53話 望むもの
王都テルディの広場は、朝の光に包まれながらも、まだ興奮の熱を残していた。
狩猟祭の閉会式。
宰相が壇上に立ち、威厳ある声で言葉を紡ぐ。
「今年の優勝者となったネア」
名を呼ばれ、無数の視線が一斉にネアへと注がれた。
小柄な少女の姿に驚きや好奇のざわめきが起こる中、宰相はゆっくりと続けた。
「そなたの望みを聞こう。この場において、王国は優勝者の願いを叶える」
その声には、どこか試すような響きがあった。
力を持つ者が何を欲するか。
それを見極めようとするかのように。
ネアは目を閉じると、少し考え込む。
周囲の貴族や商人たちが固唾を飲む中、茶色の髪を持つ少女は静かに顔を上げる。
「……ここに呼びたい人がいます。そのあとで言います」
宰相は片眉を上げ、どこか探るような眼差しで見つめてくる。
「よかろう。申してみよ」
ネアは一歩下がり、軽く手招きをした。
観衆の間から白い髪の少女──レセルが歩み出てくる。
その存在だけでざわめきが広がった。
「私が望むのは、身の安全と保証です」
ネアはそう言うと、レセルを見る。
「剣になって」
「わかったわ」
レセルは静かに目を閉じ、次の瞬間、光に包まれてその姿を変えた。
眩い白光の中から現れたのは、一振りの剣。
──少女が、剣に変わった。
その光景に広場全体が息を呑む。
宰相でさえ、驚きのあまり目をわずかに細めた。
「……なるほど。希少な魔剣の使い手であったか」
しかし、人前なこともあって驚きを押し殺すと、短く頷いてから声を張り上げた。
「よろしい。王国に滞在している間は、そなたの身の安全、我らが保証しよう!」
その宣言に、観客の間から大きな歓声が湧き起こる。
拍手と口笛、そして次々と飛び交う勧誘の声。
「推薦するので学院に! 後見人は我々が!」
「うちの商会に来ないか!」
「傭兵団“鋼の翼”だ、腕のある者は歓迎する!」
人々が次々に押し寄せ、ネアを囲む。
レセルは剣の姿のまま静かに光を放っていたが、ネアは半歩下がりながら視線を泳がせる。
「えっと……あの、宰相殿、これ……」
助けを求めようとした瞬間、重い足音が人混みを割った。
「取り囲むでない! 通行の邪魔になっておる!」
鎧の音を響かせながら現れたのは、衛兵隊長のガルド。
背後には、狩猟祭に参加していた彼の部下たちの姿が続く。
「まったく……まさか優勝してしまうとは」
半ば呆れたように、しかしどこか誇らしげにガルドは呟く。
「それにしても、これだけ大勢の前で魔剣使いであることを明かすとは……もう何も言えん」
苦い表情を浮かべながらも、口の端がほんのわずかに上がっている。
ネアはそんな彼の視線の先を追った。
その時、ガルドが顎で示した方向に見慣れた二人の姿があった。
赤褐色の髪をした兄妹──カイランとリサナ。
「……あの二人」
「そうだ。あの者らが“とんでもないことをやりそうだ”とわざわざ言ってきたからな。念のため、準備しておいて正解だった」
ガルドはぼそりと呟き、ため息をつく。
「まったく、今年の祭りは胃が痛くなることばかりだ……」
その言葉に、ネアはようやく緊張を解いて小さく笑う。
陽光の中、剣のレセルがかすかに輝きを増し、新しい一日の始まりを告げるように朝風が吹き抜けていった。
「去る前に話がしたいのだが、よろしいかな?」
広場を出ようとしたネアだが、呼び止める声を受けて立ち止まる。
振り返ると、群衆の中から二人の人物が近づいてくる。
王国騎士団の団長エドラン。
女神教の聖騎士レティス。
周囲の視線を避けるためか、二人は簡単な変装をしていた。
リュミナとミリアの姿は見えない。どうやら、別の場所にいるらしい。
「ネア殿」
先に口を開いたのは、エドランだった。老いた声には、重みと誠実さがあった。
「少し時間をもらえるだろうか」
ネアが頷くと、彼は少し顎を上げて言葉を続けた。
「君はこの先、どういう目的を持って動く?」
静かな問いだった。
だがその瞳には、何人もの戦士を見送ってきた者の眼光が宿っている。
ネアは答えに詰まり、迷う様子を見せる。
エドランはそれを見て、ゆっくりと頷いた。
「……誰もが君に一目置く。だが、それは同時に“面倒事を引き寄せる”ということでもある」
「面倒事……」
「君ほどの者が動けば、周囲は動揺し、欲を見せ、手を伸ばす。だからこそ、忠告しておきたい。君の行動が、君の選択が──もう、世界に影響を与える立場になっているということを」
