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60話 思いもよらぬ宰相からの提案

 昼前。

 女神教の大教会の門をくぐると、重厚な鐘の音が遠くで鳴っていた。

 前回とは違い、今度は約束もなく突然の訪問だ。

 だが、司教であるリュミナの部屋へ案内されたネアは、思わぬ人物と鉢合わせることになる。


 「おや、これは……」


 深緑の外套を羽織った壮年の男性が、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

 彼は王国の宰相。

 厳めしい表情ながらも、閉会式の時とは違い、眼光には妙な柔らかさがある。


 「ちょうどいい。君も同席しなさい」

 「え、えっ?」


 リュミナが小さく苦笑しながら頷く。


 「どうぞ。この話、きっと聞いておいた方がいいです」


 宰相と司教──王国における実質的な政治と信仰の中枢が同じ部屋にいるなど滅多にない。

 ネアは緊張しながら席に着いた。


 「さて」


 宰相は紅茶を一口含んでから、話を続ける。


 「本題は女神教の上層部への伝言だ。王国としても、各地に潜む魔神教への対応を急がねばならん」

 「ええ。教会側でも情報の共有は進めています」


 リュミナは落ち着いた口調で応じると、ネアの方を見る。


 「宰相閣下が“上”と直接話すには、少し手続きが面倒で……。だからこそ、司教である私が伝言役を務めているわけです」


 宰相は鼻を鳴らした。


 「まったく、神々に仕えるというのはどうしてこうもややこしいのかね。女神も魔神も、どちらも人を縛る鎖のようなものだ」

 「宰相閣下」


 リュミナが軽く眉をひそめる。


 「それ以上は言葉が過ぎます」

 「わかっているとも。だが、上に立つ者が全員、信仰一色では国はもたぬ」


 そう言って、宰相は片目を細め、どこか含みのある笑みを浮かべた。

 重苦しい話がひと段落ついたところで、ネアは手紙のことを切り出す。

 宰相はすぐに興味を示し、手紙の内容を聞くと顎に手を当てて考え込んだ。


 「……ふむ。なるほど、有力貴族どもが動いているか」


 数秒の沈黙。

 そして、何かを思いついたように小さく笑った。


 「いい機会だ。狩猟祭の優勝者という目立つ存在を利用させてもらおう」

 「えっ?」

 「君さえよければ、特別な部隊を率いる気はないかね? 人員はいない。君が自由に集めたまえ」

 「え、えっと……それってつまり……?」


 宰相は肩をすくめて言う。


 「表向きは、名誉職のようなものだ。ただ、王国としては、地方の治安維持を名目に動いてもらう。王都の警備を優先しているせいで、辺境ではそこまで手が回らんのだ」


 その言葉に、旅の記憶がネアの脳裏をよぎる。

 村を出たあと街へ訪れたが、仕事として兵士と共に水路を調べていたら、黒いスライムが湧き出していた。

 そして、その背後に魔神教の信徒がいたことを思い出す。


 「……確かに、旅の途中で見ました。魔神教の人たちが、変な魔物を生み出してるのを」

 「だろうとも」


 宰相は満足げに頷いた。


 「君のような者が一人でも動けば、いくつもの問題が片付く。もちろん、給金は支払おう。……正規の兵と同じとまではいかないがね」


 ネアは剣であるレセルに一度視線を向ける。


 『名誉職って言っても、危険な仕事の匂いしかしないわね……でも、報酬は悪くなさそう。わたしが言えるのはそれだけ』


 しばらく考えたあと、ネアは宰相に向き直った。


 「……わかりました。受けます」

 「うむ、よろしい。形だけの部隊だ。命令することはできないが、命令されることもない。好きに動いて構わん。……ただし、報告だけは忘れるな」


 そう言うと宰相は立ち上がり、リュミナに一礼した。


 「司教殿、これで伝言は済んだ。あとは若い者たちに任せるとしよう」


 彼が出ていって扉が閉まると、室内にはネアとリュミナだけが残った。

 リュミナはわずかに肩をすくめ、疲れたように微笑んだ。


 「……相変わらず、宰相閣下は人を振り回すのが上手というか……」

 「うん。あっという間に部隊の隊長になってた」

 「名誉職だとしても、油断は禁物です。あなたの動きは、良くも悪くも王国の目にしっかりと映るということだから。もし何かやらかした場合、危ない状況に陥るかもしれません」


