51話 それぞれの愛
紫電が走った。
空気が焼けるような音を立て、雷が一直線にネアへと迫る。
「──っ!」
瞬間、青白い光の壁が展開された。
雷撃が防壁に激突し、閃光とともに倉庫の内部を照らす。
防いだのはリュミナだった。
「ネアさん、下がってください」
張り詰めた声。
その細腕から放たれる魔力は、一人の少女から出ているとは思えないほどに濃密。
しかし、次の瞬間、別の魔力の波が襲いかかる。
フードの女性が、すでに詠唱を終えていた。
「司教様……さすがですね。でも、守りばかりでは疲れるでしょう?」
黒い光が走り、リュミナの防壁に亀裂が走る。
「くっ……!」
リュミナも反撃の光弾を放つ。
互いの魔法がぶつかり合い、火花が飛び散った。
倉庫の床が割れ、破片が舞う。
互いの術が干渉しあい、わずかでも動けば致命的な隙が生まれる。
「……行って。私がこの人を抑えます」
リュミナの言葉に、ネアは頷いた。
闇の中で、紫の光がまた閃く。
ミリアが杖を掲げ、笑みを浮かべる。
「先輩を守るつもり? 部外者のくせに」
雷の矢が放たれる。
ネアはレセルを構え、剣を振るって軌道を逸らす。
雷が刃に絡み、白い閃光が弾けた。
『……ちょっと、痛いわよこれ』
ぼやくようなレセルの声が響く。
軽口にも聞こえるが、刃を通して熱が伝わってくるのがわかる。
「ごめん、でも今は──!」
ネアが踏み込み、距離を詰めると、ミリアが杖を横に払う。
再びの雷光。
ネアは飛び退きながら、すぐに地を蹴る。
厄介なことに動きが速い。
ミリア自身の身体能力は、明らかに常人のそれを超えていた。
「どうして……魔法に反応できるの」
ミリアが苛立ち混じりに叫ぶ。
「私には、感じられるから。それに、支えてくれる存在がいる。動きを後押ししてくれる存在が」
ネアの声が倉庫の中に響く。
剣が雷を裂くように動いたら、紫の光と金属の輝きが交錯する。
火花が散り、空気が焦げる。
「私は、一人じゃない……!」
ネアは言葉とともに踏み込む。
「この剣と一緒だから──魔神の力を得たミリアにだって負けない!」
その瞬間、レセルがかすかに微笑んだ気がした。剣の状態でいるため、表情などはわからないが。
刃の軌跡が、雷光を裂き、紫の闇を押し返していく。
倉庫の中で、二人の少女の戦いが激しく火花を散らした。
光と闇、信仰と裏切り、友情と執着──すべてが混ざり合い、外と遮断された倉庫内部を照らす。
雷が走り、剣と魔力が再びぶつかり合う。
閃光に照らされた一瞬、ミリアの瞳が深く揺らいだ。
「どうしてそんな顔ができるの……?」
その声は怒りよりも、どこか切実だった。
「誰かを愛したことがある!? 奪われる痛みを知ってる!? 知らないくせに!」
叫びが、倉庫の中に響いた。
ネアは息を呑む。胸の奥が、ズキリと痛んだ。
頭の隅で、何かが閃く。
──それは幼い頃の記憶。
小さな手を引いてくれた母。
優しく頭を撫でてくれた父。
でも、それはほんの短い間だった。
病に倒れ、村の人々が悲しむ中、ネアは孤児として生きるしかなかった。
(愛なんて……ほとんど知らなかった)
でも──。
頭の中に、もう一つの光がよみがえる。
白い髪に赤い瞳。
あの夜、手を差し伸べてくれた少女の姿。
「……レセル」
その名を呟くと、ミリアが一瞬眉をひそめる。
「レセル? 誰それ?」
ネアは小さく息を吸い込む。
「この剣だよ。私の魔剣。出会ってから、ずっと一緒にいた」
その瞬間、剣身が淡く光った。
『ちょうどいいわ。証明してあげましょう』
甘い声が響き、レセルは人の姿に変わる。
白い光が集まって現れたのは一人の少女。
ミリアが驚く間もなく、レセルはネアの頬を両手で包むと、そのまま抱きしめ、唇を重ねた。
「っ──!?」
思考が真っ白になる。
ミリアはもちろん、ネア自身も固まっていた。
「な、なにして……!」
レセルはゆっくりと離れ、軽く微笑む。
「これで十分伝わったでしょ? 愛しあってるって」
「ふざけ──」
ミリアが叫ぶより早く、レセルの手が頬を打った。
乾いた音が、辺りに響く。
「あなたのやり方じゃ、手に入れても長続きしないわ。内心、理解しているんでしょう?」
静かな声。
怒りでも軽蔑でもなく、淡々としたもの。
