表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/120

56話 古本屋と眼鏡の少女

 王都の喧騒からいくらか外れた裏通り。

 建物の陰が長く伸び、通る人影もまばらなその一角に、書庫アーケインと書かれた古びた看板が掲げられていた。

 扉を押すと、鈍い鈴の音が鳴る。

 中はひんやりとした空気。

 古書特有の乾いた紙の匂いが漂い、陽光の届かない隅には魔法による光がぼんやりと灯っていた。


 「いらっしゃいま……あら、あなたたちは」


 カウンターの向こうで本を拭いていた少女が、眼鏡の奥で目を細めた。

 腰まである黒髪を後ろで束ね、白衣めいた上着を羽織っている。

 年の頃はネアとあまり変わらない。


 「師匠は出かけています。……また妙なものを売りつけに来たんですか?」


 明らかに顔なじみらしいその口調に、カイランは肩をすくめた。


 「ひでぇな。今日は真面目な客を連れてきたんだよ」

 「真面目な、ですか。あなたが言うと信用が半減します」


 ため息混じりに言いながら、少女はネアを見た。

 その視線は、値踏みするというより、興味深そうに観察しているようなものだった。


 「……独学で魔法を学びたい、という方ですか?」

 「う、うん。できるかわからないけど、やってみたくて」


 少女は軽く眼鏡を押し上げ、小さく笑った。


 「物好きですね。……でも、嫌いじゃないです、そういうの」


 そう言って彼女は、奥の棚に歩いていき、一冊の厚い本を取り出した。

 表紙は擦り切れ、ところどころページの角が折れている。

 けれど、手入れの跡が丁寧で、長年大切に扱われてきたのがわかる。


 「《初めての魔力理論入門》。生まれついた魔法の系統によって、覚えやすい魔法と覚えにくい魔法が違う。その辺りの基礎をまとめた本です。まずは、これを読んでから他の本を探すのをおすすめします」

 「ありがとう。これ、買うよ」


 代金を払うと、少女は淡々と包みを渡してきた。

 その手つきが妙に几帳面で、どこか学者のようでもあった。


 「店内で読むなら、奥の席を使ってください。ただし、飲み物は本の上に置かないでくださいね。……前にやられたので」

 「うん。わかった」


 言われた通り、ネアは店の奥のテーブルに腰を下ろした。

 古い紙の香りと、時折聞こえるページをめくる音だけが、静かな空間を満たす。

 レセルの声が、鞘の中から響いた。


 『真面目な店員ね』

 「少し緊張するかも」

 『あの兄妹と知り合いみたいだし、そんなに気にしなくても大丈夫よ』


 そんな会話を交わしながら、ネアはページをめくっていく。


 “魔法とは、生まれ持った魔力の流路に基づくものであり、同じ系統であっても個体差により発動特性が異なる”