 助言を受けてネアは真剣な顔で頷いた。

 そして、リュミナはそっと紅茶を差し出しながら微笑む。


 「でも、あなたが動けば、きっといろいろなものが変わる。だから、怖がらずに進んで」


 ネアはカップを受け取り、ほっと息をついた。

 宰相から渡された名誉と、リュミナから託された信頼。

 そのどちらも、これからの旅を大きく変えるものになる。

 とはいえ、実感はまだまだ薄い。

 やがて、張り詰めていた空気がふっと和らいだ。

 リュミナが小さく息を吐き、ネアに向かって微笑む。


 「お疲れさま。……宰相閣下による予定外の行動があったけど、何事もなくてよかった」

 「まさかいるとは思いませんでした。しかも、同席しなさいとか言ってくるなんて」


 そんな会話をしていると、扉の外から軽いノックの音が。


 「司教様、入ってもいいですか?」


 聞き慣れた声にネアは目を瞬かせる。

 扉が開くと、そこには白い修道服に身を包んだミリアがいた。


 「司教様っ!」


 入るなり、ミリアは駆け寄ってリュミナに抱きついた。


 「やっとお会いできましたぁ~! 今日もお疲れさまです、先輩っ!」


 その勢いにリュミナはわずかによろめきながらも、落ち着いた表情で背を撫でる。


 「……ミリア、少しは人目を考えなさい」

 「えへへ、だって数時間ぶりなんですもん。ちゃんとお祈りはしてましたよ?」


 思いもよらぬ甘えっぷりに、ネアは少しだけ引いた。

 表向きは真面目な見習いの顔をしているが、どう見ても今はその顔を投げ捨てている。

 しかも、その視線が時々こちらをちらりと向く始末。


 (……あれ? これってまさか……)


 ──明らかに“見せつけている”。


 「……ネアも来てたんだ?」


 抱きついたまま、ミリアが甘い声で言う。

 しかし視線は微妙に鋭い。


 「司教様と、いったいどんなお話を?」

 「い、いや、別に。宰相の人の話とか、部隊の話とか……」

 「ふ~ん……お仕事の話、と。じゃあ今はもう終わったわけで。リュミナ先輩、次は私との時間ですよね?」


 ネアは苦笑するが、リュミナは困ったように目を細める。


 「ミリア、あなたの時間なんてものは存在しません。そもそも見習いとしての態度が──」


 説教を始めかねないリュミナの言葉を遮るように、レセルの声が響く。


 『なんだか……腹が立つわね』


 次の瞬間、光が淡く揺れてレセルが人の姿へと変わる。

 そして、まるで当然のようにネアに抱きついた。


 「ちょっ……!?」

 「わたしもこうしていいでしょう? “見せつけ合い”は公平でなくちゃ」


 あまりにも自然に密着してくるレセルは、頬をすりすりと触れ合わせる。

 ミリアは一瞬で顔をひきつらせ、リュミナは額に手を当てて小さくため息をついた。

 さすがに、頬をすりすりまでは到達していない様子。


 「……お互い、大変ね」

 「……ですね」


 ネアとリュミナが顔を見合わせ、小さく苦笑を交わす。

 その横では、ミリアがふくれっ面でリュミナに腕を絡め、レセルがネアを離そうとしない。

 どこか微妙な空気が流れる。

 大教会の一室。

 先ほどまで重要な会話が行われていた場所で、まるで子どもじみた意地の張り合いが繰り広げられていた。

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