ネアはただ、静かにその言葉を受け止めていた。
彼の声には威圧感ではなく、確かな経験に裏打ちされた助言としての温度があった。
「……魔剣を持つ者に対する老人のお節介と思ってくれて構わんよ。では、達者でな」
短く頭を下げ、エドランは背を向けた。
老騎士の背中は、長い戦場を渡ってきた者だけが持つ重みを帯びていた。
「次は私です」
その後ろから、レティスが一歩進み出た。
光を帯びた金糸のような髪が揺れ、静かに声を落とす。
「司教様からの伝言です」
ネアが首を傾げると、レティスは周囲を気にしながら言葉を続けた。
「“魔神教の者は、あなたを引き込みたがるでしょう。惑わされないことを願っています”」
その声音はいつもより硬く、警戒と不安を含んでいた。
ネアは真剣な様子で頷く。
「……わかりました。ありがとうございます」
「どうか、気をつけて」
そう言い残し、レティスはすぐに人混みの中へと姿を消した。
その背に、わずかな焦燥の影が見えたのを感じ取る。
残されたネアは、ゆっくりと息を吐く。
「……本当に、次から次へといろんな人が話しかけてくるね」
『それだけ、あなたが目立つ存在になったということよ。わざと目立ったせいでもあるけど』
レセルの言葉は穏やかだったが、同時にわずかな警戒の色が宿っていた。
王都テルディ。
狩猟祭を終えて、ネアの名は一躍知られることになった。
だが、その名が広まるほど、静かな波紋もまた確実に広がっていくことになる。
◇◇◇
王都の通りに、一台の黒い馬車が音を立てて止まった。
御者が恭しく扉を開けると、中には二人の姿があった。
笑みを浮かべるバゼムと、こめかみを押さえながら顔をしかめているユニスだ。
「どうぞ、お乗りなさい。優勝者殿」
皮肉めいた声に、ネアは微妙な笑みを浮かべながらも乗り込む。
馬車が動き出すと同時に、バゼムは軽やかな口調で言った。
「いやはや、よくもまあ、あれだけ大勢の前で“ああいうこと”ができるね? 勇気があるというより、考えなしの行動ではないかと驚いてしまったよ」
わざとらしく肩をすくめる。
その笑みはいつも通り柔らかいが、言葉の棘は隠しようもない。
ネアが言葉を探していると、ユニスがうんざりしたようにため息をついた。
「……今回ばかりは、あの人の言葉に同意する。自分が何をしたのか理解してる? 狩猟祭の優勝者、それも希少な魔剣の使い手。今のあなたは、誰もが欲しがる人材となった」
冷静な口調の奥には、呆れと心配が混ざっている。
ネアは少し肩をすくめ、申し訳なさそうに答えた。
「……うん。でも、目立ち過ぎた方が消されずに済むから」
「……え?」
ユニスが目を瞬かせる。
ネアは小さく息を吐いて、言葉を続けた。
「消すのを迷うくらい、手に入れたいと思われる存在になれば、とりあえず安心でしょ? だったら、あそこで目立ってたほうが……いいかなって」
あまりにも無邪気な、しかし理にかなった言葉。
わずかな沈黙が馬車の中を漂う。
そして、最初に口を開いたのはバゼムだった。
「……ふむ。なるほどね」
彼は口元に手を当て、愉快そうに笑う。
「良くも悪くも、君と敵対することはしばらくないだろう。君に何か仕掛ければ、他の貴族が手を組み嬉々として攻撃してくるだろうからね。まったくもって残念なことだが……ユニスを援助し、地道にやっていくしかないわけだ」
「援助なんて、聞こえはいいけれど……」
ユニスは眉をひそめる。
だが、バゼムの言葉の意味を理解してしまえば、反論もできなかった。
少なくとも、今すぐネアを利用しようとする危険は遠のいた上に、自分の身の安全も確実なものとなったのだから。
「……まあ、そういうことだから、助かったとは思ってる」
ユニスはネアをちらりと見て、ため息をついた。
「嬉しいような、むかつくような……複雑な気分」
「えっと……ごめん?」
「謝らなくていい。あなたはあなたのやり方で、ちゃんと勝ったんだから」
窓の外では、王都の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
その中で、バゼムは相変わらずの笑みを浮かべ、ユニスは眉間を押さえながら、隣のネアに小さく呟いた。
「……本当に、あなたは驚かせてくれる。それが私の利益になってるのはいいけど、少し怖くもある」
ネアは苦笑しつつ、手の中にあるレセルの柄をそっと握りしめる。
その触れた温もりが、ほんの少しだけ胸の鼓動を落ち着かせてくれた。