 活字を追ううちに、次第にネアの表情は真剣さを増していった。

 書かれているのは初歩的な理論だったが、それでも魔法というものが単なる才能ではなく、理屈と制御によって形になるということが伝わってくる。

 やがて、読みふけるネアの姿を見て、カウンターの向こうの少女が呟いた。


 「……なるほど。狩猟祭の優勝者って聞いたけど、噂よりずっと地味な子」


 けれど、その声にはほんの少しの好奇心と期待が混じっていた。

 まるで──この小さな来訪者がどんな魔法を覚えるのか見てみたい、というように。


 ◇◇◇


 ページをめくる指先が止まる。

 ネアは、本の中ほどに記された見出しに目を留めた。


 《四大属性と例外的な魔法》


 「火、水、風、土……か。わかりやすい」


 それぞれの項目には、短く特徴がまとめられていた。

 火は破壊と変化の象徴。瞬発的な力を持つが、制御を誤るとすべてを焼く。

 水は流動と適応。気温や環境に左右されにくく、形を変えながら攻撃や補助に転じる柔軟さを持つ。

 風は自由と感知。速度、察知、運搬など多様な応用が可能。

 土は堅実と創造。形を与える性質を持ち、建築や支えに長ける。

 どれも、自然をなぞったような説明だった。

 だが、その下には細かな注釈が添えられている。


 《ただし、いずれにも属さない“例外”が存在する。それが、生命や精神に干渉する魔法。特に回復魔法は、未だ理論的に位置づけられていない》


 「……属性に入らない魔法、か」


 ネアは思わず小さく呟いた。

 どんな魔法よりも役立つそれが、体系に収まらないとは。


 「便利なのに、ちゃんとわかってないなんて」

 『人が望むものほど、簡単には手に入らないのよ』


 レセルの声は、鞘越しでもどこか優しい響きを持っていた。

 ネアは次のページをめくる。


 《生まれついて持つ固有の魔法》


 そこには、こうあった。

 人は誰しも一つの魔法を持って生まれる。

 だが中には、努力や学習では得られない、唯一無二の力を持つ者がいる。

 それらは法則から逸脱しており、他者に継承できず、再現もできない。

 ゆえに、その仕組みは今なお謎に包まれている。


 「……やっぱり、私の“水を弾く”って、微妙なんだよなぁ」


 ページを眺めながら、ネアは頬杖をつく。


 「水を弾くくらい、他の魔法でもできそうだし。どうせなら、替えのきかない唯一の魔法とか持って生まれたかったな」

 『ふふ、欲張りね』

 「だって、せっかく一つだけ持てるなら、特別なのがいいじゃない」

 『じゃあ、あなたの“特別”はなんだと思う?』

 「うーん……」


 言葉を探す間、沈黙が落ちる。

 紙の擦れる音だけが小さく響いた。

 しばらくして、ネアは小声で尋ねる。


 「ねえ、レセルは? 魔法とか使えたりしないの?」


 すると、どこか楽しげなレセルの声が返ってきた。


 『一応、わたしの存在そのものが“魔法”だけど? 人になれるわけだし』

 「それ、反則でしょ」

 『冗談よ』


 少しだけ笑いが混じる。

 けれど、すぐに真面目な調子に戻った。


 『でも、あなたの肉体を一時的に強化する、それがわたしの魔法みたいなものね。本当は、剣としての機能だけじゃない。あなたの身体と魔力を、わたしの中で共鳴させて動かしてる』

 「……じゃあ、あれも魔法の一種なの?」

 『そう考えてもいいわ。あなたとわたしの“繋がり”がなければ、成立しない力だから』


 ネアは少しだけ息を呑んだ。

 “繋がり”。

 その言葉が、妙に心に残る。


 「……そっか」


 レセルはくすっと笑い、やわらかな声でささやいた。


 『あなたが特別じゃないわけ、ないでしょう?』


 その言葉に、ネアの胸の奥が、ふわりと温かくなる。

 それがまるで小さな魔法のように思えた。

 本を二冊読み終えた頃、ネアは机の上に小さな山を作っていた。

 分厚い理論書と違って、今開いているのは薄い冊子。

 “初歩魔法の実践手引き”と題されたその本には、火を灯す、風を起こす、水を集める──などの簡単そうに思える呪文がいくつも並んでいた。


 「……よし。これなら、私にもできるかも」


 小声で呟き、ネアは手をかざした。

 周囲の空気に意識を向ける。魔力を流す。

 ──反応なし。

 もう一度、指先に力を込めて集中する。

 ──何も起こらない。


 「うぅ、なんで……」

 『焦らないで。最初はみんなそうよ』

 「レセルはできるの?」

 『わたしは存在そのものが魔法だから、ちょっと参考にならないわね』

 「はいはい……」


 困り顔で肩を落としていると、カウンターの方から控えめな声がした。


 「もしよければ、試してみますか?」


 顔を上げると、眼鏡の少女が手のひらに透明な水晶をのせていた。


 「魔力鑑定用の水晶です。魔力を流せば、どんな属性か大まかにわかります。……練習の一環にもなりますよ」


 ネアはこくりと頷き、水晶を受け取った。

 手のひらの上で冷たい光を反射するそれに、そっと触れる。


 「じゃあ……」


 深く息を吸い込み、自分の中の魔力を意識しながら、いつもの“水を弾く”魔法を発動する。

 きらり、と淡い光が出るもすぐに消える。


 「……?」


 少女が覗き込む。


 「うーん……四属性ではないみたいですね。光り方がどれにも一致しません」

 「じゃあ、例外の方?」

 「かもしれません。……たとえば、回復魔法の系統とか」


 言われるままにネアは再び水晶を握る。

 今度は“癒す”という意識を持ちながら、魔力を流してみた。

 すると、かすかな温もりが手のひらを包む。

 水晶の中心に、淡い緑の光が灯る。


 「……これは……!」

 「たぶん、回復魔法ですね。出血の抑制や痛みの軽減に使える初歩的なものです」


 少女の説明を聞きながら、ネアは自分の指先を軽くつねって、赤くなった部分に意識を向ける。

 わずかに温かくなり、赤みが引いていく。

 ほんの少し、だけれども。


 「……出血が止まるくらい、かな」

 「それでも、立派なことですよ」


 少女はそう言いながらも、表情がどこか曖昧だった。

 “回復魔法が使える”というのは希少だ。

 だが、その効果が弱すぎるのも事実。

 褒めるべきか、慰めるべきか。

 言葉を選んでいるようだった。

 ネアはそんな空気を察したのか、先に笑ってみせる。


 「まあ、今までよりはちょっとマシかな。水を弾くよりは、役に立つ機会ありそうだし」


 少女は小さく咳払いし、少し柔らかい声で言った。


 「……ええ。回復魔法を扱えるだけでも、すごいことです。たとえ“しょぼい”と言っても、極めれば誰にも真似できない癒しになるかもしれません」

 「極める、か……」


 ネアは小さく呟き、水晶の残光を見つめた。

 それは、ほんのかすかな光。

 けれど確かに自分の魔法だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