59話 司教との面談
夜。
王都で目立つ建物である女神教の大教会は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
灯された燭台が、石造りの回廊を淡く照らす。
案内に従い、ネアはリュミナのいる部屋へと通された。
そこには、すでに鎧を脱いだレティスの姿もある。
机の奥で書類をまとめていたリュミナは、ネアの姿を確認すると、微笑みながら立ち上がった。
「夜分に呼び立ててしまって、ごめんなさいね」
「いえ……」
「どうぞ、座って。少しお話をしましょう」
促されるまま椅子に腰を下ろすと、リュミナは机に両手を置き、穏やかに口を開いた。
「エルフォラという人物について、少し確認させてください」
「……やっぱり、それが目的なんですね」
リュミナは小さく頷く。
「そう。あなたが彼女と接触したことは、すでに把握しています。ただ、誤解してほしくないの。これは取り調べではなく、確認」
その声は柔らかかったが、どこか疲れのにじむ響きがあった。
「エルフォラは、今は魔神教とは関係を絶っています。ですが、彼女は不老という、神にも等しい恩恵を手にしている」
ネアはごくりと唾を呑む。
リュミナはゆっくりと続けた。
「女神教としても、彼女の存在は非常に扱いが難しい。彼女が今、密かに取引している密輸商人たち……あれは監視下にあるんです。彼女の存在が広まるのを防ぐためにね」
「見逃してる……ってことですか?」
「ええ。今は、見逃している状態です」
レティスが横から静かに言葉を添える。
「エルフォラの不老の噂が広まれば、貴族も商人もこぞって女神教から魔神教に移るでしょう。不老──それは、地位も金も超える欲望の究極形であるがゆえに」
リュミナが小さく頷いた。
「だからこそ、女神教は彼女を表の記録から消しました。記録の上では、彼女はとっくに亡くなったことになっています」
ネアは思わず口を開きかけ──だが、リュミナがわずかに首を振る。
「お願いがあります」
その声音は、司教としてではなく、一人の少女としてのものだった。
「どうか、エルフォラが不老であることは、誰にも言わないで。これは、あなたのためでもある」
ネアは迷いながらも、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。でも、それを隠すために、カイランたちとかが巻き込まれたりは」
「彼らのことなら、心配いりません」
リュミナはわずかに笑みを戻す。
「彼女が魔法で外見を若作りしていると、彼らは本気で信じている。だからこそ、深入りはしない。密輸の方も監視しているけれど、まだ見逃せる範囲なので、女神教から手を出す予定はありません」
「……徹底してるんですね」
「必要だから。もし、エルフではない人間の身で不老を得た者がいると知られたら──この国の均衡は一夜にして崩れる」
言葉の端に、少女らしからぬ重さがにじむ。
その瞳には、宗教と政治の現実が映っている。
「あなたは、彼女に近づきすぎないで。魔神教は、そういう“特別な存在”を餌にして、他者を引き込むのだから」
ネアは小さく頷いた。
リュミナの言葉は、警告というよりも、本気の心配に聞こえた。
「……わかりました」
短い沈黙のあと、リュミナは安堵の息を吐く。
「ありがとう。あなたがそう言ってくれるだけで十分」
レティスが静かに一礼し、部屋を出る準備を始める。
ネアも席を立ち、扉の前で一度振り返った。
「リュミナさん」
「なんでしょう?」
「……やっぱり、あなたって大変な立場なんですね」
リュミナは少しだけ苦笑を浮かべた。
「大変だけど、放ってはおけないの。人も、国も、真実も」
その言葉を最後に、ネアは一礼して部屋を出た。
廊下に出ると、夜風がステンドグラス越しに冷たく吹き抜ける。
不老という禁忌の力。
それを隠し通す女神教。
しかし気になることもあった。
「レティスさん。魔神教は、どうして不老について広めたりしないんですか?」
「わかりません。なんらかの意図があって隠しているとは思うのですが……」
聖騎士ほどの人物でも、わからないという。
教会の外に出たあと、オルヴィク家の屋敷まで送ってもらい、別れた。
そして自室に戻ると、くすくすと笑うレセルの声が、腰から静かに響く。
『ねえ、ネア。あなたはいろいろと知ったけど、どうするの?』
ネアは少し考えてから答える。
「……不老は知らなかったことにする。今は、それが一番いいと思うから」
静かな室内に、その声だけが淡く響いた。
◇◇◇
窓から朝日が入ってくる中、まだ湯気の立つ紅茶を前に、ユニスはいつになく渋い顔で封筒を机に置いた。
「ネア、あなた宛ての手紙が届いてる」
「私に? 誰から?」
「それが……匿名」
淡々とした口調ではあったが、すぐに深いため息が続く。
「まあ、送り主は見当がつくけれど」
「というと?」
ネアが首をかしげると、ユニスは肩をすくめた。
「バゼム・グラニエ。あの人、匿名で忠告をしたりする。私も昔、何度かあった」
封筒を開くと、上質な紙に整った筆跡が並んでいた。
そこには、こう書かれていた。
一部の有力貴族が、狩猟祭の優勝者である君に会いたがっている。
しかし、会うのはやめておいた方がいい。
表では女神教に寄付をしているが、裏では魔神教と手を結んでいるからね。
もし君が魔神教に入って力を得たいなら、この手紙は無視してくれて構わない。
だが、そうでないなら、王都を離れた方がいい。
オルヴィク家では、君を守りきれないから。
読み上げるネアの声が小さくなるにつれ、部屋の空気が重くなっていく。
「……また余計なことを」
ユニスは額に手を当て、深く息を吐いた。
「言っていることは、残念なことに事実。あの人なりの忠告のつもりなんでしょうけど……こうもはっきり書かれると、腹が立つ」
ネアは苦笑しながら手紙を見つめた。
「オルヴィク家では守りきれないって……書き方はずるいかも」
「屋敷が燃えて、私は当主になって日が浅い。だから否定できないけれど、正直むかつく。そうなったのはあの人のせいでもあるのに。こっちは立て直し中で人手も少ないのに」
ネアは小さく頷き、しばらく黙り込む。
やがて、意を決したように顔を上げた。
「わざわざ手紙を送るほどだし……どうするか、ちゃんと決めないと」
「ええ。放っておくと、向こうから来る。あるいは、有力な貴族の方が先だったりして」
少し考え込んだあと、ネアは手紙を畳む。
「リュミナさんに相談してみる。魔神教の話なら、女神教の方が情報を持ってるはずだし」
「……確かに。司教様なら、正面から向き合ってくれるでしょう」
ネアは立ち上がりながら、少しだけ照れくさそうに笑った。
「ついでに、女神教から何か援助とか貰えたら助かるんだけど」
「……なるほど、下心もきちんとあるわけね」
呆れたように言いながらも、ユニスの表情はどこか安心していた。
「気をつけて行きなさい。……あの司教様、あなたのことを気に入ってるみたいだし」
「え?」
「皮肉じゃなく、客観的な事実。まあ普通の人よりは、だから。何か異論は?」
「ええと……ない」
ネアは少し頬を赤らめながら頷いた。
そして、静かに手紙を懐にしまい、女神教の大教会へ向かう支度を始めた。




