず椅子の取っ手を握りしめた。
飛ぶ時に感じる体の中の違和感が、ついつい顔をしかめさせるのだ。
「大丈夫よ。落ちても、人よりも頑丈なわたしが受け止めるから」
レセルが抱きしめながらささやくと、向かい側に座っているユニスが呆れたような表情で頭を軽く振る。
「そういう冗談を言うから、ネアが余計に怖がるんでしょうに。それとも、怖がらせて反応を楽しんでる?」
「ふふふ、だってそういう反応は可愛いもの」
「え、レセルってばわざと言ってたの?」
驚くネアに対し、新たな言葉がかけられる。
「ねえ、わたしの大事な使い手にして、唯一の主に教えてあげないといけないことがあるの。もしも、空から落ちると、内臓が浮く感覚があって、そのあと痛い思いをする間もなく死ぬのよ」
「……ち、ちょっと、そういうこと耳元でささやくのやめて」
「やれやれね。いちゃつくのはいいとして、間近で見せられる方の気持ちになってほしいものだけど」
ユニスは軽くため息をつくと、窓から外を眺め、遠ざかる王都を見つめる。
それから数時間が過ぎた。
空の旅は、天候が悪くなったりしない限り、これといって妨害してくるものはない。
でこぼこした地面に疲れたりすることはなく、魔物との戦いで消耗することもない。
リュナは反対側の窓から外を眺め、口笛を吹いた。
「お、見て見て。あれが国境地帯だよ」
眼下に広がる大地。
やがて、緑の草原が途切れ、茶色い帯のような地形が見えてくる。
その中心を、まっすぐに伸びる灰色の壁が貫いていた。
「……あれが、国境の壁?」
ネアが呟く。
「名目上はね。街以外の部分は、土関連の魔法が使える者が大雑把に土を盛り上げて作った簡単な壁」
ユニスは静かに言った。
「それで、あそこにある街の壁に関しては、両方の街が寄り添うように建てられている。壁の向こうがソーティ、こちらがベルフ。商人たちは毎日、あの門を行き来してる」
レセルが目を細めた。
「壁で分けたはずの街が、実際には一つに繋がっている……不思議なものよね」
「国って、意外と曖昧なものだよ。傭兵という立場からしたら」
リュナが肩をすくめる。
それはかつて、傭兵として各地を転々としていたがゆえの経験から。
「紙の上では線を引けても、商人も職人も、金になる方へ自由に動く。あ、傭兵もだけど。戦争しないって決めたのも、そのせいかもね」
ネアは窓の外に目をやった。
壁の左右で、建物の色合いが少しずつ違っていた。
ベルフ側は石造りの灰色、ソーティ側は赤茶の煉瓦。
けれど街路は繋がり、人々の往来は絶えない。
まるで一つの心臓が二つの体を同時に動かしているかのようだった。
「……あの街がトラヴァス」
「あそこを見て」
ユニスの視線の先には、国境の中央に位置する街が見えた。
中央の壁を挟むように、左右対称の建物が並んでいる。
空から見ると、まるで一つの都市を線で割ったかのようだ。
「境目に建ってるんだ……」
「ええ。ソーティとの接点でもあり、王国の窓口でもある。だからこそ、宰相がわざわざ“経験のため”なんて言い方をしたんでしょう」
レセルの言葉に、ネアは頷いた。
宰相が何を見せたいのか。それはまだわからない。
だが、風の中に感じる予感だけは、確かにあった。
「初めての遠い場所だ。私がいた村よりも遠い」
ワイバーンは旋回し、ゆっくりと高度を下げる。
いきなり街に降り立つことはできないので、ひとまず街の外で。
国境の街トラヴァス。
二つの国を結ぶその地で、新たな任務がネアたちを待っている。
「衝撃が来ますので、着地に備えてください」
ワイバーンは街の外れにある厩舎へと着地した。
砂埃が舞い、鱗が光を反射する。
御者が手綱を引き、低く声をかけると、ワイバーンはおとなしく頭を下げた。
「ここがトラヴァスか……」
ネアは搭乗箱から降り、熱の残る風を受けた。
遠くでは商人たちの声が飛び交い、荷車の音が響いている。
街の外壁は二重構造。
中央の壁が国境の境目となっており、街の外側にもう一つ低い壁がある。
そのため、外から見ると二つの半円形をした街が背中合わせにくっつき、一つの丸い景観をしていた。
「これ、壁の意味ある?」
ネアがやや呆れたように肩をすくめる。
正直なところ、国境代わりに地面へ線を引くだけでよさそうに思えたからだ。
「形式上のものよ。どちらの国も、戦争を再開する気はないけど、境目となる壁をなくす勇気もない」
ユニスは淡々と説明する。
ワイバーンは街外れの厩舎の一角に預けられることになった。
普段から王都からの飛来はあるらしく、馬などの世話をしている人たちも驚かない。
だが、数人しかいない部隊の専属として一頭を持っていることを聞くと、思わず口笛を鳴らした。
「おお、たった四人なのに専属のワイバーンか……ずいぶん優遇されてるな」
「宰相の直轄ですから」
「ああ、そういうことかい」
副隊長として語るユニスの一言に、相手はそれ以上何も言わなかった。
街門の前には、数十人規模の騎士団が詰めている。
とはいえ、彼らの鎧はところどころ錆びつき、動きにも統一感がない。
整列というより、寄り集まって雑談しているような雰囲気だ。
「これが“騎士団”?」
ネアの呟きに、リュナが苦笑する。
「見た目は騎士団、実際は貴族の箔付け用の自警団ってやつだね。王都から離れた地方ではそこそこよくあることだよ」
そんな中、ただ一人、目を引く人物がいた。
長い銀灰色の髪を後ろで束ね、黒と白を基調とした高価そうな軽鎧を着ている。
背筋は伸びていて、頭には猫のような三角の耳、腰にはしなやかな尻尾が見えた。
これらも髪と同じ銀灰色をしている。
彼女は隊列から一歩進み出ると、礼儀正しく一礼する。
「ベルフ王国宰相府直属・ブランシュ隊の皆様ですね。私はこの街の防衛を任されているナラン・リェルと申します」
その声音は低く、よく通る。
近くで見ると、瞳は淡い琥珀色をしており、どこか野性味を帯びていた。
「あなたが、出迎えの……?」
ネアが尋ねると、ナランは小さく頷く。
「はい。数少ない正式な騎士として、案内を任されました。この街では名ばかりの者も多く、やや混乱することは多いかもしれません。どうぞ、気を悪くなさらずに」
丁寧な口調ながら、わずかに皮肉を含んだ言い回しだった。
「それでは、宿舎までご案内します。──ようこそ、国境の街トラヴァスへ」
彼女の細くしなやかな銀灰色の尻尾が軽く揺れる。
その動きに合わせて、日光が鎧に反射する。
ネアたちは視線を交わしながら、ナランの後ろに続いた。
境界線の街──ベルフとソーティを隔てていながらも、繋ぐ場所。
その空気の奥に、かすかな緊張が漂っていた。