「じゃあ……どうすればいいのよ!」
ミリアが震える声で叫ぶ。
レセルは微笑みを崩さずに言った。
「“好き”を伝えながら抱きしめるの。それが、一番強くて、一番まっすぐな力だから」
「そ、そんなの……無理に決まってる!」
その言葉に、レセルは首を動かし、ゆっくりとリュミナの方を見た。
「ねえ? あなたがこのバカを抱きしめたら、大体解決するけど……どうするの?」
「えっ……」
突然の提案に、リュミナは固まる。
けれどすぐに、少しだけ苦笑を浮かべた。
“もう、受け入れる以外に道はない”──そんな表情だった。
倉庫の奥で、フードの女性がくすくすと笑う。
「ふふ……。そういう解決方法を取るとはね。予想外と言いましょうか。これでは、私があまりにも不利」
その声は、やけに楽しげだった。
「司教の排除に、魔剣使いの確保もしたかったけど、少し予定を変えさせてもらうわ。……逃げさせてもらう」
その瞬間、彼女の足元の闇が揺れ、姿がふっと霞む。
「逃がすわけないでしょうが」
レセルは苛立ち混じりに言い、すぐに剣へと変わった。
ネアは即座に理解する。
剣となったレセルを握ると、全力で踏み込んだ。
「──っ!」
鋭い音を立てて剣が振り抜かれる。
しかし相手は紙一重で身を翻す。
刃がかすめ、フードを切り裂いた。
フードが舞い、闇の中に白い肌がのぞく。
次の瞬間、ネアの動きが止まった。
「……え?」
あらわになったその顔を見た瞬間、ネアの全身が凍りついた。
(そんな、まさか……)
そこにあったのは、幼い記憶に焼きついている──母の顔。
「……あらあら」
女性は柔らかく笑う。
その声は、まるで記憶の中の母そのもの。
「私の顔はね、見た者の“愛する女性”に見えるよう、魔神の呪いをかけてあるの。さて、あなたの目にはいったい誰が見えたのかしら?」
「っ……!」
ネアは言葉を失う。
胸が締めつけられるように痛い。
女性はくすりと笑い、背後の闇に溶けるように姿を消した。
その瞬間、倉庫を覆っていた闇が霧のように消え始める。
音が戻り、月光が再び差し込む。
リュミナがかすかに息を吐き、ミリアはその場に崩れ落ち、泣き声をこぼした。
ネアはただ、剣を握ったまま立ち尽くしていた。
手の中のレセルが、そっとささやく。
『大丈夫。あなたの愛した人は、今もあなたの中にいるわ。あれは、姿形を真似ただけ』
静寂が戻り、王都の祭りの夜はゆっくりと終わりに向かっていった。
崩れた木箱の間で、ミリアはその場に膝をつき、震える指で床を掴んでいた。
「……なんで……どうして、こんな、の……」
嗚咽が漏れる。
顔を両手で覆いながら、押し殺すような声が響いた。
リュミナは、しばらく黙って見つめていた。
表情には、怒りも軽蔑もなく──ただ、深い悲しみと優しさだけがあった。
ゆっくりと歩み寄り、そっとミリアの肩に手を置く。
「もう……いいのよ」
その一言で、ミリアの身体が震えた。
顔を上げた瞳は、涙に濡れて光っている。
「……先輩」
かすれた声。
次の瞬間、ミリアは恥も外聞もかなぐり捨てて、リュミナに飛びついた。
「好き……! ずっと、ずっと……好きだったんです……! あなたみたいになりたかった……! 離れたくなかったのに……!」
嗚咽混じりの告白が、静まり返った倉庫に響く。
リュミナはわずかに目を見開いたが、すぐにその腕を受け止めた。
包み込むように、優しく、静かに。
「……まったく、あなたは昔から手がかかるんだから」
穏やかな声。
涙に濡れた髪を撫でながら、リュミナは柔らかく微笑んだ。
「でも、よく頑張った。もう大丈夫」
ミリアはその胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくった。
リュミナの指が、その背をゆっくりと撫でていく。
まるで長い夢から醒めた子を、優しく抱くように。
少し離れた場所で、ネアは静かにその光景を見つめていた。
『ようやく、あの子も自分を取り戻せたようね』
ネアは小さく頷き、ふっと息を吐く。
倉庫を覆っていた闇はもうどこにもない。
残ったのは、泣き疲れた少女と、優しく抱きしめる少女。
それは、戦いの終わりに訪れた、ほんのひとときの救い。
外では、狩猟祭の終わりを告げる鐘が鳴り響いていた。




